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white minds  作者: 藍間真珠
第一部 ―邂逅到達―
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第三章 「望みの居場所」 第二話

「ジュリ!」

「はいっ」

 慌てたため名前を呼ぶことしかできなかったが、ジュリは意図を汲んでくれた。彼女が手を掲げると同時に、周囲に結界が張られる。通行人に見られたらまずいことには変わりないが、これで被害は最小限に抑えられる。よつきは歯噛みしながら構えをとった。これは本格的に技を使う必要があるかもしれない。

 青の男は無表情のまま、右手を掲げた。その手の中に不定の炎の刃が現れる。危惧した通り、男は戦うつもりだ。この状況ではよつきたちの方が確実に不利だった。狭い路地では思うように身動きが取れないのに、こちらは三人もいる。下手な技の使い方をすると味方に当たりかねない。

「剣は得意じゃないんですけどね」

 独りごちたよつきは、黄色い刃を生み出した。雷系だ。これならば剣術で歯が立たなくとも、相手を牽制することができる。ちょっとした接触でも動きの妨げになるからだ。しかし青の男は顔色一つ変えなかった。周囲を気にする素振りもなく、軽く地を蹴る。

 迷いのない男の動きを注視しつつ、よつきは手に力を込めた。振り下ろされた炎の剣を、黄色い刃が受け止める。重い一撃だ。技と技がぶつかり合った際に特有の、耳障りな高音が鼓膜を震わせる。耳鳴りにも似ているそれに顔をしかめながら、よつきは一歩後退した。一撃、一撃を受け止める度に下がらざるを得ない。的確で重い。淡々と青の男は剣を振るっていた。よつきはどちらかといえば遠距離からの攻撃を得意としているので、これは辛い。

「隊長!」

 青の男の向こう側で、コブシが悲痛な顔をしている。コブシもジュリも接近戦は苦手だと言っていたように記憶していた。これは本格的にまずいかもしれない。他の神技隊が気づいて駆けつけてくるとしても、時間はかかるだろう。

「よつきさん、飛んでください!」

 その時、ジュリの声がした。意図を確認する余裕もなく、言われた通りよつきは大きく跳躍した。風を体に纏わせ、自分の身長より高く飛び上がる。その足下を、何かがかすめていったのがわかった。コブシの前方へと飛び出したジュリが、両手を前に突き出しているのが見える。

 青の男がジュリの方を振り返る。彼女の手のひらから、続けざまに黄色の矢が生み出された。同じく雷系だ。青の男は無表情のまま、それらを炎の剣で払い落とす。バチバチと火花を飛ばしながら消えていく黄色い矢の行方へと、よつきは目をやった。そしてありがたくない事態に気がついた。

「ジュリ! 人が来ます!」

 結界の向こうに一般人の気があることに、よつきは気がついた。はっとしたジュリは後方を確認しようとし――けれどもそれが命取りになりかねないことを察して躊躇する。この状況では、気を取られるだけでも問題だっただろうが。しかし不思議なことに、戸惑いを見せたのは青の男も同じだった。男は無表情のまま首を傾げると、踵を返す。

「……え?」

 空中に浮かんだまま、よつきは首を捻った。ジュリたちに背を向けて走り出した男は、よつきの方を確認もしなかった。逡巡することなく炎の剣を消し、結界に向かって手を伸ばす。無理やり破られた結界の悲鳴が肌に感じられた。青の男はそのまま結界の外へ飛び出す。

「ちょっ――」

 突然のことに理解が追いつかない。青の男の姿は、曲がり角の向こうへ消えていった。ゆっくり地上へ降りたよつきは、走り寄ってくるジュリへ一瞥をくれた。それからもう一度、男の消え去った方を見やる。結界を即座に消したジュリは、後方を気にしながら近づいてきた。

「よつきさん」

「行っちゃいましたね」

 頷いたよつきは、こちらの路地を覗き込んでくる少年の姿を横目に見た。好奇心と不安がない交ぜになった顔をしている、見たところ普通の子どもだ。物音に気づいてやってきたのだろうか。戦闘の様子は見られていないと思うが、事件があったと通報でもされたら困る。どうしたものかと悩んでいると、急に笑顔になったジュリが勢いよく頭を下げた。

