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white minds  作者: 藍間真珠
第二部 ―疑念機密―
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第六章「疑惑と覚悟が交わりて」第一話

 中央制御室から人が減る時刻というのは、大概は食事時だ。

 早い朝食を終えて制御室に入ったよつきは、室内をのぞいて顔をしかめる。そこにいるのはジュリだけだった。そろそろ自分たちの当番だから、彼女がいるのは不思議ではない。

 しかし一体いつ食事をとったのだろう? 食堂から出て行く姿は見かけなかった。

「ジュリ、もう来ていたんですね」

「あ、よつきさん。おはようございます。早めにリンさんを休ませたくて。戻ってもらってたんです」

 モニター越しに空を眺める彼女の姿はいつも通りだ。発言にも違和感はない。ゆっくりと近づいたよつきは、頭を傾けつつ瞳を細めた。

 確か、自分たちの前はシン・リン組が担当していた。リンの体調を気にして早め早めに動いているということか。

「それはいいんですが、食事はちゃんととりましたか?」

 よつきはジュリの頭から足先までじっと観察した。戦闘用着衣の上に軽く上着を羽織った恰好は見慣れているが、何だか以前よりも痩せて見えるのは気のせいだろうか? 口に出すと怒られそうなので聞けないことだが。

「はい。軽く」

 それは心得ているとばかりに、ジュリは頷く。赤茶色の髪がふんわりと揺れた。このところは戦闘に備えて結わえているところばかり見かけるので、そのまま下ろしている姿というのは久しぶりだった。

 平和だった日常が少しずつ異常事態に浸食されているのを意識させられる。お茶を飲んでたわいのない話をしながらくつろぐ時間というのが、とにかく減っている。

「それならいいんですが」

 そう答えたところで、後ろの扉が開いた。気は感じなかった。振り返ると、このところよく見かけるサホがまなじりをつり上げながら急ぎ足で入室してくる。

 予想外な表情によつきが呆気にとられていると、サホはそのままずんずんジュリの方へ近づいていった。

「ジュリさん!」

 名を呼ばれたジュリは、なんとも言いがたい表情でかすかに目を逸らした。そういった顔を見るのは初めてなような気がした。まさにばつが悪いという様相だ。

「休んでくださいって言ったじゃないですか!」

「だ、大丈夫ですよ。それに私、これから待機当番ですし」

 これは何やら不穏な空気だ。よつきは困惑しながら二人の顔を見比べる。話は掴めないが、サホの言葉とジュリの表情を見ていれば、おおよそ状況は推測できた。ジュリがリンを気遣っていたように、サホはジュリの体調を案じているのだろう。

「そんなの私たちが代わりますから。ジュリさんは休んでください!」

 よく考えると、以前にも似たようなやりとりを見たことがある。ただし立場は違った。ジュリがリンにそうやって詰め寄っているのはよくあることだった。

 なるほど、そうやって互いの無理を禁じてきたのが彼女たちのやり方なのか。よつきは感心する。

 まず、サホが戦闘用着衣を身につけている時点で気づくべきだった。一見ふわふわとした服に見えるそれは、暖を取る工夫も凝らしてあるという。

「どうかしたんですか?」

 ジュリがたじたじになっているのを見かねて、よつきは仕方なく助け船を出した。もっとも、説明を促したところでジュリの劣勢が変化するわけではないが。どちらかといえば逆だろう。

「いえ、よつきさん、何でもないんです……」

「さっき目眩を起こして倒れそうになっていたんです!」

 ジュリは無理やりごまかそうとしたが、振り返ったサホは静かな口調でそう告げた。やはり体調はよくなかったらしい。

 それもそのはずだ。昨日の当番担当から外されていたとはいえ、怪我人の様子を見るためにずいぶんと歩き回っていた。治癒の技はかなり消耗するはずだ。それなのに休んでいる時間はそんなに長くはなかった。

「それはまずいですね。ジュリが倒れるのは誰も喜びませんよ」

 そうとなればよつきに反対する理由はない。サホの負担が増えるのは忍びないが、アキセに押しつけられるのは好都合だった。

 治癒の技の使い手は何人かいるが、誰もが多忙となりやすい人材でもある。その中でもジュリは唯一治療に特化した立場となっている。今後いつ戦闘があるかわからないことを考えれば、何かあった時にジュリが動けないのはよくない。

