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white minds  作者: 藍間真珠
第二部 ―疑念機密―
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第一章 「戦線調整」 第五話

「人間に会っちゃ駄目なの?」

 イレイは首を捻りながらシリウスの方へと一歩進み出た。何も隠すことなくただ純粋な疑問だけを乗せた彼の気は、現状を考えれば奇跡的だといってもよいのかもしれない。わずかに片眉を跳ね上げたシリウスは、小さく頷く。

「残念ながら人間たちは、先日の戦いで敏感になっている。余計な刺激は混乱を生むから避けなければならない。彼らは、本当に何も知らないらしいからな」

 答えるシリウスの声音は苦いものを含んでいた。その辺りの事情はアースにはわからないが、普通の人間たちはどうやら魔族を知らないらしいというのは感じ取れる。そんな者たちの目に、あの戦いはどう映っただろう。

「そうそう、その件だが」

 そこではたと気づいたように、レーナが口を挟んだ。ぽんと軽快に手を打った彼女は、シリウスへと視線を投げかけつつイレイの隣へと並ぶ。アースは突き立てた剣の柄に手を乗せた。このところ、彼女の横顔ばかり見ているような気がする。最後にあの瞳を真正面から捉えたのはいつのことだろう。

「神は人間たちにどれくらいまで伝えているんだ?」

 レーナが頭を傾けると、結わえた長い髪がふわりと揺れた。何気ない疑問のようでいて、そこにはわずかに責める色も滲んでいるようだ。以前から確認したかったことなのだろうか。シリウスは顔をしかめながら首を横に振った。

「さぁな。私はこの星で人間と関わることはない」

「まあ、それもそうか。どうも何も知らない様子なんだよなぁ。ここまで魔族のことが漏れていないというのは、どうも意図的な気がして」

 いかにも適当な返答をしたように見えたシリウスに、レーナはあっさり納得の意を示す。人差し指を顎にそえ小さく唸った彼女は、再び空を見上げた。つられてアースも視線を上げてみたが、先ほどと何ら変哲はない。苛立たしい程に穏やかな天気だ。

「ああ、どうせ知らせてないんだろう。この星には魔族の封印結界の鍵があります、だから魔族はいつもここを狙っています――などと、あいつらが話すとは思えない」

 するとどこかおどけた調子で告げたシリウスは、ついで大仰に嘆息した。その青々とした髪をそよ風が揺らし、表情を覆い隠す。途端に薄暗い何かを孕んだ空気が辺りを漂い始めた。

 封印結界の鍵という単語を耳にしたことはない。少なくともアースの記憶には残っていない。だがそれは、レーナたちにとっては自明のことらしい。

「魔族の封印って、あの森の?」

 アースの疑問を代弁するよう、イレイが声を上げた。封印と聞くと、アースの脳裏に浮かぶのもそれだ。リシヤの森には多数の結界があり、多くの魔族が封印されているとの話だった。けれどもレーナは首を横に振り、何か躊躇うがごとくわずかに視線を逸らす。

「いや、違う。転生神リシヤがあの森に封印したのは下級の魔族と半魔族が大半だ。五腹心には特殊な封印を施したらしいので、あの森ではないしな」

 淡々と説明する声の向こう側に、何かが透けて見えるような気がした。封印というのはどうも一つの何かを指すものではなかったらしい。何か言いたげなシリウスの双眸がレーナへと向けられた。しかし彼女自身は口を閉ざすつもりはないようだった。まるで挑むよう空を見上げて、瞳をすがめる。

「今、我々が話している魔族の封印というのは、さらに上位の魔族の封印だ。五腹心は、彼らの主を目覚めさせるためにこの星を目指していた」

 ぞくりと、アースの背筋を冷たいものが撫でた。先日彼らを苦しめたあのミスカーテという魔族は、五腹心の直属だという。つまり五腹心というのは彼よりも実力が上なはずだ。そのさらに主というのは――一体どれだけの力を持っているのか。

 ここを守らなければと神が躍起になっていた理由がようやく飲み込めた気がする。

「だから蘇った五腹心も、いずれは間違いなくこの星に来る」

 感情の滲まぬ冷静沈着なレーナの声が、鼓膜を揺らした。心臓を掴まれたような緊迫感に、あのイレイでさえ押し黙る。柄を握る手に力を込めて、アースは歯噛みした。

 そんな中でも彼女は神技隊を守るつもりなのか。そう考えると、絶望的な状況のように思えてならなかった。




 片付け途中の部屋の中というのは、何故こうも妙な物悲しさを漂わせるのか。どんどん日用品が減りつつある室内を見回して、シンは小さく息を吐いた。まだ整理中の物もあるため見下ろせる床はわずかだが、それでも少しずつ圧迫感が薄らいでいることを自覚する。

