chapter1
作品を書くにあたって、いくつかゲームをしないとはいかなるものか。という事で、実際に様々なゲームをプレイしました。これらからのインスピレーションは壮大なもので、上手く表現できていたらと思ってます。
……それでは、どうぞ。
聞こえますか?
聞こえて、いますか?
ツムグ。どうかお願いがあります。
とても重大で深刻な問題です。
どうか、どうかお願いします。
あなたの大切な『ゲーム』をお助けください。
あなたの力が必要なのです。世界の危機なのです。
この世界から『トラクエ』が消えてしまう。
私は、すべてをつかさどるもの。
貴方は真の勇者として、私の前に現れてください。どうか。お願いです。
◇◇1◇◇
奇妙な夢を見た。暗闇で、何者かが語りかけてくる夢だ。
まるで、別世界から語りかけられたような、そんな夢。
「……とうとう俺の現実逃避は、夢にまで反映されちまったか」
目が覚めてから、不快な感触がまとわりつく。体中から滲んだ汗だ。そろそろこの感覚にも慣れてきたが。次第に鼓膜が、蝉たちの鳴き声に支配されていく。
夏、夏、夏。真っ只中である。布団をすぐに畳んで、後頭部をかきながら洗面台へ移動する。
二〇一九年。七月一〇日。この日の俺は、珍しくも朝っぱらから、歯磨きやら整髪やら、身支度をおこなっていた。
鏡に映り込む自分の顔は不健康そのもの。目の下にはクマ。血色も悪い。昨日徹夜でゲームをしすぎたおかげで寝不足だ。何度目を擦っても、瞼は下に落ちていく。
「エアコン。まだ壊れてるの?」
と、誰かが洗面台に顔を出した。
「ん。おかげで汗だくだよ」
「ま、早く起きれたからいいじゃない」
声をかけたのは俺の母。ハジメ スクミ。この街で唯一の駄菓子屋『一商店』を営んでいる肝っ玉母さん。
「おはようございます」
「おはようございます」
俺と母は朝の挨拶をする。
丁寧な挨拶から始まるのがハジメ家のお約束。きしむ木製の廊下を移動して、俺は台所へと向かった。
「じーちゃんもいるから。準備してて」
「ほーい」
台所には朝食が置いてあった。それを運び、すりガラスの引き戸を開ける。そこには背を曲げた祖父がいつものように腰掛けていた。祖父にも挨拶を交わし、俺は椅子に腰かける。
「目玉焼き。アンタ何かけんの?」
「ん。マヨ一択」
朝食の定番である目玉焼き。俺が選んだトッピングはマヨネーズだ。起床後、俺の栄養補給は高カロリー摂取から始まる。マヨネーズと目玉焼きは天才の組み合わせだ。
「いいかぁ。ツムグ。お前の父親は偉大な男だったんだぁ」
湯呑みに注がれた緑茶を、祖父はしみじみと啜りながら、そんなことを言う。
母は祖父の言うことをいつものように「ハイハイ」と流しながら、目玉焼きを箸で割って黄身を皿にこぼした。
「そういえば、性格診断というのがあってねぇ」
「なんだそれ。 物語の始まりみたいだな」
「アンタ……。何言ってんのよ」
◇◇2◇◇
食事を済ませ着替えると、母と俺は『用事』のために家を出た。この歳で運転免許すら持ってない俺は、助手席で、身を潜めるように座る。
「暑い」
「文句言わない。エアコンはガソリン食うんだから」
助手席は嫌いだ。見えるものが多すぎる。それでも、何もすることが無い俺は、仕方なく窓の外を見つめた。ゆっくりと変わりゆく世界。しかし、その世界は至って平凡だ。
素朴な佇まいをした建物が律儀に並んでいる。薄れた色彩が視界のほとんどを占め、この街で唯一はっきり目移りする色は、空の青色だけ。
……だが、そんな空にさえ緩んだ電線が映り込む。耳をすませばたかる蝉の声ばかり。
夏休みも始まっているはずなのに、出歩いている小学生は極端に少ない。木々のない場所では、あまりにも音のないこの街は、心なしか人々の話し声や生活音が聞こえてしまいそうだ。
「昔は栄えてたんだよな」
「そりゃもう。商店街だったからね。ここは」
いつも繰り返している中身の無い会話。俺は手で首筋を仰ぎながら窓の外を眺め続ける。
ふと、近所の人と目が合ったような気がした。
俺は咄嗟に目を逸らした。……本当にうざったい。
しばらくしてたどり着いたのは、巨大な敷地を誇る古民家。昔の時代にタイムスリップしたかのように思える場所だ。
母の祖母の家である。
「あらスクミ、久しぶり」
「ユウコも久しぶりね。元気してた?」
すぐに声をかけてきたのは、母の従姉妹のハジメ ユウコ。目が合わないように、俺は視線を逸らした。染みついた癖だ。
先月。六月一日に、祖母が亡くなった。祖母の葬式には兄弟姉妹、親族も多くきていて、流れで遺品整理の事について話をしていた。祖母の屋敷は豪邸だ。そのため、当番制にして、遺品整理を行うことになったのである。母は末っ子で、今日が当番だ。
一応従姉妹のユウコさんは手伝いに来たが、女手だけではなにかと不便なので、手伝いとして俺は連れてこられたのである。
「あら、ツムグ君も久しぶりねえ」
「はい……」
ユウコさんは俺に声をかけてくれたが、俺は相変わらず目を逸らしたままそっけない態度をとった。母はユウコさんには見えないように俺の脇腹を肘でこずく。礼儀に関して厳しい母だ。目を合わせず無愛想な俺を見て怒ったに違いない。
