庵の裡に、栩々と舞う
幼い頃から、布団の中は別世界への入口だった。
眠りに落ちるまでは瞼の裏に好きな世界を描いて飛びまわり、眠りに落ちてからは不条理な世界にもがき翻弄される。どの世界にいても私はまったく現実のことなど忘れており、ぐにゃりと歪んだ時空の中、虚実入り混じった登場人物たちと大真面目な顔をして戯れていた。行き過ぎた興奮で目が覚めてしまったときも、見たい続きを思い浮かべながらまた目を閉じさえすれば、すぐにもと来た世界に帰ってこれる。その瞬間の自分にとって、立ち向かうべき世界は瞼の外にはなかった。
ある時は、私は海賊に一人立ち向かう果敢な少年だった。家族の身代わりとなって一人船に攫われていった父を助けるため、母と弟妹を岸辺に残し、小さくなっていく船の背を追いかけて荒れ狂う海へと飛び込んでいった。
ある時は、私は病院で寝たきりの儚い少女だった。動かす術も忘れた頼りない脚から、全身を気怠さが静かに蝕んでいく恐怖におびえながら、窓の桟で息絶えた干からびた蛾に成り代わり、空へ舞い上がろうと藻掻いた。
ある時は、私は過去に心を病んだ女を訪ねる孤独な青年だった。久々に見た顔から影がすっかり抜け落ちたことにあっけにとられる中、偏屈な彫刻家の作った無数のギリシア風の彫像が立ち並ぶ丘の道を彼女の破天荒な運転に振り回されながら車で駆け抜けた。
創り上げた世界の大半を今の私は憶えていない。朝食をもそもそと噛みながら思い返しているうちに、徐々に世界は溶けて消えていってしまう。しなしながら、これだけは間違いなく言えるのだが、そのどれもがその時点の私にとっては十分に納得のいく、摩訶不思議で冒険に満ちた完璧な出来栄えだった。
そのものはおぼろげな余韻となってしまっていても、その感触だけはしっかりと胸中に残っている。
胡蝶の夢、という故事がある。思想家である荘周は、あるとき微睡の中で蝶となる夢を見る。夢の中で彼はすっかり蝶になり切り、人の身を忘れ満ち足りたままひらひらと空を舞っていたのだという。
あの頃、あの世界の中の私は満ち足りていたのだろうか。
そんなことはないだろう。
私はいつだって必死に世界の中を飛び回り、自分で夢想した世界の理不尽さにとらわれていた。そこまでして初めて、私は創り上げた世界を隅から隅まで満喫できたのだ。日が昇り切って空も明るくなる時間に母の大声で渋々と目を醒ました後、懐かしさとともに思い返してみてやっと、さっきまでいた世界がいかに楽しい場所だったかと気づくのが常だった。
荘周が為った蝶も、その世界では満ち足りた思いなどは持たなかったのではないか。傍から見て楽し気な蝶も、身の丈に余る大きく脆い翅をなんとか動かして飛ぶからこそ、ひらひらと舞うように見えるのだ。感じるのは、余裕にあふれた喜びだけでは決してないはずである。
ごつごつと無骨な建物が覆い隠す灰空の下、狭いあばら家でふらふらともがく私は、果たして蝶なのだろうか、それとも人なのだろうか。
きっと、この世界が微睡の中に還るまで、その答えはわからないままだろう。




