第4話 激情
砂漠では死者を埋葬後、墓地の一角にある廟で家族が魂送りの香を夕方まで焚き続けるならわしになっている。
死者の体は大地の女神のもとで安息を与えられ、魂はゆらめく香の煙に乗ってゆっくり空の神のもとへ行く。そう信じられているためだ。
ナーディヤの埋葬が終わると一行は墓地から引き上げた。いつも行動を共にする侍女たちですら門まで戻っているため、今はザフィーラが一人きりで、王族のための廟の一室で香を燻らせている。
ナーディヤの母が死んだとき、弟妹が死んだとき、ザフィーラの母が死んだとき、父が死んだとき。ザフィーラは少しずつ減っていく家族と共にこの王家の廟で香の守りをした。
そして今日、ザフィーラはまた魂送りの香を焚いてる。
今までと違うのは廟の中にいるのがザフィーラ一人きりだということ。
これまで一緒に香を焚いていたナーディヤは廟の向こう側に行った。
自身の名の由来となった大地の女神の腕に抱かれ、父や母たちと同じように永遠の眠りについてしまった。
「ごめんなさい」
ザフィーラの頬を涙が伝う。これは後悔か。それとも罪悪感からだろうか。
侍女も、兵も、官も、民も、これまで誰もザフィーラを責めない。この事態を引き起こしたのはお前だと罵ってくれたら、少しは楽になれたかもしれないのに。
「ごめんなさい……皆、皆、ごめんなさい! お姉様、ごめんなさい……!」
ザフィーラは叫びながら床に伏す。
だけどもう、泣いているザフィーラを抱きしめてくれる腕はこの地上のどこにもない。
***
夕の刻を告げるはじめの鐘が鳴る。
次の鐘が鳴れば閉門だ。
ザフィーラは残りの香と、手をつけなかった食事とを籠に入れる。
のろのろと立ち上がり、魂送りのための部屋の扉を開け、目を見開く。
ぐっと唇を噛み、何も見なかったふりをして廟から出るつもりで数歩進んだが、考え直して足を止めた。
「……いつからいたの」
自分にこんな冷ややかな声が出せるのだと、ザフィーラは今の今まで知らなかった。
「朝から」
対して、背後から戻ってきた声は憎悪をかき立てるほど何の感情も籠められていなかった。
「そう。ご苦労なことね。私が逃げないように見張っていたの? それとも私の嘆きを聞くのが楽しかった?」
「どちらでもないよ」
「まさかとは思うけど、私と一緒に魂送りをしていたつもりだ、なんて言わないでしょうね」
返事はなかった。
ザフィーラは出て来たばかりの方へ向き直る。いつものようにトゥプラク風の衣装を着た彼は、ごく自然な様子で扉の横に立っていた。
「ふざけないでよ。本当は私たちに何の思い入れもないくせに。……この、嘘つき!」
そう、すべては嘘だった。
彼の言動は嘘だけしかなかったのだ。
ザフィーラが「アシル」と呼んでいた青年は、マドレー王国の第四王子だった。
むせ返るような血の臭いが立ち込める大広間でホセがそう説明した。
「我々の邪魔になるのは女王と、女王派の中でも特に力を持った数名の人物だった。今回の“対象”はそれらの人物だけで、正直に言えば他の人物はついでだったわけだが……まあ、当初の予定通りになったといったところか」
それを聞いた白い肌の男たちがザフィーラの近くで吐き捨てるように言う。
「女を誑かすしか能のない“顔だけ王子”がこんなところでしゃしゃり出てくるなんて」
「仕方ないだろう。こちらよりもあちらの方がまだ強い」
「だけどよ――」
すべて聞こえていたはずのホセはその言い合いを止めなかった。彼はいかにも不機嫌そうな顔をザフィーラへ向ける。
「トゥプラクの王女よ。お前の命があるのは殿下のおかげだ。感謝するのだな」
そう言い放ったホセに命じられ、男たちがザフィーラを大広間から出す。抵抗は無駄だった。半ば引きずられるようにして連れられながらザフィーラは泣いた。命を助けられた理由は明白で、あまりにも悔しかったからだ。
(王子の命令で助けられたって言うのは正しいんでしょうね。だって私が無力だっていうのはあの人が良く知ってるもの。私は『マドレーという国にとって何の脅威にもならない』と判断されたから生かされたんだわ)
姉王がいなければ何もできないくせに、一人前のつもりで浮かれた夢ばかりを見ていた愚かな王女ザフィーラ。
もしもザフィーラがナーディヤと同じだけの器量を持っていたのなら、きっと命はなかったはずだ。
惨劇の後に全身が赤く染まったザフィーラの身を綺麗にさせてもらえたのも、マドレー兵の見張り付きながら自室へ戻してもらえたのも、ナーディヤの体が返してもらえたのも、ナーディヤの埋葬を許されたのも、すべてが“マドレー王国の第四王子”の指示によるもの。
ザフィーラが何かを成したわけではない。だってザフィーラは以前も今も、こんなにも無力なまま。
だから姉の敵がたった一人で目の前にいるのに何もできない。彼が鍛錬を怠らなかった姿をザフィーラは見ているから。一方の自分が何もできないことが分かっているから。
それで、籠を抱いた腕に力を入れてザフィーラは廟の中で彼を睨みつける。
この程度のことでは彼に何の影響も及ぼさないのだと分かっているけれど、今のザフィーラにはこの程度のことしかできなかった。