「今日はこの子がいるから力仕事は任せてね」
「あらあ。頼りになるわあ。よろしくねツムグ君」
「はい……そう……っすね」
久しぶりの家族以外との会話だ。ユウコさんは不思議に思ってようだった。そう考えるだけで、この場にいるのが嫌になる。
「そういえば、お仕事。どうなったの? ……ほら! ゲーム作るって言ってたじゃない」
笑みを浮かべたユウコさんの問いかけに、俺は返答に詰まってしまう。
喉が硬直して、上手く声が出せそうにない。『挫折』を思い出すだけで、いつもこうなるのだ。
「どうしたの? 大丈夫?」
「……ああそうだった! 言ってなかったわね! この子今、休職中なのよ!」
そんな俺の前に立ち、母は理由を伝える。
「あら……あんまり聞いたら良くないことかしら。ごめんねツムグ君」
ユウコさんは何かを察したのか、申し訳なさそうに謝った。
「いえ……大丈夫です」
……最悪だ。
自分が惨めになる。親族が俺のことをどう思っているのかはわからない。だとしても、今の俺の見窄らしい姿を見られるのは耐えられないのだ。今の俺を知られたくなかったのだ。
◇◇3◇◇
世間話を終えたところで、俺たちはすぐに遺品整理に取り掛かった。
箪笥類や、衣類の整理。それから家具を運んだ後、俺は庭の敷地内にある蔵の掃除と、蔵内の家具の移動を母親に頼まれた。もちろん力仕事。
しばらく粗末にされていた蔵は、湿気が充満し、柱や収納された家具などに埃が纏わりついていた。俺はタオルで鼻と口を覆って、その埃を払う。築年数一〇〇年の古民家の蔵だ、天井には照明電気が無い。仕方なく、スタンド式の懐中電灯を置き、作業を進める。
埃払いの後は、収納された家具や遺品の位置の移動。仄暗い部屋での力作業。
「ニートジョブに力のステータスは振り当てられてねぇんだよッ……!」
そんなことをぼやく。大学の時だって、肉体労働のバイトをしたことはない。もやし体型の俺は接客業メインだった。
「……この労働に報酬がありゃいいんだがな」
タダ働きで翌日筋肉痛。見えすいた未来にため息が出る。
「ったく。割に合わねえな」
『人生』というゲームに、俺は文句を言った。だいたい。こんな薄暗い場所に追いやられる自体で、おかしなイベントだ。経験値すらもらえないのだし。
「んなクソゲーやってられるかよ」
そんな風に怒りを口にすると、思わず埃を吸い込んでしまった。当然、大きく咳払いをする。埃掃除の後、気を緩めてタオルを外していたのが油断だった。
そのせいで、何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。
「やーめた」
冷たいコンクリートの床に仰向けに寝そべる。光の当たらない場所だからか、異様にひんやりして心地が良い。やらなくったって、どうせ誰かが今後もお世話になるであろう蔵掃除だ。今日一日、少しの時間サボってと良いではないか。自分を労ろう。
「……アレ。なんか入ってんのかな」
ふと、横になった視界にとある壺が映り込む。じっとその壺を見つめると。俺はゆっくり口角を上げた。自分の欲望が制御できなることを理解した瞬間、俺は躊躇なく壺に腕を突っ込んでいた。
「お。メダルゲットだ」
まるでゲーム感覚で壺の中にあったメダルを取り出す。これはどこかの国の硬貨だろうか。
物色は続き、箪笥の中や積まれた収納箱には、日本刀や着物。歴史を感じる巻物などを見つけた。まるで開かずの金庫からお宝を探すバラエティー番組の気分。
「これ……。昔の新聞の切り抜きか?」
そんなお宝探しの途中。箪笥の中から新聞の切り抜きを見つける。
そういえば、昔祖母の家に遊びに行った時に、祖母が切り抜きをしていたのを思い出した。
昔の記憶は曖昧だが、祖母は多趣味だった覚えがある。これもその趣味の一つだろうか。
新聞の記事には、俺の興味を引くものが掲載されていた。それは、俺がよく知っているものについての記事。
「おお。婆ちゃんフレコン(・・・・)とか、センス良いなぁ」
フレコン。フレンドコンピュータ。その昔、社会現象を引き起こした伝説のゲームハード。
新聞にはちょうど、当時のことが記載されている。
「長蛇の列。新しい娯楽の時代。革新的!……」
記事に書いてある文字を読み上げ、俺の気持ちは高揚する。こんなお宝を巡り合えて幸せ者だ。
「この頃って、広告とか、新聞とか。家庭によっちゃテレビすら貴重品の時代だよな。つーことは、フレコンはもっと貴重品かぁ」
インターネット予約や購入などはなかった当時は、ゲームを買うために人知れず夜遅くから店に並び。お目当てのゲームを購入していたという……。そう言った昔の良さを想像すれば、目尻に熱い涙が滲む。レトロオタクの至福が今ここにある。
「きっと昔は、もっとワクワクしたに違いねえや……仕方ね、掃除やるかぁ!」
元気を貰った。やる気を取り戻して、上体を起こす。しかし、立ち上がった瞬間。
地面が激しく揺れ、重心を奪われた。
「な、な、な‼︎ 地震か⁉︎」
