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white minds  作者: 藍間真珠
第一部 ―邂逅到達―
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第五章 「打ち崩された平穏」 第六話

「レーナ!?」

 叫んだのはリンだ。その事実を認識すると同時に、振り返った青葉の目にレーナの姿が映る。いつもと変わらぬ風変わりな服装に余裕の微笑をたたえ、木の前で悠然とたたずんでいた。やはり走ってきたような素振りはない。微風に吹かれふわりと揺れた黒髪が、どこか場違いな印象を与える。

「何で、お前が……」

 独りごちた青葉の視界に、白い男の姿も入った。数歩後退った男の顔は強ばっていた。知った顔という表情ではないが、忌避するものがあるらしい。それでは魔獣弾の様子はどうかと、青葉はそちらへ一瞥をくれる。白い男たちとは違い、黒い鞭を手にした魔獣弾は興味深そうに頭を傾けていた。

「ほう」

 魔獣弾の攻撃が止まったことで、青葉も一息吐ける。しかし状況は混沌としてきた。ここでどう動くのが正解なのか判断できない。それでもできる限り梅花たちの近くに寄りたくて、彼は後退する隙をうかがった。

「お呼びではなかったかな?」

 悪戯っぽく笑ったレーナの声が、青葉の鼓膜を揺らす。草を踏みしめる足音が続き、辺りの緊張感が高まった。

「どなたでしょう? 神ではないですね」

 さらに近づいてきたレーナに向かって、魔獣弾が問いかける。「神」か否かは重要な部分らしい。わずかな警戒心と好奇心をのぞかせた、先ほどまでとはどこか違う声音だ。魔獣弾の放つ気の変化もそれを裏付けている。対峙する魔獣弾とレーナを、青葉は見比べた。

「お前の感じた通り、神ではないよ」

 頷いたレーナは、ついで視線を巡らし瞳をすがめた。どうも神技隊の安否を確認したらしい。ちらりと自分にも向けられた眼差しから、青葉はそう判断した。彼女を知っている――正確な意味では何も知らないが――のは神技隊だけなのだろう。ゆっくり地を踏みしめるよう近づいてきた彼女を、皆が注視していた。

 誰が誰の味方なのか、青葉にはますますわからなくなった。確定しているのは、レーナが梅花を傷つけることはないだろうという点だけか。

「ですが魔族でもない。では何者ですか? 人間ではないですよね」

 青葉たちも気になっていたところへ、魔獣弾は切り込んでいく。だがレーナが素直に正解を用意してくれるわけもないだろう。彼女は曖昧な微笑をたたえたまま、つと立ち止まった。そして、ほっそりとした人差し指を顎の先に当てる。

「うーん、何者かと聞かれても……適切な表現がないんだよなぁ」

 嘘は吐いていないのかもしれないが、はぐらかされたと思われるような発言だ。小首を傾げたレーナに向かって、魔獣弾は「へぇ」と気のない声を漏らす。不満げではあったが、憤るまでは至っていなかった。まだ興味の方が勝っているのか。

「しかもここで封印された半魔族ってことは、比較的早い段階だったのだろう? 我々のことはあまり知らないと思うんだが」

「なるほど」

 そこで魔獣弾は優雅に相槌を打った。その動きにあわせて、波打つ黒髪がしとやかに揺れる。だが男の黒い双眸に宿ったのは、どこか不穏な光だった。

「そこまで知っていて魔族ではないとなると、敵と判断してもよさそうです」

 何故そうなるのか。青葉には理解しがたい理屈で魔獣弾は断言する。実に気楽に、当然といった口調だった。一方、レーナは困惑気味に――いや、残念そうにと言うべきか――肩を落とす。

「そういう発想になるってことは、プレイン配下か?」

「その名を呼び捨てにしないでいただきたい。今は違います」

「ああ、イーストに拾われた口か」

 次々と飛び出す見知らぬ名に、青葉は顔をしかめた。著名な誰かなのか? しかし全く聞き覚えがない。ただし今のやりとりの結果、魔獣弾の敵意が増したことは、青葉にも容易く読み取れた。その間も、白い男たちは成り行きを見守っているようだった。もしかすると、レーナを利用してこの場から逃げるつもりかもしれない。

