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『小説家になろう』公式企画

織田家の厨(くりや)

作者: 敷知遠江守

 東山殿の御世に各地の大名小名が京に兵を入れ、あちらこちらに火を放ったせいで、あれだけ繁栄を極めた町は焼け野原に変わってしまった。

あれから何十年が経ったか知らぬが今日までまるで復興が進んでいない。

進まないどころか、飢餓、流行り病、賊の跋扈(ばっこ)と、この世の地獄を極めている。

「京」などという華やかな印象は、もはや皆忘れ去って久しい。


 天子様の御所も花の御所も戦の炎に焼かれ、今となっては二条の御所だけがひっそりとかつての威光を灯している。



 永禄十一年、年の瀬も迫ったある日の事だった。

京三条、鴨川のほとりにある一件の料理屋に一人の男が訪れた。


 料理屋の主人は名を永田久兵衛といった。

父も母も久兵衛は知らない。

赤子の頃に鴨川に捨てられていたらしく、近くの料理屋の主人に拾われた。

物心がつくと養父からありとあらゆる調理の術を仕込まれた。

久兵衛は生来手先が器用で、台所に顔が出る頃にはすっかり養父の代わりが勤まるほどになっていた。


 ある日、堺の商人が料理屋に立ち寄った。

たまたまその日養父は病に伏せており、代わりに久兵衛が料理を振舞った。

商人は給仕をしていた久兵衛の妻に料理人を呼べと命じた。

養母は久兵衛と共に商人の前に出て、不手際があったのなら申し訳ないと頭を下げた。

だが商人は実に美味しかったと料金をはずんでくれたのだった。


 それから十年。

気が付けば久兵衛は京でも指折りの料理人として名を馳せていたのだった。


 そんな久兵衛を訪ねて来たのは、新たな京の支配者が呼び出しだと伝えに来た使者であった。

養父は絶望的な顔でその話を聞いていた。

その『新たな支配者』とやらに呼ばれた料理人が次々に処刑されているという噂を耳にしていたからである。


 断ることはできぬ相談であると、使者の男は少し憐れみの表情を久兵衛の養父に向けた。

もし断られれば自分が代わりに処罰されることになってしまう。

それだけではなく、この辺一帯どのような目に遭わされるかわかったものではないと。

使者の男が少し唇を震わせながら言ったことで、久兵衛はそれが事実であろうことを察した。


 養父は代わりに自分が行こうと久兵衛に言った。

だが久兵衛は少しだけ目を閉じると養父に笑顔を見せた。


「大丈夫ですよ、父上。父上から授かったこの料理の腕前、どんな偏屈者の舌でもうならせることができましょう」


 献立は全てお任せする。

食材の調達もお任せする。

銭に糸目はつけぬ。

『一世一代の晴れ舞台』と思って奮って欲しいと伝え、使者の男は料理屋を後にした。



 三日後、久兵衛は新たな京の支配者に晩餐を振舞うために二条の御所に出向いた。

(くりや)に入った久兵衛は、あまりの広さに目を(しばた)かせた。

食材の調達も何も、これだけの物があって他に何を調達しろというのだろう。


 食材を一通り確認した久兵衛は、献立を考えるためゆっくりと墨をすった。

むかご飯。

豆腐と(かぶら)の味噌汁。

人参とすずしろのなます。

里芋の煮物。

蓮根と人参を炊いたもの。

そこまで記載すると紐で着物の袖を捲り上げた。



 遠く蝦夷の地より長き船旅を経て持ち込まれた昆布と、こちらも遠く駿河の国にて丁寧に処理をし何日もかけて干した鰹節。

この二つで丁寧に採った薄黄金色の出汁を使い、一品一品丁寧に仕込んでいく。


