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white minds  作者: 藍間真珠
第一部 ―邂逅到達―
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第八章 「薄黒い病」 第七話

「隊長、どうしましょう」

「隊長!」

 背中から降り注ぐ呼びかけの数々を、よつきは振り払いたい衝動に駆られた。「どうしましょう」と問われてもどうすることもできない。彼らにできるのはせいぜい結界を張ることだけだ。

「とにかく今は耐えてくださいっ!」

 よつきの心境を代弁するように、横に立つジュリが声を張り上げる。彼女は先ほどからずっと結界を維持していた。地響きと粉塵が視界も方向感覚も鈍らせてくる中、ただ気だけを頼りに結界を張り続けるのは相当辛い。それでも彼女が一刻たりとも休んでいないのは、隣にいるからわかる。

 彼らの背後にはさらなる家屋、建物がある。そのうちの一つが数少ないミリカの病院であると気づいた時には青くなった。技による治癒が一般的となっている神魔世界では、無世界と比べて病院やその関連施設が少ない。しかも、こうした巨大な施設を持てるのは大抵『両系の医者』だ。ミリカの中枢にある点だけを考えても、ここが守らねばならない場所であることは明白だった。

「わたくしにもっと力があれば」

 何度目かの嘆きが、かすれ声となって漏れる。結界を使える技使いは大勢いるが、その精度や維持力はまちまちだ。よつきの結界は精度はかなりのものだが、維持力に欠ける。だから状況を見て二重に結界を張ることで、『攻撃』をどうにか防ぐことにしていた。

 一体、何度目の後悔なのか。

 全ては魔神弾のせいだ。彼の攻撃は無慈悲ででたらめで、周囲などおかまいなしだった。いや、自分の状況すら考慮していない。四方八方にばらまかれる黒い鞭、炎球は、何者かが近づくことを拒絶していた。

 だがそれはミリカの町を廃墟と化すには十分な力を持っていた。魔神弾に向かっていったストロングらが無事なのかどうか、もはやよつきたちからは確認できない。気は感じ取れるので生存しているのは確かだが、動けているのかどうかも定かではない。気を探ろうにも魔神弾の放つ技が、その不安定な気が強すぎて、周囲の気配を掻き消してしまう。

「た、隊長!」

 悲鳴じみたコブシの声が轟く。その呼びかけの意味は、よつきにも理解できた。しかし彼にできることは少なかった。何かが来る。どうすればいい?

 しかし幸いにも、はたと気づいたコスミが前に進み出てきてくれた。その手のひらからかろうじて結界が生み出されるのを察知し、よつきは自分の結界の範囲を広げる。

 それとほぼ同時に、巨大な何かがぶつかってきた。それは何かとしか表現できなかった。一気に視界が黒に塗り潰され、結界越しに感じる圧迫感に息が止まりそうになる。技と技がぶつかり合った際に特有の、あの耳障りな高音が鼓膜を叩いた。

 結界がもたない。そう感じたのは、ほとんど直感だった。

 刹那、硝子が割れるような軋んだ音がした。ついで襲い来る強風に目を開けていられなくなる。石畳を擦る音、空気を裂くような音が辺りに充満した。薄目を開けて状況を確認しようにも、涙が邪魔で何も把握できない。息をするのもやっとの思いだ。

 血の臭いがする。そのことを意識した瞬間、誰かの悲鳴が聞こえた。よつきは右足を踏み出し、闇雲に両手を突き出した。咄嗟に放ったのは体に馴染んだ技だ。これなら何も見えなくとも気配を掴むだけでいい。そこらにあった瓦礫を突き破るよう土の柱が数本突き出すのが、滲んだ視界でも捉えられた。粉塵と土煙が増し、口の中に砂の味が広がる。

 土の柱に何かが突き刺さる鈍い音がする。間一髪、盾となってくれたようだ。おかげで粉塵の渦も弱まった。腕をかざして顔を庇いながら、よつきは素早く周囲へ視線を走らせる。一瞬姿が見えないと思ったジュリは、すぐ傍で膝をついていた。

