第6話 聖水
ダイハードマンは、数日の休養を終えて、再びダンジョンへ向かった。
大勢の高ランク冒険者が犠牲になった激戦地は、見違えるほど静まり返っていた。
散発的に遭遇する魔物を倒しながら、ダイハードマンは奥へ奥へと進んでいく。
「……やっぱり、あのときの魔物がボスだったかな」
ヤマトが倒したサイの魔物。ダイハードマンも戦ったから、その強さはよく分かっている。そして今、あれより強い魔物と出会わない。あれがボスだったのだろう。
「これで『増えたから溢れた』って線は消えたか……」
ダンジョンから魔物が溢れそうになった理由。
可能性としては、魔物が増えすぎてダンジョンに入り切らなくなったから、という可能性もあった。
だが、サイの魔物がボスだとしたら、その可能性は消えた。なぜなら戦った場所がボス部屋ではないからだ。
「じゃあ……何が起きてるんだ?」
ダイハードマンは首を傾げた。
ボスはボス部屋にいる。群のボスは居場所が固定というのは、魚でも猿でも魔物でも共通する。
そのボスが居場所を離れるというのは、挑戦者に敗れて追い出された場合がほとんど。だがそれなら「群全体が大移動」にはならない。
そして今回は「群全体が大移動」が起きたわけだから、単なるボス交代の下剋上ではない。群全体が縄張りを移すほどの異常事態が起きたということだ。
「逃げ出すしかないほど強い存在がやってきたか、天変地異でも起きたか……」
いずれも可能性は低いだろう。
サイの魔物すら逃げるしかない相手なんて、想像したくもない。
天変地異なら、周囲に影響が出ているはずだ。
しかし、ダイハードマンには他に思い当たるものがなかった。
◇
ヤマトは、いつものように冒険者ギルドで配送依頼を受けた。
「ライト教会からの依頼です。地域統括本部から各支部へ配布する『聖水』を運んでほしいとのことです。この依頼は、支部の数だけ同じ内容の依頼があり、届け先は受注した冒険者が自由に選んでいい事になっています。ただし先着順で選べる届け先が減っていくので、その点は承知してください」
「地域統括本部ってなんだ?」
クロが尋ねた。
「国で言うと、領主の館ですね」
ヤマトが答えた。
総本部のトップが総教主――国で言うと国王。
地域統括本部のトップが教区長――国で言うと領主。
各支部のトップが教会長――国で言うと村長。
「ふーん……。
で、その地域統括本部ってのは、どこの教会のことなんだ?」
「この街の教会のことですよ。
ですから、この街から周辺の村に聖水を運ぶ仕事です。
聖水を作れるのが、地域統括本部の人なんでしょうね。支部では聖水を作れないから、地域統括本部から運ぶしかない、と」
言うだけ言って、ヤマトは受付嬢を見た。
「……で、合ってますか?」
「自信ないんかい!?」
クロが鋭く突っ込んだ。
受付嬢は困り顔だ。
「え、ええ。合ってますよ」
というわけで、受注手続きを済ませて、教会へ。
「こちらが運んでいただく聖水です」
そう言って差し出されたのは、直径50cmほど、高さ50cmほどの樽だった。
大きさから計算すると、容量は100Lほどだ。中身が聖水――光魔法を加えた水(当然だが魔法に重さはない)――なので、重さは100kg以上(「以上」の部分が樽それ自体の重さ)になる。
なお、樽自体の重さは25~35kg(製造方法などで異なる)と推定される。
「運べますか?」
「ええ、まあ……なんとか」
ヤマトは、ロープを取り出すと、樽を縛って背負えるように肩紐を作った。
背負ってしまえば、こっちのものだ。
「クロ。100m間隔で行きますよ」
「了解だ。俺を巻き込まなけりゃ何でもいいぜ」
「では『Lost in the echo』」
質量をゼロにして、光の速度で移動する。
同時に質量ゼロにできるのは1箇所だけだが、装備品は装備者の一部とみなされ、まとめて「1箇所」にカウントされる。
この仕様は、物語の都合だ。そうでないと能力を使うたびに野郎の素っ裸を拝むことになる。主人公が美女ならともかく、野郎の裸など誰得だ。そして主人公を美女にした場合、毎回すっぽんぽんになる主人公なんて、それなんてエロゲーってことになってしまう。
とにかく。
そういうわけで「背負った樽」は装備品あつかいだ。ヤマト本人を幽霊化すると一緒に幽霊化する。ただ、もしこれが「荷車に乗せて引っ張る」という方法だった場合、装備品あつかいにならない。
「いつも思うけどよ……こいつは俺だけがしんどいな」
一瞬で移動するヤマト。
能力を解除して待っているヤマトを追いかけるクロ。
クロが追いつくと、ヤマトはまた一瞬で移動する。
ヤマトは待っている時間のほうが多く、クロは追いかける時間のほうが多い。
それでも暗所恐怖症のクロにとって「一緒に運んでもらう」という選択肢はない。
「ひい……ひい……! や、やっと着いたぜ……」
「ここが目的地の村ですね。
では教会へ行きましょう」
「お前ね……少しは休ませろよ。
走りっぱなしだぞ、こっちは……」
「一緒に運んであげましょうか?」
「ふざけんな! 祟るぞ! 暗所恐怖症ナメんな! 殺す気か!」
「ああ、いえ……能力を使ってではなく」
ヤマトはひょいとクロを抱き上げた。
幼子を抱くようにしてクロを抱いたまま歩く。
「ここまで来たら、もう能力を使うほどではありませんので」
「お、おう……」
疲れ切っていたクロは、大人しく抱かれることにした。
そして1人と1匹は教会へ向かう。
「こんにちは。黒猫ヤマトです」
対応に出た教会長は、ヤマトが背負っている樽を見るなり、破顔した。
「おお、それは聖水ですな? ありがたい。これを運ぶのは大変だったでしょう」
130kgほどもある樽を、10km以上も運んで歩いてきた。
普通なら大変な労力だ。
能力を使って「ズル」をしたヤマトは、ちょっと返答に困った。
「ええ……まあ……ははは……」
曖昧に笑って誤魔化したが。
そしてすぐに受領サインを求め、そそくさと帰ることにした。
「また俺だけ走るのかよ……ちょっと休ませろって」
クロが文句を言うので、ヤマトはクロを抱いたまま普通に歩いて帰ることにした。
途中でクロが「楽ちん楽ちん」とか言い始めたので放り投げたが。
とにかく1人と1匹は、何事もなく配送依頼を終えて。
そして何も知らぬまま、村から出ていった。
◇
聖水の樽を受け取った教会長は、さっそく村人たちを集めた。
「無事に聖水が届きました。これで儀式をおこなえます」
簡素な準備を終えて、儀式はすぐに始められた。
教会長が村人たちへ順に聖水を少しずつ浴びせる。
それから祈り始めた。
村人たちは恍惚として、祈りは歌へ変わっていった。
小さな村で
誰にも知られず
狂乱が広がっていった。