体制を崩し、腰を抜かすように尻餅をつく。その直後に頭に何かが落下した。
「痛ったぁ……!」
激痛だった。
「……なんだよ。上に置いてあったのか?」
落ちてきたのは木箱。形は正四角形で、どこにも開けるための蓋や境目が存在しないものだ。
俺が生まれつき石頭だから良かったものの、常人なら怪我をしていたに違いない。危険だ。
他の誰かが蔵の掃除をする際に、同じ目にあってはいけない。そう思い、すぐさま木箱を持ち上げ、移動させようそしたのだが、その木箱に、俺はある違和感を覚えていた。
「……思ったより、軽く無いか? 木箱」
頭に当たった時は重みを感じたし、なにより痛みとして伝わってきたが……。持ち上げてみると軽い。木箱を振ってみれば『カサカサ』と、内側から何か擦れる音が聞こえた。
「なんか。入ってんのかな」
その時。俺の中で溢れんばかりの探究心がこの木箱を開けるように、触発するのを理解した。持ち上げた木箱を床に置いて、俺は木箱を軽く叩いてみる。音が反響した。つまり、中は空洞である、ということ。
「なにこれ。おもしろ」
興味が湧いた。
「まずは調べないと、だな」
そう呟きながら、木箱を観察する。木箱は正四角形状で、縦の木材が厚く、密度も高い。逆に横の木材は薄い。どちらも何回か叩いてみて、音の反響を確かめてわかったことだ。その証拠に縦は音が鈍く、横は音が響きやすかった。
「それなら、真上から、かち割って開けるか?」
金槌か何かで壊したらすぐに中身を取り出せそうだが。それでは『ゲーム』ではない。ゲームとは『考えて、努力し、見つけるから楽しい』のだ。
「さて、んならどうやって開けようか……。蓋がないってことはないだろ」
何かしらカラクリがあるはずだ。薄い方の横面の方を手で押し込んでみる。
「反応……無しかぁ」
押したら開く。なんてことはないらしい。今度は木箱を裏返してみる。こうなったら逆の発想だ。木箱を何度か上下に振って、すっぽ抜けないか。試してみる。しかしこれもダメだった。
俺は、ますます木箱に関心が高まり、楽しくなった。
「んー。どうしたら開くんだろ。考えるんだ俺」
今度は、木箱の表面を注意深くみるようにした。四面に何か変わったものはないか。切れ目や破損などを確認する。すると、木箱にある違和感に気が付く。
「ここだけ、木目が違うな」
右側の縦面の中央。そこだけ木目に逆らっているのだ。俺は試しにその場所を指で押す。すると『カチッ』と何やらボタンのような音を立て、その場所だけ窪みができた。
「凹んだ……!」
だが木箱は開かない。まだ何かしら、謎を解かなければなければならないのだろう。
「何か他のものを利用するんだな……。この丸に関係しそうなもん……」
身の回りで『それっぽい』ものはあっただろうか。窪みにはめ込める丸い物だ。周囲を見渡した。
「あ」
ふと、あることを閃く。俺はポッケに忍ばせておいた硬貨を取り出した。
「この硬貨を……木箱に……。お、ビンゴ!」
硬貨を木箱の窪みにはめ込んでみる。すっぽりと入った。硬貨をはめ込むと同時に、木箱は何やら発光する。強烈な輝きが視界を覆った。
「なんだなんだぁ⁉︎」
硬貨をスライドさせ、木箱の中に入れ込む。すると、木箱は展開図のように開かれた。
俺は、息をのんだ。中身……。何が入っているのだろうか。意を決して、木箱の中を覗き込んだ。
「え」
視界に映り込んだのは、よく知っている。いや、知り尽くしているものだった。それは、俺の青春と、俺の人生の全てを与えてくれたもの。
「これ……フレコンソフトか?」
すぐさまそのソフトを手に取る。
「題名、パッケージは ……って、何も書いてねぇ。てか、テキストもねえじゃんか」
ソフトは黒色一色で、題名やゲームを見分けるためのシールが貼られていない。見た目だけはフレコンカセットの『それ』なのだが……。とりあえずカセットの形状を確認する事にした。
フレコンのカセットは、制作した会社によって、造形が異なっている。例えば角があったり、丸まっていたり、左右の模様などが細かくギザギザしたり。などなど。
「ダメだ……。どこのメーカーにも当てはまらねえ」
俺が知らないということは無名のクソゲーだろうか。疑問は膨れるばかりである。
「でも……。こんな変な木箱に保管されてたってことは、何かしら意味があるってことじゃねえのか?」
この正体不明のカセットが、何のゲームなのかは、家に帰って直接プレイしてみると良い。
……だが、得体の知れない物だ。何か呪われている可能性もあるかもしれない。それほどまでに奇妙で不気味だ。けれど、それに勝る魅力がある……。
好奇心と恐怖心が、俺の心の中で物議を交わし始めた。
「ツムグ。掃除終わったの?」
と。俺以外の声が蔵の中で響く。俺は咄嗟にソフトを服に忍ばせた。慌てて入口を見ると、そこには母が腕組みをしながら立っていた。
「あ……ああ。もうすぐ終わるところ」
「返事してよ。さっきらからずぅっと呼んでたのよ」
「ごめん……。てか、それより地震大丈夫だった? 結構揺れたろ?」
「地震……? なかったわよそんなの」
地震が……起きてなかった?
