【13】事件―その後、大団円?
呉羽宗一郎と川上道孝の変死は、当然のことながら〇〇県警を揺るがす事態となった。
彼らの死因は急性のヒ素中毒、即ち川上が撒いた<腐嶬>という地毒バクテリアによって、自滅したことであった。
しかし例えそれが事実であったとしても、世間に公表する訳にはいかない。
県警本部長である呉羽が、川上を使って6人もの人間を殺害したことも、そもそもそれを犯罪として証明することが不可能であったため、結果的に隠ぺいされることになった。
そのことに鏡堂は不満を抱きつつも、納得せざるを得なかった。
事実をすべて知る鏡堂ではあったが、それを証明する手段を彼自身も持っていないことは事実であったからだ。
そして何よりも、鏡堂と天宮から事の経緯を聞き終わった時に、高階邦正刑事部長が貌に浮かべた深刻な憂愁の色に絆されたというのも、大きな理由だった。
最後の事件に巻き込まれた新藤優と清宮沙耶香に対しては、鏡堂と天宮を通じて、警察から世間に口外しないよう依頼が行われた。
鏡堂たちは口封じをするような感がして、あまり気乗りではなかったのだが、本人たちはその依頼をすんなり受け入れてくれたのだった。
彼らにしてみれば、あの夜の体験がショックでもあり、意図せず与えられた不可思議な力から解放されたことによって、これ以上怪異に関わりたくないという思いが強かったのだろう。
鏡堂たちが訪ねた時、新藤優は間近に迫った高校入試に向けて、漸く受験勉強に集中出来ると喜んでいた。
父新藤保の自死を目の当たりにした傷は、まだ癒えてはいないと思われたが、勉強に集中する間だけでもそのことを忘れることが出来れば、少しずつ痛みも薄らいでいくのだろう。
そうあって欲しいと、鏡堂達哉は思うのだった。
一方の清宮沙耶香は、あの夜の蒼褪めた表情からは打って変わって、吹っ切れたような明るい表情で鏡堂たちを迎えてくれた。
恩師である澤村耕策が変死した後、彼女は自分が行っている遺跡の発掘保護という仕事に疑問を持ち始め、将来について悩んでいたらしい。
「でもあんな不思議な体験をして、この世界には近代科学では解明できないような謎があると知って、何だか力が湧いて来たんです。
遺跡の発掘がその謎の解明に繋がるかどうかは分かりませんが、ありのままの姿を保護することで、あんな恐ろしいものが世に出るのを防げるんじゃないかと思ったんです。
だから私は、このまま大学に残って研究を続けることにしました」
そう言って明るく笑う彼女に、天宮於兎子が一つの疑問を投げ掛ける。
「以前、靜〇川南岸のリゾート開発候補地に、突然植物が生えたことがあったらしいんですけど、あれはもしかして…」
「ああ、あれはご察しの通り、私の仕業です。
リゾート開発が正式に決まって、ちょっと悔しくて。
その頃、あの不思議な力が宿ったのを感じたので、ちょっと抵抗と言うか、悪戯をしてみたんですよ。
そんなことでリゾート計画が、中止になる訳じゃないんですけどね」
そう言って明るく笑う清宮沙耶香を見て、鏡堂たちの心も少し和むのだった。
事件が終結し、生活に以前の平穏さが戻った頃、天宮於兎子は久々に休暇を取って、二人の女性を訪ねた。
一人目は富〇町の占い師、六壬桜子だった。
桜子は相変わらず全身黒装束のいで立ちで、いつもの嫣然とした笑みで彼女を迎えてくれた。
「これは天宮様、お久し振りでございます。
お変わりないようで何よりです」
「こちらこそご無沙汰してます。
あの時の御礼が遅れて申し訳ありません」
「何を仰います。
あれはわたくしが、好きでお手伝いしたこと。
お気遣いなさらないで下さいな。
それで、本日お運びになりましたのは、どのようなご用件でしょう?」
何もかも察したような彼女の物言いに少し戸惑いつつ、天宮はあの夜以来、自分の心に蟠っていることを桜子に告げる。
「これは本来なら、上狼塚さんにお訊ききすべきことなんでしょうけど。
私の<雨神>の力についてなんです」
その問いに桜子は小首を傾げると、「どうぞ、お話しください」と言って彼女を促した。
「昨年桜子さんとお会いする前、私と鏡堂さんは、ある事件の捜査に当たっていたんです。
その時に犯人、私の弟だったんですが、その犯人が、『天宮家の血筋には時々、雨宮神社に祀られている神様が憑依して、雨を降らす力を宿す者が出る』と言っていたんです。
