夏のキャンパスに建造された噴水に込められた親王妃達の願い
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」と「Ainova AI」と「Gemini AI」を使用させて頂きました。
久々に訪れる母校である有鄰館大学のキャンパスは仲夏の日差しと陽気に満ちておりましたが、私にとっては懐かしさよりむしろ新鮮さの方が勝っておりましたよ。
それと申しますのも、私は学部一回生の途中で全日制から通信制に切り替えたので在学中は数える程しか登校する機会を得られなかったからなので御座います。
何しろ入学当初は公爵令嬢とはいえ山手杉乃という普通の日本人学生だったのに、卒業時には李杉乃という名前になっていて国籍も変わっていたのですから。
もっとも名前や国籍の変更という戸籍上の変化よりも、李朝の李新親王殿下との国際結婚と王室入りという事実の方が、人文学部事務課や学生課の方々を悩ませる事になったのは否めませんね。
だからこそ人文学部東洋史学科教授会の皆様方の御理解と御支援には頭の下がる思いですし、私の学生生活が良い前例として後進の役に立ったという事実は誠に喜ばしい限りで御座いますよ。
そのような感慨に耽る私を現実に引き戻したのは、仲夏の陽気とは不釣り合いに思える程に涼やかな鈴を転がす如き声色だったのです。
「これはこれは、李杉乃親王妃殿下。有鄰館大学のキャンパス内で再び親王妃殿下と御目にかかれました事、そして今日という日を迎えられました事…この愛新覚羅千里、心より御慶び申し上げます。」
良質な緑色の生地に金糸の刺繍が施された豪奢な旗袍に相応しい、一分の隙もない拱手礼。
そして清朝式の白粉の化粧で初々しい美貌を可憐に彩る、艷やかな黒髪のツインテール。
彼女こそ、愛新覚羅千里和碩親王妃殿下。
我が李朝やこの日本の友好国の中華王朝の有力王族である以上に、彼女は私にとって掛け替えのない方と言えるでしょうね。
「こちらこそ、愛新覚羅千里和碩親王妃殿下。私も思いは同じ…何しろ同じ学び舎で共に東洋史学を学んだ私と和碩親王妃殿下とが、こうして共に母校へ錦を飾る事が出来たのですから。」
何しろ和碩親王妃殿下もまた東洋史学科の卒業生であり、私から見れば三学年離れた後輩にあたるのですからね。
改めて考えてみれば、私の学生生活が彼女の大学選びとキャリアプランのロールモデルとなっているのは疑いようのない事で御座います。
愛新覚羅千里和碩親王妃殿下は元々は日本の公安職で、王族の暗殺阻止に多大なる貢献を果たした功績を評価されて武人の名誉称号でもある巴図魯の爵位を日本人女性としては歴史上初めて与えられたという過去が御座います。
そのような特殊な立場と「中華王朝の臣下として相応しい教養を身に着けたい」という動機から有鄰館大学人文学部東洋史学科を志望されたのは、結果的にはこの上なき英断となったのです。
それと申しますのも、彼女によって暗殺の危機から救われた愛新覚羅永祥和碩親王殿下に学部一回生のタイミングで求婚され、私の前例を正確になぞる形で通信制へスムーズに切り替えられたのですから。
そうした事情もあり、私と愛新覚羅千里和碩親王妃殿下との関係性は単なる「友好国のロイヤルファミリー」という枠には留まらず、「日本にルーツを持つ同世代女性」という親近感や「同じ大学の先輩と後輩」という学閥的関係性や「共に東アジアの国家間親善の更なる深化を目指す者」という戦友意識の同居する極めて多層的な物となったのです。
そして今回こうして私と愛新覚羅千里和碩親王妃殿下が有鄰館大学のキャンパスを揃って訪れましたのも、私と和碩親王妃殿下の目指す国際交流の進展という大目的に直結する物で御座います。
私や和碩親王妃殿下がかつて学んだ東洋史学科を始めとする文系学部棟の集中するEキャンパスは「市民にも開かれたキャンパス環境」がコンセプトであるため、公園や庭園をイメージした開放的な景観を目指しています。
遊歩道を模した通路や食事や休憩に利用出来るベンチ等からも、それは一目瞭然で御座いますね。
そして東洋史学科の付属施設である東洋文化交流会館の前に「東亜の絆」と銘打たれたこの噴水も、確かにその一環とは言えるでしょう。
