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white minds  作者: 藍間真珠
第二部 ―疑念機密―
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第二章 「茫漠たるよすが」 第八話

「しかし転生神キキョウは何かを恐れるよう、多くを語らなかった。ただ失われてしまった機会を取り戻すべく、妹のユズを使って行動を開始した」

 ぴしりと、まるで空気に罅でも入るかのような音が聞こえた。いや、そう錯覚した。ケイルとシリウスの纏う気が変化したのが感じ取れる。これはおそらく、二人の知るところではなかったのだろう。だがアルティードは落ち着いた様子で押し黙っている。その差が妙に滝の心に引っ掛かった。頭の奥で奇妙な感覚が渦巻いている。

「ユズは転生神キキョウの意志を酌み、未来を変えるべく動いている。転生神キキョウが口にした数少ない情報の一つが、第二次地球大戦の直前に何らかの分岐点があることを指し示していた。ユズは、それを探っていた」

 周囲の変化などものともせずに、レーナは告げた。――第二次地球大戦の直前。それが現状を端的に表現したものであることを意識すると、肌が粟立つ。現在滝たちが立たされているのはそういう岐路だ。今まさに大戦が勃発しようとしている、そんな時代に立っている。

「ユズのいた世界では、この時期に地球の人間たちは死滅している。転生神キキョウが生まれたのはそのさらに後の話だ。彼女は遅かったのだという。この時期にいる技使いたちが、どうも最悪の事態を避けるための鍵となっていたらしい。ユズはそこまで突き止めた」

 レーナはそこで一瞬だけアルティードたちの方を見遣った。アルティードが瞳をすがめるのが、滝にも見えた。その冷静な瑠璃色の双眸が一体何を映しているのか、読み取ることは敵わない。

「……この時期にいる技使いたち」

 隣に立つレンカが独りごちた。人ごとのような響きを伴っていたが、よく考えれば、それが指し示しているのは自分たちのことだろう。しかし全く実感が湧かなかった。この非力な自分たちが、一体どのような役割を果たすというのか? 今の彼らに、事態を打破するような力はない。

「ユズは今ここにはいない。しかしわれはユズの意志を継ぐつもりで動いている。だからわれは神技隊を、いや、できる限りの技使い、人間たちを守りたいと思っている」

 それなのにレーナはそう断言した。迷いは一切感じられなかった。彼女が自分たちを守ろうとする理由は、これでようやくわかった。彼女にとってユズという者の存在はそれだけ大きいのだろうか。滝たちには推し量れない。

「以上でひとまずの説明は終了って感じだが。何か今のうちに確認しておきたいことはないか? こちらからはあるんだが」

 そこで一息吐いたレーナは、またアルティードたちの方へと向き直った。シリウスは怪訝そうに眉根を寄せたが、彼が口を開くより先にアルティードが一歩進み出てきた。優雅な白い上着が衣擦れの音を立てる。

「まずはそちらの用件を聞こうか」

 アルティードの穏やかな声が空気を揺らした。息苦しささえ覚えるような緊迫感の中でも、彼の存在はひときわ目立つ。それが気によるものなのかどうかは判断しかねたが、この動じることのない姿勢も影響しているのだろう。するとレーナは泰然と首を縦に振った。

「そちらの戦力について念のため確認したい。五腹心に対抗できる者はほとんどいない、という状況を念頭に準備していたのだが。異論はないか?」

 放たれた問いは無慈悲なほど鋭く、重かった。アルティードは表情を変えなかったが、ケイルはあからさまに顔を強ばらせた。シリウスはどこか不機嫌そうな眼差しのまま口を閉ざしている。

 この問いかけを肯定すれば、敗北を宣言しているようなものだ。少なくとも滝にはそうとしか思えなかった。だが正直なところ、あのミスカーテよりもさらに上位の魔族に対抗できる者が、この星に多くいるとも考えにくい。ならば、はなから結果は見えているのか。

「そう考えてもらっていい」

 アルティードは即答した。その潔い姿勢を前にすると、それでいいのかと聞き返す気も起こらなくなる。滝は思わず周囲の反応をうかがった。絶望、呆然、喫驚が、辺りに立ち込めている。

「逆に問おう。今の状況は、君が想定していたものの中で最悪の部類に入るのか?」

 と、アルティードはさらに言葉を続けた。それはできるなら直面したくはない現実を炙り出すような問いだ。まるで静かな駆け引きが繰り広げられているかのようだった。互いの覚悟を絞り出すような、捨て身の攻防だ。

