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white minds  作者: 藍間真珠
第二部 ―疑念機密―
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第六章「疑惑と覚悟が交わりて」第六話

「ヒメワ先輩、ここは頼みますっ」

 声を掛けながら走り出した梅花は、目の前に迫る炎球を結界で弾いた。ヒメワの返事はかすかだが、こちらの意図は伝わったらしい。精神を集中させつつ、梅花は灰色のフードの男を真っ直ぐに見据える。

 男は先ほどから単調な攻撃を繰り返している。だが単調であっても、この場合は効果的だ。

 そちらへ逃げようとしていた人々、人々を庇った神技隊が、既に何人も巻き込まれていた。しかも弾かれた球の一部が周囲の建物を焦げ付かせ、さらに皆の焦燥感を煽っている。

 ラフトとカエリが傷を負っているらしいのは把握できた。その他にも何人か負傷者はいるようだった。二人が意識を失っている点が気がかりだ。

 しかしここは補助系の使い手であるヒメワに任せる方が適任だろう。同じフライングだからラフトたちの特徴もわかっているはずだ。梅花はさらなる怪我人を増やさないよう注力した方がよい。

「早く後ろへ!」

 半狂乱状態で棒立ちになっている初老の男の前へ、梅花は飛び出した。これでようやく全ての人間より前に出ることができた。しかし混乱が強いせいか、わななく男が動き出す様子がない。これは厄介だ。

「長のところが安全です!」

 そう叫んでみたが、男が信じてくれるかどうかは怪しかった。技使いの関与が疑われているのならなおさらだ。なにより、思考がまともに働く状態かどうか疑わしい。

 すると再び炎球が放たれる気配がする。仕方なく、梅花はもう一度結界を張った。背後への影響を考えると、広範囲なものを選択せざるを得ない。後ろの男がもう少し離れてくれなければ、攻撃に転じることもできなかった。

 まだ魔族と距離があるからよいものの、接近されると結界だけでは対応しきれなくなるのもまずい。

 技と技が触れ合った際の、独特の音が響く。結界越しにも圧力が感じられた。弾かれて霧散していく炎の残渣が、視界の端で瞬く。

 そこでようやく、初老の男は正気を取り戻したようだった。いや、生存本能が刺激されたのか? どちらにせよ弾かれたように走り出す気配に、彼女はほっとする。これで精神系が使える。

 と、不意に風が強く吹き込んだ。結界の向こうで灰色のフードが大きく揺れ、その中から黄緑色の髪がこぼれ落ちた。彼らが髪を隠しているのは、それらが人間の目には奇異に映ると知っているからだろうか? 彼女の胸に疑問が生じる。

 それでは、まさか彼らの狙いは――。

「無様だな」

 結界を解いた途端、予想したより低い声が彼女の鼓膜を揺さぶった。フードを被り直した男の唇が、皮肉そうにつり上がる。

 精神を集中させ、彼女は一気に跳躍した。相手の狙いがもし予想通りならば、この件は一刻も早く解決しなければならない。そのためには彼らをこの場から排しなければ。

 彼女は右手を伸ばす。そして決意を固めて青い刃を生み出す。いつもよりも細く、長く。槍のように。

 フードに触れた男の目が、見開かれるのがわかった。「まさか精神系か」と彼の気が如実に語っている。人間のことを知っているようで知らない? それとも、神技隊のことは聞かされていないのか?

 訝しみながらも、梅花は後退する男に向かって刃を向けた。ほとんど投げているような動作になった。胸板へと吸い込まれるように伸びた刃へと、ただ精神を集中させる。――声にならない悲鳴が上がった。

 恨みがましい眼差しが、揺れながらも彼女を捉えた。それでも男が人の姿を取っている時間は、そう長くはなかった。

 男が光の粒子となって空気へ溶けていくのを確認し、彼女は着地する。ばさりとフードだけが石畳に落ちた。それはどうやら本当にただの服だったらしい。

 息を整えつつ後方を振り返った彼女は、ついと瞳をすがめた。動ける者はもう通りからはいなくなっていた。残っているのは石畳の上に伏している人が、ぽつぽつとだけ。まるで目印に落とされた石のように続いている。彼女は顔をしかめた。