 料理を非常に高価そうな漆器によそい、膳に乗せていく。

時間計算もしっかりされており、今は少し熱いが、食べる際には熱すぎず温すぎずという絶妙な温度になっているはずである。


 膳を運んでもらおうとお願いしたのだが、女中たちは青い顔をして首を横に振り目も合わせてくれない。

やむを得ず案内だけお願いし自分で運ぶことにした。

やはり噂は本当なのだと、久兵衛は女中の怯えた態度から察した。



 新たな支配者、名は織田上総介というらしい。

尾張の国の小領主から身を立てた昨今よくある成り上がり者の一人で、最近になって公方様を奉じて上洛してきたのだとか。

少なくとも久兵衛が料理人として堺の商人から評価を受けた十年前には、織田家などという家名すら聞いた事が無かった。

人によって非常に温厚という人もいれば、気遣いの職人という人もいれば、気が短く閻魔のようという人もいる。

噂だけではいまいち人物像が掴めない人だと久兵衛は感じていた。


 膳を差し出し頭を下げていると、先に小姓が入室し、その後で上総介様が入室してきた。

板張りの部屋に一枚畳が敷かれ、その上に座り膳を前にしている。

上総介様は膳は一つだけかと呟き、箸を取り、椀の蓋を開け、味噌汁をひと啜りした。

椀を膳に置き箸も置いた。


「……(おもて)を上げよ」


 久兵衛はそこで初めて上総介様のご尊顔を拝した。

細面で眼光鋭く少し神経質そう、それが久兵衛の印象だった。


 これはなんだと上総介様は少し甲高い声で静かに尋ねた。

何と言われても、誰が食べても豆腐と蕪の味噌汁以外の何物でもないであろう。

一口すすればわかるはず。


「これのどこが味噌汁か!」


 上総介は不機嫌そうな顔で急に怒鳴り出した。

九兵衛は目を丸くして、どういう事かとたずねた。


 上総介様はすっと無表情になり、すたと立ち上がると、小姓の持っていた太刀を鞘から抜いた。

つかつかと久兵衛の前に立ち、両手で太刀を握り振りかぶった。


「お、お待ちください! 今一度! 一度だけで構いません! 料理を作り直す機会をいただけませぬでしょうか?」


 九兵衛が平伏し懇願すると、上総介様は振りかぶった太刀をゆっくりと下ろした。


「儂は腹が空いておる」


 静かに言った上総介様に九兵衛は、時間は取らせませぬゆえ、今一度だけと懇願した。

その必死の態度に、上総介様は久兵衛に背を向け呟いた。


「二度は無いぞ」



 膳を下げ厨に戻った久兵衛は床にへたり込んだ。

何とか一命は取り留めた。

だが早急に味を直さねば、例え持っていったとしても、いつまで待たせる気だと言われて殺されてしまうだろう。

当然逃げても無駄である。

あの目は人を(しい)ることを何とも思っていない目だ。

ここで逃げれば間違いなく関係の無い者に害が及ぶ。


 久兵衛は丸太の椅子に腰かけ、目を閉じて静かに考えた。


 上総介様は味噌汁だけしか召し上がっていない。

それも一口だけ。

つまりは味がわからない人物では無いはずである。


 鍋の蓋を取り残りの味噌汁を味見してみるも、別段おかしな味には感じない。



 久兵衛はもう一口味噌汁を飲み、ふと何か引っかかるものを感じた。

女中たちに尾張の出の者がいないかたずねた。

すると一人だけだったが尾張の者が手を挙げた。

そなたはどのような食べ物が好きかと優しくたずねた。

すると女中は嬉しそうな顔をし、このように肌寒くなると田舎の母が幼き頃よく作ってくれた、胡桃味噌を塗って焼いた『五平餅』が無性に食べたくなる時があると答えたのだった。