おかしい。たしかに蔵の中では揺れを感じて、実際俺も転んだわけだし。なんだか不気味が重なり始めているような……。
「ま……いいわ。どうせサボってたんだろうけど。しっかりやってよね」
「お、おう」
母はため息をつきながら蔵を後にした。俺は安心して肺に溜まった緊張を吐き出す。体中の力が抜けた。何もかもバレなくて良かった。
「……つっても、このソフトどうすっかなぁぁ」
蔵に戻すべきだろう。不気味だ。何かしら不幸に巻き込まれては面倒だし。俺はそういうのは御免である。それに、このカセットは祖母の遺品だ。きっと生前、何かしらの意味があってあの木箱に保管していたに違いない。思い出は、思い出の場所に残しておくべきだ。
遊び感覚で持ち帰ってはいけない気がする。
そう思い、俺は木箱を組み立てカセットを入れる。そうして、作業を再開することにした。
このことは、忘れるんだ。そう自分に言い聞かせながら……。
◇◇4◇◇
「……やってしまった」
翌日。七月十一日。俺は心から落ち込んでいた。
自責の念。罰当たり。自分の欲を優先した結果。俺の掌には、正体不明の、あの黒色のフレコンソフトがある。本当にごめんなさい。
どうしても、好奇心に打ち勝てなかったのだ。何せレトロゲームマニアの俺だ。知らないものを発見して、それをおいそれと知らなかったことになんてできない。見つけてしまった時点で、俺の理性は即死コンボを決められていた。
こうなってしまっては仕方ない。俺は手際よくフレコンのカセットを私物のフレコン本体に差し込む。よし。終わりだ。懺悔の時間はもう終わった。反省すればきっと祖母も許してくれるはず。昔から寛大で穏やかな人だったし。
俺の礼儀とは、ゲームを存分に楽しむことである。ゲームをする時はいつだって、子供の時を思い出しながらプレイする。それが楽しむための心構えである。
「ドキドキワクワク」
狂気に満ちた視線でテレビモニター舐め回すように直視する。まだ明かりのない真っ暗に覆われた画面には、見るもおぞましい姿の化け物がうつり込んでいる。
「スイッチオン!」
そう言い放ち、フレコンのスイッチを入れた。真っ暗なモニターに一瞬だけ白い横線が稲妻のように映り込む。
ついに、画面に乗り出してタイトル画面を確認する。
「……って、あれ? なんだ。これ」
しかし、画面に映り込んだのはゲームタイトル。と呼べるものではなく、俺もよく知っている記号の羅列だった。その記号は、
#include≪iostream≫int main (){std::cout≪″Re:make/n″; }
というもの。
「これ、シープラのコードだよな。てことは、プログラムコード?」
画面に表示されたのはおそらく、何かしらのプログラム。すぐさまその記号を記録するために、スマホ画面をかざして写真を撮影しようとしたのだが。
瞬きした次の瞬間。画面は切り替わり、タイトルが大々的に表示されていた。撮り逃した。
「タイトルは……『Re:makers』かぁ。聞いたこたねえ……」
レトロゲームを取り扱っているゲームショップや、リサイクルショップに足繁く通っている俺は、著名ではないクソゲーでも遊び尽くしたはずなのだが……。見知らぬゲームタイトルに、体中の毛穴が開いた。全身が、好奇心が、ざわついている。未知という冒険の香りが、画面越しから溢れ出しているのだ。
まるで無意識のように、俺はコントローラーのスタートボタンを押した。
タイトル画面を抜けて次に表示されたのは、六つの四角の枠組みが円状に配置されている画面。その枠組みで囲まれた真ん中に、数字のゼロの記号が表示されている。
デザインなどは白黒で統一されていて、彩りが全くと言って良いほどない
「これ、選択画面か?」
おそらくだが、ステージに分けられていて、それを選択しろ。ということだろう。
「試しに一つ選んでみっか」
適当に一番最初にカーソルで移動したステージを選択し、ボタンを押してみるのだが。
「あれ、反応しねぇ。……操作できねぇぞ」
画面に変化が訪れない。他のステージも同じように選択できないのか、俺は試しに全てのステージで順々にボタンを押してみることにした。
すると、いくつかあるステージの内、四番目でボタン入力が反応したのか、画面が切り替わる。
「お! マジか!」
胸を躍らせながら、どんなゲームシステムなのか、ジャンルなのか想像を膨らませる。個人的にRPGだと好ましいのだが……。
「あぁ……? また何かあるのか……?」
俺の好奇心をあしらわれる。表示されたのは、プレイ画面でもフィールドでもなく、画面下の白枠で囲まれたテキストだ。
『おもいで を セット してください』