しかし件の噴水には単なる大学の新設備というだけではなく、卒業生にして出資者でもある私や和碩親王妃殿下の様々な思いもまた少なからず反映されているのでした。
「此度こうして『東亜の絆』の点水式を迎える事が出来ましたのも、我が有鄰館大学人文学部東洋史学科が誇る卒業生でもあらせられる李朝の李杉乃親王妃殿下と中華王朝の愛新覚羅千里和碩親王妃殿下の御二方の御理解と御尽力あっての事で御座います。それではテープカットに先立ちまして、御二方に祝辞の御言葉を賜りたいと存じます。」
司会進行役の合図に一礼し、私はマイクの電源を入れたのでした。
「皆様、こんにちは。私は先程御紹介に与りました、李朝親王妃の李杉乃と申します。この東洋文化交流会館の向かいに新たに建造された噴水である『東亜の絆』には、明日香村の飛鳥京跡苑池や桂川流域の葛野大堰を始めとする古墳時代の噴水施設や導水施設の意匠が色濃く反映されています。これらは渡来人によってもたらされた治水技術への今日的アプローチであり、東アジアの文化交流と共存共栄という私達の共通の願いを反映させたモニュメントの側面も御座います。この『東亜の絆』の水流に涼を求められる時に、東アジアの悠久の歴史に思いを馳せて頂けたら幸いです。」
そうしてカメラのフラッシュと万雷の拍手を浴びながら、私は和碩親王妃殿下の方を一瞥したのです。
果たして和碩親王妃殿下は、どのようなスピーチを祝辞としてなされるのでしょうか…
「皆様、こんにちは。私は有鄰館大学人文学部東洋史学科卒業生にして中華王朝の和碩親王妃である愛新覚羅千里と申します。此度の点水式への御招待を頂きました事を心より感謝申し上げます。通常の鑑賞用噴水は循環システムを用いておりますが、この『東亜の絆』は地下に巨大な耐震性貯水槽を埋め込んだ防災型噴水としての機能も兼ね備えております。」
謙虚にして朗々とした和碩親王妃殿下のスピーチは、噴水の持つもう一つの側面に踏み込んだ物でした。
そしてその要旨は、公安職という和碩親王妃殿下の前身と直結した安全保障に関わる物だったのです。
「その為、災害を始めとする有事の断水の際には避難民や周辺住民の飲料水や生活用水を提供出来るようになっているのです。李杉乃親王妃殿下が仰ったように、この防災型噴水『東亜の絆』には渡来人による治水技術のもたらされた古墳時代の意匠が盛り込まれています。渡来人より伝えられた治水技術は農耕を始めとする生産能力という社会の持続可能性を向上させました。この『東亜の絆』も有事における安全保障という点で社会の持続可能性の向上に寄与しており、先人達の理念を正しく継承し未来に繋げられていると確信しております。しかし可能なれば、この『東亜の絆』が有事の給水施設ではなく鑑賞用噴水としてあり続けられる事を願ってやみません。」
その完成されたスピーチには、私も無心で拍手をするばかりでしたよ。
そういえば此度の噴水の設備にあたり、和碩親王妃殿下は「大規模災害発生において大学は地域住民の避難所や防災拠点ともなり得る為、新たに建造する噴水には防災インフラとしての機能も付与するのが、真の意味での『地域住民に開かれたキャンパス』になるかと存じます。」と会議でも熱弁されていましたね。
安全保障への責任感と持続可能社会を実現するための熱意。
その二つに後押しさせる形で、私も李朝王室や日本の華族社会からの寄付金を取り付けるべく大いに尽力させて頂きましたよ。
勿論、和碩親王妃殿下も中華王朝王室や西日本の華僑社会を説得して多額の寄付金を募っていらっしゃいましたけれども。
「御見事で御座います、和碩親王妃殿下。持続可能性と安全保障を常に見据えられる殿下の御志には、私も感服致しました。」
「晋の魏縫は『備えあれば憂い無し』という言葉を残していますが、これは今日の安全保障の基本理念とも言うべき考え方ですからね。有事にキチンと備えているからこそ、平時を心安らかに過ごせる。勿論、何事もないに越した事は御座いませんね。」
そうして私に応じられた和碩親王妃殿下の笑顔は、初めて御会いした時の少女の頃と変わらぬ屈託のない物でしたよ。
この防災型噴水が何時までも、涼を求める学生や地域住民の憩いの場であり続けますように。
私と致しましても、そう願ってやみませんね。




