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white minds  作者: 藍間真珠
第二部 ―疑念機密―
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第二章 「茫漠たるよすが」 第十話

「梅花はオレたち個人の情報についてどのくらい知ってるんだ? その、家族のこととか」

 辺りの様子を気にしつつシンが口にしたのは、想定外のものだった。つい梅花も周りを気にしてしまう。厨房の方にいる滝とレンカの気は先ほどから一歩も動いていない。奥のテーブルにいる青葉は、また考え事をしている様子だった。たぶんこちらの話は耳に入っていないだろう。

「ああ、答えにくい質問だったな。悪い。いや、今聞くことでもなかったな」

「いえ、そんなことは別にいいんです。――結構知ってますって言ったら、気分を害されるかと思って」

 はっとしたように頬を掻いたシンに、梅花はぶんぶんと首を横に振ってみせた。神技隊選抜の際に彼女が得た情報は、実はかなりのものだ。それぞれの事情に踏み込みたくはないから、あえて話していなかっただけだ。

「最終候補者に残った技使いについては、かなり詳細にこちらにも知らされています。もちろん、最終的にどこまで教えるのかは、各長に任されていることなんですが」

 梅花は曖昧な表現を選んだ。もっとも、長は上に言われれば大抵は恐ろしいほど詳しく彼らについて教えてくれたものだった。その度に梅花は複雑な心境になった。安寧のために上に差し出される、まるで生け贄のようだ。

「そうか、じゃあオレの妹についても知ってるんだよな?」

 シンはもう一度周囲へと視線を走らせた。妹といった近親者についての情報は、まず真っ先に知らされるものの一つだ。梅花はおずおずと頷く。

「はい。その後お変わりがなければ、ウィンにいますよね?」

 梅花は記憶を掘り返した。シンの妹の居住地変更の申請が出されたのは、確か神技隊選抜が最終決定する前後のことだった。彼に戻る場所がなくなったと知って、梅花は内心複雑に思ったものだ。

「……ってことは、当然、どこに住んでるかも知ってるんだよな」

 そこでシンは深々と息を吐いた。彼の気にじわりと自嘲の色が滲んだ。一体何を言わんとしているのかわからず梅花は一瞬ぽかんとし――ついで驚嘆する。まさか、シンは知らなかったというのか?

「え、シン先輩。もしかして知らなかったんですか?」

「ああ、知らなかった。昨日行って驚いた。……たぶんリンは、まだ気づいてないぞ」

 苦笑しながら首肯したシンを、梅花はただただ凝視した。シンの妹である京華が居住地変更先として申請してきたのは、リンの実家にあたる。それはつまり、リンの兄であるリュンクとパートナーとなったことを意味していた。

「私、てっきり、知ってたからそんなに仲がよいのかと」

 梅花は頭を傾けた。むしろ、その事実を知らずにどうしてそんなに意気投合しているのかという方が不思議だった。ここでどんな反応をすべきなのか判然とせず、梅花はただ瞳を瞬かせる。

 確かに、スピリットの選抜が決定されるその前後は、ウィンはばたばたとしていた。危うく大火事になるところをリンが消し止めたというあの事件は、選抜直後のことだったはずだ。その後倒れたと聞いて心配していたが、リンの精神はじきに回復したらしかった。その間リンの家で何が起こっていたのか、梅花には知るよしがなかったが。思っていた以上に大事になっていたのかもしれない。

「すごい偶然、で片付けていいんだか悪いんだか」

 シンは頭の右側を押さえながら左の口角だけをつり上げる。なるほど、それを昨日知ったのだとしたら、さぞ衝撃を受けたことだろう。シンが根本的なところで何に躊躇しているのか、梅花にはぼんやりとしか掴めないが、それでも動揺するのは理解できる。

「偶然、とも言えないかもしれませんけどね」

「……え?」

「だってそのお二人には、強い技使いの兄弟同士という共通点がありますから」

 だから梅花が伝えられるのは事実だけだ。肩をすくめた彼女は、ちらと積雲の顔を脳裏に描く。

「強い技使いが身近にいるというのも、なかなか大変みたいですよ」

 その典型が積雲だろう。梅花の胸に苦々しさが広がった。積雲は技使い一家とでも言いたくなる家系に生まれていた。血筋は関係ないはずだからそのような呼び名はおかしいのだが、しかし実際積雲の両親も祖父母も技使いだった。その中で積雲はただ一人、技使いではない人間だった。弟の乱雲が技使いだと発覚した時、積雲は本当にただ一人になった。

「……ああ、そうか」

 シンは何かを飲み込んだように、ゆっくり相槌を打つ。シンの両親は技使いではなかったはずだが、妹である京華は技使いに囲まれて育ったはずだ。ヤマト三人組などと呼ばれる実力者集団に囲まれ、しかも幼いながらも才能を十分に認められた陸が幼馴染みであった。何か思うところがあってもおかしくはないだろう。

 一方、リュンクには、一人で異名を得てしまうような強者の妹がいた。数多くの技使いに慕われる、圧倒的な存在感を示すリンが。――二人が密かに抱えていたものが似ていたとしても不思議はない。