「ジュっ」

 声を掛けようとした途端、大量に砂煙を吸い込みよつきは咳き込んだ。ほぼ同時に地響きのような唸りが聞こえ、足場が不安定となる。彼は顔を歪めた。土の柱に罅が入る光景が、目に飛び込んでくる。何がどうなっているのかわからないが、敵の攻撃はすぐ近くまで迫っているらしい。

「隊長!」

 背後で今度はたくが叫ぶ。わかっていると答える代わりに、よつきは無我夢中で結界を張った。崩れた土の柱の向こうから、黒い何かが飛び出してきた。それが太い鞭のようなものであるとわかったのは、結界に弾かれてうねる姿を見たからだ。技にしては奇妙な実体感に、思わずよつきは眉をひそめる。

 黒い鞭は地面でのたうち回ったと思ったら、またぐにゃりと飛び跳ねるよう空へと浮き上がり――再び結界目指して突き進んできた。再度薄い膜に弾かれて地面に落ちる姿を見下ろし、よつきはぞっとする。やはり、これは単なる技ではない。彼の結界もいつまでももつわけではないから、力尽きた時が最後だ。

「ま、まずいですっ」

 ジュリの苦しげな声に、視線を転じることもままならない。それでも視界の隅に映った彼女が、立ち上がろうと懸命になっているのは確認できた。どこか負傷したのか?

「よつきさんっ」

 我知らずよつきは頭を振った。全身から噴き出す汗が止まりそうになかった。後ろに仲間たちが、病院がなければ、ここから逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。

「上を狙われるとまずいですっ」

 と、忽然と結界が強化される気配を感じた。はっとするのと、左腕を掴まれるのはほぼ同時だった。いや、しがみつかれたと言った方が正しいのかもしれない。目を向けるまでもなく何が起こったのか察する。――ジュリだ。

 よつきの腕を支えに立ち上がったジュリの気が、じわりと膨れ上がったのが感じ取れる。鼻についた血の臭いをできる限り意識の外に追い出しつつ、よつきは前方をねめつけた。先ほどよりも分厚くなった結界に黒い鞭が再びぶつかる。空気が震えるような違和感が結界を伝って感じられた。緊張で喉の奥がひりつく。

「コスミさんでも、誰でもかまいませんから、風の準備をっ」

 絞り出されたジュリの叫びに、背後で仲間たちが反応する。この粉塵を吹き飛ばすつもりか。確かに、このまま視界が悪くなればよつきたちは不利になる一方だ。もっとも、風の技を使うためには一度この結界を解かなければいけないが。

「ですがジュリ」

「ずっとは無理です。一度、結界を解除します。そのタイミングでこの砂煙を吹き飛ばしましょう。次に、私が結界を張ります」

 戸惑うよつきに、ジュリはそう告げる。確かに、よつきもそろそろ限界だ。ちらと後方を振り返ると、顔を強ばらせたコブシたちと目が合った。三人とも無事のようだ。ならばジュリの言う通りにするしかないか。だがそんなに立て続けに結界を生み出せるものなのか? 血の臭いがするということは、どこか怪我をしているということだ。精神の集中も揺らぐのが普通だ。

「しかしですね……」

 他に方法はないのか。そうよつきが探ろうとした時だった。突然、うねる黒い鞭が空へ大きく跳ねた。結界に弾かれたわけでもないのに奇怪な動きをしたそれを、よつきは唖然と見上げる。

「青葉先輩!」

 その理由は、ジュリの歓喜の声が教えてくれた。土煙の中から現れたのは青葉だった。手にした長剣の切っ先が、蠢く鞭を薙ぎ払う。透明な膜越しでも、耳に不快な高音が空気を震わせているのがわかった。安堵したよつきが結界を解くと、砂っぽい空気がまた一気に流れ込んでくる。

「ピークス大丈夫かっ」

 青葉の声が近づいてきた。頷いたよつきは、生理的に滲んだ涙を瞬きで目の端へ追いやった。そのまま顔を上げれば、青葉と視線が合う。腕で額を拭う青葉の姿はやけに頼もしく見えた。しかしどうしてこちらへ来られたのだろう。魔神弾の方はどうなっているのか?

