交渉の終焉と、迫る牙
翌朝、俺は城壁の上から双眼鏡を覗き込み、野営地の様子を確認した。
夜が明けてもなお、貴族派の陣営は整然と整っている。兵士たちも規律を保ち、撤収の気配はない。
「……やはり、予定通り来るつもりか」
俺の呟きに、隣に立つガイルが腕を組みながら応じた。
「当たり前だ。帝国の工作員が捕まった以上、今すぐ撤退すれば“帝国と繋がっていた”と疑われる。それだけは避けるはずだ」
「となると……やっぱり“何食わぬ顔で交渉を続ける”ってわけか」
そうしているうちに、貴族派の馬車がゆっくりとこちらへ向かってきた。
王国の紋章を掲げ、まるで昨日の事件などなかったかのように堂々とした足取り。
馬車の周囲には十数名の騎士が護衛として付き添っているが、明らかに“見せるため”の布陣だ。
「昨日、帝国の工作員が捕まったばかりだってのに、よく平然としてられるもんだな……」
ガイルが呆れたように言うが、俺は鼻で笑った。
「まあな。あのラグナ・アストリアって男……腹の中では何を考えているのか、わかったもんじゃねえ」
──交渉の場。
騎馬が停まり、ゆっくりと降り立つ男の姿を見て、俺は改めて相手の“異質さ”を再確認した。
ラグナ・アストリア。
貴族派の代表として交渉に臨んでいるこの男は、一見すると戦場に不釣り合いなほど洗練されている。
仕立ての良い深紅のロングコートに、淡い金髪を肩口で流した姿。
だが、貴族らしい華美な装飾はほとんどない。
むしろ、派手すぎることを意図的に避けているようにも見えた。
「さて、斎藤殿。我々は貴殿の決断をお聞きしに参りましたよ」
ラグナは冷たいブルーの瞳で俺を見つめながら、静かに言った。
微笑んでいるが、その目には感情の揺らぎはない。
まるで俺の表情や声のトーンから、何かを読み取ろうとしているかのようだ。
ワインでも嗜むような軽やかな口調。
昨日の帝国工作員の一件には一切触れず、純粋に“交渉の続き”として話を進めてきた。
俺は改めて警戒心を強める。
「……随分と余裕だな」
俺の問いかけに、ラグナは肩をすくめ、銀の指輪を軽く撫でながら言った。
「余裕? いえいえ、貴殿が答えを出すまでの時間を与えたまでですよ」
まるで何事もなかったかのように、飄々とした態度を崩さない。
だが、この男の真の狙いは、きっと別にある。
俺は一拍置いてから、静かに言った。
「考えたが、答えは変わらない。この拠点は誰にも渡さない」
ラグナはわずかに目を細めたが、すぐに肩をすくめ、微笑を崩さなかった。
「そうですか。それは誠に残念……ですが、貴殿の意志を尊重しましょう」
その声には未練も焦りもない。
俺の決断があらかじめ予想されていたかのように、あっさりと引き下がる。
その態度に、俺はますます警戒を強めた。
「……本当に、それでいいのか?」
俺が探るように問いかけると、ラグナは目を細めて微笑んだ。
「ええ、もちろん。我々はあくまで王国の使者として、貴殿に選択の機会を与えたまでです。貴殿が王国に加わらないと決めた以上、我々としても別の手を考えなければなりません」
「……別の手?」
「ええ、王国にはさまざまな勢力がありますから」
ラグナはそれ以上は言わず、ただ上品な笑みを浮かべるのみ。
交渉が決裂した以上、貴族派がこの場に留まる理由はない。
彼らは粛々と撤退の準備を進め、馬車に荷を積み込み始める。
だが、その動きには焦りも怒りも感じられなかった。
まるで「最初からこうなることが決まっていた」かのように、スムーズな撤収。
「……あまりにもあっさりしすぎているな」
俺は腕を組みながら呟いた。
ガイルも、険しい顔で野営地の片付けを眺めている。
「本来なら、交渉が決裂した以上、何かしらの圧力をかけてくるはずだ。脅しを入れるなり、軍を動かすなりな……」
