飼育、ないしは愛の謳
彼女はぼくの猫だ。
誰にも触れさせない。
大切に、大切に、二人だけの箱庭で添い遂げよう。
ぼくらの他に、世界なんて要らないのだから。
―飼育、ないしは愛の謳―
秒針の音が耳障りなので、目覚まし時計を壊した。
音を失くしたがらんどうの部屋に、二人の息遣いだけが密やかに籠もる。
時計の破片を避けながら、ぼくは身を寄せてきたユキの小さな頭を撫でてやる。
色素の薄い繊細な髪が、指で絡まり解けていく。
にゃあ、と彼女は身じろぎし、呼応するように首輪の鈴が澄んだ音を立てた。
懐に抱こうとして、時計を避けた左手を広げると、破片が刺さって血が滲んでいる。
汚い。
これでは、綺麗なユキを抱き締められない。
○○
瀬川肇の世界は彼女に始まり、彼女に収束する。
小早川結希。どこにでもいる、小柄な少女。
しかしその性質は、ハジメにとっては魔的と云って過言ではなかった。
彼女は部活の後輩だった。
ぼんやりとした生徒で、運動部だというのに集合時間に来たためしがない。
人数の少ない剣道部で、これでは練習を始められないから、と探しに行かされるのはいつもハジメだった。
彼は二年生で唯一、レギュラーに入れない半端者。
それでも努力をすればいつかはと、他の部員に馬鹿にされいいようにあしらわれても食い下がってきた。
校舎内を駆け回り、ユキを探す。
その日は台風が来るとの予報だった。
校内にはどこにもユキの姿はない。ーーハジメがそこを見ようと思ったのは、本当に、ただの気まぐれだったのだ。
ーーだって、こんな日に屋上に行く阿呆がいるはずはない。
果たして彼女はそこにいた。
校舎の屋上でひとり、風雨に乱れながら、雷が降るのを待っている。
彼女は、虚ろだった。何も容れられていない硝子の小瓶。そこに水滴がぽつぽつと滴るのを見て……ハジメは全てがどうでもよくなってしまった。
実にならない部活動。友達のいない教室。何も成せない、無力な自分。
それもこれも全てを、がらんどうの彼女は閉じこめて、身籠もって、慈しんでくれるのではないのか。
思えばそのとき、ハジメは何者かに生まれ変わった。彼女だけを愛する容れ物に。
彼女の背筋の通った立ち姿、まあるく見開かれた黒目、その全てを尊いものとして、宝箱に仕舞っておきたいと、願ってしまった。
正常を演じて、彼女に告白をした。
彼女も正常のフリをして、それを了承した。
静かな二人の静かな愛はこうして芽生え、それほど間を置かずに凶々しい箱庭へと転げ落ちていく。
●○
わたしは猫になりたい、と常々思っていた。
自由に遊び回って、気が向いたら甘えて、思うがまま、心のまま。
それは自由への渇望とは違う。
野良猫ではなく、誰かの所有物、飼い猫になりたかったのだ。
だから、まともなフリをしたハジメが彼の部屋に招き入れたのも、さりげなく全ての鍵を封じたのも、壊れた表情で「ぼくの猫になってほしい」と告白したのも、恐ろしいことにわたしの願望通りだった。
初めは認めたくなくて抵抗をした。与えられた食事を食べなかった。外に出たいと喚いた。
でもそんな行為は、全部全部無駄だったんだ。
わたしのささやかな抵抗を見るたびに、ハジメはどんどん悲壮な表情になり、ごめんね、ごめんねと口では詫びながら拘束具を増やしていく。
わたしは首を、腕を、足を、胴を繋がれて、その拘束具の重みに発情した。
ハジメの狂おしい執着が、わたしの身に一心に注がれていると思うと、愛しくて、彼しか見えなくなって、ーーやがて、言葉すら忘れた。
わたしのからだは彼のもの。
彼のこころはわたしのもの。
一分の隙もない、二人だけの箱庭。
もうそれ以上、何も要らないんだ。
●●
不登校の少年は、後輩の少女を道連れに、ある日突然失踪をした。
彼らが見つかったのは遠い北の大地、雪に覆い隠された古いアパート。
水道も電気も止められた部屋で見つかった二人は、お互いがお互いを戒め、縛り合って、さながら聖書の「中性」の化け物のようだったという。
入ってきた者たちに引き剥がされた二人は、互いを求め二人にしかわからない言葉で呼び合い、
二度とひとつになれないと諭されると、同時に舌を噛みきって絶命した。
随分昔の作品です。
高校で念願の文芸部に入り、部誌を作る段になって書いたもののひとつでした。
最近当時の作品を引っ張り出す機会があり、読んでみたら……とても……読めたものでは……。
機会を作ってくれた知人には、本文そのままと本作を両方送りましたとさ。
……で、折角書いたこの話。
普段はpixivで細々二次創作を書いているのですが、そこに載せても意味がない気がする。
だったら、と思い、こちらにお邪魔することにしました。
実は、短編連作で書きたい話があるのです。
今回のハジメとユキは、それとは全く関わりがありませんが。思い入れが深いので、何かの機会に顔を出すかもしれません。
今後とも、よろしくお願いします。