「いや、最悪ではないな。正直なところを言えば、かなり上々といったところだ。直属級魔族二人に侵入された先の戦い、あれが一つの関門だった。あの戦いを誰一人失わずに乗り越えられたのは、ある種の奇跡と言っても過言ではない。五腹心の誰かが蘇るのも時間の問題だったが、その最初の一人がイーストであったことも不幸中の幸いだ。イーストの考えならある程度は読める。現状は、われが想定した中では相当ましな方に入る」

 そんな中、笑顔でそう告げるレーナの言葉がすとんと滝の胸に落ちた。それは今日耳にした陰鬱で薄暗い事実をそのまま柔らかく包み込むような、凜とした断言だった。

 ああ、と滝は胸中で感嘆の息を漏らす。彼女はずっとこのどうにもならない現実を胸に抱いたまま、最悪の事態のことを思いながらも、神技隊の前に笑顔で現れていたのか。彼女の思い描く最善の道を目指し、ここまで足掻いてきたのか。絶望しているのは今まで何も知らなかった滝たちだけなのだ。彼女は決して何も諦めていない。

「なるほど。さらに悪い状況も想定しながら、君は今まで準備を行ってきたわけだな?」

 相槌を打つアルティードの声音がどこか優しく感じられる。それだけレーナの一言は心強かったのか。覚悟の重さで言えば、彼女の方が上だったらしい。

「ああ、技使いたちがこの場から逃げ出すことまで想像していた。いくら逃げ場がないからといって、立ち向かうことまで強制はできないからな」

 片手をひらりと振ったレーナは、ついで滝たちへと一瞥をくれた。今までと変わりない笑顔だっただけに、その指摘には肝が冷えた。

 逃げ場がないのは間違いない。この星にいる以上は、どうしようもない。しかし『鍵』を狙う魔族に積極的に相対しなければならない理由はなかった。今の話を聞いても、人間たちにその義務はない。

 本当は選べるのだと、彼女はそう言いたいのか。昨日シリウスが「よく考えるといい」と言い残したのをふいと思い出す。そして、技という力を偶然得てしまった自分たちに、残された道のことを思う。

 宮殿に保証された住処はない。この星から逃げ出す手立てもない。だが宮殿の下で、彼らに振り回されながら生きねばならないわけではない。何を諦めて何を選び取るのか、自分たちで決めることはできる。

 滝はつと瞳を閉じた。こんな時に何故だか目蓋の裏に蘇るのは、懐かしい故郷の姿だった。




 カツカツと慌ただしく鳴り響く靴音に、ミケルダはやにわに振り返った。近づいてくる気の正体は既にわかっていたが、この音はただ暇だから気まぐれに声を掛けてくる時のものではない。焦っている時の癖だ。

「カール?」

 目を凝らせば、回廊の向こうから駆けてくるカルマラの姿が視界に入った。短い髪を振り乱しながら、他の神の間を縫うようにして近づいてくる。

「ねえねえ!」

 腕に飛びついてきたカルマラは、がばりと顔を上げた。その形相から最悪の何かが起こっているわけではないことを読み取り、ミケルダはひっそりと胸を撫で下ろす。こんなところで彼女が飛びついてくることはあまりないので、何かあったのかと気構えるところだった。

「何だよカール、急に」

「急にも何もないわよ。ねえ、アルティード様やケイル様には会った?」

 周囲を気にせず、カルマラはその名を口にした。彼女に限っては珍しいことではないが、ミケルダはいつもひやひやさせられる。ここは奥の回廊のように他者の目がない場所ではない。聞き耳を立てずとも、自然と会話を耳にしてしまうようなところだ。実際、幾人かの神がこちらへ視線を寄越したのがわかる。 

「いや、まだ戻ってきてないんじゃないか?」

 ミケルダは首を横に振った。「下」と言わなかったのは、周りを気にしてのことだ。まだ他の神はアルティードたちが現在何を話し合っているのか、把握していないはずだ。そこに絡むのが人間の技使いや正体不明の人物であることなど、無論知らない。アルティードたちが公言していないのであれば、それを漏らさないようにするのがミケルダたちの勤めだ。余計な動揺を広げたくはない。

