魔法クラフト、はじめました
拠点は静かだった。
表面上は、何も変わらない日常が戻ってきている。
警備班は交代で巡回にあたり、技術班は南門の補強作業を続けている。
衛生班のマリアは夜勤明けの兵の体調をチェックし、記録班のサラは屋根の上で今日も資料をまとめていた。
だが、誰もが心の奥では分かっていた。
あの帝国の将軍――カスラ・ヴェルドランの来訪は、嵐の前触れだったと。
俺、斎藤遼はその日、資材倉庫で警備班の報告を確認していた。
訓練中に討伐したコボルトから小さな魔石が回収され、管理リストに登録されていた。
「……そういえば、最初の“あいつ”も持ってたな」
つぶやきながら、棚の一角に並ぶケースに目を向ける。
そこには、数か月前――俺がこの世界で最初に倒した大型の魔獣、シルバーファングの名札がついた素材ケースがあった。
銀毛の巨大狼。
あの時、助けたのがガイルだった。
彼と出会い、今の拠点への道が開けた“始まりの戦い”。
――その魔獣の体内からも、小ぶりだが濃い輝きを宿す魔石が採取されていた。
(素材は、揃ってる。ずっと前から、俺の手の中に)
俺はそのまま倉庫を出て、クラフト専用の小屋――通称「クラフトルーム」に戻った。
無骨な機械式ドアを開け、壁に設置されたターミナルを起動する。
【クラフトメニューを開きますか?】
「……開けよ」
数秒の起動音。俺だけに見える、クラフト専用のインターフェースが立ち上がる。
画面をスクロールしていく。
武器制作台、装備整備ステーション、監視装置、罠、簡易住居、弾薬製造機、発電ユニット――
そして、最下層近くに、一つだけ“異質な項目”がある。
【錬金釜(Alchemical Furnace)】
カテゴリ:魔導クラフト関連設備
設置条件:石床または金属台座、外気換気口、安定基礎
「……やっぱり、ここにあったか」
転移直後に見つけて以来、ずっと無視していた項目だった。
“危険そうだった”。“意味がわからなかった”。
――何より、“使うつもりがなかった”。
だが、放っておけなかった。
俺のクラフトメニューには、すでに表示されている。
【魔導アシストグローブ(初期型)】
【低位展開式結界杭】
【魔力回路プレート(未解放)】
ゲーム時代にすべてのレシピを作り尽くした俺が、見たことのない名前の装備が表示されている。
「……ずっと、うずいてたんだよな。これが」
ただ、タイミングが合わなかった。
転移、王国の使者、村の襲撃、避難民の受け入れ、帝国からの来訪――
ようやく今になって、手をつける余裕ができた。
俺は魔石の一つを手に取る。
澄んだ赤紫色の結晶体が、まるで心臓のように淡く脈打っていた。
「やっと、お前の出番だな」
【錬金釜/設置開始】
クラフトルームの一角に空けてあった作業区画を指定し、設置命令を入力。
【残り時間:2分14秒】
金属アームが起動し、無機質な音とともに、釜の本体が組み上がっていく。
重厚な石台座に据えられた、三本脚の釜。
複数の素材投入口と、魔力ライン接続用の管。
縁には、自動的に現れたルーン文字のような魔法刻印が浮かび上がる。
「……錬金釜、完成。さて――」
俺は、そっと、魔石を釜の中心へ投下した。
魔石を投入した瞬間、錬金釜の内部で淡い光が脈打ち始めた。
釜の縁に刻まれたルーンが静かに輝き、内部の空間がわずかに歪む。
まるで重力と魔力が混ざり合い、別の法則が稼働し始めたような、そんな違和感。
【魔力クラフト解放――新規カテゴリ:魔導装備】
UIが変化し、新たなタブとレシピ群が並ぶ。
【魔導アシストグローブ(初期型)】
【低位展開式結界杭】
【魔力制御安定プレート】
【魔導戦略砲:起動条件未達】
この瞬間、胸の奥で何かがカチリと音を立ててはまった。