ところがあの夜上狼塚さんは、呉羽本部長が若い頃に神箭を折ったことが原因で、<雨神>の封印が解けたと仰っていました。
それを聞いて、どちらが正しいのか、私は迷ってしまっているんです」
「どうしてそれ程気になされているのでしょうか?」
天宮の話を聞いた桜子は、真剣な表情で問いかける。
「もし<雨神>の力が私の血筋に宿っているのであれば、どうしようもないと思うんですが。
偶然与えられたものであれば、いつかは私もこの力から解放されるのではないかと思っているんです」
「成程、天宮様が強大な力にお悩みになるのはご尤もです。
実は<雨宮神社>については、封印を復活させるための下調べの際に分かったことを、神斎から聞いております。
それにわたくしも興味がありましたので、調べたことがあるのです。
その範囲でよろしければ、わたくしからお話ししましょう」
そう言って桜子は、居住まいを正した。
そして天宮は彼女に期待の眼を向ける。
「確かに代々の<雨宮神社>の宮司の家系には、旱魃時に所謂<雨乞>を成す方がいたようです。
それは明確に記録に残されておりました。
弟様が仰っていたのは、そのことを指しているのではないでしょうか。
そしてここからは、わたくしの私見になりますが、その方々は<雨神>の力を一時借りることで、そのような霊験を現したのだと推察します。
一方天宮様には、神斎が申しました通り、<雨神>そのものが宿っておられます。
それは天宮様の血筋が呼び寄せたものであるかもしれませんが、あくまでも<雨神>の力そのものなのです。
<雨乞>は<雨神>の力を借りて雨を呼び寄せるに過ぎませんので、あの夜天宮様が示された圧倒的な力には遠く及ばないでしょう」
「私の力が与えられたものであれば、いずれ解放される時も来ると考えていいんでしょうか?」
天宮の切実な問いに、桜子はやや悲しげな表情を浮かべる。
「それにつきましては、わたくしからはっきりとお答えすることは出来ません。
ただ、既に20年以上も天宮様に馴染んだ力ですので、それ程容易くは解き放たれないと推察します。
申し訳ございません」
「そんな。
桜子さんは謝らないで下さい。
可能性がゼロじゃないと分かっただけでも、希望が持てます」
そう言って天宮は、すこしぎこちなく笑った後、気を取り直して訊いた。
「桜子さんは、これからもこの場所で占いを続けられるんですか?」
その問いに桜子は、寂し気な表情で答える。
「いえ、残念ながら本日を持ちまして、この場所での業は終了させて頂きます」
「そうなんですね。
せっかくお知り合いになれたのに、それは寂しいですね。
これからどうされるんですか?」
「また以前のように各地を巡って、様々な方の運勢を占ってみようと思います。
ですが、あの左道、神斎が申しておりましたように、新たな封印は脆弱なものです。
もしかしたらまた怪異が湧き出るかも知れませんので、その折には是非ともお力添えをしたいと存じます」
そう言って微笑する桜子に、天宮は困った顔で返した。
「私的には怪異はもう満腹なんですけど、桜子さんと再会出来るのは楽しみです。
どうかお身体に気をつけて下さい」
その言葉に、桜子は深々と首を垂れるのだった。
次に天宮於兎子が訪れたのは、〇〇大学構内の緑川蘭花の研究室だった。
「あらあ、於兎子ちゃん。お久し振り。
元気だった?
ニュースで見たけど、何だか大変だったみたいね」
研究室に入った途端、蘭花の明るい声が天宮を出迎える。
「その節は大変お世話になりました。
お蔭で事件の真相に迫ることが出来ました」
「そう、役に立てて何よりだわ。
じゃあこれから事件について、事情聴取しましょうか」
そう言って興味津々の笑顔を向ける蘭花に、天宮は事件の詳細を掻い摘んで伝える。
本来部外者に漏らすべき内容ではないのだが、蘭花には以前の事件で怪異の詳細を語っており、また彼女は決して口外しないと確信出来た上でのことだった。
話を聞き終えた蘭花は、少し表情を引き締める。
その顔は、女の天宮でも思わず見惚れてしまう程の美しさだった。
「成程、一連の怪異はこれで一旦終結ということね。
おめでとうと言っていいのかな?