そう表示される。
「思い出ぇ……。なんだそりゃ」
ゲーム側の指示の理解に苦しむ。振り出しに戻った。いつまで経ってもこのゲームを始めることができないではないか。とりあえず、不具合である可能性も加味して、俺はリセットボタンをおした。……しかし、画面は変化せずテキスト表示のまま硬直した。
俺は舌打ちをして、電源を切った。そしてもう一度電源をつける。
「うそぉ……」
先ほどのようにタイトルが表示されない。ソフトを引き抜いて、接続口に思い切り息を吹き込む。この行為に意味はないのだが。まじないだと思ってもう一度差し込み、起動する。
「マジかよぉぉ……」
やはり、タイトル画面は拝むことは叶わなかった。
「仕方ねぇ。検索かけてみるかなぁ」
もしかしたらこのゲームについての情報がネットに流れている可能性があるかもしれない。最も頼りたくなかった手段だが……。さっそく『Re:makers』について、調べたいところなのだが。厄介なことに、二日連続で俺は母から手伝いを頼まれている。昨日のように祖母の遺品整理ではないが、母の経営する『一商店』の店番をしなくてはいけない。
仕事内容は新人教育。なんでも、アルバイトの学生を雇ったらしく、母はパートでいないからと俺が教える羽目になったのだ。
「ま、客も来ねえし、午前中に帰らして、そっから遊べりゃいいかぁ」
間の抜けたようなあくびをしながら、俺は店の入り口に顔を出した。現時刻は昼の一二時。十一時から無人のまま店を開け、しばらくするが、まるで人がいない。今の時代コンビニやスーパーで駄菓子は買えるわけだし。わざわざ駄菓子屋に赴く子供だっていないのである。
この駄菓子屋で生計できてないため、母はパートに出ている。この店を畳めば良いものの。母は『祖母から引き継いだ大切な駄菓子屋だ』と言って、店をなんとか切り盛りして経営を続けている。諦めることなく。あまつさえ駄菓子屋の人気を復活させると、計画すら立てていた。
その計画というのが、先ほどのアルバイト生の話だ。若者で、かつ現代の知識を持ち合わせた学生であれば、この店に来る子供の恰好の的になるかもしれないという母の作戦。
「んなもん。上手くいったんなら全国の爺ちゃん婆ちゃんやってんだろうに」
そんなことをぼやきながら、俺はあくびをする。これで何度目のあくびだろうか。人間というのは暇だとあくびしかしない生き物になる。
そもそも、この店に応募した学生とやらは馬鹿だ。駄菓子屋で稼げるわけがない。掛け持ちのバイトだとしても割に合わないだろうし。相当な物好きか変人しかこんなところでバイトなんてしない。
と、考えると、駄菓子屋一つで食い繋いできたハジメ家って凄くないだろうか。
痒くなった頬をさすり、俺は自分の家計の特異性を改めて実感する。
そんなふうにぼんやり中身のない考え事をしていると、店の入り口のドアが開く音が聞こえた。俺は瞬時に気を引き締めて背筋を伸ばす。最初から気の抜けた態度で接したら申し訳ない。第一それでバイト生が辞めれば怒られるのはこの俺だ。ここは誠実に、毅然とした態度で。
「こんにちは。今日からここでバイトさせていただきます。ナナセ ヒトミと言います。よろしくおねが……」
俺はにこやかに目を細めて耳を澄ませる。良い声だ。まるで鈴のような。しかも女性らしい。こんなところで働くだなんて、きっと懐の深い、優しい人なんだろうな。
「い……しま……」
あれ。なんだが、アルバイト生の声が聞こえなくなっていく。
「は……? ウソ……でしょ?」
と、突然鈴のような声音は恐れるような声音に変わった。俺はゆっくりと目を見開く。
その先に移っていたのは。
「あ……君は」
「サイアク……。なんでキモオタのアンタがここにいんのよ!」
鈴の声音はとうに消え去り、聞こえるのは罵倒だけになる。
「……誰だっけ?」
「いや! 覚えてないんかい!」
「……いらっしゃい。バイト生の方ですよね。本日担当させていただきます。ハジメ ツムグと申します。では、まずはレジ打ちと商品から説明致しますね」
「待て待て待て。流すなあ! 今私露骨に『は?』とか『ウソでしょ』とかリアクションしたんじゃん!」
「……。あれ、僕なんか聞き逃しましたか。それは申し訳な……」
「違うわ! アンタ私を見てなんとも思わないわけ⁉︎」
おかしいな。このバイト生は一体何を言っているのだろうか。やはり変わった子だ。それも仕方ない。こんな辺境な店に雇われるのだから。少し変でも仕方ないのである。
「落ち着いてください。大丈夫。最初は誰でも不安なものです。でも慣れたらすっごく簡単ですから」
