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white minds  作者: 藍間真珠
第一部 ―邂逅到達―
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第五章 「打ち崩された平穏」 第三話

「治癒の能力の優れた者でもいれば見てもらえるかもしれないが……」

 ラウジングはそう呟いて肩を落とした。どうやら彼自身はあまり得意ではないらしい。治癒と聞くと滝の脳裏にジュリの名が浮かび上がる。彼女がここにいればすぐに確認してもらえるが、生憎ピークスとは合流できていない。他に得意そうな人はいただろうかと、滝は視線を巡らせた。補助系に長けている者なら心当たりがあるが、治癒に特化するとなると記憶にはない。なかなか難しい技の一つだ。

「そうなんですか」

 答える声がため息混じりになりそうだった。だが、さすがに上の者に対する態度としてはどうかと思うので、ここはぐっと堪える。ちらと横目で見遣れば、ラウジングは注意深く辺りの様子をうかがっていた。また何か起こるのではと危惧しているのだろうか? これ以上の異変は遠慮したい。

「力になれなくてすまないな……ん?」

 視線を滝へと戻した途端、弾かれたようにラウジングは振り返った。ゆったりとした服の裾が大きく揺れる。一瞬だけ見えた表情は、まるで天敵の存在を感じ取った小動物のようだった。不思議に思って気を探ろうとすると、聞き覚えのない甲高い女性の声が鼓膜を揺らす。

「ラウ!」

 響いたのは茂みの向こうからだ。ラウジングがやってきた方向と同じだ。滝が首を傾げていると、ラウジングは耳の後ろを掻きつつゆっくり口を開く。

「……カルマラも来たのか」

「ねえねえ、ちょっとこれってどうなってるの!?」

 乱暴に茂みを掻き分けて姿を見せたのは、ショートカットの女性だった。見たところは二十歳前後か? 明るい茶髪と真夏を思わせる露出の服装が印象的だ。女性――カルマラという名らしい――は顔をしかめて唇を尖らせながら、ずんずんラウジングへ近づいていく。

「どうして急に結界の一部が修復されてるのよっ」

「落ち着け、カー……カルマラ。私も知らない。だが何かが起きたことは確かだ」

 剥き出しになっているカルマラの肩を、ラウジングは慌てて両手で掴む。それでもカルマラはさらに詰め寄らんとしていた。さもこの事態の原因がラウジングにあるかのようだ。そのせいなのか、ラウジングの狼狽え具合が違った。何か言いづらそうに口をもごもごさせながら眉根を寄せている。

「あの、ラウジングさん、その方は……」

 滝がどう声を掛けようか躊躇っていると、傍にいたホシワが静かに尋ねた。ラウジングは肩越しに振り向き、あからさまな作り笑いを浮かべる。口元が微妙に引き攣っていた。

「カルマラだ。旧友……とでも言えばいいのか」

「ラウってば、何その言い方。あれでしょ、人間の言う幼馴染みって奴でしょ? ほらほら、私だって勉強してるのよ!」

 ラウジングの手を無理やり引き剥がしたカルマラは、何故か得意げに胸を張った。先ほどまでとは打って変わった彼女の様子に、滝はラウジングの動揺の理由を想像する。苦労しているらしい。

「ああ、お前が頑張っているのは知ってる。よし、わかったカルマラ。この件を早急にアルティード殿に報告してくれ」

 と、名案が思いついたとばかりにラウジングの声音が明るくなった。突然の頼み事に、カルマラは不思議そうに首を捻る。見た目の印象よりもずいぶんと幼い仕草だ。

「え、私だけ? ラウは?」

「ここで何が起こってるかわからないんだぞ。他の神技隊とも合流しなければならない。だからカルマラ一人で行ってくれ」

 諭すようなラウジングの言葉に、不承不承な様子でカルマラは頷いた。報告する相手の名は滝も聞き覚えがないが、おそらく上の誰かだろう。判断を仰ぐということか。まさか、それまでここで待機だろうか? 嫌な予感を覚えた滝は、傍にいるホシワと顔を見合わせる。

「わかった!」

 不服そうな表情をどうにか押し込めた後、カルマラは踵を返した。決断すれば躊躇はないらしい。彼女の走り去る足音が、静かな森にすぐさま吸い込まれた。茂みが揺れたと思ったら、瞬く間に後ろ姿も緑に飲み込まれていく。

 そしてその気配が、唐突に消えた。靴音だけではなく気も消えた。勘違いではないのは、斜め後ろにいるホシワの気からもわかった。喫驚しているのが伝わってくる。

「……え?」

 それでは本当に消えたのか? 忽然と? それともこの茂みの向こう側の空間はまだ歪んでいるのだろうか? 顔をしかめた滝は、答えを求めるようラウジングの方へ向き直った。彼もそちらから来たはずだ。

「あの、ラウジングさん――」

「私たちはここで待機だ」

 疑問の言葉は、振り返ったラウジングによって遮られた。有無を言わさぬ語調だった。先ほどまでとは違う。喉元から出し損ねた言葉も湧き出てきた反論の言葉も飲み込んで、滝は唇を引き結んだ。そして倒れたままのレンカへ視線を落とす。ため息を堪えるのに、今度は非常に苦労した。

