機会を逃すな
家の中に入るとそこはだだっ広い空間であった。玄関だとか廊下だとかそんな家の中にありがちな光景すっ飛ばしていきなり広い空間である。
「は……?」
思わず間の抜けた声が出るのも仕方がないと言えよう。
建物の中も青白くキラキラしている空間で、何となく前世で行った水族館をぼんやりと思い出した。
通路の上を水槽が広がっている、見上げたら魚が一杯泳いでるような普段見る事のないような光景。見上げるので泳ぐ魚の腹部分を見る事ができたりするやつだ。
とはいえ、ここは水族館の巨大水槽の下に広がる通路でもないので見上げたところで魚が泳いでいる事はない。そもそも水の中というわけでもないし。
ただ、キラキラしているのが何となく水の底から上を見上げた時のような錯覚に陥りはしたけれど。ついでにひんやりとした空気も水の中にいるような錯覚を覚えた原因の一つかもしれない。
そこはかとなく幻想的と言えばそうかもしれないけれど、他に何があるでもない。
「えっとイルミナ、ここは?」
「こっちよ」
質問にこたえる事もなくイルミナはそのまま進んでいく。
こっちよ、というよりここが何なのかを知りたかったのだが……まぁ行けばわかるか、と思ったのでそのままウェズンも歩き出す。ここも空間拡張の魔法がかかっているのか、外から見た以上に内部は広かった。
床も壁も天井もキラキラと青白く光っているのがちょっと眩しいし、なんだったら他に何があるでもない感じなので下手すると迷いそうだな……と思えてくる。
今のところ迷う事はないと思うが、それでも一度目を閉じてくるくると回転して目を開けたらどっちから来たっけ? となりそうなのは間違いなかった。
進んでいくうちに前方に何かがあるのが見えてくる。
柱だった。
まぁ建物だし柱くらいは……と思いそうになるが、多分そういう柱とは違う。
だだっ広い空間のど真ん中にドドン! と効果音でも出そうな勢いで白い柱が存在しているが、天井を支えているかと問われると支えていなかった。
何このでかい棒。自分柱ですけど? みたいな顔して(別にしていない)そこにあるとか、お前何の意味があんの? と疑問しかない。
白い柱は周囲の青白いキラキラ空間の中で逆によく目立った。この建物内部が白かったら多分完全に保護色になっててうっかりぶつかったかもしれないけれど、今はその白さが圧倒的存在感。
柱の上に何やら石がはめ込まれているのが見える。
なんだあのお洒落インテリア。
そもそも本当にお洒落かどうかも疑わしい。
イルミナはその柱まで近づくと、そこでようやく足を止めた。
ウェズンは何となくその柱をぐるっと一周してみる。
そこまで大きなものではない。多分ウェズンとイルミナ、あともう一人くらいいれば腕を伸ばして取り囲める程度の代物だ。白い柱は上に石がはめ込まれていたが、それが四か所存在していた。
なんかいかにもギミックっぽいな……と思いながらイルミナのいる位置まで戻ってくる。
「それでイルミナ、そろそろ」
「頼みがあるのよ、師匠」
「なんて!?」
今なんか普段と違う呼ばれ方をされたな、と理解はできた。ただ、その呼び名に理解が追い付けなかったが。何故いきなりクラスメイトから師匠と呼ばれているのか。そもそもそう呼ばれる心当たりすらなかった。
あの、もっと脈絡をですね、クダサイ……そんな気持ちで一杯である。
「こういう形でやるしかなかったのよ。事前に話をして断られたらどうしようもないし」
イルミナの表情は若干苦悶に満ちているような気がした。あくまで気がしただけで気のせいだろう。そんな風に見える表情を作ってついでに申し訳なさそうな声を出しているが、多分本人はなんとも思っていない。
なんでそう思えたかって、前世の妹の一人に似たようなのがいたからだ。
表向きとても申し訳なさそうな表情だとか声だとかでいかにも反省しています……といった雰囲気を出すのは得意だったが、その実一切これっぽっちも反省しておらずむしろ内心で舌を出すような。
まぁその妹がやらかす事は基本的にそこまで大それた事ではなかったので、軽く叱る程度で済んでいた。妹も多分そこら辺わかってやってた。そういう部分の見極めも得意だったからそこまで大きな事件になったりすることもなかっただろうけれど、もしそこら辺の見極めができていなかったら間違いなく何かの犯罪で捕まってたに違いない。
ただ、イルミナはその前世の妹の一人に似たような事をしたとはいえ、多分妹ほど狡猾でもあざとくもない。どちらかといえば他の方法や手段が思いつかず、やむを得ずやらかした……というのが正解だろうか。