「とりあえず営業モード的なのやめて! だ、か、ら。 私の顔をよく見てよ! まさか忘れたとか言うんじゃないんでしょうね⁉︎」
「は、はあ」
「は、はあ。……じゃないでしょ! てかまず私の疑問優先っての! なんで、アンタが、ここに居るわけ⁉」
疑問優先って……。最初から俺は発言権を持っていなかったような……。
「なんで……と言われましても、僕は店を営業知るだけなんで。まぁ、まずはそこにお掛けになってください(ニッコリ)」
「座るか! 納得できるかぁ!」
あまりにと横柄なバイト生の口調。見た目と態度が乖離している。ちなみに見た目は、肩までの黒髪に、色白い肌の美少女。イマドキのナチュラルメイクに、その風貌はまるで、げーむヒロインそのものだ。
「とりあえず落ち着いてくださいよ。いったいどうしたんですか?」
「しらばっくれないで! てかほんとに覚えてないの?」
「覚えてない……? 俺がですか?」
「そう! 私を覚えてないの⁉︎」
まるで親の仇をみるようなバイト生ことナナセ ヒトミの表情。
夏の暑さのせいか、俺は首筋に汗が滲み始めていた。よく考えろ。思い出せ。
かつてこれほど失礼で、面倒な女子高生がいただろうか。俺にこれほど横柄で、年齢差も考えず『アンタ』呼ばわりする……。思考回路をフル回転させて、記憶を辿っていく。
「いやぁ、思いだせないなぁ」
「ナナセ ヒトミ! この前カッコつけてアンタ私を助けたとか、勘違いしてたでしょ⁉
その時。俺は頭の中にあったある記憶を思い出した。それはまるで埃被ったクソゲーを見つけた時の気分。買って遊んでみたが、すぐ飽きたゲームのような。
「あー……。なんかいたわそんなの」
思い出した。目の前のバイト生。俺が三日ほど前に助けてやった容姿端麗の生意気な女子高生だ。いつもの癖でよく顔を見てなかった。人の顔を見るのは苦手なのだ。
俺はバイト生……ヒトミの顔を伺い、過去の記憶と照らし合わせた。結果記憶と一致し、鮮明にあの日浴びせられた罵詈雑言が脳内で再生される。
「今はっきり思い出した。お前、あん時の恩知らずか。んじゃお礼でも言いにきたか?」
「はぁ⁉︎ 勝手に勘違いして声かけてきたのアンタでしょ? お礼とか言うわけないし!」
「さっきから、その『アンタ』呼ばわりやめろよな。年下だろお前」
「お前って自分だって言ってんじゃん」
「お前の頭どうなってんだよ。バグってんのか。亀の甲より年の功って言葉知らんのか」
「アンタ。年長者じゃないじゃん」
「うるせ。物の例えだよ。敬えって言ってんだ」
「やだ」
どうしてだろう。先程から冗談であしらうつもりが、気がつけば、俺は怒りに任せて言い争いを始めているではないか。何が悲しくてこんな子供じみた行為に理性を委ねなければならないのだ。このままでは、目の前の非常識な女子高生と同じレベルになる。落ち着け平常心だ。平常心。平常心……。
「聞いてんのキモオタ」
「誰がキモオタだよ!」
「アンタよ。自分の見た目鏡で見たら?」
「はーん。男にたかられてたクソビッチに言われたかねえわ!」
「最低……。助けたとか言って、本心じゃそう思ってたわけ? 気持ち悪ッ! だから童貞なのよ!」
「ど……」
やめろよ。その言葉は俺に刺さる。痛恨の一撃だ。
「……だ、誰が童貞だよ」
「ほらぁ。今あからさまにキョドったキモーい」
反論できない。嘘をつくタイミングを見失った。それどころか頭がくらくらする。精神的に深傷を負ったようだ。俺はどうにかヒトミに反撃の一撃を繰り出そうと頭の中で思考を張り巡らせる。
「お前。友達とか居ねえだろ」
そうだ。俺のせいでこの事案はヒトミにとってタイムリーなはずだ。俺があの時助けたことで、友人から距離を取られていたとしたら。この言葉は刺さるはず。
「アンタこそ友達いないでしょ」
ヒトミの返答に。俺は逆にダメージを負った。
「い、いるよ」
「図星で草。陰キャじゃん」
「ああそうだよ! 陰キャだよ! でもお前みたいに低次元脳みそスペックの陽キャが、俺は1番嫌いだよ!」
「結構。好きになってもらう必要ない。てかキモい」
「キモいは、一言余計だろ!」
「キモいやつは人権なし」
「うわぁ。出やがったな勘違い思考女。お前みたいなのが一番野蛮で馬鹿なんだよ!」
「ううん。アンタが……」
ヒトミは突然言い争いをやめて。ゆっくりと笑みを浮かべた。そしてゆっくりと口を開くと。口の形を「ああ」と動かした。それはどうにも『バカ』と言っているように聞こえて仕方なかった。俺はそれを言い返そうとしたのだが。
「ヒトミちゃんになんて口聞いてんのぉお!」
突然、俺の頭頂部に拳骨が降り注いだ。激痛。俺は、反射的にすぐに後ろに振り向いた。この痛みはよく馴染んだもの。二三年間の人生に染みついているものだった。
