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white minds  作者: 藍間真珠
第二部 ―疑念機密―
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第二章 「茫漠たるよすが」 第九話

「シリウスさん」

 踵を返したシリウスに向かって、慌てて滝は呼びかけた。ざわめきが遠ざかりつつある室内に響いた声は、妙に上ずっている。そのことについ失笑しそうになった。まだ動揺が残っているらしい。だがあんな話の後では詮のないことか。

「……どうした?」

 振り返ったシリウスは首を捻った。無愛想なように見えても声をかけたら確実に反応してくれる彼は、やはり本来はお人好しなのだと思う。それとも人間にだけ特別親切なのだろうか? シリウスの性格はまだ読めない。

「ちょっと、聞きたいことがあるんだ」

 そう口にしながら、滝は周りへと注意を向けた。とぼとぼと重い足取りで中央会議室を出ようとする仲間たちは、皆疲れ切っていたし、気落ちしていた。それも先ほどの話を思えば当然のことだろう。あれを聞いて意気消沈しない者は普通ではない。

「私でいいのか?」

 シリウスは瞳をすがめつつ、端にいるレーナへと一瞥をくれた。彼女は今カイキたちに詰め寄られ、あれこれと弁明を繰り返しているところだった。滝は「ああ」と苦笑しながら耳の後ろを掻く。

「シリウスさんがいいんだ」

 アルティードとケイルが立ち去った後、帰る振りをしていたシリウスによる第二弾の尋問が始まった。二人が去るのを待っていたのは、おそらく余計な横入りを避けるためだったのだろう。そう気づいたのは、質問が始まってからだ。それは既に情報の海におぼれかけていた神技隊らを、さらに海底へ突き落とすようなものであった。ずっとシリウスは口を出したいのを堪えていたのだろうと思うような、怒濤の詰問だ。

「それはまた、不思議な話だな」

 シリウスは眉根を寄せる。何故自分が名指しされたのかわからぬという様子だ。確かに、数度しか顔を合わせていない者に本来は頼むことではないだろう。滝もそれはわかっている。だがシリウスしか頼る当てがないのも事実だった。

「それは……実を言うと、レーナに聞いてみろって言われたんだ」

「あいつ」

 レーナの名を出せば、シリウスは不愉快だという感情をあからさまに表出した。けれどもその気に滲む負の感情はわずかだ。先ほどのやりとりを見る限りでも、彼は彼女との軽口の叩き合いを楽しんでいる節があった。安心して負の言葉をぶつけることができる相手として認識しているとでもいうのか。

「今度は押しつけ返す気か」

 今にも舌打ちしそうな表情で腕組みしたシリウスは、もう一度レーナの方を見遣った。現状説明を彼女に押しつけた自覚は、やはりあるらしい。確かに、本来ならば上がしなければならない話だったのだろう。だが彼女はそれを自らに任されたのをいいことに、都合のよい部分だけで終わらせようとした。だからシリウスはアルティードたちがいなくなったのを見計らい、問い詰めたに違いなかった。それもある意味では二人の攻防だ。

「お互い様ってことだと思いますが」

 そこで白い紙を抱えた梅花が左手でぼやいた。淡々とした物言いはどちらを責めるでも呆れるでもなさそうで。纏う気はどちらかといえば、それを好ましく思っているかのようだった。これもまた奇妙なことだと滝は訝しく思う。

「なるほどな」

 シリウスはかすかに不思議そうな眼差しを梅花へ向けてから、ふっと微苦笑を浮かべた。青い瞳を細める横顔は、どこか暖かい。レーナに対する反応とは真逆だ。

「だが当然だ。こういう面倒事は、それが可能な奴にすぐ任されるからな。他にいるなら押しつける。楽できる時に楽しておかなければ、いつまでも心労は減らない」

「……笑顔で恐ろしいことを言わないでください」

 シリウスが神妙に告げた内容は、滝の胸にもさくりと刺さった。身に覚えがある。誰かに任せるのを怠ってついつい引き受けてしまう滝には痛い言葉だ。しかし今のでシリウスの態度も腑に落ちた。彼にとってのレーナは、珍しくも自分の荷を押しつけることができる数少ない相手という認識らしい。