「そうだな。それがないってことは……もう次の手は打ってある、ってことか」
撤退を見届けるため、俺たちはしばらく様子を伺っていた。
──そして、ラグナは馬車に乗り込む直前、一度だけこちらを振り返った。
優雅な仕草で帽子を持ち上げ、俺へと軽く一礼。
「では、斎藤殿。王国の未来で、またお会いしましょう」
その言葉の裏には何が含まれているのか──
──そして、ラグナは馬車に乗り込む直前、一度だけこちらを振り返った。
優雅な仕草で、深紅のロングコートの裾を軽く翻しながら、淡い金髪を指で整える。
そして、銀の指輪をはめた手を胸元へと添え、舞台俳優のような完璧な微笑を浮かべた。
「では、斎藤殿。またどこかでお会いしましょう」
その声は柔らかく礼儀正しいが、どこか挑発的でもあった。
──これは終わりではない。
俺たちは今、この場では戦っていないだけで、すでに別の盤上に駒が置かれている。
俺は無言でラグナを見送りながら、ガイルと目を交わし、ゆっくりと背を向けた。
「……行くぞ。司令室で全体の動きを確認する」
「ああ、わかった」
俺たちは城門前を後にし、拠点の中央を横切る。
司令室へ向かう階段を上りながら、ガイルが俺の隣で小さく呟いた。
「……本当にこれで終わりなのか?」
俺は鼻を鳴らす。
「終わるわけがない。あいつは何かを仕掛けるつもりだ」
短く言い切ると、俺たちは司令室のドアを開けた。
モニターには、貴族派の部隊が着々と撤退する様子が映し出されている。
テントが片付けられ、騎士たちは馬に乗り、馬車の列が規則正しく動き始める。
整然とした撤収。それはまるで、何事もなかったかのような静けさだった。
「……あまりにもスムーズすぎるな」
俺は腕を組みながら、じっと映像を見つめる。
ガイルも険しい顔で画面を見つめた。
「そうだな。普通なら、交渉決裂の後は何かしらの威圧を残していくものだが……奴らはそれすらしない」
「それどころか、まるで“最初からこれが計画通り”って顔をしてたな」
モニターの中で、ラグナがゆっくりと馬車のカーテンを閉じる姿が映る。
俺は無意識に奥歯を噛みしめた。
──ここで終わるはずがない。
「……さて、次は何を仕掛けてくるかね」
俺は貴族派の部隊が完全に視界から消えるのを確認しながら、そう呟いた。
◆
貴族派が去ってから、数日が経った。
だが、俺たちはまだ警戒を解いていない。
むしろ、この“静けさ”こそが、何かが仕掛けられている証拠だった。
「……嫌な感じだな」
モニターに映る変わらぬ景色を見ながら、ガイルが呟く。
「俺もそう思う」
戦場において、こうした静寂ほど不吉なものはない。
敵がこちらを狙っている時ほど、むしろ何かしらの動きがあるものだ。
だが、今回はそれすらない。
「──あいつら、本当に引いたわけじゃねぇな」
俺はモニターを操作し、拠点周辺のスキャンを強化した。
すると、北の森林地帯に不審な熱源反応を確認。
「……森の中に動きあり」
「どうやら、そろそろ仕掛けてくるみたいだな」
そして、予感は現実となった。
警報音が鳴り響く。
「警戒モード起動。外部戦闘モジュール、スタンバイ」
俺の声に応じて、モニター上に迎撃機能の自動制御が表示される。
画面には、北側から進行してくる人影が映し出されていた。
「……山賊か」
ボロボロの鎧を身にまとい、粗末な武器を手にした男たちが、拠点へと向かってきている。
見たところ、寄せ集めの集団。
だが、俺はすぐに違和感を覚えた。
「……普通の山賊にしちゃ、拠点の配置を気にしすぎてるな」
通常の山賊なら、勢いに任せて突っ込んでくるはずだ。
しかし、彼らは妙に慎重に進んでいる。