「青葉先輩、助かりました」

 笑みを浮かべながら周囲へ視線を巡らせると、煙の向こうでうっすら何かが動くのが見えた。黒い鞭かと一瞬焦ったが、そうではなかった。黒い髪を振り乱しながら駆け寄ってきたのは、シークレットのアサキだ。

「一人で行かないでくださぁーい!」

「ああ、悪い悪い」

 この独特の話し方が、そこはかとない安心感をもたらす。アサキまで来たということは、あちらの状況は思っていたよりも混乱していないらしい。ほっとしたよつきは頬を緩めた。最悪の事態は免れたようだ。ふらついているジュリの腕を支えながら、もう一度青葉へと視線を送る。

「本当に助かりました。それで、あちらの方は……」

「ああ、わけわかんないことになってるが、アースたちが来たからな。どうにかなってる」

 青葉は頬を掻きながら、ややばつが悪そうに答えた。そう言われて慌ててよつきは気を探る。青葉の言う通りだ。魔神弾がいる方角に、神技隊の他にも幾つか気があった。その一つはレーナだった。よつきはまだ他の者たちの気をしっかりと覚えたわけではないが、それでも彼女の鮮烈な気ならばすぐに判別できる。レーナがいるということはアースたちもいるのだろう。

「ラウジングさんも来たしな。まあ人数なら足りてるってわけだ。だからこっち来た。でも決して余裕があるわけじゃあないから気をつけろよ。あ、ジュリはいいから今のうちに傷治しておけ」

 青葉は再び黒い鞭が迫ってくるのを感知したらしい。ジュリに後ろへ下がるよう伝えながら、前へと向き直り剣を構えた。その眼光が鋭さを増したのが、よつきにも見て取れる。

 そもそもこの鞭は一体何なのだろう。技で生み出されたものならば、結界に弾かれたらそこで霧散するのが普通だ。しかしこれは違う。だからといって武器のようなものでもなさそうだった。まさか生き物だとでも言うのか?

「あいつ、本当に化け物だからな」

 苦々しいぼやきと同時に、青葉は一歩を踏み出す。刀身がうっすら青白い光を帯びた。それは粉塵で煙る空気の中、一際存在を主張する。

「気合い入れろよ」

 よつきは息を呑んだ。まだまだ油断ならない状況であることは、肌で感じ取れた。




「魔神弾といいあなたたちといい、本当に迷惑極まりませんね」

 苦虫を噛み潰したような顔で、魔獣弾が唸った。剣を構えたままのシンは、息を整えつつ周囲へと視線を走らせる。崩れた建物のせいで粉塵が巻き上がり、どんどん視界は悪くなっている。所々抉られた石畳も危険だ。どう控えめに言っても、ここは街中ではなく戦場だった。

「いい加減にして欲しいですね」

 魔獣弾の持つ小瓶がうっすら青い光を纏っているのが、視界の端に映る。シンは歯噛みした。あれは一体いつ誰から奪った精神なのか。あの瓶が仲間たちに触れた形跡はなかったはずだ。

 何度か危ない場面もあったが、乗り切れたのは魔神弾のおかげでもある。動き出した魔神弾の攻撃はとんでもなくでたらめだった。その被害は魔獣弾にも及んだ。混乱と砂煙が満ちているのも影響したのかもしれないが、北斗の精神が奪われずにすんだのはそのおかげだ。

「こんなことなら様子を見ていた方がましでした」

 だが、シンたちにも余裕はない。長時間の戦闘は神経をすり減らすし、技を使い続けていれば精神も減ってくる。シンはまだ武器があるからよいものの、仲間たちの疲弊具合はかなりのものだった。ローラインはもう走れそうにないし、サツバは技が使えそうにない。そんな二人を庇うように立ち回っているリンは、思うように動けていない。