「どこまで把握しているのかわかりませんが。やはりただ者ではありませんね。危険です」

「ここで戦いたくはないんだけどなあ」

 構える魔獣弾に、ぼやくレーナ。相対する双方から距離をとろうとする白い男たち。誰がどう動いたところで、この狭い場所では青葉たちも確実に巻き込まれるだろう。逃げ場がない。一歩下がった青葉は、仲間たちの位置を再度確認しようとした。だが把握しきる前に、魔獣弾の手が動く。

 再び黒い鞭が生み出された。空気を切る音と共に、黒い影がうねるように跳ねる。それでもレーナは動じることなく、迫る鞭を手で振り払った。いや、手ではなく短刀だ。彼女の手のひらには小さな薄青い刃が生み出されている。

「精神系ですか」

 その場を動くことなく、魔獣弾が笑う。先端が切り落とされたところで鞭の動きが止まるわけでもない。予測のできない黒い軌跡を、完璧に目で捉えることは不可能だった。しかしレーナは地を蹴ることなく、ただ淡々と迫る鞭を短刀で切り捨てている。余裕、というわけでもなさそうだ。長い髪の先に巻き付こうとした鞭を、彼女は躊躇なく髪ごと切り裂いた。

「おいおい」

 思わず声を漏らしながらも、青葉はじりじりと移動する。いつでも結界を張れるよう気を配りつつ周囲をうかがうと、白い男たちが似たような行動を取っているのが見えた。やはりこの機に乗じて退散するつもりなのだろう。青葉もそうしたいところだが、ようが倒れたままだ。もしかしたら他の誰かも余波にやられているかもしれない。そうなると迂闊にこの場を離れるわけにはいかない。

「本当に戦わないつもりですか? もしかして、封印結界のことを気にしてます?」

 鞭を振るう魔獣弾の顔に愉悦の色が溢れる。本当にレーナが戦いたくないのならば、どう考えても不利だ。防戦一方だ。ならば青葉はどうすればいい? これ以上怪我人を増やさないためにはどのように動けばいいのか。彼が歯噛みしていると、背中をトンと叩く感触がする。

「え?」

「青葉はまだ元気そうだな」

 この気は――と頭が認識すると同時に、顔も視界に飛び込んでくる。シンだ。いつの間に背後まで来ていたのか。口振りや表情からしても、まだシン自身も手ひどくやられたわけではなさそうだった。戦闘を尻目に、青葉は頷く。

「そう言うシンにいも」

「こっちはローラインと北斗がやられた。すぐには立てそうにない様子だった。どうもピークスも一人負傷したらしい」

 シンの声に苦渋の色が滲む。そうなるとやはり、この戦闘に乗じて逃げ出す算段はなしだ。一人くらいであればどうにか抱えて――ようを抱え上げるのはかなり困難だろうが――移動するという手段もあったが、三人以上となると難しい。青葉はちらと空を見上げた。どうにかこの森を抜け出してしまえば、もう少しまともに技が使えるのだが。

「どうするシンにい?」

 自分には良案が浮かばないと、青葉は言外に示す。シンは周囲をぐるりと見回しながら、やや色素の薄い髪をがしがしと掻いた。それから、何故か大儀そうに嘆息する。

「……やっぱりそれしかないか」

「何が?」

「あいつらに、この場から離れてもらう。リンは、数人くらいなら一緒に飛ばすことができるらしい。ピークスの手を借りたら、負傷者を移動させられそうだって言ってた。ただ、その間は無防備になるからあいつらが近くにいるうちは駄目なんだ」

 苦々しさを宿した声音を聞き、青葉は眉をひそめた。名案のように聞こえるが、何か懸念事項でもあるのか。もちろん、どうやって魔獣弾とレーナを引き離すのかという大きな問題は残っている。

「なるほど。それ、いいんじゃないすか?」

「だが、そのためにはオレたちが囮になるしかない。いや、正確に言うと梅花か」

「……は?」

「梅花が動いたら、レーナも動かざるを得ないだろう? 今までの感じからすると。梅花一人行かせるわけにはいかないから、あとはオレと青葉って人選が妥当なところか。これでうまくいくといいんだが」

 青葉は瞳を瞬かせた。つまり梅花を囮にするというのか。道理でシンが乗り気でなかったわけだ。青葉としてはすぐさま異を唱えたい心境だったが、しかしそれくらいしか方法がなさそうだと頭では理解していた。このままさらに怪我人が増えてしまったら、本当にどうにもできなくなる。