 レーナがちらとこちらへ視線を寄越すのが視界の端に映る。「全て聞こえているからな」とでも言わんばかりだったが、口を挟む気はないようだ。もっとも、それどころではないのかもしれない。自分たちの出生や能力について「よくわかっていない」ことを宣言されたカイキたちが詰め寄っているため、レーナはしばらくあの輪から抜け出せそうになかった。

 先ほどシリウスが追及したのは、主にレーナたちについてだった。確かに、歴史については把握できたが、しかし「前のレーナ」の話もアースたちがどうやら記憶を失っているらしいということも、何もわからなかった。彼女たちにはまだ謎が多い。ただ人工的な技使いというだけでは説明ができない。

 それなのに彼女の口から飛び出してきたのは「よくわかっていない」という返事だった。魔族の科学者のもとを離れた理由は「話せない」だったが、今度は「わからない」だ。本来備わっているはずのない能力であり、どういう理屈になっているのかは不明。それはあの謎の「青の男」についても同様だという。にわかには信じがたい話だ。

「まあそれはいい。で、聞きたいことだろう?」

 そこでシリウスが話題を戻す。はっとした滝は頷いた。ついつい余計なことが頭をよぎってしまう。がやがやと去って行く仲間たちの動きを感じながら、滝は言葉を選んだ。

「魔族たちとの戦いのコツってものがあれば教えて欲しい」

 そう告げれば、シリウスは一瞬だけ瞠目した。それが何故なのか、滝にはおおよそ理解できた。滝の言葉はすなわち、魔族と戦う意志を示すことに他ならない。

「あいつが押しつけてきたのはそれか」

 どこか納得したようなしていないような微妙な表情で、シリウスは相槌を打った。

「本来なら、あいつに聞くべきだと思うがな。おそらく技使いが魔族とどう相対していたのかは、あいつの方が詳しい」

 シリウスの声には苦笑が滲んでいた。それはつまり、シリウスよりもレーナの方が人間たちとより近しい場所にいたということなのか? 宇宙で彼らが何をしてきたのか、滝は知らない。しかし先ほどの話でわかることもあった。

 滝たちは偶然地球で生まれたから、魔族と関わりのない生活を送ってきた。一方、別の星生まれた者たちは、魔族の影に怯えながら、時に抵抗しつつ生活していたのだろう。ならば宇宙にいる技使いは、きっと魔族と戦うための術を編み出しているに違いない。

「それは……オレたちがレーナのことを信用しきってないと、思われたからだろう」

 本当ならレーナに頼るべきなのかもしれない。そう思いながらも、滝は言葉を濁した。信用しきっていないと勘違いされたのではなく、実際今も半信半疑だった。――彼女たちの出生について聞いた今でも、やはり信じがたい気持ちは拭い去れない。

 レーナは自分の都合で神技隊を守っているのだと告げたが、彼女がそれだけ重視しているユズという神のことも滝たちは知らなかった。まだ何か隠しているのではという気持ちが湧き上がるのを止められない。

「なるほど、複雑だな。では聞くが。お前は私のことを信用しているのか?」

 そう問われ、ざわめきが遠ざかる思いになった。はたと気づいた滝は息を呑む。信用しているか否かと言われたら、きっと信用しているのだろう。それは一体どういうことなのか。

「私に聞くというのは、そういうことだろう?」

 シリウスの問いを否定できなかった。助けてくれたから? それだけで信用に足ると思っているのか? 滝は自らに問いかける。疑う心と信じる心の間の線は、一体どこに引かれているのだろう。