「なんか、すごく腑に落ちた。そしたら落ち着いた」

「そうですか?」

 ふわりと顔をほころばせるシンに、梅花は怪訝に思いながらもそう返す。彼は一体何を案じていたのだろう。そういったことが彼女にはよくわからない。家族の繋がりがどういうものなのか、家族と離れることがどういうものなのか、想像するしかできない。それが今日ばかりは少しだけ歯がゆかった。

「ああ。本当に助かった」

「いいえ、私は何も」

 何故感謝されるのかも梅花には判然としない。自分はただ個人情報を喋っただけのようなものだ。知っていながらずっと胸にしまっておいたものの一端を吐き出しただけ。そうできたことに、むしろこちらが礼を言うべきなのかもしれない。

「しかし……オレがこれだけ梅花と喋ってるのに、あいつ何も反応しないな。やっぱり応えてるんだな」

 そこでシンはちらと視線を右手にやった。その先にいるのは青葉だ。確かに、先ほどから青葉はコーヒーカップを見下ろしたまま物憂げな表情を浮かべている。心ここにあらずといった様子だ。彼のそんな状態を見るのは、梅花も初めてのことだった。

「昨日からですね」

「家に戻ったんだろう? それ聞いてびっくりした。ずっと避けてたからな」

 シンがしみじみとそう口にした、その時だった。彼の背後の扉が、突然開いた。がたりと大きな音がして、扉に押しのけられたシンが思い切り体勢を崩す。それでも転ばずにすんだのは彼の反射神経のなせるわざに違いない。

「あ、いた! 梅花ちゃん!」

 扉の向こうから顔を見せたのはミケルダだ。こんなところで見かけるはずのない人物の登場に、梅花は瞠目する。

「ミケルダさん……何かあったんですか?」

 急な用件だろうか? ミケルダが来たことに気づかなかったのは、彼が気を隠しているからだ。これも珍しいことだった。彼は理由なくそんなことはしない。

「あーちょっとね。いや、大したことじゃあないんだけど。オレもレーナちゃんたちにきちんと挨拶しておこうかなと思って」

「あいつならここにはいないだろ」

 すると笑顔でわけを告げるミケルダの後ろから、呆れた目をしたシリウスが顔を出した。梅花はさらに喫驚する。シリウスもいつもとは違い気を隠していた。これは何かあるのだろう。少なくとも、今彼らがここにいるのを誰かに気取られたくないに違いない。

「えっ。シーさんが女性をあいつ呼ばわり……。うわぁ、噂って本当だったんだ」

 と、後ろを振り返ったミケルダが手を上げながらのけぞった。その大袈裟な仕草にシリウスは片眉を跳ね上げる。梅花はますます困惑し、シンと目と目を見交わせた。

「何の噂だ?」

「レーナちゃんが、シーさんのお気に入りだって噂」

 ミケルダが瞳を輝かせれば、シリウスは思い切り不服そうなため息を漏らした。二人が会話しているところを見るのは初めてだったが、想像していたよりも気安い調子だ。それはミケルダの性格故のものだろうか? どう反応してよいのか判断に窮し、梅花は黙す。シンも何か歯に物が挟まったような複雑そうな表情を浮かべていた。

「シーさんは聞いてない?」

「心外だな」

 シリウスは一言そう吐き捨てた。すると腕組みをした彼の後ろで、ぴょこぴょこと誰かが飛び跳ねているのが見えた。あの頭はカルマラだろうか。その後ろにもさらに誰かいるようだった。どうやら上の者が気を隠して大所帯でやってきたらしい。カルマラが口を挟まないのは珍しいことだったが、シリウスがいるからだろうか?

「えー。シーさん、自覚してないとしたら相当まずいですよ。シーさんがべらべら喋る相手って希有ですからね? 旧友くらいでしょう? しかも遠慮なく悪態吐いてるとか、信頼感半端ないし」

 扉を片手で押さえながら、ミケルダはぶんぶんともう一方の手を振る。いつになく派手な動きだ。一方、不機嫌そうに黙り込んだシリウスの後ろでは、今度はカルマラが大袈裟な身振り手振りで何かを訴えようとしていた。しかし梅花には全くわからない。仕方なく彼女は咳払いをし、ミケルダの服の裾を引っ張った。

「ミケルダさん、今はその話はいいですから。何か用があるんじゃないですか?」

 このままでは話が進まない。状況も把握できない。ただ挨拶のためだけにこれだけ上の者が集まるわけもなかった。彼らには目的があるに違いない。するとミケルダははっとしたように梅花の方へと向き直る。

「あ、いや、本当に大したことじゃないんだ。うん、レーナちゃんに会いたいだけ。シーさんのお気に入りっていうから、気になって」

「……話題が戻ってますが」

 満面の笑みを浮かべるミケルダを見上げ、梅花は半眼になった。これはどうやら話したくないことでもあるらしい。ミケルダが女性好きを前面に押し出すのは、大体何かを隠している時だ。