「それはシンにいの提案?」

「オレとリンで話し合った結果だ」

「それなら納得するしかないっすね」

 小さく青葉が頷くと、シンは意外そうに眼を見開いた。猛烈に反対するとでも思っていたのか。片眉を跳ね上げた青葉は「だって仕方ないでしょ」と苦笑をこぼす。感情的になっても事態は好転しない。それにこのままの状況が続くと、梅花が一人で無茶をしかねなかった。

「じゃあ手遅れにならないうちに」

 策が決まったところで、青葉は周囲を見回した。攻防を繰り広げるレーナたちを横目に、梅花の姿を探す。いた。彼女は戦況をうかがいながらも、アサキたちをかばう位置にたたずんでいる。しかしここからでは戦闘音のせいで声が届くかどうか怪しい。

 どうしたものかと青葉が思案していると、彼女の双眸が不意に彼らの方へ向けられた。ひょっとすると、シンの気が移動していることに気がついたのかもしれない。青葉は咄嗟に左手を指さした。

 声は出せなかった。しかし梅花はかすかに頷いた。たったこれだけで通じたのか? 彼女は一言アサキたちに何かを告げてから、すぐさま駆け出す。躊躇いなどなかった。

「シンにいっ」

 遅れまいと、慌てて青葉も走り出す。邪魔な位置にいた白い男の横をすり抜けるようにして、落ちている枝を飛び越えた。強く踏みつけられた下生えが嫌な音を立てる。さらに速度を上げようとした青葉の横にシンが並んだ。

「来るぞっ」

 シンの警告についで、黒い影が視界の端をかすめた。青葉たちの動きを何かの攻撃の合図とでも思ったのか? うねる黒い鞭の先が、こちらまで伸びたらしい。『本体』も来てくれたらいいのにと祈るような気持ちでいると、「小賢しいですね」と魔獣弾が舌打ちするのが聞こえた。

 振り向く余裕はないが、レーナの気が少し膨らんだのがわかった。何か仕掛けたらしい。駆ける青葉の横を、また黒い影がかすめる。先ほどよりも近い。何だか嫌な予感がした。

「青葉伏せろ!」

 言われた通り、青葉は転ぶ勢いで身をかがめた。体勢が崩れて一回転する羽目になるが、頭上を通り過ぎた黒い光を認めて判断の正しさを悟る。そのまま右手を支えにして、膝の力で地を蹴り上げた。シンとぶつからずにすんだのは運がよかった。宙を舞う草葉の悲鳴が鼓膜を揺らす。

「どこまで邪魔をするつもりですか!」

 苛立つ魔獣弾の声が森に反響する。思ったよりも近い。

「こちらにはこちらの事情があるのでな」

 さらに近くから別の声が響く。立ち上がった青葉の目に映ったのは、たたずむレーナだ。青葉たちと梅花のちょうど中間辺りに、いつの間にか移動してきている。よく見れば、魔獣弾の手から伸びた黒い鞭が短くなっていた。その周囲で黒く輝く粒子が瞬いている。レーナの短刀に切り裂かれたのか? 先ほどの叫びから想像するに、レーナが魔獣弾を引き連れてきてくれたのかもしれない。

「あなたは本当になんなんですか。まさか人間の味方とでも言うつもりですか?」

「それも名案だな」

「冗談を。神の戯れ言と同じですね!」

 魔獣弾の右腕が動く。しかし、それはレーナに向かってではなかった。魔獣弾の双眸はレーナを捉えたままだが、その右手から放たれた黒い球は真っ直ぐ梅花の方へ突き進む。

「梅花!」

 青葉は声を上げた。けれども当の梅花に動揺する様子はない。人の頭ほどの黒い光弾は、彼女の目の前に張られた結界によって霧散した。呆気ない。結界が梅花のものなのか、はたまたレーナが生み出したものなのかは、青葉にはわからないが。

「見た目も気もよく似ているというのは不思議ですねぇ」

 攻撃が防がれたというのに、魔獣弾の口調には余裕があった。青葉はその笑顔をねめつけながらも、視界の端でアサキたちの姿を確認する。気づかれぬよう少しずつ、魔獣弾から距離をとろうとしている。まだ十分離れているとは言いがたいが、先ほどよりはましだろうか。どうにかこの場を脱出してくれるといいのだが。