 『五平餅』という料理は聞いた事がある。

五分突きのご飯に、胡麻や胡桃、生姜などで味を付けた味噌を塗って炙る焼き団子の一種である。


 久兵衛は、おもむろに味噌を舐めた。

これだと呟くと、醤油を取り出し、味噌汁と煮物に少量足していった。

むかご飯となますには塩を少しまぶした。


 味を見ただけで水が欲しくなり、思わず口に含んだが、その後で小さく何度も頷いた。

各料理を再度漆器によそい、膳に乗せ、上総介様の元へと急いだ。



 上総介様は空腹を我慢しており極めて機嫌が悪く、大きくため息を付くと、箸を取り、先ほどと同じように味噌汁の蓋を開け椀に口を付けた。


「……面を上げよ」


 先ほどと全く同じ調子の声に、久兵衛は駄目だったかと覚悟を決め顔を上げた。

だが上総介様は前回と異なり味噌汁の椀を手にしたままだった。


「先ほどとは比べ物にならぬほど良い味だ。この短い時間で何をした?」


 久兵衛はほっとして思わず頬がほころんだ。


「私の知っている限りで、尾張の味に近づけさせていただいた次第です」


 上総介様は静かに何度もうなずいた。


「うむ。清州でも岐阜でも、儂はここまで旨い味噌汁を飲んだことが無い!」


 味噌汁の椀を置き、むかご飯を口にした。

ふむうと息を吐くと、次々と椀のおかずに箸を伸ばした。

気付けばあっという間に膳の上の椀は空になっていた。


「なぜ味を変えようという気になったかを知りたい。他の料理人は大抵、作り直すと言って同じ味で別の料理を作ったというに」


 なるほど、他の料理人は恐らくは食材の好き嫌いがあったのだと感じたのだろう。

久兵衛は変に納得してしまった。


「私はこれまで、京の方々の舌に合う食事を作ってまいりました。今日までそれが普通の味と思っておりました。ですがそれでは相手の事を(おもんばか)っていないという事に、今日気づかされた次第に存じます」


 であるか。

そう上総介様は短く言った。

その顔は実に穏やかな顔であった。


「今回の件で、私も料理人として学びを得ることができました。かような機会をいただき誠にありがとうございました」


 そう言って九兵衛が平伏すると、上総介様は静かに笑った。


「礼を言うのは儂の方じゃ。どうかな? 儂の下で今後も料理を作らんか? 俸禄は……そうだなあ、差し当たって五百石でどうか?」


 五百石というとんでもない高禄に久兵衛は肝が潰れそうになった。

そんな高禄をたかが膳一食で提示する、何とも懐の深い殿様だと久兵衛は感心した。


「勿体ないお言葉です。ですが丁重にお断りさせていただきます」


 久兵衛の言葉に上総介様は極めて不愉快という顔をする。

理由次第では生きては帰さぬ、そんな物騒な雰囲気をまとい始めた。


「殿様はこれから天下を平定なさるのでしょう? そうなると当然京を留守になさる日が多くなるでしょう。それでは私の腕が鈍ってしまいます。戦勝し、凱旋した都度お呼びくださいませ。いつでも馳せ参じさせていただきます!」


 どうやら上総介様は久兵衛の言い訳をいたく気に入ったらしい。

かっかっかと上機嫌に笑い出した。


「あいわかった! そちの料理が食べられるのを楽しみに、生きて戦場から戻ることとしよう! 本日は大儀であった!」




 後日、久兵衛は仲間の料理人から、上総介様はどのような料理を好まれるのかと尋ねられることになる。

久兵衛は目を細め静かに笑った。


「何てことの無い田舎料理を好まれる純朴なお方ですよ」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 良いお話でした。 [一言] おもてなしは相手が好きそうなもの、自分の勧めたいものの兼ね合いが大事ですよね。
[一言] 競馬はしないので、こちらにお邪魔しました(笑 元ネタ、昔聞いたことがあります。 でも、史実というよりは、ホトトギス〜と同じような、武将の性格を表す作り話なのかと思っていました。 こんな風に…
[良い点] 最後の言葉が特に気に入り、読み終わりにほっこりしました。素敵な作品ありがとうございます。
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