「そっか、私が出遅れたわけじゃないのね。よかったー。実は戻ってきた後、ケイル様から話があるって言われてるのよね。リーダも一緒に」

 ようやく腕を放したカルマラは、顔をほころばせて息を吐いた。予想外の発言にミケルダは瞠目する。まさか、重要な話の後に、自分たちに声がかかるとは思わなかった。――しかもあのケイルから。

「おいおい本当かよ。そういうことは早く教えて欲しいなぁ」

 狼狽を周囲に気取られないよう、ミケルダはできる限り気安い調子でそう答えた。ケイルは一体何を考えているのか? 脳裏をいくつもの可能性がよぎっていく。

「ごめん、言われたのもケイル様が降りる直前で」

 と、肩をすくめたカルマラは小さく舌を出した。すぐ横を通り過ぎようとしていた数人の神が、びくりと体を震わせたのが感じ取れる。ミケルダはしまったと内心で舌打ちした。『降りる』が意味することはたった一つ、神魔世界に行くことだ。だがミケルダやラウジングたちとは違い、ケイルが下に降りることなどまずない。それは異常事態が生じていることを匂わせてしまう。

「おい、カール」

 思わずミケルダはカルマラの肩を掴んだ。しかし彼女は何が問題なのかわからないとばかりに、きょとんと首を傾げる。こんなことなら早めに彼女にも釘を刺しておくべきだった。彼女は状況から何かを酌み取るということをしない。明言しなければ駄目だ。

「何よ」

「お前なー。……いや、別に、口外するなとは言われてないけど」

 文句を言いかけたミケルダは、その先を飲み込んだ。よく考えれば、彼女の方が正しいのかもしれない。いつかはばれることなのだから隠しても無駄だ。いずれは皆に周知される。巨大結界に穴が開いた時のように。リシヤの封印結界が解けて、半魔族が復活した時のように。きっとまもなく、転生神が築いた仮初めの平穏が終わったことを誰もが知る。ならば先延ばしにすることに何の意味があろうか?

「ちょっと、何を一人で納得してるのよ」

 頭を振って苦笑すれば、カルマラは不服そうに唇を尖らせた。しかしこの話を彼女に伝えても通じるとは思えないし、そもそも周囲の目があるところでするものでもなかった。結局ミケルダは笑ってごまかすことにする。

「いや、別に」

「あーもうミケってそういうところあるよねー。私にも教えてよ」

「悪い悪い、ごめんって。でもそれは後でな。先にリーダ探しておこう。あいつ、仕事に熱中すると、周囲の気も感じ取れなくなるから」

 そのままミケルダは話を逸らした。リーダことカシュリーダは、彼のたった一人の妹だ。先の大戦の傷が原因で産の神扱いとなった彼女は、今はケイルの下で働いている。元々仕事熱心で単純作業を苦もなくこなすことができる彼女は、集中しすぎると周りが見えなくなるきらいがあった。そんな彼女にも声がかかっているというのが、ミケルダには解せない。ケイルは一体何を考えているのだろう。

「あ、そうね」

 するとカルマラもころっと表情を変える。彼女はカシュリーダとも仲がよかった。二人は互いにきゃーきゃーと騒いではしゃぐことができる、類い希な関係でもある。こういう二人こそ幼馴染みと呼ぶに相応しいとミケルダは常々思っている。彼とラウジングなどは、どちらかと言えば腐れ縁に近い。

「さすがのリーダもケイル様の名前を出せば手を止めてくれるもんね」

 大袈裟に相槌を打つカルマラに頷いてみせながら、ミケルダはちらと周りへ視線を走らせる。先ほど広がった狼狽が、瞬く間に何事もなかったかのように静まっている。かすかに不安を滲ませた気が残っているばかりで、聞こえる靴音も規則正しい。

 これがこのところの異変に慣らされた結果だとしたら、皮肉なことかもしれない。本当はもっと恐れ、準備しなければならないのに。しかし自分たちにはどうしようもないという無力感ばかりが満ちて、皆はすぐに諦めを纏ってしまっている。

「じゃあ行きましょう」

 腕を振り上げたカルマラは、ついで意気揚々とミケルダの袖を引いた。その陽気な口調は少しばかりミケルダの心を軽くする。

 悩んでも仕方がないと、彼もわかってはいた。彼らにできるのはただ最善を積み重ねていくのみ。そして自分の心を守ることだけだった。

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