「本当にありがとうございました。助かりました」

「……え?」

「助けていただかなかったらどうなっていたことか」

「……えっと、あの」

 突然の言葉によつきは返答に窮する。先ほどから混乱続きだ。するとジュリはにこやかに微笑んだまま、コブシへやおら視線を向けた。コブシもぽかんとした顔をしている。事態がわかっていないのはよつきだけではないらしい。

「どうかお礼をさせてください。ほら、あなたも」

 ジュリはコブシを手招きしてから、よつきの背をぐいと押した。少年とは逆方向だ。ようやく彼女が演技をしていることを悟ったよつきは、それでも上手い返答が浮かばず「はぁ」と気のない声を漏らす。慌てたコブシは少年の方は振り向かずに、二人の方へ寄ってきた。ジュリはよつきの腕に手を添えると、こっそり耳打ちしてくる。

「とにかく、あの少年がついてこられないように店に入りましょう。話はそれからです。戦闘中の様子は見られていないようですし」

 冷静なジュリの判断に感服しながら、よつきは即座に首肯した。少年が追いかけてこないことを祈りながらも、脳裏には青の男の姿を思い描いていた。




「そろそろ、この真夜中の見回り止めてもいいんじゃない?」

 先を行くミツバが、唐突に立ち止まった。ちょうど街灯の下で足を止めたため、淡い金髪と緑の瞳が目映く照らし出されている。つられて足を止めた滝は、脈絡のない発言に首を傾げた。見回りと称したこの夜の散歩は、滝たちが『幽霊屋敷』に住むようになってから始まった。もう三年以上は続いている。

 違法者を見つけ出すという意味では役に立たない行為だった。しかし誰も文句を言わなかったのは、無世界の夜を皆気に入っていたからだ。この住宅街も夜が更ければ人気がなくなる。人の目を気にせず空を見上げることができる。神魔世界ほど闇夜の濃い夜ではないが、それでも瞬く星を見ると心が落ち着いた。月の満ち欠けは、神魔世界も無世界も変わらなかった。

「急にどうした?」

「だって僕らが相手しなきゃいけないの、もう普通の技使いじゃないじゃん」

 それなのに突然どうしたのかと訝しんだが、答えはすぐに返ってきた。なるほど、アースたちのことを気にしているらしい。彼らの狙いが神技隊となると、確かに無防備に歩いている時間は減らした方がいいのかもしれない。もっとも、だからといって家に引きこもっているのもよくない。住処まで把握されてしまうのはまずい。

「それもそうだがなー」

「こうやって誰かと歩くのは楽しいんだけどね。でもさあ、こっちには武器がないし。別に僕たち戦闘訓練を受けてきたわけでもないし」

 頭の後ろで両腕を組んだミツバは、滝の方を振り返り唇を尖らせた。滝は苦笑しながら相槌を打つ。神技隊の目的は違法者を取り締まることであり、戦うことにはない。技使いであれば子どもの頃にじゃれ合いという名の簡単な戦いを経験していることが多いが、そのための訓練を受けているわけではなかった。もちろん、命を賭けるような実戦経験はない。

「滝は剣のお師匠さんがいたんだっけ? でも僕にはそういうのもなかったし」

 こんなことになるとは誰も思っていなかった。いきなり亜空間に連れ込まれて戦いを仕掛けられるというのは、想定外だ。しかも上の方針もはっきりしないときた。何かが明らかになるまでは身を潜めていたいと思うのも無理はない。

「その気持ちもわかるがな」

 それでは一体いつまでそうしていればいいのか? わからないまま怯えているのは正しいのだろうか? 滝にはそれが判断できない。数日、数週間なら可能だ。しかし数ヶ月、年単位になったら? 心の方が病んでしまいそうな気がする。

「そうやって逃げ回ってばかりいると、いずれ命を落とすぞ」

 その時、ミツバの向こう側から声が聞こえた。揶揄を滲ませた、それなのに澄んだ声だ。滝が息を呑むのと、ミツバが振り向くのはほぼ同時だった。滝は声の主を求めて目を凝らす。