「ミケルダ、それは後でもいいだろ。神技隊に技のコツを教える方が先だ」

 どうしたものかと梅花が頭を抱えたくなった時、シリウスはうろんげな眼差しでそう告げた。なるほど、シリウスは滝のお願いをもう叶えてくれるつもりなのか。ずいぶんと行動が早い。

「いや、挨拶! そっちが先でもいいでしょ? そうやってシーさんはすぐ逃げようとするんだから、ずるいなぁ」

「ミケルダ、今日はいつも以上にしつこいな」

 シリウスの呆れ混じりの嘆息が、周囲の空気を揺らした。このままでは埒が明かない。目的がどうであれ、レーナのところへ案内しなければ気が済まないのは確かなようだ。梅花はもう一度ミケルダの服を掴んだ。

「わかりました、案内すればいいんでしょう? 今は一階の奥にいます。でも、それ以上の我が儘は止めてくださいね」

 考えるべきことは山ほどあり、胸中はずっと薄曇りのままだ。余計なことで疲労するのは得策ではない。ここでこれ以上騒ぎを起こされるのは避けたかった。梅花はちらとシンへ一瞥をくれる。

「ではシン先輩、私はミケルダさんたちと一緒に行きますので、青葉の方をお願いします」

 梅花がそう頼み込むと、シンは目を丸くした。こう言っておけば彼はついてくるとは言わないだろうという、予測のもとのお願いだった。だから本当に青葉を何とかして欲しいと思っているわけではない。

 案の定、シンはぽかんとした様子のまま「ああ」とだけ簡素に答えた。その返答を聞くや否や、梅花はミケルダの背を押す。

「それじゃあ行きましょう」

「梅花ちゃんも?」

「当然です。あんまりここで騒がれたら、仲間たちに迷惑が掛かりますから」

 断言する梅花に、肩越しに振り返ったミケルダは困惑顔を向けてきた。「オレに対する物言いだけきつくない?」とぼやいているのは、あえて無視する。それこそ付き合いの長さ故のものだ。ミケルダとカルマラが揃うだけでも賑やかすぎて困るというのに、今日は二人を刺激するシリウスまで揃っている。

 ミケルダを廊下に押し出したところで、もう一人の人物の姿が目に入った。ミケルダと同じ狐色の髪を長く伸ばした、長身の女性だ。灰色を基調に赤い縁取りが印象的な衣服を身に纏っている。その複雑そうな眼差しに、ぴんとくるものがあった。おそらく彼女はミケルダの妹だ。

「お兄様は下でも変わらないのね……」

 うんざりといった声音で女性は呟く。梅花は記憶の中からその名を引き出した。以前にミケルダが何度か口にしていたことがある。確かカシュリーダだ。

「うん、ミケはどこにいたって変わらないわよー。ねーシリウス様?」

「いいからお前たちも歩け。その廊下の奥だ」

 何故か胸を張り得意げに笑うカルマラへと、シリウスは大儀そうな視線を向けた。彼らの関係が朧気に掴めてくる。梅花はもう一度胸中で嘆息した。

 入口側とは逆方向に廊下を進めば、その突き当たりにも扉が見えてくる。そこは未完成の部分らしく、レーナは今も作業を続けているようだった。もっとも作業といっても、梅花には何をやっているのかよく理解できない。ただじっと周りを眺めては何か技を使っているようにしか見えなかった。

「いましたよ」

 扉が開けば、その先にはレーナがいる。彼女は気を隠していないのでそこにいることはミケルダたちもわかっているだろうが、無言のままではいられなかったのでそう口にしてみた。広々とした白い空間に、複数の靴音が響く。

「ああ、オリジナル」

 悠然とこちらを振り返ったレーナは、特に驚いた様子もなく破顔した。以前見ていたよりも穏やかで落ち着いた笑顔だと思うのは、梅花の錯覚だろうか。アースたちの気も感じられるが姿は見えなかったので、どこか裏側で作業でもしているのかもしれない。

「レーナ、あなたに会いたいというから連れてきたわ」

「ん? 神か。これまたずいぶんと賑やかな人数で来たものだな」

 手をひらひらと振りながら笑うレーナへと、梅花はゆっくり近づいていった。相変わらずレーナは余裕の態度だ。梅花は仕方なく、背後に立つ神々へと一瞥をくれる。

 四人は思い思いの顔をしていた。シリウスは先ほどと同じく面倒そうに腕組みをしていたが、ミケルダは興味深げにじっとこちらを見つめている。カルマラは何やらシリウスに話しかけたそうにしていたし、カシュリーダは困ったような怒っているような微妙な顔でこちらをちらちらうかがっていた。全員気を隠しているので、実際どのように感じているのかは定かではない。

「こうやって見ると、本当に梅花ちゃんにそっくり。しかもすっごい笑ってる」

 と、ミケルダはしみじみと口にした。そう言われると梅花は何とはなしにむずがゆさを覚える。以前から「笑った方がいい」だのとミケルダは盛んに口にしていた。その実例が目の前にいるようなものだ。

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