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white minds  作者: 藍間真珠
第一部 ―邂逅到達―
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第六章 「鍵を握る者」 第五話

 空から見下ろしたリシヤは、赤々とした輝きをはらんでいた。森全体が灰色に濁っているように見えるのは煙のせいだろうか。陽光を拒むような薄暗さの中から、自然のものと思えぬ光が顔を覗かせている。

 どこからどう燃え広がったらこのようになるのか? 海側に最も多く炎が集っているようだが、そこから転々と、規則性なく広がるように、あちこちで火の手が上がっている。空間の歪みのせいなのか? 森の上からでは判然とせず、青葉は瞳をすがめた。結界のせいで気が役に立たないと、視覚に頼らざるを得なくなる。しかしこれではそれも頼みの綱にならない。

 そのためか、皆が無言だった。上空を吹き荒ぶ風の声や、はためく衣服の嘆きだけが鼓膜を揺らす。隣に浮かぶ滝の横顔へ、青葉はちらと一瞥をくれた。眼下の光景を見据える眼差しは厳しい。

 急がなければとは思うが、この中に何も考えなしに飛び込むのは危険だ。声に出さなくとも、皆それはわかっているのだろう。しかし、まさか火の手が何カ所にも分かたれているとは想定外だった。今度は逆方向へと視線を転じ、青葉は眉をひそめた。舞うように揺れた黒髪を手で押さえ、梅花は物憂げな瞳を瞬かせている。

「滝先輩、どこからどう行きますか?」

 意を決したように、梅花が滝に問いかけた。なびこうとする髪の陰で、その双眸が細められる。炎のある場所を目指せと言われたが、それぞれがこれだけ離れていると全員一緒に行動していたらいくら時間があっても足りない。ただでさえ人数の欠けている状態では悩ましいところだった。

「そうだな」

 考え込むように腕組みしてから、滝は周囲へ視線を巡らせる。不調な者を中心に置いてきたので、各隊の人数もばらばらだ。唸った滝は、静かに燃える森へ指先を向けた。

「オレたちは海側に行こう。南寄りの地点はシンたち、西は青葉たち、東側をよつきたちにお願いしてもいいか? ラフト先輩たちは、オレたちと一緒に海側に来てください」

 滝は順に指さしていく。異論の声は上がらなかった。規模の大きいところからざっくり、人数のいる隊に割り振ったようだ。数が少ないフライングは、ストロングと一緒ということらしい。

「何かあれば無理せず空に退避だ。はぐれた時も同様。空で何人か集まった場合は、相談して動きを決めてくれ」

 こういう時の滝の頼もしさは言葉にならない。誰かが決断しなければ身動きが取れないことを、きちんとわかっている。わかっていても動けない者が大半だと思うが、そこで率先して行動できるのは若長としての積み重ねのなせる技か。

「わかった」

「よっしゃ、さっさとラウジングを見つけようぜ」

 青葉の声に、ラフトの意気揚々とした意気込みが重なる。ごうっと燃える火の音が聞こえたような気がして、青葉はかすかに顔をしかめた。これからあの中に降りるのかと思うと気合いが必要だ。今までだって十分厄介な場所だったが、今回は快適とは最もほど遠い環境になるだろう。

「それじゃあ行くか」

 皆が動き出すのを横目に、青葉は梅花とアサキに呼びかけた。ここからは三人で行動だ。慎重に行かなければならないが、あまりもたもたもしていられない。

 シークレットに割り振られた西側は、森の中でもやや宮殿側に近い方だった。もっとも、森の中に入ってしまうと方角も怪しくなる。煙のせいで空も太陽もよく見えず、辺りはひたすら火の海が広がるばかりだ。気で探るわけにもいかないとなると、ここでラウジングたちを探すのは骨が折れそうだった。

 焦げ臭い煙の中は、普通に呼吸をしているだけで口の中がざらざらとしてくる。目を開けているのも辛い。肌に張り付くような熱気は、深く吸い込むとむせそうになった。結界を張っても完全に空気を遮断するわけにはいかないから、長居は難しいだろう。

「梅花、何かわかりまぁーすかぁ?」

 立ち尽くしたアサキが、途方に暮れた声でそう尋ねる。縋りたくなる気持ちはわかるが、さすがの梅花もこの状況で何かを察知できるはずがない。空間の歪みもかなりのものだ。梅花は舞う火の粉を手で払うようにして、ゆっくりこちらを見る。