「……レーナ?」

 よく見ると、前方の塀の上に誰かがいる。そこに腰掛けているのはレーナだった。ブーツに包まれた足を組み、悪戯っぽく微笑んでいる。服装は今まで見たのと変わりない。頭の上で一本に結われた髪が、微風に乗って揺れていた。両手を塀に乗せたまま、彼女は小首を傾げる。

「どうもこんばんは」

「な、何で君がこんな所に!?」

 一歩後退ったミツバの肩を、滝は手で押さえた。どうやらレーナ一人のようだ。亜空間を使ってこないということは、戦うつもりがないのか? それともこれだけ人気がなければ不要だというのか? 滝が固唾を呑んでいると、レーナはくすりと笑った。

「神技隊を見つけたから、では理由にならないかな?」

「どうしてわかったんだよ!?」

「気を隠した人間が複数いれば……と言いたいところだが、顔はもう覚えているしな」

 わざとらしく肩をすくめたレーナの態度からは、余裕しか感じ取れない。梅花と同じ顔なのだが、始終笑顔というところが大きく違う。負傷したという噂の左腕を見ても、動かしづらそうにしている様子はなかった。もう万全なのか。

「神技隊はこの辺にいるってことも知ってるし」

 穏やかな彼女の声音が、いっそう恐ろしく感じられる。心臓を掴まれたような心地で、滝は喉を鳴らした。何故突き止められたのかはわからないが、神技隊の行動範囲が限られているというのは事実だ。ゲートからそう離れられないというのも理由だし、違法者を捕まえるのにはこの辺りにいる方が効率的なのである。

 無世界に乗り込んできた違法者が、いきなり遠方へと出向くことはない。神魔世界から持ち込んだ物品を売ることでお金は手に入るかもしれないが、どこへ行けばどうなるのかわからないのに迂闊に動く人間はまずいない。行動するにしても、最低限の情報収集を済ませてからとなる。

 そんな神技隊の事情にまで通じているとは思えないが、神技隊がこの辺りに集まっていることは把握されてしまったようだ。ますます厄介な状況だった。滝はミツバの肩から手を離し、レーナを睨みつける。

「何の用だ?」

「だからそんな怖い顔をするな。わかっているとは思うが、今は戦うつもりはない。単なる警告だよ」

「警告? お前はどうしたいんだ? オレたちに何かさせたいのか?」

 そのためにわざわざ顔を見せるとは、ずいぶんと暇人だ。ならばこの際にと、滝はずっと胸にあった疑問をぶつけてみた。突然襲ってきたかと思えば青葉に忠告を残し、謎の亜空間では梅花を守ろうとした。レーナの狙いはさっぱり把握できない。単純なものではなさそうだと推測できる程度か。

「どう思う? 少しは自分の頭でも考えた方がいいぞ」

「さっきから聞いてたらずいぶんと偉そうに! 君は一体何なんだよ!  何が目的なの!? この間の奴は何者なのさ!?」

 するとそれまで黙りこくっていたミツバが、忽然と声を荒げた。耐えかねたようだった。「おいミツバ」と滝は慌てるが、肩で息をするミツバには届いている様子がない。いくら人通りがないとはいえ、誰かに聞こえでもしたら困る。滝は仕方なくミツバの腕を掴むとぐいと後ろへ追いやった。

「おい、ミツバ落ち着け。声が大きいぞ」

「――質問だらけだな」

 レーナの微苦笑がミツバの怒りに火をつけないかと、滝はひやひやした。ミツバの気性は荒い方ではないのだが、最近はずっと苛立ちが蓄積している。ちょっとした火種でも爆発しかねない。しかし幸いにもそれ以上叫ぶことはなく、ただ荒い息を繰り返すばかりだった。滝はミツバへ一瞥をくれてから、レーナをねめつける。

「答える気があるのか? ないのか?」

「尋ねて答えが返ってくることの方が稀だ。全てがわかっているとは考えない方がいい。そういうものだろう?」

「……何が言いたい」

「本当に知りたいなら、求め続けなければならないってことさ」

 不敵に笑うレーナを、滝は凝視し続けた。黒々とした瞳の奥にあるものが見えない。気を隠しているので、そこから感情を読み取ることも無理だ。ただ漠然とだが、敵意は感じられないような気がしていた。単に「戦うつもりはない」といった程度かもしれないが、少なくとも今襲ってくる気配はない。

