取り戻すため
炎嘉は、その修羅場に到着した。維心の腕に抱かれた元の姿の維月が、十六夜、碧黎、蒼に囲まれて気を補充されているのが見える。維心からも、必死に気を送り込んでいるのが見えた。炎嘉は、駆け寄って叫んだ。
「飲んだのか!」
女の姿の十六夜が、そちらを見た。
「口に入れてたから、すぐに吐き出したのにこうなった!炎嘉、どうやったらこれが解ける!」
炎嘉は、首を振った。
「記憶の中には、解き方まで無かった。あやつらが解くことまで考えておらなんだからぞ!」
炎嘉も、気の補充を助けようと維月に駆け寄った。維月の姿は、薄っすらとまるで幻のように消えかかっていた。炎嘉がショックを受けてその姿を見ると、碧黎が言った。
「これは、エネルギー体であるから」碧黎には珍しく、額に汗を光らせて気を補充しながら言った。「型を維持出来ぬのだ。これが消えれば、魂が黄泉へと引っ張られよう。今は我らの気が必死に引っ張っておるような状態ぞ。維月を留めに黄泉の道へ行こうにも…我が離れたらすぐに持って行かれてしまう。地上で一番に力を持つ我ら三人と蒼がこうして留めておるのに、もう消えかかっておるのに。」
すると、維月の人型がすーっと崩れて光の玉になった。維心は、悲痛な声で言った。
「維月!ああ、何も出来ぬのか!」
碧黎が、眉を寄せた。
「もう、持たぬ。このままでは…」
すると、十六夜が言った。
「オレが維月を留める!」
言うが早いか十六夜はすぐに光の玉に変わり、維月の光を飲み込むようにして、包んだ。一つの大きな玉になった光から、十六夜の声が続けた。
《オレの命の中に取り込んで、黄泉へ逝くのを阻止する。》
碧黎が、その光を見ながら言った。
「しかし長くは持つまいぞ。黄泉の力は大きい。我とて我を呼ばれたら抗うことは出来ぬだろう。悪くすると主まで引きずられる。維月の意識はもう、黄泉の道を歩いておるはずぞ。」
しかし十六夜は、ふらふらと漂いながら言った。
《何とかしてくれ、親父。オレは出来る限り維月を留める。その間に、解き方を探せ。駄目なら、また一緒に逝くだけだ。》と、窓の方へと漂った。《月へ帰る。ここじゃあ、オレ達の力も全開じゃねぇ。》
維月と十六夜のまとまった命の光の玉は、月へと打ち上がった。碧黎はそれを見送りながら、余裕のない険しい顔をした。いつもどこかしら余裕のある碧黎らしくない顔に、維心はどうしようもないことを悟った。そして、突然に立ち上がって言った。
「慎怜!」
維心の声に、維心について来ていた慎怜が慌ててそこへ入って来て、膝をついた。
「御前に、王。」
「軍を出せ!宮へ命を!」
慎怜は驚いたような表情をしたが、すぐに頭を下げて返事をしようとした時、蒼が慌てて言った。
「維心様!そのようなことをしても、母さんの術は解けません!」
維心は蒼を睨んだ。
「我が妃をあのような目に合わせおって!もう我慢ならぬ!根絶やしにしても収まらぬわ!」
しかし炎嘉が、横から鋭く言った。
「維心!蒼の言う通りぞ!少しでも維月を助ける希望があるなら、あやつらを殺す前にすることがあろう!滅してしもうては、その術すら分からぬのだぞ!」
維心は、歯軋りして炎嘉を見た。
「そんな甘いことを言うて放って置いたゆえ、このようなことになったのであろうが!先に捕らえて吐かせておれば良かったのだ!」しかし、維心にも分かっていた。殺したところで、維月は助からない。ならば一刻も早く解く方法を探す方が良いのだ。「…ならば、あれらを捕らえて我が宮へ連れて参れ!我が直々に調べてやろうぞ!」
蒼は、身震いした。こんな維心がどうやって相手からそれを聞き出すのかと思うと、身の毛がよだったのだ。龍は本来残虐なのだと聞いている。維心は、その王なのだ。
炎嘉が、首を振って手を差し出した。
「記憶の玉ぞ!我が持っておる。ここ最近のものだけ吸い上げて来た。あやつらは今、栄の宮で昏睡状態であろう。何を言うても、あれらには分からぬ。これを戻さねば、意識も取り戻さぬ。」
