森の泉の一軒家
幸いにして、というべきか妖精たちは追いかけてまでこちらを馬鹿にしようとはしていなかった。ただ、後ろから聞こえる笑い声がとても耳障りで不愉快ではあったけれど。
それでも進んでいくうちに距離が開いて、やがては聞こえなくなる。
「……で、何あいつら。害虫?」
見た目がマジでゴキブリとかだったら遠慮なく殺してたんだけど。という思いを込めて問いかける。
あいつらが中途半端なサイズとはいえ人の形をしていたから殺すに殺せなかった、とか素で言いそうな剣呑な雰囲気を纏うウェズンに、イルミナはどこか困ったような視線を向けた。
「妖精よ。あまり下手な事いうと敵に回すわよ」
「そしたら徹底抗戦するだけだ」
あの場でイルミナが言い返したりあいつらをどうにかしようという動きを見せたならウェズンもそれに乗じていた。けれどイルミナは奴らを相手にする様子を見せずそのまま進んでいったので、ウェズンもそれに従ったに過ぎない。
いや本当は大分腹が立つし頭にきているけれど。
人生一周目だったら多分頭にカッと血がのぼって攻撃仕掛けてた。二周目だったから落ち着いて耐えられた。でも別に耐える必要なかったんじゃないかなとも思っている。
というかやっぱ妖精で合ってるのか。
妖精か……とウェズンは考える。
妖精という存在に対する認識としては悪戯好きだとか、人間よりは確実にあるだろう魔力。魔法を使っての悪戯だとかはよく聞く話だ。
とはいえ、前世でなら魔法も使えない人間からすれば妖精の魔法とかそりゃもう困る以外のなにものでもないけれど、この世界で様々な種族の血を取り込んでしまったデミヒューマンの目から見ると妖精は果たして脅威なのだろうか……? という疑問が出る。
勿論どういった種族の血が色濃くあるか、によってそこら辺は変わってくるだろうけれど、対抗手段がないわけではないのだ。
末代まで祟られるとかそういう感じの攻撃とかしてくるんだろうか?
というかそれは妖精とは違う気がする。
「ってか、この森妖精いたんだな……」
そういや妖精って一部存在を否定されると存在できなくなるとかいうのがいたような気がするけど、あの場で妖精とかいるわけないじゃん、とか言ってたらどうなったんだろう。ふとそんな事を思う。
というか、前世知識だが妖精って何かこう、鉄とかそういうの忌避してなかったっけ?
生憎とそこまでがっつりとしたファンタジーを嗜んでいなかったウェズンの知識は大分朧気であるが、何かそういう話を聞いた覚えはある。
帰り際にまたあいつらと遭遇したらちょっと事故を装って鉄の塊でも投げつけてやろうか、そんな風に思う。
「……イルミナ、それで、ここに来た理由は? あいつらに罵倒されるためだけに来たわけじゃないんだろ」
先程何かを言いかけていたイルミナだったが、あのエセメルヘンどものせいで結局聞きそびれてしまっている。イルミナがあいつらに馬鹿にされるためだけにやって来たならそもそもウェズンと一緒に来る必要がどこにもない。
「……この先に泉があるの」
「ん? うん」
「その泉の中心に浮島があって」
「おぉ」
「そこが目的地よ」
「おぉ……?」
理由になってなくないか? と思ったもののイルミナは行けばわかるとばかりに進んでいく。
多分、あの羽の生えたなんちゃって着せ替え人形もどきに遭遇しなければもうちょっと詳しく情報を落としたかもしれないが、イルミナも一見気にした様子を見せてはいないが、それでもやはり心が疲れたりしたのだろう。
サスペンスドラマなら間違いなくカッとなってぶち殺してるだろう状況だというのに、随分と寛大な事だ……などとちょっとずれた事を思いながらも、今はもうそれ以上何も言うつもりがないイルミナの後ろを大人しくウェズンはついていくのであった。
森の中心部だろうか、イルミナが言う泉とやらがあったのは。
進めば進んだ分だけ木々が密集するかのようで、空が見えないわけではないが周囲が黒々としているせいでやけに暗く感じる森の中。
その中心部に存在する泉。
何やらいかにも感が溢れているが、そういやここファンタジーな世界だったな、と思う事でウェズンはそれ以上気にしない事にした。
泉、と言われていたがウェズンが思っていたよりも規模は大きかった。
青く澄んだ水は周囲が暗いからとかではなしに、ほんのりと青白い輝きを放っている。
え、この水飲んでも大丈夫なやつ? という疑問がわいたが森の動物たちが水を飲みにやってきたりもしているようなので、飲めるやつらしい。
周囲の暗さと相まってなんとも神秘的な雰囲気があった。ゲームとかならここから泉の妖精とかが出てくるんじゃないだろうか。そう思ったけれど出てきたのがさっきみたいな妖精だった場合今度こそ殺意の波動がほとばしりそうだったので、ここで妖精が出てこなかったのはある意味で運がよかった。お互いに。