 無世界を発つ準備は順調だ。ただ仕事を辞めるための手続きに時間が掛かるらしく、サツバや北斗はもう少し職場に行く必要があるようだった。

 一方、ローラインはどうしてだかすんなりと辞められたようで、今日もせっせと買い物に出掛けていた。神魔世界に持ち込む「美品」を厳選しているとのことだ。ゲートへの影響を考えると大荷物を持ち込むわけにはいかないが、多少は身の回りの物を持っていくことを許されていた。それを彼の眼が認めたもので固めるつもりなのだろう。大物でも、シークレットの特別車に詰め込めばいいという算段もありそうだ。

「ただいまー」

 と、そこで玄関からリンの声が響いた。ウィンドウショッピングするついでに昼食用のパンを買ってくる予定になっていたが、思っていたよりも早い。振り返ったシンはゴミ袋の山をまたぎつつ、居間の扉へと手を掛ける。

「おう、おかえり」

「思ったよりも暑かったー。だからすぐに帰ってきちゃった」

「そうか。一応秋ってことになってるんだけどな」

 扉を開けると、茶色い袋を抱えたリンが空いている手でぱたぱたと仰いでいた。思い返せば、今日は夏のような気候だと天気予報で言っていた。ヤマトならこの時期はずいぶんと涼しくなっているはずだが、無世界ではまだまだ気温の上がる日も多い。

 リンも何となく故郷のようなつもりで出向いて後悔したのだろう。去年はずっと無世界にいたから、こちらの環境に適応できていたが。今年は世界の行き来が多かったため、どうも季節感覚がずれている気がする。

「そうよね。ローラインも薄着じゃなかったから心配だわ」

「ローラインには会ったのか?」

 再びゴミ袋をまたいだシンは台所へと向かった。きっとすぐに冷たい飲み物を所望されるだろう。ついでだからお昼の時間にしてもよい頃かもしれない。どうやらパンは焼きたてらしかった。

「ううん。たぶん遠くまで出てるんじゃないかしら。そうじゃないとローラインは満足しそうにないし」

 冷蔵庫へ近づけば、居間でリンが動く気配がした。ゴミの袋をどけなければ座卓を真ん中に戻すことができないからだろう。こんなに早く帰ってくるとわかっていれば、先に準備したのだが。

「美しくなきゃって言い続けてたもんなぁ」

 冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出しつつ、シンは苦笑をこぼした。今朝のローラインの張り切りようはすさまじかった。今までは将来を考え無駄遣いができなかったので、あれでも我慢していたのだろう。しかし今回はそうではない。お金を残していても仕方がないとなれば、少しばかり羽目を外すことも許される。

「でも持って行ける物が限られるなら、満足できる物にお金を使うのは賢いんじゃない? ローラインは働いてたんだし」

 麦茶をコップ二つに注いで振り返ると、そこにはカメラを構えるリンがいた。思わぬ状況に瞳を瞬かせれば、ぱしゃり。予想外のタイミングでシャッターが切られる。

「……何やってるんだよ」

 思わず低い声が出た。おそらく間の抜けた顔が撮られてしまったことだろう。一体全体何のつもりなのか。リンのやることは時々読めないが、今回のは特に意図がわからない。

「写真を撮ってるの」

「それはわかる。で、なんで今ここでなんだ? 旅行中ならともかく」

 見覚えのある銀色のカメラは、温泉旅行の直前にリンが購入したものだ。てっきり旅行の記録のために買ったのだと思っていたが、まさかこんなところで取り出してくるとは。

「とにかく何でも記録しておきたいのよ。これなら場所をとらずに思い出が残せるでしょう? 旅行はもちろんだけど、住んでたところとか、当たり前みたいに見てた景色とか、そういうのも全部」

 カメラから目を離したリンはふわりと顔をほころばせた。幸せなのだと言わんばかりに真っ直ぐな気を向けられ、シンはたじろぐ。そんな風に言われてしまうと反論の言葉が浮かばない。しかしいきなりは止めて欲しいものだと、彼は肩をすくめた。

「それはわかったが、でもいきなりは止めろよ」

「え、だってそれじゃあ自然な写真が撮れないでしょう? シンったら、カメラ向けると身構えるし」

「……そうか?」

 自覚していなかったところを指摘され、シンは思わず顔をしかめた。そもそも神魔世界ではカメラというものが普及していない。似たような記録装置はあるが、かなり高価なため、一般的な人々は持っていなかった。慣れていないせいもあり、撮られると思うとつい力が入るのは確かかもしれない。

「うん。私は普段のシンの顔の方が好き」

 頷くリンに、不覚にもどきりとした。満足そうに微笑んでいる彼女に何と返すべきかわからない。――彼女はこうしていつもさらりと好意を口にする。それは誰に対するものでも同様で、老若男女問わなかった。自分が特別ではないとシンもわかっているのだが、あんまり自然に、気を抜いている時に告げられるものだから、当たり障りない受け答えするのにいつも苦労する。