「こいつら、罠の位置を知ってるな」
ガイルが低く呟く。
「だろうな」
俺はモニターを見つめながら、思考を巡らせる。
──つまり、こいつらは“事前に情報を与えられた”だけの連中ってことか。
山賊に軍隊のような統制はない。
ただ、貴族派が何らかの手段で拠点の基本情報を流し、
「お前たちなら攻略できる」とでも唆したのだろう。
そして、貴族派の本当の狙いは──
「……“こいつらがどこまでやれるか”を観察することか」
「ほう?」
ガイルが片眉を上げる。
「つまり、こいつらを“試験駒”にして、俺たちの防衛データを集めるつもりってことか」
「たぶんな」
俺は監視映像を切り替え、別のカメラを映し出した。
「……やっぱりいたか」
遠くの岩場。
そこに、山賊たちとは明らかに違う装備の男が望遠鏡を構えている。
「貴族派の監視役か」
「さすがに分かりやすいな」
ガイルが肩をすくめる。
俺はモニターを見つめながら、小さく笑った。
「……なら、データをくれてやるさ。ただし、嘘のな」
俺は迎撃システムのスイッチを押した。
◆
──迎撃モード、起動。
拠点の砲台が回転し、標準位置に展開。
センサーが敵を自動追尾し、精密射撃モードへ移行する。
「──撃て」
迎撃砲が火を吹き、最前列の山賊たちを吹き飛ばした。
「ぐぁっ……!?」
「な、なんだこりゃ……!」
彼らは完全にパニックに陥った。
当然だ。
“事前に聞いていた情報”では、ここまでの防衛火力はなかったはず。
俺は迎撃システムの制御画面を見ながら、あえて次の射撃までのタイミングをずらす。
すぐに次弾を撃てるが──あえて5秒の“待機時間”を作る。
バシュッ──!
一定時間ごとに、各防衛装置を順番に発射する。
これにより、迎撃システムが「エネルギー消費を管理しながら稼働している」ように見せかける。
「……あいつら、こっちの砲撃の間隔を見てるな」
ガイルが言う。
「当然だ。普通の奴らは、俺たちの迎撃能力がどれだけ持続するかを計算しようとする」
「ふーん、で? 実際のところ、エネルギー消費は?」
「ゼロだ」
俺は肩をすくめる。
「こいつらが“持久戦に持ち込めば勝てる”と思い込めば、それでいい」
ガイルがククッと笑う。
「なるほどな。奴らが“迎撃の持続力は低い”と誤認すれば、今後の動きが慎重になるってわけか」
「そういうことだ」
俺は貴族派の監視者がいる岩場にカメラを切り替えた。
望遠鏡を覗いていた男が、急ぎ手元のメモを取りながら、何やら魔導通信を開始している。
「……あいつら、相当驚いてるみたいだな」
「まあ、情報戦ってのはこういうもんさ」
──敵に情報を流されたのなら、こっちも“嘘の情報”を流し返す。
「奴らは“拠点の防衛システムは強力だが、持久戦には弱い”と結論付けるはずだ」
「持久戦か……じゃあ、次に攻めてくる時は?」
「長期戦を前提にした準備をしてくる。つまり、攻めるまでに時間がかかる」
「……ハッ、そりゃあ助かるな」
ガイルがニヤリと笑う。
「その間に俺たちは迎撃の強化も、罠の追加もできる」
──こうして、山賊の襲撃は迎撃機能によって完全に無力化された。
だが、これで終わりではなかった。
「……さて、こっからが面倒だな」
迎撃戦が終わり、俺はモニターを睨みながらため息をついた。
砲撃によって倒された山賊の遺体が、拠点の周囲に転がっている。
死んでいると分かっていても、カメラ越しに見るのと、実際に目の前で見るのとでは全く違った。
血に染まった土、肉が焼け焦げた匂い、散乱する断片──
まるでゲームのグラフィックが、現実の映像になってしまったかのような錯覚を覚える。
……俺がこの世界に来て、初めて「自分が人を殺した」ことを強く実感した瞬間だった。
「……おい、顔色悪いぞ」