「求め続けても得られるかどうかは定かではない。ただ、求めなければ始まらない」

 組んでいた足を解いたレーナは、すっくと塀の上に立ち上がった。技を使った様子もないのに軽い身のこなしだ。彼女は短いスカートを叩いて砂を払うと、滝たちに背を向ける。尾のような長い髪が、街灯の明かりを反射して軌跡を描いた。

「レーナ!」

「訓練されていないから手加減してくれる、なんてことはないぞ。強くなれ」

 振り返らずに、レーナはそう言い残した。そしてトンと塀を蹴り、飛び上がった。彼女の体を薄い風が包み込んだのがわかる。よく注意しなければわからない程度の気の強さだ。そのまま闇夜に紛れてしまった彼女の姿を、追いかける術はなかった。滝たちは唖然としたままその場に取り残された。飛んでいったにしては妙だ。まるで存在していなかったかのように消え失せている。

「何だよ今の。嫌味?」

 ふくれ面をするミツバの肩を、滝はもう一度叩いた。ミツバの言葉を受けての警告だろうが、気になる点がある。あの言い様は、まるで他にも神技隊を襲ってくる者たちがいるかのようだ。全く心当たりはないが、背筋が冷たくなった。先日の謎の亜空間で遭遇した獣のことを思い出す。あれは一体何だったのだろうか。いまだラウジングからの説明はない。

「嫌味ってことで片付けられたらいいんだがな」

「滝はまたそういうこと言うー。用心深いよね」

「油断して痛い目を見るのは嫌いだからな」

 責任ある者が事態を楽観視するのは罪ですらある、というのがヤマトの長の口癖であった。彼は注意深く、慎重で、臆病な人間だった。聡明ではあったが、宮殿との関係については口が重かった。いつも渋い顔をしながら、不合理な求めにも応じていたことが思い出される。おそらく滝を手放せと言われたことが、一番理不尽な命令だっただろう。二十五の誕生日を迎えたら、滝は正式にヤマトの長となっていた。

「ま、僕も痛い目は嫌だよ」

 思考の海に潜りかけていたところ、ミツバの同意が現実へ引き戻してくれた。今さら考えても詮のないことだ。もう滝はヤマトの若長ではないし、かつてのように長と話し合う機会もないだろう。思考の片隅に染みついたものがあるのは仕方ないとはいえ、いつまでもそこに縛られているわけにはいかない。

「でも馬鹿にされるのも嫌い。ほら、僕は見た目がこんな感じだから、そういうの多いんだよねー」

「だからいつになく苛々していたのか」

 あえて渋い顔をしたミツバを見て、滝は苦笑した。神技隊として無世界に派遣された時、ミツバはまだ十五歳だった。あれから三年以上経過しているが、容姿はほとんど変わっていない。技使いにはそういう人間がいると聞くが、そのせいなのか。はたまた異世界に来た影響があるのか。何にしろ、ミツバにとっては悩みの種なのだろう。レーナの言動はそこを刺激したということか。

「だって偉そうじゃない。僕と見た目はそんなに変わらないのに」

 ミツバの愚痴を適当にやり過ごそうとした時、滝は違和感に気づいた。通りの向こう側から微かに響く靴音を、耳が拾った。この慌ただしさは走っている時のものだが、それなのに気が感じられない。

「あれ? 滝、誰か来る――」

 振り返ったミツバの声も途切れた。目を凝らした滝は、一瞬街灯に照らされた顔が見知ったものであったことに閉口する。見間違えるわけがない。今のはシンだ。

「滝さん!」

 どうやらあちらも気がついたらしい。少し速度を落としたシンの隣に、ちらりとリンの姿も見えた。どうして二人が全力疾走でこちらへ向かってくるのか。判断できずにいるうちに、シンたちは滝の元へと辿り着いた。

「よかった、滝さんが、いるし、人も、いない」

 呼吸を整えながら、シンはわかるようでわからない言葉を口にする。首を傾げた滝は、説明を求めるようリンの方へ視線を移す。彼女もぜえぜえとあえぐような呼吸をしていた。一体どこから走ってきたのだろう。

