第3話 暗転
わっと歓声が聞こえて、ザフィーラはびくりと肩を震わせる。
見ると、大広間の中央でくるくる回っていたはずの踊り子たち全員がザフィーラに向かって膝をついていた。どうやらザフィーラがぼんやりしている間に踊りが終わったらしい。
(そうだった。今は誕生日の宴の真っ最中よ)
せっかくのザフィーラの誕生日、それも特別な十六歳の宴だ。美しい舞や湯気の立つ美味しい料理から気を散らし、余計な回想をしていた時間がもったいなくて、少し、悔しい。
「とても素敵だったわ」
だけどちゃんと見ていたふりをするのが大人の礼儀だ。ザフィーラが踊り子たちをねぎらうと、彼女たちはもう一度頭を下げて退出していく。
宴の参列者たちは、踊り子が自身の前を通るたびに賞賛の声を送る。それを聞きながらザフィーラは盃の中身で唇を湿らせた。果実の程よい酸味が食欲を刺激して、改めて空腹を実感する。目の前にならぶ料理はどれも美味しそうで、果たしてどれから食べようかと悩んでいると、ナーディヤがザフィーラの名を呼んだ。
「今日はね、吟遊詩人も呼んであるの」
「本当?」
弾んでしまった声は演技ではない。ナーディヤがハッとして、それから嬉しそうに微笑む。
「本当よ。滞在中の都市で商隊と一緒にいるのを見かけてね、試しに歌ってもらったらとても良い声だったから来てもらったの。――さあ!」
ナーディヤの声に合わせ、開かれたまま入口から弦楽器を持つ一人の男が現れた。うつむきがちに進む男の顔はターバンに隠れて良く見えない。
どんな人なのだろうかとザフィーラは身を乗り出したが、それを止めるかのように横からすっと手が伸ばされた。ナーディヤだ。
「そこの者、止まれ」
通る硬い声が命じる。吟遊詩人は足を止めない。
招待客が歓談をやめた。静まり返る大広間に、ナーディヤの声が響く。
「止まれ!」
大広間の半ばまで進んでいた男が足を止める。ザフィーラは息をのんだ。
ナーディヤが二度目に命じた言葉は砂漠のものではない。海の向こうの国々で使われている言葉だ。
(これは偶然? それとも……)
ナーディヤが先日まで別のオアシス都市へ出かけていたのは、海の向こうの国々が砂漠の都市国家に「ちょっかいをかけてくる」ようになったせいではなかったか。
座ったままザフィーラは思わず後ろへ下がる。その膝をナーディヤが「大丈夫」とでも言うように軽く叩いて立ち上がり、前に出る。
「私が招いた吟遊詩人はお前ではない。一体何者だ、言え。言わぬのなら――」
ナーディヤの話を無視し、吟遊詩人は後ろに向けて叫んだ。
「来い!」
廊下から足音が聞こえ、幾人もの男が大広間に入り込んできた。男たちは全員、白い肌をしている。トゥプラクの人間ではない。
彼らは赤く染まっている刃を招待客に向けた。悲鳴を上げる人々に男たちは襲い掛かる。
「どこの国の者だ!」
ナーディヤが海の向こうの言葉で叫ぶ。しかし大広間の中央にいる吟遊詩人は不敵な笑いを浮かべたまま答えようとしない。
ここは王宮だ。警備の兵も十分に配備されている。しかしこの騒ぎを聞いても誰一人としてこの大広間に駆けつけてくるものはいない。
先ほど乗り込んできた男たちの刃は既に血で濡れていた。きっと王宮の兵士たちは既に倒されてしまったのだ。一体どれほどの規模で乗り込んできたのだろうか。
この場で剣を持っていたのはナーディヤだけ。宴の招待客は剣を持っていない。万一のことがないようにと大広間は帯剣不可にしてあったからだ。それが裏目に出て、人々は抵抗らしい抵抗もできずに倒れていく。床の絨毯が吉祥の柄も分からぬほど赤く染まり、むせ返るような血の臭いで胸が悪くなる。奥のザフィーラにも徐々に死が迫ってきている。
逃げろ、と頭が警告を発する。しかしどこへ行けばよいのだろう。正面の扉へ行くためにはこの恐ろしい大広間を通らなくてはいけないというのに。
動けないザフィーラの前に、華奢な褐色の手が差し出された。
「ザフィーラ様、お立ちください。逃げなくては」
ベルナだ。
「控室へ続く扉から出られます。そちらにも敵がいるかもしれませんが、今はとにかく」
うなずいたザフィーラはベルナにすがって立ちあがる。「お姉様もご一緒に」と言おうとしてナーディヤを振り返り、そこでザフィーラは見た。
殺戮の合間を縫って中央の吟遊詩人に向かって進み出る人物がいる。普段は穏やかな彼が珍しく何かを叫んでいるが、ザフィーラの元まで声は届かない。帯刀はしていなくとも徒手で相手の攻撃を受け流す、彼は。
「アシル!」
吟遊詩人がアシルに気づいた。楽器を投げ捨て、隠し持っていた剣を抜く。
ザフィーラはベルナの手を払い、思わずそちらへ飛び出した。敵と切り結んでいたナーディヤもアシルの元へ向かおうとする。
しかし次の瞬間。
「ザフィーラ様!」
ベルナの叫び声がザフィーラの耳に届く。視界に影が落ちる。反射的に横を見たザフィーラは、振り上げられた剣にようやく気が付いた。
そこからはすべてがゆっくりと動いて見えた。
屈強な男が刃を振り下ろした。刃には既に赤いものが付着している。これからザフィーラもこの刃を彩る一部となる。
目は閉じられない。閉じることができない。最期を迎えるザフィーラの目に映るのはきっと自分の体から赤い飛沫が上がる光景だ。それは覚悟ではなく絶望だった。