イルミナの言葉どおり、中心には浮島があった。島、といっていいかはわからないくらいが、泉をドーナツの外側だと仮定すると浮島はドーナツの穴、くらいの規模だろうか。
泉の形は完全な円形というわけではないが、上から見たら多分そんな形してそうだな……という程度の感想。
事前にイルミナに泉と言われていなければ、そして水の色がやけに輝いていなければ。
周囲の暗さと相まって池か沼だと思ったかもしれない。
泉も池も沼もそれなりに違いはあるのだろうけれど、生憎とウェズンはそこら辺の細かな違いなどわからないので雰囲気で判断している節があった。
「浮島って……いやマジで浮いてるんだね……」
前世知識の浮島だと思っていたら実際に泉の水面からちょっとだけ離れていてマジで浮いている事に、どういう反応すればいいんだろう……と思いながらも見上げてみる。見上げる、といってもそこまで高度を保っているわけではない。
まぁでも学園の周辺にも似たような浮いてる土地あるからな……と知っているからそこまで驚きはしなかったが、そうじゃなかったらうわマジで浮いてるすげー! と意味もなくテンションを上げるところだったかもしれない。
もうそれ浮いてるって言うか素直に泉に着水しては? という程度にしか浮いていないけれど、その浮島には一軒の家があった。
一見すると神秘的に見えなくもない泉の中心にある浮島。そこにある一軒家。
その家は見た目はそこまで突飛なものではないけれど、泉の水同様に青白く輝いていた。木材を使用している家というよりは鉱石だとかを使っていますよ、というのがわかるけれどこれ一体どうやって作られたんだろうか……という疑問は残る。でもまぁ、ファンタジー世界だもんな、自分が知らない製法でできてても別に何もおかしくはない。ウェズンはそうやって自分を納得させた。思考停止とも言う。
「で、ここが目的地だっけ? え、何すんの?」
「行くに決まってるじゃない」
決まってるんだ……という言葉は口に出せなかった。それよりも先にイルミナが泉にそのままざぶんと足を入れて進み始めたからだ。
「えっ!? ちょっ、そのまま行くの!?」
「そんな深くないから大丈夫」
「そういう問題かなぁ!?」
行くにしてもこう……ジャンプして、届かなかったら悲惨なのでせめて魔術で風を起こして後ろから押す形にしていくとか、泉の一部を凍らせてその上を行くだとか、方法がないわけじゃないとは思うのにイルミナはそんな事をする必要はないとばかりにざぶざぶと水をかき分けて進んでいく。言葉通りそこまで深くない、というのは理解できた。多分一番深くてもイルミナの胸のあたりまでなので、突然足が攣って倒れたりしない限りは溺れたりすることもなさそうではある。
皮手袋を外してウェズンは思わず泉に手をつけてみた。
思った以上にひんやりしている。
「えっ、本当に大丈夫イルミナ!?」
「平気よ」
声からして本当に平気なのはわかるけど、正直春先の川くらいに冷たい。溶けた雪のせいでまだまだ冷たい川の水くらいの温度である。冬の凍った水の底と比べればマシではあるが、それでも普通にざぶんと入っていい温度ではない……と思う。
ぴっぴっ、と手を振って水を切る。
そうこうしているうちにイルミナは浮島にたどり着いて、そこに手をかけてざぶんと泉から上がる。
「何してるのウェズン、早く来て」
「あ、う、うん……」
ずぶ濡れ状態のイルミナは制服の端々を手でぎゅっと絞ってはいるけれど、いやそれこそ魔法で乾かさないの!? という事が気になってしまう。
正直この家に何があるのかだとか、何でここに来たのかだとかは未だにさっぱりではあるけれど。
行かないときっと話が進まないのだろう。それだけは理解する。
だからといってイルミナと同じように濡れて突き進む気はなかったので、ウェズンは魔術で泉の一部を凍らせてその上を歩く事にした。普通に行けば凍っているのでそりゃもうよく滑るだろうけれど、凍らせた時に氷部分に凹凸をつけておいたので特に滑る事もなかった。
渡り切った後でついでにイルミナに乾燥の魔法をかければ、目を丸くしてそれから一拍置いて礼を言われる。どうやら魔法を使うというのが意識からすっぽ抜けていたらしい。
「一応聞くけどここが実家とかじゃないよね」
「そんなわけないじゃない」
突然の里帰りだとかだったらどうしようかと一瞬考えてしまったのでその疑問を口に出したが、それは即座に否定された。まぁそうだよね、と納得する。
正直イルミナと仲が悪いわけではないが、別段そこまで良いとも言えない。普通としか言いようがないとウェズンは思っている。
なのでちょっと家に帰りたいけど一人じゃちょっと……ってコトで友達を誘ってきました、というやつではないというのが確認できただけでも安心したのだが。
じゃあなんで自分誘われてるんだろう……?
その疑問は未だ解決していなかった。




