生還してる不思議
ウェズンたちの身長を遥かに超える――というと若干大袈裟だが、仮にこの二人が肩車をして進んだとしても余裕で通れそうな程度には、その扉は巨大であった。そこそこの距離をあの頼りない鉄梯子で下りてきたけれど、この先にあるのなんて精々隠し通路で外に出られるだとか、他の場所に続いているだとか、ともあれそういったものを想像していたというのに。
なんだか仰々しすぎてもしかしてここ、そういう感じじゃないやつか……? という不安がよぎる。
それ以前に果たしてこの扉は開くのだろうか。
これで開かなかったらどうしろと。
そんなことを考えながらもウェズンはとりあえず扉に手を押し当てた。
『そこにいるのは誰だい?』
その途端、扉向こうから声が聞こえた。
人だ! 人がいる!!
そう思ったのも束の間、ウェズンは「はて?」と思わず首を傾げた。
この声……聞き覚えがあるような……?
生憎学園内ならともかく、そうじゃない所で知り合いに会う事はまずないと言える。
実家近くの町の人たちとかでも、そう親しいわけではなかったのだ。
では、この声は学園で聞いた声だろうか。年老いた感じの女の声。教師でいたっけこんな声の人……と思いながらも、折角向こうから声をかけてきたのだ。何も答えないままだと心証が悪くなるのではと思い、
「すいません、あの、僕はグラドルーシュ学園の生徒でウェズンと言います。ここにはちょっと天気が悪くて雨宿りしようと思っただけだったんですけど、その、館の中に無理矢理引きずり込まれてしまって」
『ウェズン……あぁ、あの坊やか』
老婆の声は最初は訝しむようであったが、しかしそれも一瞬だった。入りな、と声がして重たい扉はしかし軋んだ音を立てるでもなくスムーズに開いていく。
扉向こうは通路や扉の大きさを考えるとさぞ広々としたものだろうと思っていたが、その予想を裏切るように小さな部屋だった。小さい、といっても館の中で見た使用人部屋と思われるものと比べれば広いくらいではあるけれど。そしてそこにはずらりと棚が並んでいた。
壁際に余計な隙間など与えてなるものかとばかりにぎっしり並んでいる。ちょっと余りそうなスペースですら、そこに合わせた小さな棚があるのだ。いっそ何かの執念すら感じる。
例えばここが狭い家で収納スペースは自ら作るもの、とばかりな部屋であればわからないでもないのだが多分違うと思うので、一般的な家の中なら普通だなと思えるものでもここではなんとなく異常に思えてしまう。
というかだ、棚に置かれている物をちらっと見たけれど、大半が瓶詰である。
乾燥した草――薬草だと思いたい。
何か黒いトカゲみたいなやつ――何に使うん?
謎の液体――薬、だろうか?
そんな風に思いながら見ていけば、瓶の中にやたらびっしり詰められた虫とかいうのもあって思わず「うわ」と声が出てしまった。
一匹程度ならそこまでなんとも思わないが、流石にびっしりというのはビックリする。既に瓶の中で死んでるのはわかるけれど、それにしたって見ていて気持ちのいいものではなかった。
「……知り合いか?」
小声でアレスが問いかけてくるも、ウェズンはすぐに答える事ができなかった。
「声に聞き覚えはあるんだけど具体的にどこのどなたか、って言われるとちょっと……」
同じように小声で返す。
多分あの声の持ち主に聞こえていたら気を悪くするのではないか、というのもあった。
ついでに視界の隅に映った瓶の中に大きな蜘蛛が入っていて挙句まだ生きていたので思わず肩を跳ねさせた。いや、なんで保管してるの。それとも捕まえて死んだら捨てるとかそういう感じのやつなんです……?