「誰かはわからないんだけど、あちらで戦闘の気配がするわ」

 と、梅花はそのまま左手を前方へ向けた。思わぬ答えに青葉は「え?」と声を漏らし、慌ててそちらへ精神を集中させてみる。しかし彼女の言う気配は感じ取れない。やはり何か薄い膜に阻まれるがごとく、あらゆる気がぼやけながら拡散しているようにしか思えなかった。

「誰かがそれなりの規模の技を使ってる」

 それでも梅花の声に迷いは感じられなかった。煙の中でも炎を照り返し輝く双眸は、ひたすら真っ直ぐだ。青葉とアサキは顔を見合わせる。彼女の感覚を疑う理由はなかった。問題があるとすれば、その先がよりいっそう黒く濁って見えることだ。おそらく風向きの影響で、そちらに煙が流れているのだろう。

「わかった。じゃあそっちへ行ってみるか」

「でも火も煙もすごいことになってまぁーすねぇー」

「目の前だけでも消火しながら進むしかないかしら……」

 眉根を寄せ肩をすくめた梅花に、青葉は首肯する。結界を体に纏わせたとしても、何もせずに走り抜けられる場所とは思えない。こうなると、水系が得意なサイゾウがこの場にいないのは痛手だった。青葉が一番苦手としているのは水系の技だ。アサキはどうだろうか? 梅花には気配の感知を優先して欲しいので、余計な技は使わせたくない。

「だったら梅花が前にやっていたみたいに、風の技を使いましょーう。アサキがやりまぁーす! 水だけでこれだけの火をどうにかするのは無理でぇーす」

 するとアサキは妙案が浮かんだとばかりに口角を上げた。普段よりやや高めの声が炎の音にも負けず響く。アサキは土系が得意だったはずだと記憶を掘り返していると、顔に出ていたらしい。アサキの目が誇らしげに輝いた。

「アサキは風系もそれなりに使えるんでぇーす!」

 それは初耳だったが、事実であれば非常に助かった。梅花が何か口にする前に、青葉は大きく頷く。たとえアサキの強がりが含まれていたとしても、ここは任せるべきところだろう。青葉は二人の肩を軽く叩いた。

「よし、ならアサキが先頭だ。次に梅花、最後がオレで一気に走るぞ」

「……わかった」

「アサキが方向間違ったら、教えてくださぁーいねぇー!」

 青葉が前方を見据えると、その先から燃える木々の悲鳴が聞こえる。ますます辺りの気温は上がっているだろうか。風に乗って運ばれてくる熱気に、喉がじりじり焼ける錯覚に襲われる。唇を引き結ぶと、じんわり額に滲んだ汗が頬を伝って落ちていった。時間をかければかけるほど、身動きが取りづらくなる。

「それじゃあ行きまぁーす!」

 威勢の良い声を上げて、アサキが走り出した。その真っ黒な後ろ姿を見失わないよう、青葉たちも続く。アサキが伸ばした手の先から、鋭い風が一直線に放たれた。それは煙や火の中を裂くように突き進み、仮初めの道を生み出す。焦げ付いた下生えが風に押しのけられて、かすかに地面が見えた。

「ついてきてくださぁーい」

 ただし、その道の命は短い。すぐさま全てを飲み込もうと、分かたれた炎が迫ってくる。つまり、足を止めた途端火の中に取り残されることになる。一瞬の躊躇いも許されなかった。

「ちっ」

 額の汗を拭いながら青葉も走る。煙の中で、真っ赤な炎が揺れていた。どこかで木が倒れる音もする。ついこの間まで緑一色だったのが嘘のようだった。視界を埋めるのは赤と灰のみで、時折舞い上がる火の粉が妙に綺麗に見えるのが不思議だ。

 どれだけ走ったのだろうか。しばらくすると、前方に何かが見えた。それが倒れた誰かの姿であるとわかったのは、この森に存在するはずのない色だったからだ。白い衣服が炎の光を反射して輝いている。

「誰かいまぁーす!」

 先頭のアサキが、駆けながら人差し指を突き出す。だがそれは、白い服を纏った何者かに向けてではなかった。その指先はさらに奥を指さしている。火が途絶え、やや煙の薄くなっている辺りだ。

「カイキよ」

 名を告げる梅花の声が鼓膜を揺らした。見えたというよりも気から判断したのだろう。青葉は精神を集中させながら必死に目を凝らした。

 いた。白い男が倒れているその向こう、木に寄りかかって座り込んでいる青年がいる。――カイキだ。その周囲の地面だけが迫り上がり、岩が転がり、水溜まりができていた。技を使った証拠だ。ぐったりと投げ出されたカイキの足は、膝から下が妙な方向に曲がっていた。折れているのは間違いない。