「だから不意打ちの方がいいかなぁって。あ、でも嫌だった? それならもうしないわ」

 シンが閉口していると、はっとしたように眼を見開いたリンはぶんぶん片手を振った。怒っているとでも解釈されたのかもしれない。彼女はてらいもなく告げる思いの効果を、どうも正しく理解していないようだ。 

「それじゃあやっぱりまたどこか行かなきゃ。まだ貯金はあるし、温泉以外にも出掛けてみたいわよね。お金を無駄なく使うって案外難しいのねぇ。あ、豪華な食事とか? それならサツバたちも不満はなさそう」

 シンが返答に窮しているうちに、リンは話題を変えた。カメラを抱きかかえながらぱっと顔を輝かせ、考えを述べ始める。話ながら思考を巡らせるのは彼女の癖だ。

 自分が稼いだお金を自由に使えないと、サツバは日頃から文句を言っている。その気持ちはわかるのだが、サツバが仕事を辞められた途端に神魔世界に呼び戻される可能性もあるのだ。うまく使わなくては損をする。

「……そうだな」

 思考を切り替えよう。シンはできる限り意識を経済面へと向けることにした。コップを手にしたまま座卓へと向かえば、リンはその後をついてくる。やはり喉が渇いていたのだろう。シンは座卓の前に座り込んだ。

「ああ、そうだ。神魔世界でも換金できそうなものを選んで買えばいいんじゃないか?」

 そこでシンはひらめいた。無世界に来る時と逆のことをすればいい。無世界でのお金を偽装するわけにもいかなかったので、神技隊は派遣される際に換金できそうな物品を支給されていた。同じことが神魔世界でも可能なはずだ。

「あ、その手があったわね!」

 カメラを座卓に置いたリンはぽんと手を叩いた。軽やかな声が、物の減った部屋の中に響く。この方法を用いれば、無理やり無世界でお金を使わなくてもすむ。それならサツバたちも不満をこぼさないだろう。換金した後に、神魔世界で必要な物をまた買えばいい。

「さっすがシン!」

「……何なら換金できるんだ?」

「うーん、そういう店って利用したことなかったから。やっぱり貴金属とかかなぁ。あ、でも確か、どの店も町の外れにあったような」

 そこでリンは急に顔を曇らせた。纏う気にも不安の色が滲み出す。突然どうしたのかとシンが瞳を瞬かせれば、彼女は困惑を双眸に宿らせながらこちらを見上げてきた。

「私たちって、神魔世界に戻ってから、好き勝手に出歩けるのかしら」

 神妙な口調で吐き出された疑問に、シンは再び絶句した。そのことについては考えていなかった。

 神技隊の処遇は中途半端なままで、まだ住むところすら決まっていないらしい。宮殿の中ではないと思うのだが、そうなると一体どこで生活することになるのか。自由に出掛けることは可能なのか? 現時点では何もわかっていなかった。近場ならともかく、遠方に出向くのは難しい気がする。いつ魔族の来襲があるか予測もできないのであれば、ある程度行動が制限される可能性はあった。

 そうなると、やはりできる限りこちらで手を打っておいた方がよさそうだ。自由を謳歌できるのは今この時だけだと、思っていた方がいい。

「……やっぱり、こっちで使える分はできるだけ使っておきましょう」

 リンも同様の結論に到ったようだ。深々と頷く姿には妙な緊張感が宿っていた。サツバに文句を言われるよりも、努力の結晶がなかったことにされる方が後悔は強いに違いない。

「そうだな」

「でも何がいいのかしらねぇ。行きたい場所はいっぱいあるんだけど。いつ神魔世界に呼び出されるかわからないと、あんまり遠方にも行けないし」

 腕を抱え込んだリンはぶつぶつと呟き出す。喉が渇いていたのもすっかり忘れているらしい。シンはちらとその横顔を見遣った。

「せっかくの機会なんだけど」

 しみじみとした声が部屋の中に染み入った。ゲートを離れてもかまわない今だからこそ出向くことができる場所はたくさんある。せめて出立の目処が立てば、計画もできるのだが。

「梅花に目処だけでも確認してみるか?」

 コップを手に取ったシンは、最終手段を口にした。宮殿との架け橋となってくれている梅花にまた負担をかけるのは心苦しいが、彼女以外に頼る当てがないのも事実だ。すると顔を上げたリンは困ったように笑う。

「そうねぇ、あんまり気は進まないけど。……あの子、人のためだったら嫌なこともすぐ引き受けちゃうんだから」

 小さなため息をこぼして、リンは目を伏せた。梅花のことを語る時、リンは時々このような顔をする。無茶をしがちな、自己犠牲精神の強い――否、自己破壊的な少女への憂慮を、声に滲ませて話す。自分とは真逆とでも言いたげだった。

 目の前にいるこの少女も、同じ人種には違いないのだけれど。

 なかなか声には出せぬその思いを胸の内だけで囁き、シンは瞳をすがめた。そしてコップに唇を寄せ、そっと麦茶で喉を潤した。

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