後ろを確認した瞬間。俺は背筋が凍った。案の定俺が予見していた恐怖が目の前に現れたのだ。それはまさしく魔王と呼べる存在。
「か……母さん。何でここに……?」
俺の後ろで母が仁王立ちしている。何故だ。夕方まではパートで店には戻らないはずだ。
「だって今日はパート早く終わって明美さんのとこで話してたんだもの。今一三時でしょ。戻ってきたの」
終わった。自分が一気に血の気が引いていくのがわかる。予期せぬ状況で、俺が一番避けたかった事が、今起きようとしている。
……というかこれほどダサい二三歳がこの世に存在するのだろうか。
「ち、違うんだって! これには訳というのが」
「問答無用!」
ヤバい。拳骨がもう一度くる。このままでは公開処刑のようなものだ。頼まれた仕事をそっちのけで、バイト生と口論。あって良いはずがない。俺は必死に周囲を見渡すが、もちろん助けてくれる人などいない。
ふと、視界に映ったヒトミの顔。死に目にあいそうな俺の顔を見つめながら、ヒトミは冷徹な笑みを浮かべ。また声に出さずに口だけを動かして。
「はい乙う」
と。俺に告げた。
諦めよう。この先で何が起きようと、全てを受け入れよう。
そう決意した時だった。そこに救世主が現れた。
「あのぉ。すみません」
一人の男性が、入口の方から声をかけてきた。母はすぐに入口の方に視線を向ける。その先には、背の高い、これまた容姿の整った男がこちら側に手を振っていた。俺はその男を知っている。いや、知りすぎていた。
「あら。ソウジくんじゃない。久しぶりねえ」
母はにこやかにそう告げる。俺は、すぐに固まった。
……なんでソウジがここに?
「よ……。元気してたか? ツグ」
『ツグ』というのは俺をソウジが呼ぶ時の名称である。ソウジは昔のように(・・・・・)目を細めて笑みを浮かべる。俺の……昔からの容姿端麗な幼馴染。ミスミ ソウジ。
「あ……ああ。久しぶり」
俺はぎこちなく、ソウジに挨拶を交わす。
そして、ソウジであるとわかった途端、俺はいつものように目を逸らして顔を下げる。
惨めで、どうしようもない俺が、見れる訳がない。
「ツグ。僕、遊びにきたんだ。久しぶりにさ」
◇◇5◇◇
「いやぁ。懐かしいなぁこの部屋」
久しぶりに現れたソウジが俺の部屋に訪れて言った言葉。
「そ……そうか?」
俺はぎこちなさそうに言葉を返してしまう。
「うん。昔と変わんない。ずっとツグの部屋って感じ」
「そう……なのか」
恥ずかしい。惨め。見られたくない。そう言った感情が脳内を駆け巡っている。お互いとっくに成人して、大人になっているというのに。目の前の男は立派な出立で、未だ安定職にすら就いていない俺なんかよりもよっぽど大人に見えるのだ。情けないの一言に尽きる。
再開してからずっと、俺は自分がこの場にいる事に疎外感を感じていた。再開してから顔色すら伺えていない。ずっと視線を逸らし続けている。
「この写真、まだ残してたんだな。懐かしい」
ふと、本棚の片隅にかけられた写真立てを手に取って、ソウジはそんな事を言った。その写真は昔よく遊んだ友人グループの集合写真である。
埃を被った本棚の中で唯一、綺麗にしている写真立て。
「…ああ」
俺は掠れそうな声で、返答する。緊張している。まともに声が出ないのが、恥ずかしくて仕方ない。
「そっか」
と。ソウジは言葉を返した。
「うわぁ。何この部屋。オタク臭いんですけど」
そんな静かな部屋で一際うるさい奴がそんなことを言った。ヒトミだ。俺はため息を吐く。
「……なんでお前がここに居んだよ。バイトはどうした」
「おばさんが『帰ってきたから私に任せて。息子が教えると不備があるかもだから。私が順を追ってその都度おしえてあげる』っていってた。だから、暇だからこっち来た」
こっち来るな。俺にとってお前は疫病神よりも厄介だ。
「お前本当めんどくさいな」
「うっさい。……てかさ」
ヒトミは急に俺の耳元へ顔を近づける。咄嗟に俺は距離を取った。すると『童貞キモい』と真顔で罵られる。怒りを堪えながら、仕方なく、ヒトミに耳を預けた。
「アンタにこんなイケメンの友人居るとか聞いてない。居るなら紹介してよ」
俺はソウジに聞こえないように返答する。
「知るか。てかほんと帰れよ」
「やだ。アンタがどっか行ったら?」
「俺の家だわ」
「ニートは家から出た方が迷惑かからないんじゃないの?」
その話……。誰から聞いたのだろうか。いや、大体検討はつく。母に決まっている。俺の知られたくない『惨め』を母は気にせず人に教える。もとい、この年で実家に住み着いてる俺が悪いのが大前提だが……。
