第3話 感受
ザフィーラだって王女だ。今までに多くの人の前に立ったことは何度もある。だから今回だって何とかなるはずだ。そう思って列の前に来たけれど、今まで相対した大勢の人たちが「好意を持って集まった者」だったことを忘れていた。
(嘘……。なに、これは)
好意とは違う視線に晒されて体から汗が吹き出す。ユシュ鳥を操る手綱が滑る。
見えない力がザフィーラを押しつぶそうとし、声を喉の奥へ戻そうとする。口の中が渇く。
息をするのも苦しくなって、再び涙がにじんでくる。今度は怒りではなくて恐怖だ。
怖い。怖い、怖い。
考えてみれば先日、ザフィーラはメティン一人ですらあしらうことができなかった。
それなのにこんな大勢の人を引かせる力なんてきっと、ない。
このままユシュ鳥を後退させてしまおうかとザフィーラは一瞬、考えた。背後には兵士長がいる。彼が一声かければ控えた兵士たちが動くし、侍女たちはきっと駆けつけてきてくれる。皆がザフィーラを守ってくれ、この視線からも遮ってくれる。
だけど、ザフィーラはそうしなかった。民の持つ石が目に入ったからだ。
王族に不満があるのなら、こうして前に出て来たザフィーラに投げればいい。だけど今、石が飛んでこないということは、あれは王族ではなくナーディヤに向けて投げるためのものなのだ。
(あの石を私に投げさせてしまえば、お姉様の棺に当たる石は少なくなる)
後ろへ戻る代わりに、ザフィーラは前へ一歩進んだ。
投げられた石は痛いだろう。
しかし誰かのために身を挺して斬られる刃よりは、ずっとずっと痛くないはずだ。
(お姉様、力を貸して)
押し寄せる圧力に負けないよう、ザフィーラは息をいっぱいに吸い込む。
「皆さん。私は女王ナーディヤの妹。王女ザフィーラです」
女王ナーディヤの妹。
それはとても誇りに思える言葉だった。
おかげでザフィーラの体に力が入り、背筋が伸びる。視野が広がり、そして分かった。
人々が見せているのは、怯えたような、戸惑ったような、すがるような、そんな表情だ。
ここにいる者たちがどうしてそんな表情をしているのかは分からないが、持っているのが憤怒や怨恨ではなかったことがザフィーラの意識を一変させた。
ザフィーラは民衆に怒りをぶつけるつもりだった。
あんなにも人々のことを考えていた女王の治世のどこがそんなに悪かったのかと詰るつもりでいた。
だけどそれはきっと違う。
ザフィーラは胸に手を当て、ユシュ鳥の上から頭を下げる。
「皆さんがこうして見送りに来て下さったこと。亡きナーディヤに代わり、ザフィーラが感謝を申し上げます」
「違う! 我々は女王に対し反感を持つ者だ! 圧政を敷いた女王が埋葬される前に、我々の恨みを少しでも届けようと思って来たのだ!」
どこからか聞こえる罵声に周囲の人々も呼応する。しかしそれは先ほど列の後ろで聞いたものよりずっとずっと小さかった。
ザフィーラは再び声を上げる。
「いかに偉大な女王とはいえ、トゥプラク六万の民すべてに恩恵の与えられる政はできなかったでしょう。不満をお持ちの方がいらっしゃって当然です。ですから王女ザフィーラは皆さんにお約束します。広く意見を聞く場を必ず設けると。そこではどのような恨み言も受けます。私に石を投げても構いません。――ただし、今は」
鐙にしっかりと足を通し、ユシュ鳥の上で立ち上がったザフィーラは両の腕を広げる。遠くの人にもできるだけ見えるように。
「この土色の衣に免じて、道を通していただけませんか」
静まった場に、ザフィーラの声は良く通って聞こえた。
土と同じ色をした衣は葬列の者たちが纏うためものだ。暑くならないうちに埋葬したい気持ちはトゥプラクに住む者たちなら全員がわかることで、だからこそ人々は土色の衣の列を見ると必ず道を譲る。
ザフィーラにほど近い場所にいる数人が意を決したような表情を見せたあと、手にした石を地面に向かって放り、わずかな空間を後ろへ下がった。それを機に場の人々が石を一斉に地面に向かってそっと投げ、あるいは転がしてから下がる。
やがてザフィーラの眼前には、まっすぐに広く道が開けた。
「ふざけるな! 我々の腹立ちは――!」
先ほどあがった罵声と同じ、奇妙な訛りのある声は何故か途中で切れた。
「ありがとうございます」
ザフィーラの述べた礼を聞いた周囲の人々は膝をつき、一斉に頭を下げた。その中をザフィーラが進み始めると、左右には即座に兵士が並んだ。彼らが歩みを止めさせようとはしなかったので、ザフィーラは頭を上げたまま、まっすぐ前を見据える。
今回の殺戮をマドレーやメティン側がどのようにして民に説明し、どのように人心を操ろうとしているのかをザフィーラは知らなかった。しかしこの一連の状況で、その片鱗が見えたような気がする。
民は最後の最後でナーディヤに対する恩を取ってくれた。今度はザフィーラがその恩に報いる番だ。民のために何ができるのかを考えなくてはいけない。
(だけど)
ザフィーラは手綱の中に袖を握りこむ。
せめて今日だけは。この土色の衣装に免じて、民のことは二の次にさせてもらいたい。