「そうですよ。メユリちゃんも心配しますよ!」

 勢いづいたサホは、さらに一歩ジュリへと詰め寄った。反論の言葉を探して視線を彷徨わせたジュリは、小さく唸る。

 本当に倒れるようなことがあれば、あの小さな妹を心配させてしまう。それはジュリも避けたいところなのだろう。

 そうでなくとも、今回の戦いでただ一人取り残されてしまい心細く感じていたはずだ。ジュリと共に帰った時は気丈そうに振る舞っていたが、不安はあったに違いない。

「それにジュリさんが倒れたら、リンさんはますます無理しますよ!」

 そこへさらなる追い打ちがかかった。鋭いサホの指摘に、ジュリはようやく諦めたようだった。重々しいため息を吐き、困ったように笑う。

「……そうですね。わかりました。では休みますので。よつきさん、滝先輩への報告お願いしてもいいですか?」

「それは、かまいませんが」

 力ないジュリの視線を受けて、よつきは曖昧に答える。今日の当番はチームは関係なく、少人数短時間交代となっていた。皆がある程度回復するまではこうするしかないという判断だ。

 おそらく敵襲はないだろうと予想はされているが、絶対に大丈夫とは誰にも言えない。

「やっぱりジュリさんにはリンさんの名前を出すのが効果的ですね」

 一方、サホは満足そうだった。頷いた彼女をちらと見て、ジュリは苦笑いする。

「サホさんには敵いませんね」

「何年一緒にいると思ってるんですか。大体、このやり方を教えてくれたのはジュリさんですよ?」

「ああ、私がそう言い出したんでしたっけ」

 二人の会話から滲み出す年月が、少しばかり眩しかった。だが積み重ねてきたものの違いはどうにもなるまい。

 もっとも、では自分とアキセの場合はどうかと考えると、年月ばかりの話でもなかろう。――お互いを知り尽くしているという意味では同じかもしれないが。

「滝先輩には私から話してきます。アキさんにも伝えないといけませんし。よつき先輩はジュリさんのことをお願いしますね。部屋に押し込んだらあとはメユリちゃんがしっかり見張ってくれますから!」

 ぽんと手を打ったサホは、返事を待たずにぱたぱたと扉へ向かった。空気を含んで揺れる銀の髪を尻目に、よつきは苦笑を飲み込む。コスミと同じ年頃だろうし、ふわふわして見えるのは同様なのに、この違いはどこから来るのだろうか。

「やっぱりしっかりしていますね」

「リンさんの一番弟子ですからね」

 その姿が扉の向こうに消えると、よつきは思わず本音を漏らした。返ってきたのはジュリの自慢げな声だった。誇らしく思っていることは間違いない。それがまた、よつきには羨ましく感じられる。

「そうならざるを得なかったのでしょうが」

 それでもついと声音が変わる。ぽつりとこぼしたジュリの横顔を、よつきはまじまじと見た。疲れの滲んだ目元に浮かんだ感情には、複雑なものが宿っている。

「それはジュリも同じでは?」

 まるで自分はそれを回避すべきだったと言わんげだ。驚いたよつきは、ついそう口を挟んだ。

 振り返ったジュリは目を丸くする。意外だとその眼差しが語っていた。けれども当時はジュリとて、まだ子どもだったはずだ。誰かを守れるほどの力はなかったに違いない。

 大人不在の世界ができあがってしまったら、一部の子どもはその代わりを果たすようになる。よくあることだ。その点では、傍に兄がいたよつきは恵まれていた。

 だがきっとジュリたちには、そのような存在がいなかったに違いない。

「壊れて欲しくなかったんです。ただ、それだけです。きっと今も」

 少しばかり何か考えてから、ジュリはそう答えた。それ以上の追及を拒む色が、そこには横たわっていた。




 ようやく雪の勢いが落ち着いた昼頃。買い出しのために基地を出たシンは、コートのボタンを留めながら空へと一瞥をくれた。まだ灰色の雲から思い出したように雪が降り落ちているが、今朝まで吹雪いていたことを考えればましだろう。

 明日は晴れるかもしれないが、食料庫の現状を考えると今日のうちに調達しておいた方が安心だった。だからもう少し待てと反対されるのを押し切り、半ば強行突破してしまった。