 救護の手伝いに加わった方がよいか? いや、他にも魔族が隠れている可能性はある。辺りの様子をうかがいながら、他の仲間たちの補助をすべきだろうか。

 そう思案した時だった。得も言われぬ違和感が、背をぞくりと撫でるような冷たい感覚が、突然こみ上げてきた。根拠のなさそうなその予感に逆らわずに、彼女は振り向きざまに結界を生み出す。

 薄い透明な膜に突き刺さったのは、複数の黒い矢だ。弾かれながら消えていく黒い光のその先へと、彼女は双眸を向けた。

「ミス、カーテ」

 口の中が乾いていく。通りに反響する硬質な靴音に、自身の鼓動が呼応した。

 赤い髪を揺らしながら近づいてくるのは、間違いなくミスカーテだ。先日負傷したばかりだというのに、そんな素振りも見せていない。

 いや、よく探れば彼の気にはやや歪さがあった。傷は完全には癒えていないに違いない。それでもここに降り立ったということは、何か策があるのか?

 喉を鳴らしつつミスカーテを見据えた彼女は、そこでさらに違和感を抱く。先ほどの強烈な感覚は、ミスカーテが転移してきたからなのか? いや、今まで彼が現れた時にはこのような経験はなかった。

 何か見落としがあるような気がして、彼女はざっと視線を巡らせる。そして、絶句した。

 イダーの町に似つかわしくない者が、ミスカーテのさらに背後、茶色の屋根の上にたたずんでいるのが見えた。気を隠していても、その容姿が特徴的なために目を引く。

 腰以上ある長い髪は深い赤で、肌を見せつけるような衣服に不思議な布を巻き付けた長身の女性だ。肌の色も深い色だった。顔立ちまでははっきりとは見えないが、長い手足がたおやかに髪を背へ流す様には、気品が漂っている。

 あれは魔族だ。それも、かなり高位の。

「ああ、もしかして気づいたんだ? すごいね。レシガ様はできる限り気を隠して移動するのがお得意なのに」

 梅花の反応から察したらしく、足を止めたミスカーテが楽しげに笑った。そしてちらと肩越しに後ろを振り返る。

 彼が口にしたのは、蘇ったもう一人の五腹心の名だった。梅花はぐらぐらと頭を揺さぶられたような心地になる。しかし疑問も湧いた。何故五腹心ほどの魔族が気を隠しているのか?

「やっぱり人間の技使いは興味深いなぁ」

 震えそうになる唇をぎゅっと結んでいると、こちらへ視線を戻したミスカーテがにたりと笑った。と同時に、青葉たちの気が近づいてくるのが感じ取れる。ミスカーテの気を察知したからだろう。

 梅花は固唾を呑み、精神を集中させた。仲間たちが来るよりも、ミスカーテが動き出す方が確実に早い。それまで持ちこたえることができるだろうか?

 幸いなのは、レシガに動くつもりがなさそうという点だった。五腹心が気を隠したまま遠くにいる理由など見当もつかないが、少なくとも現段階では静観するつもりらしい。それが先日のイースト同様「ご挨拶」なのかは知れないが。

