あるようでない選択肢
「どうしよう……」
ウェズンが洞窟へ向かってからかれこれ二時間が経過していた。
だがしかしウェズンが戻ってくる様子はこれっぽっちもない。
一時間以上経っても戻ってこなかった場合、浄化魔法を連発させてでも何が何でも学園に戻れ、と言われていたイアではあるが、結局のところまだ村にいた。
イアが途方に暮れたような声を出したのは、ウェズンが戻ってこなかったからだけではない。
つい先程、三十分ほど前、カドルクが再び瘴気に汚染され異形化したのも原因であった。
黒いコールタールのような物を吐き出しながら苦しみ悶えているカドルクに、イアとてただ見ていたわけではない。ウェズンのように、とはいかないがそれでもイアだって浄化魔法をカドルクに施しはしたのだ。
ただ、それは異形化をほんの一瞬遅らせただけでしかなく、軽度の異形化であればまだ手の施しようもあったが進行が早くどうにもできなくなってしまった。
焦りながらもイアがモノリスフィアで瘴気汚染度合をチェックすればなんと88%という数値が。
多少なりとも瘴気耐性がある、と言っていたカドルクであったが流石にこれだけ瘴気汚染されていればいくら耐性があろうとも……という話だ。それでなくとも先程一度汚染され異形化しかけたのだ。ウェズンの浄化魔法で事なきを得たと言えど既に一度汚染されかけたという土台がある。速やかに汚染された場所から遠ざかるならまだしも、洞窟から離れたとはいえ村ですらこれだけ汚染されてしまえば耐性の有無など最早ほとんど意味がない。遅いか早いかの違いだ。
そして異形化したカドルクはこちらの声など既に理解していないのか咆哮を上げイアに襲い掛かり、どうにもできないと判断したイアは本当につい今しがた、カドルクを仕留めたばかりであった。
唯一の生存者であった人物をまさか自らの手で葬る事になろうとは……いや、あのまま放置して逃げ出そうにも、それはそれで後が不味い。異形化した者は魔物とは異なるものの理性を失った状態であればそれこそ魔物とそう変わりはない。目につく生物何もかもに襲い掛かるようであれば、次にここにやって来た何も知らない者が犠牲になるのは目に見えている。
元が単なる村人で、そして漁をするとはいえそこまで体力だとか腕力に自信のないタイプのカドルクであるからもしかしたら不意打ちを食らったとしても、襲われる側のスペック次第では生き残れるかもしれないがそれが何かの救いになるか……となると全くない。
正面から堂々と襲いにきました、とかであればまだしも不意打ちは成功した時点でやられた側は大なり小なり被害があるのだから。軽傷であればまだしも、重傷だった場合はその時点で死を覚悟する必要すら出てくる。
もう元に戻せるだとかの時点をとうに過ぎてしまった以上、野放しにしておくのは問題しかない。だからこそイアはごめんなさいと何度も繰り返しながら、カドルクを手にかけた。
ウェズンが洞窟へ向かってからの一時間程は、お互い特に何の問題もなかった。だからこそイアは色々気になった事をカドルクに質問したりして、それにカドルクがこたえたりして時間を潰していたのだ。
一時間が経過した時点で、イアには選択肢が存在していた。
ウェズンの言葉通り何が何でも学園に戻って状況を知らせるか、それとももう少しだけ待つか、はたまたイアもまた洞窟へ向かうべきか。
イアはもう少しだけ待つことにした。
ウェズンが洞窟へ向かってからここに戻ってくるまで、何事もなければ一時間もかからないのはわかっていた。だが、途中で何かを発見した場合。そしてそれが危険かどうかはさておきそれらを調べたりした場合、一時間で戻ってこれないだろうな、と思っていたからだ。
というか、村から洞窟まで行って、カドルクが倒れていた所からすぐに引き返せば一時間以内で戻ってこれるとは思うけれど、洞窟の更にその先へ進むのであれば戻ってくるのもその分時間がかかる。カドルクに洞窟の規模を聞いたりした結果、イアはウェズンが戻ってくるのに何事もなければ一時間半程かかるだろうな、と思ったので待つ事を選んだ。
だがしかし、流石にそろそろ戻ってこなければ次にどうするべきか……と思っていたところでカドルクが異形化したのだ。
もし一時間経過した時点でイアが学園へ戻るべく浄化魔法を連発させて仮に戻っていたとして。
次にここにイアが誰かしら応援を連れて戻ってくる、もしくは別動隊が派遣された場合、異形化したカドルクはこの村の人間だったと知られる事なく魔物だと判断されそのまま仕留められただろう。そうして、イアが戻ってきた場合、カドルクがどこかに潜んでいるものと思い捜索する事になったかもしれない。既に倒してしまっているとも気付かずに……
そう考えるとカドルクが異形化した事を嫌でも知る事になったのは果たして良かったものなのか……
知った上で仕留められるか、知らないまま倒されるかの違いと言ってしまえばそれまでの話だ。
原型などほとんど留めていないカドルクだったものをイアはひとまずどうにか砂浜に穴を掘り埋める事にした。その上に木の棒などを刺してお墓っぽい何かを作る。
イアとしては死体の処理とかよくわかっていなかったが、前世で見た映画のワンシーンでなんかこんなのあったな、と思い出したからやったに過ぎない。
何せ前世のイアが暮らしていた所では、そもそも人が死ぬというのは決められていた出来事であり、また死期が近づいた者たちはサポートデバイスによって身体がまだ動くうちに決められた場所へ行くようになっていた。そうして決められた場所に横たわり眠るように意識を落とす。それで、終わりだったのだ。
