ジャスミンの香り
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宮廷に向かう馬車の中で僕は半分眠っていた。
先日襲撃を受けたばかりの兄さんは落ち着かない様子だ。
「おい、護衛が居眠りをしてどうする!」
「昼日中から襲ってなんてきませんよ。それに今日は兵士の数が増えています。どうぞご心配なさらずに……」
「まったく、悠長なやつだな。不正会計が見つかってベルーノ公爵はそうとう焦っているのだ。強硬な手段に出てもおかしくない」
兄さんはいろいろとしゃべっていたけど、眠すぎる僕の頭では理解できなかった。
宮殿の一角にある監査庁へやってくると、僕は部屋を用意してもらった。
瞑想のためとか言っちゃったけど、もちろん眠るためである。
叱られる覚悟もしていたが、兄さんはあっさり部屋を用意してくれた。
「私が帰る時間まで待っているのだぞ」
「もちろんです。それまでに精神を研ぎ澄ませておきましょう」
部屋に入るなり僕はソファーに寝っ転がり、秒で眠りに落ちた。
ぐっすり眠ってスッキリ起きた。
窓からは西日が差し込んでいるから、もう夕方なのだろう。
どれ、兄さんの所へ顔を出しておくか。
執務室に行くと兄さんは忙しそうに書類を読んでいた。
「帰りは夜になる。もう少し待っていてくれ」
「は~い」
こんなことなら【黎明の神器】を持ってくればよかったかな?
でも、ここはやっぱり危険か。
見つかれば没収の恐れがある。
やっぱりあれは自室でひっそりやるものだ。
とにかく夜まで帰れないとなると暇である。
本でも読もうかな……。
「…………」
だめだ、ここにあるのは法律やら経済やらの小難しい本ばかりだ。
もっと軽めのものは……。
「そうだ!」
空間収納から【身体強化薬の作り方】を出した。
聞いたことのない薬草ばかりだけど、王宮には立派な薬草園がある。
そこで探せば【身体強化薬】の素材がそろうかもしれないぞ。
かってに盗って大丈夫かって?
きちんと許可をとれば採取は自由なのだ。
庭園に一般人は入れないしい、わざわざ薬草摘みをするもの好きな貴族も少ないので、そういう仕組みになっているのだろう。
作り方はわからないところが多いけど、とりあえず庭師に頼んで素材だけでも集めてしまおう。
「兄さん、ちょっと散歩に行ってきます」
「…………」
メドナ兄さんはハエでも追っ払うかのように手を振り、行ってこいと示した。
薬草園にはプルルフを除くすべての素材がそろっていた。
うれしくなった僕は端から薬草をもらっていく。
「あ、あとルゴウ草はあるかな?」
「あちらにございますよ、セドリック様」
「ありがたい、それもちょうだい!」
大漁! 大漁!
【身体強化薬】が本物なら強敵に遭遇しても怖くない。
難しい依頼だってこなせるだろう。
「よ~し、これであらかた集まったな。ん、あれは……」
通路の向こうからかごを腕に下げた貴婦人がやってきた。
あれは先日サルモネールに捕まっていたクォール様じゃないか。
やっぱり太陽の下で見るとより一層美しいな。
アバンドールの真珠と讃えられるだけはある。
僕、あの人の裸を見ちゃったんだよな……。
大きかったよな……。
ヤベ、顔が赤くなってきた。
ぼろが出ないうちにさっさとここを去るとしよう。
僕とクォール様に特別な面識はない。
軽く会釈をして通り過ぎようとしたのだが、なんと向こうから話しかけられてしまった。
「失礼ですが……、バッカランド家のセドリック様でございましたよね?」
「そ、そうですが?」
うわぁ、なんで話しかけてくるの?
てか、やっぱり美人だよなあ。
年齢は24歳だっけ?
素敵なお姉さんって感じでドキドキするぞ……。
クォール様はじっと僕の顔を見つめている。
「なにかご用でしょうか?」
「セドリック様……ジャスミンの香りがいたします」
ジャスミン?
ああ、それはノエルがいつも吹きかけてくれる香水だ。
お風呂上りにシュッとしてくれるんだけど、僕も気に入っているんだよね。
この香水が気になるのかな?
「セドリック様、少しお話ができませんか?」
そういってクォール様は庭師を見やる。
庭師は一礼して去っていった。
人払いをしてまでする話って何だろう?
「先日、宮廷で舞踏会があったのはご存知ですよね?」
「はい、私も参加しておりましたので」
もっとも、僕は一曲も踊らなかったけどね。
「その折、私はたいへん恐ろしい目に遭いました」
「それは大変でしたねえ……」
鎖で壁に繋がれ、服を脱がされていたもんなあ……。
「あわや大惨事になりかけましたが、ギリギリのところで私を助けてくださった殿方がおりましたの」
「それはよかった……」
「断罪の剣」
思わず体がピクリと動いてしまった。
「その方はそう名乗られましたわ」
「ず、ずいぶんと芝居がかったお名前ですね」
クォール様はくすりと笑った。
「私もそう思います。でも、私にとっては大恩人。この名前をつぶやくたびに胸が締め付けられる思いがします。もういちどあの方にお会いして、きちんとお礼が言いたいのです」
「はあ。ところで、このお話と私になんの関係が?」
「その方もセドリック様と同じジャスミンの香りがしましたの」
あっ!
あの日は舞踏会の直前にお風呂に入ったんだ。
それでいつものようにノエルが香水を吹きかけてくれたっけ……。
「なるほど。めずらしい香水ではありますが、リュックメラーという店で買うことができます。その人もそこで購入したのでしょう」
「そうでしょうか? でも、その指輪は一点物じゃありませんこと?」
左手の中指にはめられた銀の指輪が夕日を受けて輝いていた。
「えっ! あの暗闇の中で指輪の意匠が見えたのですか?」
「見えておりません」
「あ……」
「ごめんなさい、かまをかけました」
もう隠しきることはできそうもない。
「クォール様、サルモネール嬢の髪を切り落としたのが私だとばれるといささか……いえ、非常にまずいことになります。どうか、このことはご内密に」
「もちろんですわ。セドリック様の頼みでしたら、私はなんでも聞きますもの!」
クォール様は瞳を潤ませてうなずいている。
「でも、その代わりと言ってはなんですが、ひとつお願いがありますの……」
清楚なお姉さんという印象のクォール様が妖艶な笑み浮かべている。
その視線に絡め取られたように僕はその場を動けなくなっていた。
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