第4話 望み
ザフィーラがアシルにと用意した仕事は王宮内の掃除係だ。
「本当によろしいのですか? もう少し王族の方々に近い場所で働ける……例えば、文官の補佐のような仕事もありますが」
「いいのよ」
そうですか、と答える家令は不安そうだったが、ザフィーラは掃除係こそアシルに合うと信じて疑わなかった。
アシルが砂魔物に記憶を食われた人物であること、王女の庇護下にあることは既に広く知れ渡っている。大半の人はアシルに対して親切だが、中には揶揄ったり、やっかんだりする人もいるようだということが調べるうちに分かって来た。
だからこそザフィーラは、アシルの仕事場として掃除係を選んだ。
掃除係は王宮内のあちこちへ行くうえに仕事の内容も多岐にわたり、人と関わることも多い。アシルは真面目な働き振りと人当たりの良さとでうまい具合に対人関係を築いて行き、いつしか王宮内に親しい相手を幾人もつくっていた。ザフィーラの侍女でさえ、アシルと冗談を言い合って笑うようにすらなったほどだ。
自分の目が確かだったこととアシルが優秀だったこと、その二つに誇らしい思いを抱きながらもちょっぴり寂しさも感じながらザフィーラが働くアシルを見守って約一年。
ある日、珍しく自分からザフィーラの元を訪ねてきたアシルは「官吏試験を受けてみたい」と言い出した。
官吏になるということはトゥプラクとさらに密接になることでもある。
自身も官吏試験を受けようと勉学に励んでいたザフィーラは、喜んで自分の教師を紹介した。
官吏試験が行われるのは年に一度で、受験資格は十六歳以上。アシルは年齢に関しては問題がないが、試験を受けるための勉強はこれからだ。一方のザフィーラは官吏試験を受けるために少しずつ勉強をしているものの、まだ十四歳なので試験が受けられない。
(もしかしたら二年後、一緒に試験を受けられるかもしれないわ!)
そう思ったザフィーラだが、しかし予想は外れた。
アシルは優秀すぎたのだ。
まるで砂が水を吸収するかのような速度でたくさんの知識を得ていった彼は、翌年に受けた一度の試験で易々と官吏試験に合格してしまった。
「えええ……お、おめでとう……」
「ありがとう」
ザフィーラが顔を引きつらせながら祝賀を述べると、アシルは礼を言ってからくすりと笑う。
「合格しない方が良かった?」
「……そんなことない。受かって良かったねって思うわ。でも、一回で受かっちゃうとなんだか悔しい……」
「素直だね」
だって、とザフィーラは口を尖らせる。
「私なんてもう何年も勉強してきたのに、正解よりも間違いの方が多いときだってあるのよ」
「きっと年齢の差だよ。私はザフィーラより四歳も年上だから、その分だけ元の知識もあったんだと思う。例え記憶をなくしていたんだとしてもね」
「……そうかしら」
「そうだよ。だからザフィーラも十六になるまでの間にもっと学べばいい。あと一年もあるんだから、きっと一回で通るよ」
「うーん……」
ザフィーラはその光景を想像してみる。
一回で試験に受かって周囲から賞賛を受けるさまを。そして国の官吏となり、アシルと一緒にナーディヤを補佐するさまを。
「……とっても素敵」
「だろう? 頑張るんだよ、ザフィーラ」
優しい声の彼は輝くような笑顔を見せていた。太陽のように強い輝きではない。静かな夜にオアシスを照らす月のような、どこかほっとする輝き。
ザフィーラの頬がたちまち熱くなった
アシルが近くにいるとザフィーラの心はフワフワとしたもので満たされる。いつも傍らにあった孤独感なんて感じる暇もない。
「あの、ね。そんな顔をあちこちでしちゃ、駄目よ」
掃除係になってからアシルの人気は上がった。彼が他の人と一緒に居る姿はよく見る。中でも女性からはよく声を掛けられるようだ。トゥプラクの慣習が邪魔をしなければ、女性たちはもっと長く彼と話をしたいと思うに決まっている。
だけどアシルは自分がどれほど周りを、特に女性を虜にするのか分かっていないようで、不思議そうに首を傾げる。
「どうして?」
「どうしてもなの!」
舌を出したザフィーラは横を向き、赤くなった顔をベールで隠した。
***
トゥプラクの人々は十六歳をもって大人と見なされる。
大人と子どもの見分け方は耳飾りをつけているかどうかだ。
十六の誕生日の朝、子は親に耳飾り用の穴を開けてもらう。
そして親から贈られた耳飾りを飾り、これで“大人”になるのだった。
大人になるということは一人前になるということで、この日を境に許されることがいくつかある。
ザフィーラが目標としている官吏試験が受けられるようになるのはもちろんのこと、結婚ができるのも十六歳からだ。
以前のザフィーラにとって結婚とは、特に何の感慨も湧かないものだった。
例え年齢的に許されるとはいっても結婚とは当人同士だけで行われるものではない。家のしがらみなども生まれるため、結局は親をはじめとした周囲の意見にも左右される。
トゥプラクの王女として生まれたザフィーラも、父が生きていた頃は「どこか別のオアシス国家へ嫁ぐのだろう」と漠然と思っていた。
しかしあれは父が亡くなってすぐのこと。叔父との政争に勝って国主の座に就いた十六歳のナーディヤは、十一歳のザフィーラを抱きしめて言った。
「可愛いザフィーラ。私はお前を他の国に行かせたりしない。絶対にしないわ」
ナーディヤの母は既に亡く、ザフィーラの母も同様だった。幾人かいた弟妹も夭折していたので、女神の名をもらった姉妹にとって「家族」と呼べるのは互いに一人だけしかいなかった。
ザフィーラにとって一番大事な相手というのはナーディヤで、ナーディヤにとっても一番大事だったのはザフィーラだったと思う。
インクの匂いがする腕の中でザフィーラは、うん、と頷く。
「じゃあ私は早く大人になるわ。大人になって、官吏試験を受けて、政に関わる。そうしてずっとずっと、このトゥプラクでお姉様をお助けするのよ」
姉の耳で黄金の飾りが揺れるのを見つめながら答えたその言葉は、今でもザフィーラの夢にもなっている。
あれから時が流れた。十六歳を目前としてもザフィーラの夢は変わらない。
しかし状況は少し変わってきている。
もちろん今でもナーディヤのことは大好きだ。いつまでもトゥプラクにいて女王ナーディヤの補佐をしたいと思っているのも、同じ。
(だけど……)
ザフィーラの十六歳の誕生日。
大人になる日。官吏試験が受けられるようになる日。結婚が許される日。
ザフィーラには夢がある。
官吏になるということ。
そして今は他に、もう一つ。