 いつまで彼女をこのままにしておけばいいのか。いつになったらここを離れられるのか。もう何もなければいいと、希望的観測を口にするのはむなしくなるだけだった。




 泉の側に腰を下ろしたシンは、小さく一息吐いた。開けた場所に出たことで、ようやく体を休めることができる。目を凝らしたり丹念に気を探る必要がないだけ疲労度が違った。それでも彼は辺りを見回しながら妙な気配がないかどうか確認する。五人の中では、彼は比較的元気な方だ。

 右手に座り込んだ北斗はぐったりと膝に頭を乗せていた。危機を逃れたことで気が抜け、どうやら痛みが増してきたらしい。その隣にいるローラインもくたりとしていた。歩くだけでも消耗したのだろう。

 そんな中で、一際騒いでいるのはサツバだ。「折れたかもしれない」だの「罅が入っているかもしれない」だのと文句を言い、リンに足を見てもらっている。先ほどまで歩いていたのだから骨折はしていないと思うのだが。

「大丈夫じゃない? 痛めてはいると思うけど」

「本当かよ。こんなに痛いんだぞ?」

「だったら後で他の人にも見てもらいなさいよ。自分ではわからないんでしょう?」

 草の上に両膝をついたリンは、不満顔のサツバへ人差し指を突きつける。治癒の技を使う時、熟練した者であれば何がどう損傷しているのかまで把握できるのだという。シンにはわからない。傷を塞ぐ、少量の出血を止めるといった基本ができるだけだ。リンは少しだけわかるようだが。

「そういうリンは大丈夫なのか?」

 唇を尖らせたサツバが押し黙ったところで、シンは声を掛けた。リンも腕がおかしいと言っていたはずだ。振り返った彼女は一度シンの顔を見てから、自分の体を見下ろした。先ほどまでとは違い、ぎこちなさは感じられない動きだ。

「うーん、大丈夫だと思う。何となく感覚は変だけど、痛みはないし動くようになったし」

 顔を上げたリンは両手をひらひらと振った。笑顔も自然だし嘘を吐いているようには見えない。シンはほっと胸を撫で下ろす。彼女はなんだかんだ言いながら我慢強いところがあるので要注意だ。するとリンをじっと見上げていたサツバが、おもむろに口を開いた。

「それにしてもよくあそこで飛び出したな。北斗たち、かなり遠くにいるように見えたぞ」

 サツバの言葉に、シンは内心で深々と頷いた。あの時は、絶対に届かないと思った。手を伸ばしたくらいでは無駄だと思った。だが実際は違った。空間の歪みのせいだったのか。

「私にだって、離れてるように見えてたわよ。でもね、気が、そんな感じじゃなかったの。だからまだ間に合うって思ったの」

 リンは簡単にそう説明したが、あの短時間でそれを判断し行動に移せるところが人間業ではない。感覚もそうだが、決断力の差だ。異常事態に出くわせば出くわすだけ、彼女がいかに『強い技使い』であるか実感させられる。純粋な能力の問題だけではない。だからこそ異名持ちなのだろう。

 そういう意味では、滝と同じだった。常に何らかの決断を迫られている人間が獲得する実行力だ。気ままに動くのとは違う。そんなものを身につけてしまう人生が楽しいものなのかどうかは、シンには定かではないが。

「おかげで助かりました、美しい」

 よろよろと顔を上げたローラインが、そう言って微笑んだ。その隣で北斗もコクコクと頷いている。こういうことを繰り返しているうちに、リンの立場はより強固に作られていくのだろう。「旋風」などと呼ばれていた理由を何となく察することができた。

「うん、本当に間に合ってよかった」

 そう呟いたリンは、ついではっとしたように顔を上げた。その黒い双眸に宿ったのは危ぶむ色ではなかった。悪い兆候ではない。その理由を求めてシンは辺りの気を探った。つい考え事をしていて警戒が疎かになっていた。

「ジュリだわ!」

 シンが答えを手繰り寄せるより早く、リンが歓喜の声を上げる。彼女が顔を向けた先に、確かに五つの気が感じ取れた。彼女の言葉から推測するにピークスだろう。もしかすると、先ほどの異変に気づいて駆けつけてきたのかもしれない。

 立ち上がるリンにつられるように、シンも腰を上げる。北斗とローラインはまだ疲れた様子で座り込んでいたし、サツバもその場できょろきょろ辺りを見回していた。シンがズボンについた土を払っていると、右手の茂みががさがさと揺れる。

「リンさんっ」

 最初に飛び出してきたのはジュリだった。ついでよつき、たく、コスミ、コブシが順に姿を現す。全員体のあちこちに葉を乗せていたが、それ以外は特段変わりない。怪我をしている様子もなかった。少なくともシンたちのように妙な事態に巻き込まれてはいないようだ。