 祈ったところで、白い男たちの姿が見えなくなっていることに気がついた。魔獣弾が移動したのをよいことに、本当に退却したのか? 邪魔ばかりしてと思うと苛立ちが湧き起こりそうになるが、今は余計なことを考えている場合ではない。まずは無事にアサキたちを逃がさなければ。そのためには、魔獣弾の気をこちらに惹きつけておく必要がある。近づいてきたシンと、青葉は目と目を見交わした。

「本当にあなたは何者ですか?」

 首を捻った魔獣弾は、ちらりと青葉たちの方も見遣った。そしてさらに怪訝そうな表情を浮かべ、顎に手を当てる。

「どうも、見覚えがあるような気がするんですよね」

 そう言われて、戸惑うのは青葉たちの方だ。こちらは全く覚えなどない。こんな常識外れの存在を認知したことなどない。見間違いではないだろうか? そう考えたところで、ふと脳裏をアースの顔がちらついた。まさかアースたちと勘違いしているのだろうか?

「――神技隊!」

 次の瞬間、背後から突然声を掛けられた。前触れも何もなかった。慌てて青葉が振り返ると、後ろの茂みが大きくガサガサと揺れる。警戒する間もなく緑の間から顔を出したのはラウジングだ。走ってきたような様子もないが、歩いてきたにしては気も感知できなかった。もちろん、飛んできたわけでもない。隣ではシンが「え?」と声を漏らしている。

「ラウジングさん?」

 青葉は眉根を寄せる。ストロングたちと一緒に待機していたはずなのに、どうしてここにいるのだろう? さすがにこの異変は放っておけなかったのか? ラウジングは青葉たちの方は一顧だにせず、辺りへ視線を走らせる。

「何がどうなってるんだ」

「――神ですか」

 青葉たちが戸惑っていると、薄暗い憎悪を滲ませた声が背中に突き刺さった。振り向くまでもない、魔獣弾のものだ。ぞくりと肌が粟立つような負の感情の滲む気が、そちらから放たれている。恐る恐る目を向けた青葉は固唾を呑んだ。先ほどのどこか余裕を含んだ表情が一転して、今にも唾棄しそうな眼差しをしている。

「本当に、魔族が復活したというのか……」

 一方、魔獣弾を見るラウジングの瞳は、とにかく信じがたいと如実に語っていた。喫驚を通り越して呆然としている。対照的な二人の様子を、青葉はただただ見比べた。

「先ほどの腰抜けたちは戻ったようですよ? あなたも逃げた方がいいんじゃありませんか?」

 忌避感を纏わせながら小馬鹿にした口振りで、魔獣弾はそう言い捨てた。瞬間的に、ラウジングの気に怒りの色が宿る。しかし何かを吐き出そうとしたところで思いとどまり、口にする寸前で飲み込んだようだった。彼が一瞥をくれた方へ、青葉も目を向ける。その先にはレーナの姿があった。彼女はどこか神妙な顔つきでこの場を見守っている。

「あなたのような小物ではどうにもならないでしょう」

「そんなつまらぬ挑発には乗らない」

 吐き捨てたラウジングは、その場で即座に構えた。まさか戦うつもりなのか? 戦闘が避けられる気はしないが、それでも青葉は慌てる。またもや巻き添えになりかねないし、そもそも結界への影響は大丈夫なのか? ラウジングに何か考えがあるのならばいいが、一抹の不安が拭いきれない。

「もう十分に乗っている顔ですよ? これだからあなたたちは」

 くすくすと笑う魔獣弾の意図は、わかりやすすぎるくらいにわかりやすかった。ラウジングが堪えきれなくなるのではと、青葉は内心ではらはらする。だが一つ朗報はあった。今が好機と思ったのだろう、いつの間にやらリンたちが負傷者をつれてこの場を脱出してくれていた。あまりの手際のよさに青葉も気づかなかった。おそらく、ラウジングがやってきた瞬間を狙ったのだろう。

「もしや若造ですね?」

 怪我人が森を抜け出したのなら、後はこちらも機会をうかがって退散するのみだ。ラウジングには悪いが、事情も知らぬ自分たちがこの場で役に立つとは思えなかった。青葉はシンの横顔をちらりと見る。

「役立たずがのこのこと出てきて――」

「お前なんぞに言われたくはない!」

 けれども、青葉がその意図を伝える時間はなかった。耐えきれなくなったラウジングがついに動き出す。薄青の風の刃が、魔獣弾に向かって放たれた。無論、そんな単調な攻撃では魔獣弾にあっさり読み取られてしまう。軽く張られた結界に弾かれ、刃は霧散した。

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