「神なら誰でも信用できるというわけではないのだろう?」

 沈黙を肯定と受け取ったのか、そもそもそれが前提の疑問だったのか、シリウスは言葉を続ける。上の者だから信じているのか? そうではないと、滝は断言できた。上に少なからず不審を抱いていたのは昔からだ。手放しで信じていたわけではない。もっとも、逆らえるとも思ってはいなかったが。

「お前たちが私を信頼した根拠、本当のところは、あいつの態度ではないのか?」

 そう畳みかけられ、滝は閉口した。あいつというのはレーナのことを指しているのだろう。彼女とシリウスのやりとりを見て、判断していると? 滝の胸に浮かぶのは困惑の感情ばかりで、どう返答したらよいのかわからなかった。それは、レーナを信用していることにならないのか?

「意地の悪い質問をしたな。だが忘れないで欲しい。周囲の判断に惑わされない者などいない。少なからず影響があるものだ。しかし、最終的に選び取るのは自分だ。誰かのせいにしても意味はない。最終的に、その責任は自分に降りかかってくる。だからよく考えろ」

 ふっとシリウスは口元を緩めた。纏う気にも優しい色が含まれていた。滝は感嘆の吐息を漏らし、肩をすくめる。

 この会話もレーナの耳まで届いているのだろうか。その可能性を考えながらも、シリウスはこんな話をしているのか。つくづく彼も不思議な存在だと思う。端からどう見えるのか、どう思われるのかについて不安を抱くことはないのだろうか。その点がレーナと同じなのだと、滝は気がついた。 

「話を戻そう。それで、コツだったな。無論、私が知る範囲でよければ教えよう。ただ一度アルティードたちと話をしておかないと文句を言われるからな。ひとまず、あの基地とやらに戻っていてくれ」

 瞳を細めて付言するシリウスに、滝は頷いた。こうして躊躇いなく情報をくれるシリウスは、やはりお人好しだと思う。人間にだけ優しいのかは定かではないが、ラウジングたちの評価を考えても、やはりそうなのだろう。――そう、これが周囲の判断の影響力だ。確かに、周りの反応を無視して考えるのは難しい。

 あれだけの話を聞いた後にどう振る舞うべきなのか。何を拠り所とすべきなのか。選択に伴う重さを噛みしめながら、滝はいつしか握っていた拳へと一瞥をくれた。




 あらゆる情報が一気に押し寄せると、人は時に落ち着き払うこともあるらしい。それとも、それは単に思考が停止しただけなのだろうか。

 お盆へとコーヒーカップを並べた梅花は軽く息を吐いた。基地へ帰されたのはいいが、取り急ぎ何かやるべきことがあるわけでもない。途方に暮れた彼女が向かった先は食堂だった。手持ちぶさたなのが一番苦手だ。そういう時はどうしても思考が悪い方悪い方へと傾いていってしまう。

「いい香り」

 カウンターからお盆を持ち上げると、かちゃりとカップとソーサーの触れ合う音がする。レンカがたった今淹れてくれたばかりの珈琲は、不思議なほどよく香った。昨日ヤマトの町で買った、さして高くもない珈琲のはずだが、淹れ方を何か工夫しているのだろうか? 一度聞いてみたいとも思う。

「でもあれじゃあ、ちゃんと味わってくれそうにないけど」

 そのままテーブルの方へと視線を向ければ、奥側で青葉が沈鬱な面持ちをしているのが目に入った。昨日からずっと表情が硬いのは、積雲と会ったせいだろう。そこに加えて今日の話だ。晴れやかな心境でいられるはずもなかった。

 盆を持ったままゆっくりと進めば、かつんと小気味よい靴音が鳴る。床は廊下のものとほぼ同じだが、広さのせいか音はこちらの方が響きやすいようだ。廊下側には窓があるため、実際よりもさらに広く感じられる。

 壁は生成り色で統一されているが、外が見えるような窓はなかった。これはおそらく防御に関することが理由だろう。窓があるのは二階以上で、それも小さなものだけだった。ここは本当に魔族の攻撃に備えた作りをしている。