その後の死体の処理などはイアたちがやるでもなく、アンドロイドなどによって行われていた。だからこそ、イアが葬式だとかお墓といった物を知る事になったのは間違いなく前世で見た映画や創作物の存在からだ。
……とはいえ、前世のイアが死ぬ間際、彼女は自分の死期を悟ったりしたわけではない。
恐らくは知らぬうちに、混沌は忍び寄っていた。マザーAIも気付いた時には手遅れだったのだろう。ウイルスの感染。感染、いや、新たなウイルスの発生だったのかもしれない。ともあれ、マザーが知らぬ間に蝕まれ、そうして徐々に白亜都市メルヴェイユは崩壊を迎えていた。
サポートデバイスが誤作動を起こし、住人たちは何が何だかわからないまま動けなくなりそうしてほとんどが息絶えた。イアもそのうちの一人である。
あの時はまさか自分が死ぬとは思っていなかった。意識の強制的なシャットダウンもまたサポートデバイスによるものだと思って、一時的なものだと信じて疑ってすらいなかった。
痛くて辛くて苦しくて死にたくないと誰にともなく懇願するような死に方じゃなかっただけ、マシなのかもしれない。けれども今になって思うのだ。
あの時の自分は果たして生きていたと言えただろうか、と。
急ごしらえのカドルクの墓はそれこそ前世で見た映画のワンシーン、庭の片隅に作られた金魚の墓みたいな出来になってしまったけれど。イアとしてはそれでもこれが精一杯だった。
よくわからないなりに手を合わせ、少しの間目を閉じる。
宗教についても多少、前世で学びはしたけれどそれだってほとんど記憶に残ってはいない。だからこそこれは完全に形だけのものだ。
いっそ清々しいまでの自己満足。
そうして、形だけの祈りを終えてイアは、気持ちを切り替えて次の行動に移ろうとしたわけだ。
こうなった以上学園に戻った方がいい。お使い一つマトモにできないのかと言われても知った事ではない。むしろこの状態でどうお使いをしろというのだ。跳ねトビウオというのが実のところ魚でもなんでもないというのをカドルクから聞いたけれど、今からイアが一人でそれらを確保しに行けとなるとそれはそれで大変そうなので今回は縁がなかったという事で諦めてもらうしかないな、とざっくり思考を切り替えた。
ちなみに跳ねトビウオというのはここいら一帯の地域で言われている隠語のようなものがそのまましれっと当たり前のように使われているもので、実際は山にいるウサギであるらしい。
とはいえ、ウサギと一言で言ってもイアが知るウサギとは多少異なるらしく、そのウサギの耳は実際羽のようにふわふわとしているのだとか。
かつて、まぁなんやかんやあってここいら一帯のお偉いさんから獣肉に対する規制が出たらしいのだが、どうしても肉が食べたい者たちがこれは魚だ。飛び跳ねるからトビウオだと言い張りそうしてウサギは跳ねトビウオと名付けられ、これは魚なので問題ありませんとごりおししたのだとか。
イアにはよくわからなかったが、これをウェズンが聞けばすぐさま納得しただろう。
あ~、何か似たような話、前世の日本でもあったなー。四つ足の獣食べちゃダメとかいう話の中でウサギの事をこれは鳥ですとか言って誤魔化したやつあったな~! だからウサギって匹じゃなくて一羽二羽で数えられるようになったとかいう話あったなー! と秒で理解したはずだ。
だがしかしここに今ウェズンはいないので、イアとしてはふぅんそうだったんだ……程度のさらっとした流しっぷりである。
つまり、魔法薬の材料として取引して来いと言われたブツは魚のヒレだとかではなく、ウサギの耳であるのか……と納得し、そうして、えっ、ウサギの耳魔法薬に使うの!? と遅れてから驚いていた。
どっちにしろ飲むタイプの薬だったら遠慮したいなという感想しか出てこない。
最悪自力で素材を調達するという手段を選ぶ事もできるが、いかんせん地理に詳しくはない土地で、山に単独で入ってウサギを追いかけまわすというのは最悪遭難する可能性もある。
なのでまぁ、素材の調達に関してもイアは他の誰かに丸投げする方向性でいく事にした。
ともあれ学園に戻って状況を説明しなければ。こんなに瘴気汚染されてるとか、一体どうなってしまうのだろう……これが100%になったら……イアの知るこの世界の話でそうなった、という展開は記憶にない。だからこそ、未知の事象だ。それ故に何が起きるのかわからなすぎて恐ろしくもある。
だがしかし。
浄化魔法を何度か唱えてどうにか自分の体内の汚染度を下げるにしても、何度やっても浄化されてる気がしないのだ。同時に汚染されているという自覚もないけれど。
何度か唱えて、周囲もちょっとくらいは浄化されてたりしない……? と思ってチラッとモノリスフィアで確認してみれば、多少下がって82%になっていた。
だがしかし、この時点でイアは十回以上浄化魔法を唱えている。だというのにこれしか浄化されていないのだ。
そして案の定神の楔を使おうとしても、瘴気汚染度合が高いせいかうんともすんとも言わなかった。
つまりは、学園に戻りたくとも現時点ではまだ戻れない。
神の楔が使えるまでに浄化魔法を使うとして。
果たして後何回発動させればいいのか……
「魔力が、途中で尽きるのが早い気がする……!」
単純計算でざっと数えてみたが、間違いなく途中で自分の魔力が底を尽く。
もしかしなくても、詰んだ。
そんな言葉が脳裏をよぎったのである。