ウェズンがそう判断したのは、あながち間違ってはいなかった。
イルミナはテラに学園での授業が三日程ない事を伝えられた時からウェズンを誘うまでの間に頭をフル回転させて、そうして結論を出したのだ。じっくり考えているようでその実そこまで長い時間悩んだわけでもない。けれども、その短い時間で胃がキリキリする程度には悩んだのだ。
もう他にいい案が思いつかない……! そんな感じで視野が狭まっているのか、ただ一つ思い浮かんだ案だけが、唯一の方法だと信じて疑わなかった。
もう少し時間とイルミナの精神に余裕があれば、事前に事情を説明してウェズンを説得するという事をやっただろう。けれども、学園での学外授業は自分たちで自由に選んで実行できるものでもない。
基本は学園側で割り振られるが、魔物が多く発生している場合などは実力に合わせてここからここまでの依頼の中から選んでもいい、みたいな事もあるけれど、選択肢があるだけでやはり学園側で決めているようなものだ。
選択肢にない結論は出せない。
なので、今回のように行先を各自で決めていい、と言われてイルミナは絶好の機会だと思ったわけだ。
大体この黒の森、妖精こそいるけれど魔物はほとんど出現しないし。なので学園でここに行けと指示を出される事もまずない。
ウェズンがあの妖精たちは害悪で滅ぼすべきでは……? などと薄っすら思っている事をイルミナは知らない。けれども、恐らくいい感情を持っていないだろうなとは理解している。
こうして誘った時点でイルミナに対して悪感情を持っている事はないだろうと判断したからだ。
ウェズンがイルミナに恋愛感情を持っているか、と聞かれれば間違いなくそれはないとイルミナは答えるだろう。それくらいはわかる。友人として見ているだろうけれど、それより先に進むことはないと思っている。大体そこまで仲が良いわけでもないし、仮にもし、ウェズンがイルミナの事を恋愛的な意味で好きだったとして。
あまりにも態度が変わらなさすぎる。余程感情制御に長けているとかならともかく、ウェズンはそこまで徹底して自分の感情の機微を周囲に悟らせないようにしているわけでもない。
もし恋愛的な意味での好意を持っているなら、こうして二人きりになった時点でもうちょっとこう……色々と会話なり態度なりに出てもおかしくはないはずなのだ。だがそれがない。
それが、イルミナがウェズンは自分の事を特にそういう目で見ていないと判断した理由であった。
とはいえ、惚れた女というわけでなくとも頼みごとをすれば一応それを聞き入れようとする程度には親しいと思われている。
けれどそれだって、内容次第だとイルミナは思っている。
自分にできる範囲の頼み事ならともかく、手に余るような案件を頼まれたら。余程親しい間柄なら多少無茶してでも何とかしようと思ってくれるかもしれない。けれどもそこまで親しい間柄というわけでもなければ、それこそやんわりと断られる方向性に持っていかれる事だってある。
悪く思われてはいないけれど、でも面倒な案件を持ち運んできたら。
場合によってはやっぱ無しで、と言われる可能性はあった。
イルミナとしては今回の一件は千載一遇とまではいかずとも、限りなくそれに近い感じでチャンスだったのだ。だからこそこうしてウェズンを巻き込んだ。
現地に連れてきて、そうしてここまで来てしまえば今更断る事もないだろう。今から断ってここを出て行くとして、ではその後どうするのか、となると……
(他の行先を今から決めてそれからレポートまで、と考えると余分な時間は間違いなくないもの。ここまで来たら、手を貸す他ない、はず……)
断言できる程ではないが、他にいい案があるでもないだろう。
「騙し討ちみたいな感じで連れてきた事は謝るわ。ごめんなさい。でも、これを逃すと次の機会がいつになるかわからないの」
この期に及んで協力を拒まれる可能性もまだ存在している。だからこそイルミナは表向き申し訳なさそうな態度を崩さず、ウェズンに向き直った。
真剣な表情をしていれば、ウェズンもまた冗談でもなんでもないと理解したのだろう。一瞬だけ呆れたような顔をされたが、
「一応、話は聞いておこうか」
どうにか話を聞いてくれるらしい。
話をした後、協力するかどうかはわからないがそれでも。
多分、ではあるが手を貸してくれるだろうとイルミナは思っている。学園でのウェズンの普段の態度からしてここまで来て見捨てるという可能性は低いからだ。
ウェズンには何一つ自分の事情には関係がないけれど。
巻き込む事に対して何も思わないわけではないが、それでも。
イルミナは己の事情を説明し始めたのである。