「まいったな」

 小さくぼやいたシンは瞳をすがめる。斜め後ろにいる北斗も大きく肩で息をしていた。彼にも限界が近づいているか。だからといって他の神技隊の加勢を期待できる状態でもなかった。魔神弾の方がどうなっているのかはっきりしない。じっくりと気を探っている余裕はないため、誰が戦っているのかも把握できていなかった。やはり味方の援護を待つのは得策ではない。ここはここで何とかしなければ。

 だが、皆にそんな力が残っているのだろうか。シンは喉を鳴らす。リンはまだ戦えそうなのか? 北斗にサツバたちを任せて彼女に動いてもらうか? しかし彼女もずいぶん無理を重ねている。もしぎりぎりの状態だったら――。

 口の中が乾く。粘り着いた唾液の味が苦々しい。一人でどうにかするという状況には、シンは慣れていなかった。しかしここで頼みとなるのは自分だけだ。それが上からの武器を任されることになった者の役目だろう。今までのように、滝の判断を仰ぐことはできない。

「本当にまいったな」

 シンが息を詰め、長剣を握りしめた時だった。砂煙を裂くように、何かが動いた。それが白い刃の切っ先であることを認識して、シンははっとする。この技には見覚えがあった。

「レーナ!?」

 声を上げたのは後ろにいたリンだ。瓦礫の上に立っていた魔獣弾が、慌てて飛び退る姿が目に入る。不定の白い刃が、あともう少しのところで小瓶をかすめた。魔獣弾の顔が青ざめたのは、シンの目にも明らかだった。

「また小娘ですかっ!」

 濁った空気を震わせる魔獣弾の怨嗟の声。どこからともなく飛び降りてきたレーナはさらに魔獣弾を追い詰めようとし――けれども遠方から飛び来る黒い技に気がつき、即座に振り返った。まるで舞うような動きにあわせて、不定の刃がしなる。それは降り注ぐ黒い何かを次々と切り裂いていった。

 切断された黒い物体の一端が、地面に落ちてのたうつように跳ねる。技かと思ったらどうも違うらしい。まるで見知らぬ生き物を見たようで、シンの背をぞっと冷たいものが駆け上がってきた。

「魔神弾の奴、無茶苦茶だな。体の維持すらどうでもいいってことか」

 ぼやいたレーナは、再び魔獣弾へと向き直った。じりじりと下がる魔獣弾の表情には余裕がない。彼女には敵わないと悟っているのだろう。

 またどこかへ逃げ込んでくれるだろうか? それをシンは密かに期待する。レーナが来てくれたことで心底安堵したが、同時に周囲のことがますます気に掛かってきた。ミリカの町の被害は甚大だ。これ以上家屋が壊されていくような事態はできる限り避けたい。これだけの状況だと、きっと怪我人も多いだろう。

「本当に、腹の立つ小娘ですね」

 苦々しい表情を隠すことなく、魔獣弾はそう吐き捨てる。散々邪魔され続けてきたせいなのか、顔を合わせるごとに嫌悪感が増している印象だ。見た目はともかく「小娘」と呼ぶような存在ではないと思うが。

「そう言うな」

「黙りなさい! あなたたちのせいで我々は――」

 魔獣弾がいきり立った、その瞬間だった。得体の知れない気配が、ぞわりとシンの全身に広がった。胃の底をかき混ぜられたような不快感に、息が詰まりそうになる圧迫感。背を撫でていく冷たいこの気配は、気と呼んでいいものなのか――。

「魔獣弾、落ち着きなさい」

 気配に続いて聞こえたのは、諫める声だ。それは魔獣弾の背後から唐突に放たれた。粉塵で煙っていたとはいえ、確かにそれまで誰もいなかったはずの場所に、確かな気配が現れている。好悪の感情が入り交じった、破壊的なまでの強さを持つ冷え切った気。その威圧感にシンは気圧された。声を漏らさずにすんだのは、手にした長剣が目に入ったからだ。その柄を握りしめて、シンは深呼吸する。

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