「戦闘は終わったのか……」

 独りごちる声が口の中でこもる。相打ちに近い形だろうか。自然と眉間に皺を寄せていたのを自覚していると、カイキの双眸がこちらへ向けられたのがわかった。

「お? 神技隊じゃねぇか」

 青葉たちがそのまま走り寄ると、カイキはへらへらとした笑顔で手を振った。場違いな表情にどことなく不安を覚える。足を止めた青葉は、アサキの横顔を盗み見た。複雑な色を宿したその目はカイキを直視できないようで、辺りを彷徨いている。薄い唇はきつく引き結ばれていた。

「一体何があったの?」

 アサキの横をすり抜け、梅花はカイキの横で片膝をついた。いつもと変わりない冷静な声音に、青葉はどこかほっとしたものを感じる。すると「見慣れた顔」で安心したのか、カイキの口元が柔らかくほころんだ。

「何があったって、そりゃあこっちが知りたい。いきなり襲われてるんだからな。こんなに燃やしてどうするんだか」

 カイキの言葉が本当なら、一方的に攻撃を受けたのか。青葉は梅花の背後に進み出て、辺りへ注意を払った。ここらはともかくとして、遠くの方は煙っていて視覚があまり役立たない。見える範囲で倒れているのは白の男一人だけのようだ。かすかに指先を震わせているので生きているらしいが、まともに動けそうにはない。それ以外の気配は感知できなかった。

「そうなの……レーナたちは?」

「ご覧の通りはぐれたよ。この森、空間がわけわかんねぇことになってるからなー」

 淡々と問いかける梅花に、カイキは相変わらず気楽な様子で笑っている。その声に虚勢が含まれていることには、青葉もうすうす気づいていた。だが指摘しても詮無いことなので止めておく。青葉たちはカイキの仲間ではない。今はただラウジングを止めたいだけだ。

「その割には焦ってないのね。このままだと、あなたここで焼け死ぬわよ?」

「ああ、そんなことはわかってる。襲ってきた白い奴らが全員動けなくなれば、空に逃げられるんだけどなぁ。でも今目立ったら袋叩きだ。だからオレにできるのはこの命を守っておとなしくしてることさ。アースがいるんだから、そのうちあいつらは全滅だ」

 おどけるように言ってカイキは肩をすくめる。梅花は口にしかけた言葉を飲み込み、顔を伏せて嘆息した。青葉は得も言われぬむずがゆさを覚えて腕を抱く。この居たたまれなさは何なのだろう。喉の奥がむずむずする。

 ――カイキはアースを信じ切っている。それがこの妙な心地の原因だろう。彼らは今までそうして乗り切ってきたのだろうと、思わせる発言だった。そんな信頼関係が何故ここまでむず痒く感じられるのか?

「そんなの、楽観的すぎまぁーす」

 そこでぽつりとアサキが呟いた。青葉は弾かれたように振り返った。どうやら耐えきれずに漏らしたらしく、アサキは「言ってしまった」と後悔するよう顔をしかめている。珍しいことだった。いつでもどこでも、大体アサキは一番大人な対応をすることが多い。

 同意していいものか悪いものか。何と続けるべきか青葉が戸惑っていると、背後でカイキが吹き出すように笑い始めた。一瞥をくれれば、ひらひらと振られたカイキの手が焦げ付いて落ちてきた葉を払っている。その双眸には、わずかに軽蔑の色があった。

「お前らみたいに帰る場所がある奴らとは違うんだよ。オレたちは、後ろ向きになった瞬間に死ぬんだ」

 軽い調子で吐き出された言葉は、捉え所がないのに重い。カイキが今まで遭遇してきた苦難の数々をうかがわせた。青葉が返答に窮していると、カイキはそのまま後方を指さした。

「どうせレーナのところに行きたいんだろう? ここでお喋りしてる暇なんてあるのか? たぶんあっちの方だ。オレ、あっちから来たから」

 カイキの心境がわからない。何故そんなことまで教えてくれるのか。嘘ではないのかと訝しんでみたが、判断がつかなかった。やけになっているのかもしれないし、レーナを止めて欲しいのかもしれない。時間稼ぎなのかもしれない。どの可能性も考えられた。