 いつ魔族が押し寄せてくるかわからないというのは、なかなか応える状況だ。時間が経てば経つほど、ミスカーテの傷が癒える可能性も高くなる。だからその前に食料を蓄えておく必要がある。

 とはいえ、回復していない者も多い。結局シンとリン、コブシとコスミが向かうことになったのは、そういう理由からだ。ただし、まだコブシたちの準備は終わっていない。先ほどまで当番だったので、戦闘用着衣から着替え中だった。

「ねえシン」

 すると先に外に出ていたリンが、不意にシンの腕を掴んだ。何事かと振り返れば、彼女の双眸は彼を捉えてはいなかった。もう一方の手袋に包まれた手は、真っ直ぐ左方を指している。

「宮殿の方に変な気がない?」

 彼女に指摘され、彼は慌てて気を探った。草原の向こうにそびえる宮殿の方には、複数の人間の気が集まっていた。彼は首を捻る。

 気があるのは確かだが、「変」の意味がわからなかった。気の大きさを考えると一般人のように思えるが。

「変な気?」

「集団の気があるでしょ? 宮殿の中に入っちゃったら結界のせいで区別できなくなっちゃうんだから、これはまだ外にいるってことよ。でも宮殿は出入りが厳しいから、これだけの人が集まるなんておかしいじゃない」

 彼が首を捻っていると、すかさず彼女はそう付け加えた。そう言われれば彼も違和感に気づく。

 確かに、宮殿の中は気の感知が難しい場所だ。これだけはっきり小さな気が集まっていることがわかるというのは、宮殿の外に群がっていることを意味している。だがあそこの出入りは制限がかかっていたはずだった。

「シン先輩、リン先輩お待たせしました」

 何か異常事態なのか? シンが絶句していると、基地の扉が開く気の抜けた音がする。この声はコブシだ。振り返ると、大柄なコブシがゆっくり扉から出てきたところだった。

 その後ろから分厚いコートを着込んだコスミも顔を出す。コブシが灰色一色なのと比べると、赤いコスミのコートはずいぶんと目立つ。無世界から持っきたのだろうか?

「どうかしたんですか?」

 シンたちの様子が落ち着かないことに気づいたのか、手袋をはめながらコブシは首を傾げた。その顔を見上げつつシンは気のない声を漏らす。何でもないと答えるには、この違和感は捨て置けない。

「宮殿に人が集まってるみたいなのよ。でも中には入れてもらえてないみたいで、変だなって話してたの。ちょっと様子を見に行かない?」

 シンが躊躇していると、すかさずリンはそう提案した。そして有無を言わさぬ調子で歩き出した。

 彼らだけでは宮殿には入れないはずだと思ったものの、気に掛かるのは確かで。困惑しつつも、シンはコブシたちの方を見遣る。二人がリンに逆らえるわけもなかったから、結果的にはついていくことになりそうか。

 シンたちは仕方なく、リンの後を追った。雪深い中を歩いていくのは骨が折れるから、途中からは低空を飛んでいくことになった。

 雪が止みつつあるので迷う心配はなかった。さすがに空も大地も全てが白に覆われると、距離感や方角が掴みにくくなってしまう。

 宮殿まで辿り着くのに、さしたる時間はかからなかった。中に入らなければ様子がわからないだろうが、勝手に入れるわけもない。さてどうしたものか。そんな懸念を抱いていたが、杞憂に終わった。

 人々が集まっていたのは、宮殿へと入る門の外だった。いや、集まっていた人々が悪態を吐きながら帰り始めているところだったから、何事かはもう既に終わった後だろう。

 銀の大地へと降り立ったシンたちは、その後ろ姿を見送りながら顔をしかめる。

 人数は数十人ほどだ。皆、質素なコートの上にマフラーを巻き、揃いの分厚い帽子を被っていた。まさか朝から集っていたのだろうか? あの雪の中で?

「あ、ラウジングさん」

 そこでリンが声を上げた。その名にまさかと思いながらも、シンはやおら振り返る。

 本当だ。気を隠したラウジングは、フードを目深に被ったまま大門の前でため息を吐いていた。まだ戦いの傷は癒えていないだろうに、こんなところに出てきているとは。

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