黄色と黒のカラーがなんとも攻撃力が高そうだし危険っぽい雰囲気が出ていてちょっとでも動かれると次に何を仕出かすのか……と目を離していいものかわからなくなってくる。瓶の中にいるのだから、大丈夫なはずなのに。
流石にあの瓶を内側から割って出てくるほどのガッツはないだろうと思うのだけど、割と元気に動いているので嫌な想像は止まらなかった。
部屋の奥には更に扉があって、そこは既にちょっとだけ開いていた。声の主はきっとこの向こうにいるのだろう。それはそれとして進むごとに瓶の中の物が段々不穏な感じになってるのでとても目のやり場に困る。
やっぱここ、ホラーゲームの舞台か何かなんじゃないかな……と改めて思ってしまった。
扉の先は階段になっていて、先程のとても頼りない鉄梯子に比べれば圧倒的にマシであった。階段そのものも別にボロボロになってるとかではなく、むしろしっかりとした造りになっている。何で向こうはあんなだったんだ……と思わずそんな風に思うくらいには、差がハッキリしていた。
階段を上がり、出た先には。
「あぁ、やっぱり坊やかい。久しぶりだね」
「あ」
見覚えのある部屋。そして見覚えのある老婆。
久しぶり、そう言われて思わずウェズンは口をパカッと開けたまま硬直してしまった。
とはいえいつまでも硬直しているわけにもいかない。慌ててウェズンはぺこっと頭を下げた。
「お、ひさしぶりです。えっ、あの館ここと繋がってるって事はセルシェン高地なんですか!?」
かつて、魔法を覚えたばかりの頃の学外授業で訪れた場所。セルシェン高地。そこでカミリアの葉を採取せよ、という事でせっせと採取していたものの、その後色々あって辿り着いた魔女の家。
忘れるはずもない。そりゃあ今の今まで割と忘れていたかもしれないけれど、完全に忘れる事などできるはずがなかった。
何せここでウェズンは同じ学園の生徒が死ぬところを見る羽目になったのだから。
とはいえ、その件に関してはその生徒の自業自得な部分もあったと思うので、この魔女に関してどうこう言う気はなかった。
下手な契約を持ち掛けなければ、恐らくは安全なはずだ。
ここにウェズンたちがいるという事は、つまりここはセルシェン高地近辺なはずなのだが、しかし魔女はそっと首を横に振った。
「いいや、あの館はこことは別の大陸にあるよ」
「……えっ? それじゃ、ここは?」
「ここはセルシェン高地の近くだけどね、あの館とは空間をつなげてあるのさ」
「うわ……さらっととんでもない事になってる」
神の楔がある場所ならどこにでも転移できる、というのもよく考えたらとんでもない事ではあるけれど、空間を繋げる、というのをしれっとやってると言われてウェズンはどんな表情をするべきなのかわからなくなってきた。そういえばテラも学園内部で転移魔法とか使ってたっけ……え、じゃあ実は意外とこの世界では普通の事だったりするんだろうか……もうこの世界の常識がわからない。
「あの館は魔女がそれぞれ持ち回りで管理してるからね。今回はたまたま……ってだけだよ。運が良かったね坊や」
「え、つまり管理当番してて、今回はたまたまおばあさんだったから僕らどうにか助かったって事ですか?」
「そうさねぇ……魔女によってはしれっと見捨てただろうさ」
そう言われると本当に運が良かったなと実感する。
ウェズンが知ってる魔女というのは多くない。というか、学園の教師に魔女がいるかどうかもわからないが、確実に知っていると言えるのはこの魔女くらいだ。とはいえ、魔女の名前もわかっていないが。
もし顔も名前も知らない会った事もない魔女が今回の当番であったなら、間違いなく見捨てられていただろう。
よっぽど気が向いたとか憐れみを覚えたとかでない限りは、見知らぬ人間など見捨てられていても何もおかしくはない。
運が良かったな……と思ったウェズンであったが、そもそも運が良かったら神の楔の転移事故には巻き込まれてはいない。