「治したはずの傷、痛いし。もう」

 脇腹を押さえたリンは、ゆるゆると後方を振り返った。その眼差しを追うように、滝は顔を上げた。街灯に群がる羽虫の影だけが目立つ中、光の向こうに、動いている何かが見える。

「もう来た」

 シンの呻きに、何が来たのかと問いかける時間はなかった。白い光に照らし出されたのは、青年のようだった。それなりに背の高い男だ。靴音を響かせることなく向かってくる姿は、どことなく奇妙だ。その理由は、男が街灯の下で立ち止まったことではっきりとした。

「青い……?」

 滝の後ろでミツバが呟く。足を止めた青年の髪も、服も、全てが青かった。おそらく瞳も青なのではなかろうか。無表情にこちらを見据えてくる様相には、息を呑まざるを得ない。答えを求めるように、滝はシンたちへと一瞥をくれた。

「こいつ、いきなり襲ってこようとして」

「でも一般人が近づいてくる気配があったので」

「それで逃げてきたんですよ」

 シンとリンが口々に説明する。相手の正体は全くわからないが、シンたちが全力で走ってきた理由は飲み込めた。実に妙なことが起きる夜だと、つい苦笑を漏らしたくなる。レーナが突然やってきて去ったかと思えば、今度は青い髪の男とは。

「え、じゃあもしかして、ここで戦うの?」

 ミツバのげんなりとした声が背中に突き刺さる。確かにこの辺りには今のところ人気はない。結界を張れば戦えないこともないだろう。しかし結界は物音を全て遮断するわけではないから、異変に気づいた住民が家から顔を出す可能性はあった。できたら避けたい事態だ。

 しばらく無表情のまま立ち尽くしていた青の男は、ゆっくり構えを取った。本当に戦闘するつもりなのか? 滝は唇を引き結びながら周囲へ視線を走らせる。住宅街の中のごくごく一般的な道路だ。声も響きやすい。どの系統の技を使っても目立つことは間違いなかった。

「あーあ、レーナがいなくなったと思ったらこれかぁ」

 青の男が地を蹴ろうとした瞬間だった。ミツバのぼやきに、あからさまに男は反応した。不自然な体勢のまま動きが止まる。強化した素手で対応する気だった滝は、急な変化に瞠目した。青の男の表情は変わらなかったが、その気からは驚きが感じられた。いや、戸惑いというべきか。

「……え?」

 あまりの反応に、誰もが喫驚していた。どう対応していいのか、咄嗟に判断できなかった。ミツバの素っ頓狂な声だけが空気を震わせる。瞬きを繰り返した滝は、ついで男を凝視した。先ほどから表情を変えていない男は、どうやらしばし逡巡したようだった。そして何を思ったか、突然踵を返した。緩くうねる青い髪が、ふわりと揺れる。

「あれ?」

 今度はリンが不思議そうな声を漏らした。青の男は何も言わずに、そのまま背を向けて走り去る。あっという間の出来事だった。四人は呆然と、青々とした後ろ姿が闇夜に溶けていくのを見送った。誰も足を踏み出すことさえできなかった。もっとも、戦闘を避けるという意味では追いかけない方がいいのだろうが。

「……何だったんだ」

 思わず滝はそうぼやく。一体、何が起きたのか。まさかここまで追いかけてきておいて、何もせずいきなり走り去るとは思わなかった。夢だと思いたいくらいに、わけがわからない。

「今のは、どう考えても、レーナの名前を聞いたからって反応だったよね」

 頭の中を整理していると、それをミツバが端的に言葉にしてくれた。そうだ、今のはそうとしか思えないタイミングだった。レーナのことを知っているのか? ますます疑問は深まるばかりだ。

「もう、本当に嫌になっちゃう」

 リンのため息混じりの呟きに、滝は心底共感した。こんなことばかり起きるのはいい加減にして欲しいところだ。先ほどレーナに自分で考えろと言われたばかりだが、すぐにでも答えが欲しくなる。上でも誰でもいいからくれないだろうか? 振り回される一方では疲労だけが残る。

「僕もうしばらく夜道を歩きたくない」

 うんざりした声を出したミツバに、滝は上手く返事することができなかった。ここまで頭を抱えたい心境に到ったのは、神技隊に選ばれたあの日以来初めてのことだった。

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