隣でガイルが眉をひそめる。
「……ああ。ちょっとな」
気持ちを落ち着かせるために、一度深呼吸する。
これがゲームなら、倒した敵はただのデータだ。
だが、ここでは──俺の判断ひとつで40人もの命が消えた。
「気にすんな。これは戦争だ」
ガイルは淡々と言った。
「ま、俺も帝国にいた頃はこんな光景を何度も見たが……慣れる必要はねぇよ」
「……そうか」
俺は小さく呟く。
慣れなくていい──それは、ほんの少しだけ救いのある言葉だった。
「でもよ、処理はしねえとな」
ガイルが周囲を見回しながら言う。
「死体を放っておけば腐敗して、疫病や野生動物を引き寄せる。それに、臭いもキツくなるぜ」
俺もそれは分かっていた。
「どうする? 埋めるか?」
「いや、それも手間がかかる。火葬しよう」
「燃やすのか?」
「ただ薪の上に乗せて焼くんじゃない。地中で焼く」
俺はそう言うと、地面に手をかざした。
──「収納」発動。
地面が波打ち、40体の遺体が転がる場所を中心に、大きな穴が形成されていく。
掘削機でも使ったかのような精密さで、広く深い穴が出来上がった。
「へぇ……お前の能力、こんな使い方もできるのか」
ガイルが感心したように言う。
「これなら、焼却したときの悪臭も抑えられるし、火力を集中させて短時間で処理できる」
俺は軽く息をつくと、ガイルを見た。
「火力はお前の出番だ」
「へいへい、俺の炎魔法でいいんだな」
ガイルは一歩前に出て、手のひらを穴へ向けた。
「──《灼熱の咆哮》」
ゴオォォォッ!!!
赤熱の炎が地中で炸裂し、一瞬にして穴の中を灼熱の炉に変えた。
猛烈な熱風が立ち上るが、穴の深さと角度のおかげで、悪臭は外に広がらない。
「……すげえな」
俺は地面を覆う熱気を感じながら、焼却されていく遺体を見つめた。
「高温処理だから、骨すら残らねぇな」
「そりゃあな。俺の炎は並の火とは違うんだぜ」
ガイルが自慢げに腕を組む。
実は、帝国の工作員が来るまでの間に、ガイルが炎魔法の使い手であることは確認していた。
戦闘中に使う機会はなかったが、こういった作業には適している。
「よし、あとは穴を埋め戻すだけだ」
俺は再び「収納」を発動し、先ほど取り除いた土を穴へ戻していく。
こうして、大量の遺体は完全に処理された。
「……これで、衛生面の問題も解決だな」
ガイルは軽く息をつきながら、火照った顔を拭った。
「なんつーか、戦争ってのは後処理が面倒だな」
「だな」
俺は頷きながら、夜空を見上げた。
「迎撃はシステムがやってくれるから、戦闘自体は楽でいいんだけどな」
ガイルがぼやくように言う。
「……でも、このままだと身体がなまっちまいそうだ」
彼は剣の柄を軽く叩きながら、少し寂しそうな表情を浮かべる。
「せっかく剣の腕には自信があるのによ」
確かに、ガイルは帝国時代から戦士として鍛えられてきた。
迎撃システムが優秀すぎて、彼の出番はほとんどない。
「まあ、いずれお前の剣が必要な場面も出てくるだろうさ」
俺はそう言って、彼の肩を叩いた。
「……そう願うぜ」
ガイルは軽く鼻を鳴らして笑った。
◆
翌朝。
俺たちが朝食を済ませた直後、拠点の門の警報が鳴る。
「……またかよ。今度は何だ?」
俺はモニターを覗き込み──息を詰まらせた。
拠点の門の前に、ボロボロの服を着た人々が立っていた。
老人、女、子供。全員が疲れ切った表情を浮かべ、助けを求めるような目をしている。
「……は?」
山賊ではない。
武装した敵でもない。
ただの、避難民だ。
「これ……ゲームにはなかったパターンだぞ……」
俺は思わず額を押さえた。
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