「人生初めてだ。お前みたいなのに出会ったのは」
「あそ。おめでとう」
俺の渾身の嫌味は軽くあしらわれ、ヒトミはソウジの方に顔を向けた。するとヒトミは、俺の時の態度と一変し、にこやかな笑みを浮かべる。
「はじめまして! ソウジさんですよね?」
急に話しかけられたソウジは戸惑っている。陽キャって生き物怖い。やだ。怖い。
「……えっと、はじめまして。ヒトミちゃんで合ってる?」
「はい!」
『人生』というゲームのクソ仕様の一例がこれだ。
俺とソウジとの間には、歴然の差がある。同じ人間だというのに。容姿の違いでこうも接し方が変わるのだ。俺から見えたヒトミが悪魔でも、きっとソウジから見えたヒトミは天使である。幼い頃からソウジはそういう点で、もてはやされているのを知っている。ちくしょう。クソゲーだよ。クソ。
「……あ、これ」
「どうしたんです? ソウジさん」
ソウジの横に引っ付いているのは一旦置いといて。ソウジが見つけたのは、あるフレコンソフトだった。先日見つけた『Re:makers』ではない。
物心ついた時から、片時も忘れることが無かった。俺の大切なゲームソフトである。
「これ、トラクエⅢだよね?」
トランジェントクエスト。訳してトラクエ。当時爆発的に流行した伝説のゲームの一つである。フレコン自体が社会現象を引き起こしたのだが、この『トラクエⅢ』はソフト単体で発売日に長蛇の列を作って社会現象を引き起こした大作である。
「そうだけど。それがどした?」
俺はそれとなくソウジに尋ねてみる。
「どーでも良いじゃん。なんか他のないのー?」
それと、お前の隣のやつどうにかしてくれソウジよ。
「まあまあ……。これ懐かしいと思ってさ、やってみない?」
思いもよらないソウジの提案に、俺は目を見開いた。
「ああ。やる」
その提案を躊躇なく承諾してしまった。ソウジの顔や素振りは未だ確認することに抵抗があるが。ゲームでなら俺はソウジと……。
俺はすぐに『Re:makers』を引き抜いて、トラクエのカセットをフレコンに差し込んだ。できないクソゲーより手頃に遊べる神ゲーだ。
「準備、できたぞ」
俺は目を輝かせる。トラクエは俺の青春であり、俺の人生の全てと言っても良い。
意を決してスイッチボタンを押すと、ゲームは正常に起動した。トラクエのタイトル表示と共に、BGMが流れ始める。このBGMはトラクエの魂だ。しばらく俺はこの神曲に酔いしれた。
はぁぁ……。良い曲だ。心に染みる。この曲は多くのプレイヤーを勇者にした曲だ。
「ねぇ。まだ始めないわけ」
目を瞑って心地よく耳を澄ませている最中。ヒトミがそんなことをぼやく。
至極のひと時を邪魔しやがって。最悪な奴の声が聞こえた。
「もう少し待とうよ。このゲームのBGMは凄いんだ。俺も聞きたいな」
と、ソウジがヒトミに提案する。そうだ。黙ってこの神曲に洗礼されろ。
「だってー。同じ画面でつまんないんだもん。なんかうるさいしさあ」
あぐらをかきながら、両膝を上下に揺らしているヒトミ。俺は頭の中で『プツン』と何かが切れた音がした。俺の侮辱がいいが、この神ゲーの侮辱だけは、どうにも許せなかった。
「お前、この神曲がどれだけ偉大か知らないだろ?」
「はぁ? そんなの知るわけないじゃん」
「この曲はなぁ! たくさんの人々の想いが詰まったもんなんだよ。一度でも曲を耳にすれば、トラクエを遊んだあの日を思い出すことができる。この曲を聞くたびに勇者は心を奮い立たせる。この曲には冒険の全てが詰まってる! さらに作曲者のすぎたようじろうさんはな! この曲はトイレにこもって……」
「あーあーあー。わかったわかった。オタクの知識はどうでも良いから早く進めろっつーの!」
何もわかっていない。
「頭来たぜ。お前にこのゲームの素晴らしさを教えてやる!」
「何ムキになってんの……。大人でしょ?」
ヒトミは目を細め軽蔑の眼差しを向けている。俺はそれを確認すると口角を上げた。
「ゲームやるのに、子供とか大人とか関係ねえんだよ。トラクエをやるんなら。俺は……」
「勇者だ」
俺は画面に視線を向ける。
「あっそ。カッコ悪。キモ」
ヒトミはどうでもよさそうに聞き流した。このゲームがどれほど素晴らしいか、証明しなければ。俺は鼻息を鳴らして、タイトルからセーブデータ画面に切り替える。
「この画面の曲も良くてだな!」
「もういいから進めてよ……」
「んだよ……」
俺は文句を言いながらゲームを始めた。
ヒトミにトラクエを面白いと言わせるための、壮絶な戦いが幕を開けたのである。
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