窓の外をちらっと見れば、こちらは雨など降っていませんよとばかりの晴天であった。
「……あの、神の楔使わせてもらっても……?」
ここの中庭にあるのは知っている。前に使ったことがあるわけだし。であれば、どうにか無事に帰る事が可能になったわけだ。
ほんの数分前まではあの館から出る方法を探さなければ……! となっていたというのに、今はもうそれがすっかり解決したも同然なのだから、そりゃもう気持ちも晴れやかになろうというものである。それこそ、今しがた見た窓の外の空模様のように。
「構わないけどねぇ……ちょっとだけ手伝ってもらえないかね?」
「……危険な事でなければ」
「あぁ、それについては問題ないよ。薬を作りたいんだけど、材料を粉末状にしたいだけだから」
「あ、はい」
何か前にもやったな、と思うやつだったのでウェズンは何の気なしに頷いた。
ここでごねたら、でもねぇ、あの館とここをつなげてあるとはいえ、こっちに誘導して助けたのは誰だったかねぇ……みたいな感じで言われたりしそうだったので。
平気で人間を開きにできる相手の機嫌を無駄に損ねる必要性はどこにもない。ちょっと手伝ったら帰れる、となればここは素直に手伝うのがいいだろう。
アレスを見れば、アレスもまた心得たとばかりに頷いてみせた。話が早い。
そしてウェズンの前に用意されたのは石臼である。だがしかし。
「え、あの、これを粉末状に……!?」
「そうだよ。そりゃもう風が吹いたら飛んでくくらいにサラッサラにしてほしい」
魔女は何かおかしなことでもあるだろうか、とばかりの反応でそれをウェズンの目の前に置いた。
「そっちの坊やにはこれを細かく刻んでほしい。できるね?」
「……はい。ちなみにどれくらいの細かさですか」
「原型留めない程度に」
「わかりました……」
「それが終わったら帰っていいよ」
しれっと言って魔女は他にやることがあるのか、部屋を出ていってしまった。
「…………やるか」
「そうだな…………」
ウェズンとアレスは表情を引きつらせながら、とにかく作業に入ることにした。
ウェズンが粉末状にしてほしいと言われたものは、どこからどう見ても虫であった。真っ黒で、何か丸っこい形である。死んでいるので蠢いたりはしていないが、しかし山盛りに置かれているのでとても視界の暴力。
前世でも昆虫食だとかがじわじわと存在を自己主張しつつあったけれど、昆虫をパウダー状にしてあるやつも確かにあったけれど。
それを自分でやる、となると流石に抵抗がある。原型のあるやつを食べるのと粉末状になってるのを口にするのでは、どちらが抵抗がないだろうか……なんて考えつつも、嫌な人からすれば固形だろうと粉末だろうと虫ってだけで嫌がるよなぁ……と思いながらも石臼に昆虫の山から一部を取って入れ回す。
しっかりした素材の手袋があるから平気で虫をセットできたけれど、死んでるとはいえ流石に素手で触りたいものではなかった。
ちなみにアレスも似たような状況であった。
こちらは緑色の何やら細長い虫だ。とはいえ、芋虫かと問われれば全然違う。妙にカチコチしてそうな光沢があった。
アレスは手袋などしていないので、渡されたナイフで山を切り崩すようにして移動させて、無心になって刻み始めている。
――ちなみにこの地獄のような作業は一時間程かかったわけだが、その後無事に神の楔で帰る事ができたので、あのまま館の中をさまよい続けるよりはマシだったのだろう。二人は無理矢理そう思う事にして別れた。
ちなみにウェズンは学園に戻ってから神の楔の転移事故に関する一連のレポートを提出したわけだが、ラストがこんな終わり方だったのでテラにとても不思議そうな顔をされていた。
過去にも学生が転移事故に巻き込まれた事がなかったわけではないらしいが、戻ってくるまでにとても大変だったようなので、まさかこんな調合エンドを迎えるとは思っていなかったらしい。
「そうはならんだろ」
そう言われたが、
「なりましたけど?」
そうごり押した。