「……やっと作れるんだな」
迷わず、俺は【魔導アシストグローブ】を選択。
釜が唸りを上げ、魔石と布地、軽合金プレートが内部で浮かび、融合していく。
魔力と技術が交差するクラフト光景は、ゲームでも現実でも味わったことのない異質な美しさだった。
数分後、投出口から排出された装備は、銀と青を基調にしたグローブ。
手の甲に魔石のコアが埋め込まれ、細かな魔力ラインが浮き出ている。
触れた瞬間、魔力がじわりと皮膚に馴染むような、奇妙な一体感。
「……初、魔法クラフトか」
その声とほぼ同時に、扉が開いた。
「遼さん? ここにいたんですね」
サラだった。記録資料を倉庫に戻した帰りらしい。
「それ……新しい装備、ですか?」
グローブを一目見て、すぐにそう言うあたり、彼女の観察力は確かだ。
だが、さほど驚いた様子はない。慣れているのだ、この“変わった道具”に。
「また何か作ったんですね」
「まぁ、そんなとこだ」
あっさりした反応に、俺も苦笑する。
が、サラの視線がその先――錬金釜に向けられた瞬間、明らかに空気が変わった。
「……え? なにこれ」
釜はまだ、低く脈動していた。淡い青白い光がルーンを走り、内部は静かに発熱している。
そこに、マリアも加わった。
「何よその光……って、何それ、釜?」
彼女の目が真剣になる。
あらゆる設備を目にしてきた彼女ですら、この構造物には見覚えがないらしい。
「“錬金釜”って言ってな。魔法系クラフト用の設備だ。設置したのは今日が初めてだ」
「まーた……あなたって人は……」
マリアが額を押さえ、ため息交じりに笑った。
「本当に、底が知れないわね。何を次に出してくるのか、まったく予想できない」
だがその笑みは、あきれよりも、わずかな信頼と呆然を混ぜたものだった。
サラがぽつりと呟く。
「でも、なんだか……これ、本当に“魔法”みたいですね。私、魔石があんな風に動いてるの初めて見ました」
「だろうな。俺にとっても初めてだ」
これまで拠点の設備が“魔法っぽい”と言われるたび、俺は違うと説明してきた。
だが、今回ばかりは言い訳できそうにない。
これは、“魔法の釜”で、“魔石から”生まれた道具だ――どう取り繕っても、そうとしか見えない。
俺はグローブをはめ直し、釜の発光が落ち着いていくのを見つめながら呟いた。
「これが、あのゲームじゃなくて……“この世界のクラフト”だってのが、何より面白い」
翌朝、俺は南門前の練兵広場に結界杭を持ち込み、設置テストの準備を進めていた。
昨日、錬金釜で生まれたもう一つの成果――【低位展開式結界杭】。
魔石を核にした補助装備で、地面に打ち込むと指定範囲に防御障壁を展開する。
杭を地面に突き立て、グローブの魔力接点をなぞると、杭の魔石が脈動し、空気がわずかに揺れた。
次の瞬間、杭を中心に淡く光る半透明の膜が静かに広がっていく。
十メートルほどの球状の結界が、音もなく出現した。
「……なんだ、あれ……」
「空気が……跳ね返ってくる? 壁? でも透明で……」
警備班の兵たちが、言葉を探しながら結界を見つめていた。
無理もない。
この世界にも“結界”という概念は存在している。
だが、それはあくまで“神の領域”。
――世界樹を守護する宗教国家《アル=ザラーフ教国》。
その大聖堂を取り囲む“聖結界”こそが、人々にとっての“結界”の唯一のイメージだった。
そんな巨大な神殿級の魔法が、今、杭一本で発動されている。
「本当に、あれを……作ったんですか?」
「魔術じゃなくて……装置なのか?」
「新しい防衛設備だ。“結界杭”。釜で作った、試作品だ」
そう告げると、一人の兵士が恐る恐る棒で膜を突く。
──ピシィ、と音を立てて弾かれ、膜が一瞬だけ波打った。
そこへ、サラとマリアが到着する。
「これが昨日の……」