「ま、空間が歪んでるみたいだから辿り着けるとも限らないけどなぁ」

 答えの出ない疑問に頭を悩ませるのも馬鹿らしく、青葉は耳の後ろを掻く。それ以外に手がかりがないのだから従うしかなさそうだ。大体、ここに長く留まっているのは得策ではない。

「大丈夫、ある程度近づけばきっとわかるわ」

 梅花が音もなく立ち上がった。ふわりと熱い風に煽られた黒髪が、一瞬だけカイキの表情を隠す。その寸前、彼が眼を見開いたような気がしたのは見間違いだったのか。揺れる髪の向こう、歪に口の端を上げたカイキは、またへらへらと手を振った。

「そうだといいな」

 不思議とカイキの目が優しく見えるのは、断言する梅花の眼差しに感じるものがあったからだろうか。火の粉が散らされた黒い瞳にはまるで「何か」が見えているかのようだ。余計な言葉を差し挟む気がなくなる、一種の強さがある。

「それじゃあ行きましょーう!」

 これ以上の会話はごめんだとばかりに、すぐさまアサキが声を上げた。背後で燃え盛る炎が、ごうっと急き立てるように鳴いた。




 空間の歪んだ森の中で、たった一人の居場所を突き止めるのは困難なことだった。それでもある程度まで近づけば「その気」は判別できる。純粋で鮮烈で強烈な気は、隠していない限りは大いなる目印となる。しかしこの歪みの中で「転移」の技を成功させるには、逃げられないようにするには、こちらの気配を気取られずにぎりぎりまで接近しなければならない。

 だからできる限り技を使わずに、慎重に、ラウジングは行動していた。ひたすら機会をうかがい、身を潜めながら近づいていく。

 好機が訪れたのは、しばらく経ってからだった。大技を使った次の瞬間を狙い、彼は転移を使って瞬時に移動する。

「っつ」

 白く染まった視界が本来の機能を取り戻した時、目の前に広がっていたのは泉だった。燃え盛る炎もそこだけは飲み込みきれなかったとみえ、波紋の浮かぶ水面が赤い光を照り返し輝いている。黒煙もこの場には留まりきらずに、辺りを緩やかにたゆたっているばかりだった。

「ああ、来てしまったか」

 泉を横目にたたずんでいたレーナが、ゆらりと振り返った。頭上で結わえられた黒髪が揺れる。ラウジングの姿を認めても、彼女は淡く微笑んだまま。気にも乱れはない。白い上衣に染みのように浮かんでいる赤は、返り血によるものか。うっすら辺りを覆う煙の中でも、彼女の姿は浮き立つようによく見えた。

 ラウジングは固唾を呑む。姿は見えないが、幾人もの「産の神」がそこかしこに倒れている気配があった。彼女に打ち倒されたのだろう。まだ命は取られていないが、このまま炎の中に取り残されたらどうなるかは言うまでもない。受けた傷のことを考えても、少しでも早い救出が必要な状態には違いなかった。

 やはり、彼女は強い。この数を相手に立ち回れてしまう点だけでもそう言い切れた。何より戦い慣れしているのは明白だ。単なる一対一の戦いでは得られない場数からくる経験がなければ、こんな場所でこんな状況でこの人数を相手取ることなどできないだろう。まさかラウジングも、自分がたった一人で彼女と向き合うことになるとは思わなかった。

 それでも逃げ出すわけにはいかない。彼は腰から下げた短剣に手を伸ばした。何のためにこれを託されたのか、忘れてはいない。こういう場合も考えられていたに違いない。すると彼女が興味深げに瞳を細めるのが視界に入った。

「エメラルド鉱石か」

 ぽつりと漏れた呟きが、彼の耳にも届く。まさか一目で見抜かれるとは思わず、剣を握った彼はつい瞠目した。エメラルド鉱石の短剣。精神を大量に込めることができる類い希なる武器ではあるが、見た目は他の物と変わらない。彼が手渡されたのは装飾もほとんどない、実に地味な得物だった。手にすることでかろうじて「何かが違う」とわかる程度なのに。

「またとんでもない物を持ち出してきたなぁ」

 輝く泉を背にしたまま、彼女は微苦笑を浮かべる。やはりこの武器の力についても知っているのか。彼らの本気が伝わってしまったとなると、油断してくれることは期待できなかった。

 手に力を込め、彼は息を詰める。狼狽が一番の敵だ。彼女の体力や精神量も無尽蔵ではないだろうから、必ず勝機はある。そのために犠牲が出ることを厭わず、じっと今まで待っていたのだ。

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