ところで達哉の奴は、相変わらずの偏屈刑事振りを発揮しているようね。
困ったもんだ。
於兎子ちゃん、これからも、あの刑事馬鹿のことをよろしくね。
それから、あいつと結婚する時は、真っ先に蘭花先生に知らせること。
いいかな?」
「ち、ちょっと待って下さい。
結婚なんて」
そう言って狼狽える天宮にはお構いなしに、蘭花は笑顔で告げる。
「そうだ、近々女子会やるんで、於兎子ちゃんも参加ね。
グループラインで連絡行くと思うから、よろしく」
――どうしてこの人と会うと、こんなに気持ちが明るくなるんだろう?
蘭花の輝くような笑顔を見ながら、天宮はしみじみと思うのだった。
そして呉羽の変死から二か月が経過したある日。
鏡堂達哉と天宮於兎子は、高階邦正刑事部長から執務室に呼び出された。
その頃には、世間の騒擾はまだ収まっていないにしても、昨年の夏から1年以上も続いた怪異事件が、今回の事件によって終結を見た感が、鏡堂の中にはあった。
執務室に入ると、中には高階だけでなく、最近捜査一課長として赴任した駿河克昌の姿があった。
正面に並んで立った鏡堂と天宮に、高階は端的に用件を伝える。
「鏡堂、先日警部補に推薦したが、昨日の評議会で受理された。
辞令はこの後駿河課長から出るが、昇任は来月一日付だ」
そのことを聞いて鏡堂は驚き、天宮は顔を明るくする。
しかし高階の用件はそれだけではなかった。
「さらに鏡堂、お前を新たに作る捜査班の班長に任命する」
「新たな捜査班とは、どういうことでしょうか?」
「これまで起こったような、変てこな事件の専従捜査班だ。
メンバーはお前と、天宮、それから新人を当てる」
そう言って高階は駿河に目で合図する。
すると駿河は、執務室から出て行った。
「部長、ちょっと待って下さい。
変てこな事件の専従班って、何なんですか?
あんな事件が、そんなにしょっちゅう起きる訳ないじゃないですか」
「何を言ってるんだ。
現に起きてるじゃないか。
それにお前から聞いた陰陽師とやらの話だと、封印が弱いとかで、また将来起きる可能性があるんだろう?
それに専従と言っても、通常事件の捜査にも加わってもらう。
うちも人手不足だからな。
だから安心しろ」
「安心しろって…」
そう言って鏡堂が絶句した時、駿河が執務室に戻って来た。
彼の後ろには若いスーツ姿の男が従っている。
まだ言葉を失ったままの鏡堂に、高階がその男を紹介した。
「本日付で捜査一課に赴任した、真田俊一巡査だ。
所属はさっき言ったように鏡堂班。
しっかり刑事のイロハを叩き込んでやれ」
その言葉に続いて、真田が童顔に笑みを浮かべて挨拶した。
「鏡堂班長、天宮刑事。
真田俊一です。
よろしくお願いします」
「よし、以上だ。
退出してよし。
駿河課長は残ってくれ」
有無を言わさぬ高階の口調に、鏡堂たちはすごすごと引き下がるしかなかった。
席に戻った鏡堂は、思わぬ出来事に頭を抱える。
――これは間違いなく、あの狸部長の嫌がらせだ。
その様子を見た真田が、不思議そうな顔で鏡堂に声を掛ける。
「鏡堂さん、どうされたんです?
大丈夫ですか?」
その言葉に顔を上げた鏡堂は、思わず訊き返す。
「お前、何か不始末でも仕出かしたのか?」
「どうしてですか?」
「そうでもなきゃ、俺の下に配属されんだろう」
鏡堂の言葉を聞いて、真田は訳が分からず顔を引き攣らせた。
その様子を見ていた天宮は思わず、俯いて笑いを堪える。
そんな彼女の胸には、何故か明るい気持ちが込み上げてくるのだった。
了