維心は、それを見下ろした。体から立ち上る怒りの気は、蒼ですら正気でいられないのではないかというほど、強い圧力を発している。
「見る。」維心は、側の椅子へと座った。「主らも見るが良い。」
蒼も、慌てて手を翳してその玉へと自分の気を発した。維心も、碧黎も同じようにしている。
そして、皆真実を知った。
鷹の宮の王の居間で、陽華は月を見上げてじっと佇んでいた。箔炎がそれに気付いて側へ行くと、陽華は振り返って微笑んだ。
「箔炎様。」
箔炎は、陽華の肩を抱きながら言った。
「何を見ておった?月か。主は、よう月を見ておるの。」
陽華は、また月へと視線を戻した。
「はい…とても、美しいこと。」
しかし、陽華の雰囲気はとても月を愛でていたという感じではなかった。何かを、案じているような…。
箔炎は、同じように月を見上げた。すると、その気が尋常でないほど揺れていて、そして、どうしたわけか陽の月の力ばかりを感じた。確かに今、珍しく月に二人の気配があるようなのに、陰の月の気が掛けている。いや、僅かばかりにあるのか。
箔炎は、眉を寄せた。
「…維月に、何かあったのか。」
箔炎は、呟くように言った。それは、己に向けて言った言葉だった。しかし、陽華が横で身を震わせた。
「先ほどから、あのように、乱れて。」陽華は、顔を背けて口元を袖で隠していた。「月があのようにとは、どうしたことかと思うて…。」
箔炎は、陽華をこちらへ向けると、その顔を上げさせた。そして、その顔を見て、言った。
「…無理をするでない。」箔炎は、陽華の頬をつたう涙を拭った。「やはり思い出しておったのだな?主、地の片割れの陽蘭なのだろう?」
陽華は、涙を流したまま、箔炎を見上げて言った。
「申し訳ありませぬ。でも我は…ここに居たかったのですわ。箔炎様、我は箔炎様の妃でありたいのです。そう望んで、ここに居りました。ですが、子が案じられ…異変を気取って、平静でいられませなんだ。」
箔炎は、頷いた。
「帰りたいか?維月に何かあったことは確か。我も、世であれに対する策謀を気取っておって、龍の宮へ知らせたところであったしの。それも甲斐がなかったのやもしれぬ。」
陽華は、驚いた顔をした。
「え…でも、それでは箔炎様は…。」
箔炎は、苦笑した。確かに、また一人になってしまう。
「二度と会えぬわけではあるまい。」箔炎は、陽華の頬を撫でた。「また、会える。主の憂い顔を見ておるのは、辛くてならぬ。」
陽華は、じっと箔炎を見上げた。神の王は、皆我がままで自分勝手だ。人だってそうだった。そんな相手しか見て来なかったからかもしれない。地の片割れの碧黎でさえ、ここまでいつも共になどと置いてはくれなかった。それは、忙しいのもあったが、ずっと片割れとして側に居すぎて、お互いに執着がなくなって来ていたから…。変な意地ばかりで、愛情とは別物だったのかもしれない。
陽華は、箔炎の胸に寄り添った。箔炎は、不思議そうに陽華を見下ろした。
「陽華?」
陽華は、首を振った。
「我は、戻りませぬ。元より我が戻ったからと、どうにかなることではありませぬ。」と、びっくりしたような顔の箔炎を見上げて微笑んだ。「碧黎にどうにかできないことが、我にどう出来ると言うのでしょうか。我は、ここに残ります。」
箔炎は、薄っすらと涙を浮かべた。ここに、居てくれると言うか。
「陽華…いや、陽蘭か。」
すると、陽華は首を振った。
「我は陽華。箔炎様がくださった名。我は不死でありまするが、箔炎様が世にある限り、ここに居りまする。お側に置いてくださいませ。」
箔炎は、頷いて陽華を抱きしめた。
「陽華…後悔はさせぬ。」箔炎は、自分を選んで残ってくれた陽華に、涙がこみ上げて来て止まらなかった。「ならば我が調べて来ようぞ。主の子のこと、我に任せよ。案じるでないぞ。」
陽華は、頷いて箔炎の背に腕を回して抱きしめた。我をこれほどに愛してくれる王…。我はこのかたを見送るまで、決してあちらへは帰るまい。
月の気はまだ、不安定に揺れていた。




