情報を運ぶ奴隷としての人間
利用しているつもりが、利用されているタイプのホラー
生物というのは、自らの種の存続を至上の目的とするという考え方がある。人間が繁殖のために血道を上げているのも、生物としてプログラムされた本能に従っているためかもしれない。徒に数を増やせば良いというものでもないと思うけれど、それはさておき。
ここで、生物に限らず、情報というものも自らの存続、というよりも拡散を目的としているのではないかという考えが浮かんだ。善悪や、結果の良し悪しをとうことはなく、いかなる手段を用いても自らをより広い場所へと運ばせる。情報の目的はその内容ではなく、広がっていくことそのものにあるのではないか。生物が繁殖するのも、遺伝子という情報を拡散するためと言えるかもしれないが、ここでは遺伝子のことは脇に置いて、私たちが普段から目にする広告やニュースについて考えていきたいと思う。
広告というのは、商品を買ってもらうためのもの、引いては売り手が儲けるために実施するものであり、ニュースも事実を伝えるためというよりは、人々をある行動に駆り立てたい、それによって利益を得たいという動機で発信されるものだと思う。いずれにせよ、特定の人間、あるいは集団が自分たちのために利用するツールというのが一般的な認識だろう。
情報社会、なんてわざわざ口にする必要がないほど、私たちの生きる社会は情報で溢れている。情報は自らの手足を持っていない。そのため、自発的に人々の間を駆け巡っているわけでなく、最初に発信する人間がいなければ話は始まらない。人間が情報を発信するのは、ほとんどの場合、それが何らかの形で自らの利益になると考えるからだ。金銭的な利益かもしれないし、承認欲求という精神的な利益かもしれない。そのような利益を得ることの是非はともかくとして、人間の自身の意思に基づき情報は発信されていると考えるのが普通だ。
ここに疑問がある。迷惑系動画投稿者などは、それをすれば非難を浴びることが分かっているはずなのに、炎上目的で動画を投稿しているように思える。仕組みはよく理解していないのだけれど、炎上によって得られる利益があるらしい。多くの見知らぬ人から非難される精神的な苦痛と、炎上による利益を比較した結果、後者に軍配が上がっているのだ。動画サイト、ネット広告などを用いたビジネスモデル、つまりは現代社会のシステムがそのような行動を取るのに適した形になっている。迷惑系動画に限らず、流行りのタグに便乗して自分のアカウントを売り込もうというのはよくある事だ。下品なことだと思うけど、実益がある以上やめられないというわけだ。
なぜ、このような社会システムになったのか。本来、人に怒られるのって嫌なことのはずだ。子供の頃は、悪口を言われて世界が終わったような暗い気持ちになったことが誰しもあると思う。それが段々と世間ずれすることで、利益を得るためなら、他人に非難されようが構わないという精神構造に変わっていく。それが人間というものだというなら仕方ないかもしれないが、私は人間が長い年月を経て、そう言った社会システムを構築するように誘導されてきたのではないかと感じるのだ。人間社会の主導権は、情報という手に触れられない、形のないものにあるのではないか。利益になるから情報を発信するのではなく、情報は自らを発進させるために、人間の前に利益という餌をぶら下げれているのではないか。
人間の尊厳などお構いなしに、ただ自らを拡散するための器として人間を利用している。情報とはそのような存在ではないかと感じる。現代社会は情報にとって楽園のような世界なのではないか。その代償として壊れるのは人間の精神であるように思えるのだ。情報そのものに善悪はなく、ただ拡大する本能に従っているのみとすれば、一切の酌量の余地はない。放っておけば、人間という器がどうなろうがお構いなしに広がっていくだけだ。私たちを取り囲んでいるのはそう言った恐ろしい存在かもしれない。 終わり