「大丈夫でしたか!? こちらの方で奇妙な気配を感じたので来てしまいました」

 駆け寄ってきたジュリはリンの両肩を掴む。真っ先にリンへ向かったのは心配だったからか、はたまた何か無茶したことを見抜いているのか。長身であるジュリを見上げて、リンはへらへらと笑った。

「ありがと。この通り大丈夫。歪みに巻き込まれかけたみたいだけど、みんな無事よ」

 さらりとリンは答えたが、聞き捨てならない話には違いなかったのだろう。相槌を打とうとしたジュリは、さっと顔を青ざめさせた。肩を掴む指先が白くなる。

「巻き込まれかけたって、一大事じゃないですか!」

「まあね。でもこればっかりは気をつけようがないし」

「そうやっていつも軽くすませるんですから。もう少し何事もなかった喜びを噛みしめてくださいよっ」

 苦笑したリンに向かって、ジュリは深々と嘆息してみせた。きっと今までにも似たようなことがあったのだろう。ジュリのうなだれ方から、シンはそんな想像をする。すると二人がそんなやりとりを繰り広げているうちに、よつきたちも近くまでやってきた。彼の顔には、どう話しかけたらよいのかという迷いが浮かんでいた。シンは一度サツバたちの様子を視界に入れてから、よつきへと向き直る。

「よつきたちは大丈夫だったのか?」

 問われて振り向いたよつきは、即座に首を縦に振った。青い瞳が柔和に細められる。

「はい、わたくしたちのところには何も。道に迷ったくらいですかねぇ」

「隊長でも迷うくらいにひどい状況だったんですよ!」

「本当にわけがわからなくて」

「方向感覚が狂いますよね」

 よつきの援護とばかりに、たく、コスミ、コブシが次々と口を開いた。その様をちらりと横目で見て、よつきは何とも言い難い表情を浮かべる。シンとしては「愛されているなあ」と思うばかりだが。……いや、これでは何事もやりにくいか。立場を代わってくれと頼まれたら、シンは絶対に遠慮するだろう。

「そうだジュリ、サツバの足や北斗とローラインも見てあげて! 巻き込まれかけた時に痛めたみたいなの。ジュリならわかるでしょう?」

 困ったよつきを助けたのは、リンの上げた嬉々とした提案だった。これ幸いとばかりに視線を逸らしたよつきは、ジュリたちの方へ近づいていく。シンもそれを追った。背後で「あ、隊長」と誰かが声を上げる。

「それは大変ですね。すぐに見ます」

「あ、じゃあサツバからお願い」

 最初に軽傷であろうサツバを指定したのは、うるさいからだろうか。頷いたジュリは膝をつくと、座り込んだままのサツバの足を丁寧に観察し始めた。さすがに後輩相手に騒ぐことはせず、サツバはおとなしくしている。リンはそれを満足そうに見守った。

「折れてはいないようですよ。圧迫されて痛めたって感じですね。無理せず、走ったりしなければ大丈夫そうです」

「ほらね! 安心したでしょサツバ」

「はぁ」

 ジュリは最後に直接手で触れてから、そう説明した。サツバは気のない声を漏らしたが、リンは自分の見立てがあっていたため嬉しそうだ。「だから言ったでしょう」と怒らないところはさすがだった。サツバが拗ねないコツをわかっている。

「そう言うリンさんも、肩を痛めてるでしょう? 最後に見ますからね」

 立ち上がって微笑んだジュリは、ついで北斗たちの方へ向かった。釘を刺されその場で石像のように固まったリンは「ばれてる」とだけ呟く。シンは思わず吹き出しそうになるのをすんでのところで堪えた。こういうリンはなかなか見られない。

「ジュリは変わらないわねー」

 再び座り込んだジュリを見下ろして、リンは呻いた。当のジュリは何も言わず、ただ小さく笑い声を漏らしただけだ。「そうなんですか?」と口に出したのはよつきだった。リンは彼へちらりと視線をやり、満面の笑みを浮かべる。

「うん。隠したいことをさらっと指摘してくるところとか。弱い場所つついてくるところとか」

「ちょっとリンさん、笑顔で人聞きの悪いこと言わないでください」

 北斗の体を見ながら、ジュリは振り返ることなく文句を言った。リンの顔は見えないはずなのに、何故笑っているとわかったのだろう。気だけでは表情はわからないはずなのだが、経験故の判断なのか。

 どう反応すべきか当惑したシンは、思わずよつきと顔を見合わせる。よつきも何とも言い難い顔で頭を傾けていた。彼女たちの会話は面白いが、どうも口を挟みにくい。

「ひとまず、ジュリの診察が終わるまで休憩するか」

「……そうですね」

 仕方なくそう提案し、シンは空を見上げた。邪魔する木々のない泉のほとりからだと、鬱々とした曇天がはっきりする。まだ昼間のはずなのに薄暗い。日が暮れるとますます辺りの様子はわからなくなるだろう。日没までに全ての目印を探すことができるだろうか。

「これは前途多難だな」

 独りごちる声の重さが、ずしりと体に染み込んだ。

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