「梅花?」

 静かに近づいていけば、青葉ははっとしたように顔を上げた。どこか取り繕うような眼差しには気づかない振りをして、梅花は小首を傾げる。

「青葉も珈琲飲む? レンカ先輩が淹れてくれたの」

 梅花が盆をおもむろにテーブルの上に乗せると、青葉は小さく頷いた。虚を突かれた顔をしているのは、珈琲がよほど意外だったのだろうか。確かにこのタイミングでというのは予想外だったかもしれない。おそらくは滝のために淹れられたものだ。

「この食堂、こんなものまであるのか」

 青葉がしげしげと見つめたのはコーヒーカップの方だった。薄水色にうっすらと白い花を散らした繊細な柄のカップは、あまり神魔世界では見かけないものだ。

「それはローライン先輩が持ち込んだものだそうよ。その他にも、昨日買ってきた食器がたくさんあるわ」

 食器はどこかで買い揃えなければならないものだったが、何故か率先してローラインが動き出していた。そのおかげで、既にそれなりの数になっている。もちろん、今後も暇を見つけてこうした日用品や備品を確保していく必要があるだろう。……本当に、神技隊全員がここに残るのならば。

「そうなのか」

「ええ、これでしばらくしのげるといいんだけど。あ、砂糖壺を忘れたわ」

 そこで梅花は振り返った。先ほど笑顔でレンカが用意してくれていたというのに、すっかりそのまま置き去りにしていた。青葉には不要だろうが、他にも誰か食堂に来る人がいるかもしれない。

 気持ちが沈むような時、一人になりたがる者もいれば、誰かがいる場所にいたがる者もいる。後者であればこの食堂か、廊下の途中にある広間に集まってくるだろう。準備しておくに越したことはない。

「梅花」

 不意に呼び止められ、梅花は肩越しに振り向いた。軽く結わえた髪が肩口を滑り落ち、同時にスカートが揺れる。立ち上がりかけた青葉は、しかしすんでのところで何かを飲み込んだようだった。すぐに「いや、何でもない」と首を横に振る。彼は時折そうやって何かを躊躇する。

「そう」

 梅花は頷いた。本当ならここでさりげなく聞き出した方がよいのかもしれないが、そうするだけの度胸も覚悟も彼女にはなかった。誰かから無理やり何かを引き出すのは苦手だ。そうやって得たものにうまく対処できる自信がない。事実確認とは違う、何らかの心情に踏み込むような一歩を、自分が適切になし得る気がしなかった。あちらから切り出されたのでなければ、不用意に口を出してもよい結果は得られないだろう。――半分ほどは、自分への言い訳かもしれないが。

 背を向けてゆっくり一歩を踏み出せば、また硬い靴音がした。同時に、食堂の扉が静かに開くのが見えた。顔を出したのはシンだ。

「シン先輩?」

 彼の横顔が重く沈んでいるのは傍目にも明らかだった。隠そうとして隠しきれていない複雑な気の色も、それを証明している。梅花は歩調を速めた。

「ん? ああ、梅花か」

「……大丈夫ですか?」

 思わずそう尋ねてしまってから梅花は後悔する。一体どんな返答を期待しての問いかけだったのか。誰かが落ち込んでいる時、悲しんでいる時、沈んでいる時に、それを慰めることなど、自分にはできないというのに。今し方、それを実感したばかりだというのに。

「あ、ああ」

 足を止めた梅花へと、シンはじっと神妙な視線を向けてくる。この眼差し、表情には見覚えがない。彼はいつも優しい目をしているか、苦笑を押し殺すような顔をしていることが多かった。いつにない態度に困惑していると、彼は何かを諦めたように息を吐き出す。

「そうだな、梅花ならちょうどいいかもな」

「……え?」

 思い詰めた様子で口を開いたシンを、梅花はまじまじと見上げた。一体何がちょうどいいのか。思わぬ発言に彼女は瞬きを繰り返す。

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