海に沈む過去
キラキラ光る水面をしゃがんで眺めているその後ろ姿も愛しくて。
「シオ、」
俺を呼ぶ甘い声。
「っ、シオ、」
俺を想って流す温もり。
俺にはどうやっても、その震える小さい体を抱き締めてやることはできなくて。
俺にはどうやっても、その声に応えてやることができなくて。
『アリ、』
こんなに近くにいるのに……。
『もう来るな。もう忘れろ』
「シオに、会いたい」
『無理だよ、アリ、』
「好きよ、シオ」
『俺も、大好き“だった”』
サーフィンが趣味だった俺は、少しでも時間ができるとアリを連れてよくこの海にきていた。
パラソルの下、海風に揺れる長い髪を押さえながら波に乗る俺に手を振っているアリの笑顔。
向日葵みたいに明るい笑顔。
毎日が幸せだった。
ずっと、ずっと続くと思ってた。
だけどもう、アリの瞳に俺は永遠に映らない。
5年、だ。
俺が波に飲まれて、この海の底に沈んでしまってから 、今年でもう5年。
アリはあの日から毎日のように、ここで変わらず泣いてくれるけど……。
『もうやめなよ』
俺のことなんてもう忘れてくれよ。
アリはどんどん大人になっていく。
綺麗に、可愛く、魅力的に。
時間軸に置いていかれてしまった俺は、あの日と変わらない姿のままで。
時は待ってくれない。
時は戻ってくれない。
だからこそアリには早く前に進んでほしいのに。
時間と共に霞んでいく俺との思い出を抱き込んでいる小さな身体。
痛々しくて見てられない。
「シオ、どこにいるの?」
独りだと寂しいだろうからと、未だに海底で寝転んでる俺を探そうとする愛しい人。
どこまでも、アリは優しい。
『アリ、もういいんだ。俺達のことは俺だけが忘れず持っておくから、アリは手放してくれていいんだ。 過去の想いにしなきゃいけないんだよ』
アリを求める輩は多い。
きっと、彼女を置いて死ぬような俺なんかよりずっといい男がいるはずだ。
だからお願い、
もうここにこないで。
「アリア、」
不意に後ろから聞こえた声に、アリと同時にゆっくり振り向いた。
『ルイ』
「ルイ」
そこにいたのは、懐かしい俺の親友で。
「帰ろう、雨が降るって」
「あめ、」
「どしゃ降りになるって言ってたから、迎えに来た」
そうか……。
俺がいなくなって、今までずっとルイがアリを支えてくれていたのか。
そうか、ルイはアリが好きだったのか。
「シオ、冷たいよね」
「大丈夫。海の中には雨は降らないよ」
「……そっか、」
「アリアを雨に濡らしたら、俺がシオンに怒られちゃう」
だから、今日は帰ろう?
俺の目の前で、俺が触れてやれないアリの頭を優しく撫でる手。
そうだよ、
『アリ、帰りな』
大丈夫、俺は寂しくないよ。
海の中は暖かいし、大好きな魚をいっぱい見れてこれはこれで楽しいし。
アリに触れないのは悲しいけど、たまに顔が見れれば十分幸せだ。
だから、もう帰りな。
ルイなら安心してアリを預けられるから。
早くその想いに気づいてあげて。
アリは、俺より幸せになってもらわなくちゃ困るから。
『大好き“だった”よ、アリ』
俺はずっとここにいるから、だからもう泣かないで。
「アリアが泣いてると、あいつも苦しいんじゃないかな」
「っ、」
「ほら、あいつ、アリアが泣いてたらいつだってアリア以上に悲しい顔してたでしょ?」
「うん」
「たまには笑ってやらないと、シオンもずっと笑えないよ」
アリの隣に座って海を見つめるルイの顔は、あの頃より幾分か大人びていて。
少し見ないうちに、いい男になっていた。
「帰ろう、アリア。また来よう」
「……うん」
そっと、大事そうにアリを立たせて浜を上がっていく姿に、ぽろりと、俺の目から涙が落ちた。
『っ』
死んでからでも泣けるんだ、なんて少しビックリしながらも、俺は本当に久しぶりに笑った。
二人を見送ってポツポツと振りだした雨が体を抜けていく。
頬を伝う涙を洗い流してくれたらいいのに、今の俺では叶わない。
『っく、っ、』
アリの隣には俺がいなきゃいけなかったのに。
アリの涙は俺が拭ってやらなきゃいけなかったのに。
『ごめん、アリ、』
悲しい思いをさせてしまって。
寂しい思いをさせてしまって。
『俺の分まで、生きて……』
そしてまた話せる日が来たときに、いろんなことを教えてほしい。
この海から離れられない俺に、いろんな世界を教えてほしい。
『ありがとう、』
end.