「面白い。本当、研究してみたかったよ」

 ミスカーテの笑みが深くなった。息を詰めた梅花は、即座に結界を生み出した。今までとは違う、強固な結界。薄くて緻密な透明な膜が、大通りを横切るように生み出される。

 ほぼ間髪入れず、巨大な膜に黒い矢が一斉に突き刺さった。数えるのもあたわぬ量を弾いた結界が、かすかにたわむ。強度が足りなければ破られていたところだろう。

 破壊系の技であれば、おそらく周囲の建物も無事ではなかったはずだ。しかしこれだけの数を弾けたとなると、やはりミスカーテは本調子ではないと考えるべきだろうか。

「梅花!」

 青葉の声が背後で響いた。梅花は大丈夫だと頷きつつ、余裕の態度を崩さぬミスカーテを見据えた。

 不調であるならば、どうして今になって出てきたのか。混乱を大きくするのが目的ならもっと早い方がよい。つまり、彼の狙いはおそらく別のところにある。

「まさかミスカーテかよっ」

 駆け寄ってきた青葉が、隣へと並びつつそう吐き捨てた。彼女は相槌を打つ。町の中では大技が使えないから、青葉のような接近戦主体の者に任せる部分が多くなるだろう。

 しかしミスカーテはそこまで距離を詰めてくる方ではない。さてどうしてものだろうか。空は目撃者が増えるからできれば避けたいところだ。

「梅花、怪我はないな?」

「うん、平気。でも場所が悪いわね。後ろもまだ守らないと」

 単刀直入な問いかけに、梅花は即答した。周囲の建物の中には人々が隠れているし、通りには怪我人が残されたままだ。まずは被害を抑えることを優先せざるを得ない。相手がミスカーテであることを考えるとかなり無謀な試みだ。

「大丈夫、怪我人は運んでもらってる。あと少しだ」

 そう答えた青葉はすぐに剣を構えた。そのあと少しが大変なのだが、ぼやいていても仕方がない。

 次の攻撃に備えて、梅花は一度結界を消す。と同時に、青葉が大きく跳躍した。石畳を蹴る強い音が風の声に紛れる。

 彼女が再度精神を集中させると、ミスカーテの手が動くのが見えた。優雅な仕草は舞っているようにも見えるが、細長い指先には強い気が集まっている。また破壊系だろうか?

「部下のやり方を真似てみようか」

 いや、違った。ミスカーテが生み出したのは、拳大ほどの炎球だった。それも先ほどの黒い矢のように、無数に。

 ――まずい。この量では、弾いたとしても周囲が火の海になりかねない。梅花は結界を諦め、風の技を生み出した。だがこの量の炎球を絡め取ることができるか? リンのようにはきっとうまくはいかない。

「こういうのは数が大事なんだよね」

 一斉に放たれた光球が、四方八方へ飛び散った。まさか最初から周囲の建物が狙いだったのか? これでは相当広範囲の技でないと対応できない。

 風を操りながら、梅花も走り出した。念のためにと忍ばせていた短剣を、腰から引き抜く。これは以前に上から借りた物の一つだ。調整はされていないが、ないよりはましだと持ってきて正解だった。

 地の揺れを感じる中、炎球の軌道をどうにか風で制御する。捕らえきれないものは短剣で切り裂く。

 しかしそこからもこぼれたものは、周囲の建物や石畳に叩きつけられていた。一つ一つの威力は落ちているから壁が崩れ落ちることはないが、轟音はすさまじい。これでは聴覚もまともに働かない。

 焦げ臭い煙と、地響きに、周囲の人々の気が不安の色に染まっていくのがわかる。

 そうだ、家の中にはまだ住人が残されている。半狂乱になった者が飛び出してこないことを祈りながら、梅花は目前に迫った炎球を突き刺した。弾け飛んだ火の粉が視界を焼こうとする。

 このままでは熱気で喉もやられる。唇を引き結んだ梅花は、そこで忽然と音が止んだことに気づいた。鼓膜が破れたのかと思ったが、そうではなかった。

「オリジナル!」

 結界が生み出されたからだと気づいたのは、聞き慣れた声が響いた時だ。建物と通りを遮るような、巨大で緻密な結界。それが残る小さな炎球を霧散させていく。梅花は顔を上げた。

「レーナ!」

 ミスカーテのさらに向こう、煙る空気の中に、レーナが突として現れた。転移だろう。移動と同時に結界を張ったのか? 今まで相対した魔族にそれが不可能だったことを考えると、やはりレーナの力は相当なものらしい。

 ――つまり、上位の魔族にもそれが可能であることは考慮しなければ。屋根の上にいる五腹心も、いつ動き出しても不思議ではない。

「出てきてくれたね、よかった」

 やおらミスカーテが振り返った。その後ろ姿に安堵の色が見えた気がして、梅花は固唾を呑む。

 ミスカーテの目的はレーナだったのではないか? だから梅花が出てくるまで動かなかったのではないか? そんな憶測が生まれる。

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