「見た目以上に、本物っぽいわね。大聖堂でしか見られないはずの結界を、あなたが?」
マリアの声には、いつものような冷静さの中に、明確な“畏れ”が混じっていた。
「あなた、どこまで行くつもりなの?」
「わからない。けど、“使えるなら使う”。それだけだ」
俺は手元のグローブに触れ、魔力接点を軽く押す。
瞬間、杭の魔石が再び光を放ち、展開されていた結界がスッと消えていく。
静寂の中に、わずかな“収束音”が残った。
「操作もできる。展開も、解除も」
言葉にしたとき、自分でもその“現実味”にぞっとした。
サラは小さく息を吐き、マリアはわずかに眉を上げる。
「……ガイルがこれを見たら、きっと黙ってはいられないでしょうね」
マリアがそう呟いたとき、俺も同じことを考えていた。
「呼んでくるか。“結界の守り”がどれほどのものか、試してみたい」
次に必要なのは、“本物の力”による検証だった。
午後、再び結界杭を設置した俺の前に、ガイルが現れた。
「おい遼、お前がとんでもないモンを作ったって聞いたんだが……」
訓練を終えた直後らしく、ガイルは軽装のまま、木剣を背負っていた。
いつも通りの気だるげな口調だが、視線は杭の周囲を巡る“何もない空間”を見据えている。
俺は無言で頷き、魔力接点をなぞる。
──ピリ。
杭が反応し、再び結界が展開された。
半透明の膜が地面からゆっくりとせり上がり、やがて球状の光が俺たちを包み込む。
「これが……結界か。確かに“見えねぇ壁”だな」
ガイルはゆっくりと近づき、腰の木剣を引き抜いた。
ためらいなく、そのまま斬りつける。
鋭い打撃。膜が大きくたわみ、内側から光の粒が散る。
それでも、結界はかろうじて形を保った。
ガイルは少し眉をひそめ、今度は深く息を吸った。
「……悪い。次は“本気”でやらせてもらう」
俺は黙って頷いた。
次の瞬間、ガイルの構えが変わる。
足元の砂を巻き上げる勢いで踏み込み、腰を沈め、一気に木剣を振り抜いた。
衝撃波のような風圧とともに、結界膜が大きく揺れる。
そして、膜に走る裂け目――ビキィッ!という音と共に、
光のドームは砕けるように霧散した。
「……壊れた、か」
俺は目を細め、杭の反応を見る。
魔石は完全に力を失い、淡く熱を残すだけの状態になっていた。
ガイルは剣を肩に担ぎ直し、ふうっと息を吐いた。
「……すまん。壊しちまったな」
「いや、助かる。限界が分かったのは大きい」
俺は杭に目を落とす。魔石は完全に反応を止め、表面がわずかに黒ずんでいる。
これ以上の再展開は不可能だった。
「通常の攻撃なら充分に防げる。ただ、“戦意を持った攻撃者の全力”にはまだ耐えきれない。
あくまでこれは、“低位展開式”。初期段階のレシピだからな」
ガイルが少し目を細める。
「ってことは……上位のもあるってことか?」
「まだ表示されてはいないが、可能性はある。
このクラフトシステム――レシピは、使う素材によって変化する。
つまり、“もっと強力な素材”が手に入れば、別の装備レシピが開くってことだ」
「素材か……そうなると、探す方も腕の見せどころだな」
「今のところ、魔石のサイズと純度がレシピ開放の鍵らしい。
今回のは“小”と“中”の混合だった。もし“特大”とか“高濃度”が手に入れば――」
「もっと分厚い壁も作れるってことか」
ガイルの声に、少しだけ期待が混じった。
俺は静かに頷く。
「次に来る奴らは、驚くだろうな。“壁”ができたって知ったときにはな」
お読みいただきありがとうございます!
この小説を読んで「面白そう」「続きが気になる」と感じていただけましたら、ぜひブックマークや☆☆☆☆☆の評価をしていただけると嬉しいです!
皆さまの応援が、執筆の大きな励みになります。どうぞよろしくお願いいたします!