無色透明
私の家庭は、貧乏でもお金持ちでもなく、何不自由のなかった、一般的な家庭だと思う。
私は三人兄弟の末っ子であるが、そんな私は私の住む地域では一番偏差値の高い
いわゆる進学校に進学してそこそこいい大学に入り、兄弟の中では高学歴で上場企業起業の有名な大手企業へ就職して兄弟や親戚のなかでは勇逸自信をもててるところ...だった。
学生の頃は友達の付き合いや遊びを我慢し勉強をしてきた。
いい学校にいって言い企業に入るといい人生を送れると信じて頑張ってきた。
だが実際に社会人になってみると仕事漬けの毎日で大人になったら好きなことが何でも出来ると思っていた。
それはあながち間違っていなかったとは思う。
だが、それはお金の面に関してだ
友も少ないうえに上京してなおさら遊ぶ人もいない
それどころか仕事の事で頭がいっぱいいっぱいで自分の気持ちに余裕がない生活が続いていた。
そんな生活約一年半続きついに限界がきて実家の田舎に帰ろう。
そう思い実家に連絡したら快く「帰っておいで」といってくれた
そこで今の会社を辞めることを決心した。
実家には両親と祖母がいた
祖父はもう数年前に他界していた。
会社を止め実家に帰省した俺は、傷心した心を休めるためにしばらく再就活をせず
貯金もあるのでゆっくりすることにした。
時の流れというのは思ったより早く一か月二か月とあっと言う間に来る
それでも傷心していた自分は新しく仕事を探す気に起きず
もうちょっとだけもうちょっとだけという気持ちでいたら
気付いた時にはもう一年がっ経っていた。
一年も経つといい加減に親もうるさくなってきた。
働かない自分が悪いんだが、やっぱりぐちぐち言われるのはいい気分ではない
特に親父がうるさくて仕方がない。
そんな中優しくしてくれるのは祖母だった。
祖母は足腰が悪くよく俺が病院だったり買い物だったり
よくお世話をしていた。
そのおかげもあって母からは厳しく言われなっかたのかもしれない
とにかく親父から言われるのが鬱陶しかった。
自分の中で祖母の世話を言い訳に働かずも六年が経った。
相変わらず働けとは言われるがもう聞き流すようになっていった。
そしてまた平凡な日常を送っていた。
ある日自分の部屋の二階から一階におりてリビングに行った。
「ばぁちゃんソファーで寝てるな」
そう思っていた。
人との別れは突然やってくるものだ、祖父の時もそうだった。
「ばあちゃん?」
返事はなかった。嫌な予感しかしなかった
嫌な予感は的中していた
急いで救急に連絡をしたが、その時にはもう遅かった。
祖母はソファーで今にも起きそうな安らかに逝ってしまった。
そこからは速かった。
お通夜がきて葬式が来て納骨まで一瞬に終わってしまった。
その時には、親族がたくさん来て無職の俺にはとても居心地が悪かった。
ずっと無職ということは流石に親戚には知られている
だから肩身が狭かった。だからと言って大好きな祖母の最期のお別れに顔を出さない理由にはならなかった。
「寧ろ一番悲しいのはここにる誰よりもい俺の方だ」
親戚はたまにしか来ない癖に
俺がここにいて何が悪い!
だれも何も俺の事はきっと誰も何も言っていないだろう
だがみんなの目がどうしても気になる
言わないだけで「無職」の烙印で冷たい目を感じ勝手に被害妄想をしていた。
おばあちゃんの眠る棺桶を親族皆が囲んでいるが
最期だというのに俺は皆から一歩引いていた。
出来れば誰とも会いたくないのが正直なところだ。
最期は一番一緒にいたのに最後は一番一緒に入れないのが悔しかった。
納骨も終わり親族皆が帰り、誰もいない実家の仏壇の前で眠った
その時におばあちゃんとの思い出とともに葬式の時に流せなかった涙があふれていた。
祖母の件が落ち着いて、月並みの表現かもしれないが俺の心にはぽっかりと穴が開いたようだった。
そんな時に仕事はしないのか?
いつ働くんだ?
といってくる
自分でも分かっている。
もういい年だそろそろ働かないとという気持ちもあるんだ
だからそっとしといて欲しい。
祖母が亡くなってからというもの親との関係はもう最悪だ
「お前の生活費や年金こっちが払ってるんだぞ」
「誰が払ってくれなんてたのんだ!!」
いい年して反抗期と変わらない自分が情けない
両親はもう六五歳過ぎて本来なら老後の生活を二人で過ごすはずだった
でも自分でも分かっている俺はどこかおかしい
「こんな三十後半の男をまともな企業が雇うんだ」
こんなくだらない考えで何も行動に移さなかった。
それと働けという親父へ思春期の反抗期みたいな気持ちもあるんだと思う。
学生の頃から勉強してきて自分なり失った親への思春期が
来たのかもしれない。
自分自身、働かない理由は分からない
正直将来を考えるのが怖い
親が死んだらどうする?
自分の老後は?
考えただけで死にたくなる。
これはただの現実逃避だ
分かっている
でも今がよければそれでいい
今はそう思っている。
毎日のように親父とは喧嘩をしている
母はただ俺を親父から庇う
これは俺がこれ以上激怒しない様に抑えているというのは分かっている。
俺を庇う度に次は両親同士の喧嘩になる。
時には警察沙汰にまでなることもあった。
どこでこうなったんだ...
もう自分でも自分が分からない
ただ否定されるのが嫌だった
否定されても仕方ないというのは分かっている。
たまに本気で父へ殺意さへ湧く
でも殺す勇気もない
自殺する勇気もなければ生きる勇気もない
だから今の状況から一歩も踏み出せないのだ。
恐らく変わるとしたら両親が死んだときだろう。
父が先に死んだら母は遺産でどうにかしてくれるだろう
母親が死んだらきっとあの男は俺を無理やり追い出すだろう
もうその時はその時に考えよう。
それまではこのまま生きていこう。
...またおばあちゃんと居たいな