奇襲
部屋の外は相変わらずの暗さであったが、特に魔法や魔術を使う事で何か自分たちに不利になる罠だとかが発動するわけではない、と判明したのでウェズンはひとまず明かりの魔法を発動させて周囲を照らした。
そうして見ると、思っていたよりもこの館、綺麗であった。
近くに神の楔がなくて、人里も近くにないだろう洋館。
少し離れた場所は荒野で、一応館周辺は木々があるとはいえ果実をつけていたような木はなかったように思う。特に魔物や野生動物に遭遇しなかったな、とふと思い出した。
通り過ぎていた時はとにかく雨を避ける事しか考えていなかったけれど、今になって思い返してみるとあの森っぽい場所で何かが得られるとは思えない。
もしかしたら薬草だとかはあるかもしれない。魔法薬の材料になりそうな物はあるかもしれない。
だが、普通に生活をする、という点においてこの館は正直向いていない。
失敗作を押し込めるために作られた館。
人食いの館と呼ばれるようになった原因はわからないが、そこら辺は何となく想像がつく。
生活するような人間がいるとは思えない。
……いや、では、あの使用人たちが生活していたらしき部屋は? と思うけれど、魔女が作った時にそれっぽく臨場感を出した可能性はある。
変なところで凝り性な魔女がいても何もおかしな話ではない。
もしくは、最初のうちは本当にここで生活をしていた可能性もある。
どちらにしても現在は人間は、という意味で誰も生活しているわけではない。そこに失敗作の合成獣を押し込めているのならもっと室内は荒れていてもおかしくはなかったはずだ。廊下だって掃除などするはずもないだろうし、であれば明るく周囲を照らせばなんとも寂れた雰囲気たっぷりになるのではないか――と思っていたのだが。
そんなウェズンの考えに反するように、館の中は掃除が行き届いていた。
「……もしかして、合成獣って人型だったりする?」
「どうして」
「や、何かここ思ってたより綺麗だからさ。でもここで生活してる人はいないなら、誰が掃除してるのって話だよね」
「……あれを人型と呼んでいいかはわからない。一応手足はあるけれど、果たして掃除ができるかどうか……」
「今残ってる合成獣以外の他のやつが死ぬ前に綺麗にしていた、って可能性もあるって事?」
「いや。というか本当に知らないんだな」
「……何を?」
「この館について。ここは魔女が作った人食いの館だと言っただろう」
「うん? 言葉通りに受け取っちゃったけど、もしかして別の意味が含まれている?」
「合成獣も人間もここで死ねば時間経過で館に取り込まれる」
「あっ、へぇ、そうなんだ……」
危うく別の言葉を言いかけて慌ててウェズンは取り繕った。
えっ、それ前世で割とよく見たファンタジー作品の中のダンジョンとかと同じタイプのやつじゃん! とは流石に言えない。
ダンジョンの中で死んだらダンジョンに取り込まれる、という設定はそれなりに使い勝手がいいからか、気付けばそういう話は結構増えていた。勿論そうではない作品もあったけれど、人間のみならず倒された魔物もダンジョンに取り込まれてしまう事で、倒された後の死体はどうするのか、という部分をサクッと解決できるわけだ。
入口付近で大量に何か死んでる、とかなら誰も足を踏み入れようとは思わないけれどそうでなければ中に入る冒険者だとかはいるだろう。
けれども奥の方で大量に魔物だとかそれ以前に探索していた冒険者だとかが死んでいたとして。
白骨化していればまだいいが、そうでなければ大量の腐乱死体とご対面する可能性が上がる。
その前に何か変なにおいがする……となって引き返すような慎重なタイプであればいいが、そうではなくずんずん奥へと進んでいけるタイプの冒険者がそんなところに足を踏み入れたら最悪何かおかしな病気をもらってきそうで怖い。
そもそも人間一人の腐乱死体のにおいですら遠慮したいが、そこにさらに魔物の死体も、となれば謎の伝染病が発生するような原因になっても何もおかしくはないわけで。
幸いといっていいのかは微妙だが、この世界の魔物は倒せばその場で消えるから腐乱死体と遭遇する事はないだろうけれど、人間の死体は普通に残る。
だが、ここで死んだ場合は取り込まれるのでそうなった場合、ここで死んだ事が証明されなければ行方不明扱いのまま、という事もあり得るわけだ。
まぁ大抵はどっか別の場所で死んだと思われるだろうけれども。
だが確実に死んだことが証明できなければ、人によっては「あの人は生きています……! 絶対に。だって帰ってくるって約束したもの……!」とかいう感じでずっと待ち続ける人も出てきそうな予感。
その手の話はそれなりに見たけれど、現実でそうなった場合は不毛というかやりきれない。
物語の中なら生死は最終的に判明するだろうけれど、現実だとオチもつかない場合の方が多い。
うわ、絶対ここで死ねない理由ができてしまったな……なんて思いながら、では先程ウェズンが見かけたオードという死体については、本当に死んだ直後だったのだなと納得する。
もしかしたら今またあの部屋に行ったとして。もうあの死体はなくなっているかもしれない。
アレスに教えてもらわなければ、死体が消えたと思わずやっぱり動く死体だったんじゃないか、と思うところだった。
合成獣はあくまでも様々な動物を組み合わせて作られたモノなので魔物とは異なる。なので倒した場合死体は残る――からこそ、死ねば館に取り込まれるのだろう。
先程の話から他の合成獣たちと殺しあって食い合って、みたいな事でもやっているのかと思ったが必ずしもそういう事ではないらしい。
アレスが合成獣を本棚で潰してきた部屋は二階であった。
二階の奥まった部屋。どうやらそこは書庫のような部屋だったらしく、本棚がずらりと並んでいたのだとか。だがしかし本棚の中に本は一冊も入っていなかったとの事なので、本棚で押しつぶすと言ってもそこまで酷いことにはなっていないだろう。本がギッチギチに入っていたなら圧死していてもおかしくはなかったのだが。
「ところでさ、合成獣って部屋のドア自力で開けたりできる感じ?」
「できるぞ」
「そっかぁ……」
思い返せば死体があった部屋のドアは閉まっていたのだから、あの部屋に死体以外の生命がいなかった時点でそうだろうなとは思っていたけれど。でもなんというかこう……ドアを自力で開けられなくとも通風孔みたいなところからするっと通れますよとかそういう方法で移動している可能性も考えてしまったのだ。
しかしその場合は、部屋のドアを閉めていたとしてもそういう部分から侵入される事になるので、アレスと出会う直前に部屋のドアをわざわざ閉めた意味もなくなってしまうことになるわけだが。
部屋の鍵でもしっかりかける事ができれば多少安全かもしれないが、そもそも鍵なんてものはどこにもなかったというか、ドアノブの近くに鍵穴そのものが存在していなかった。
「って事は中に入ってもいない可能性もあるわけだ」
「あぁ、最後にいたのがここってだけでここに必ずいるとは言えないな」
自力で開け閉めできる挙句、部屋を出た後でドアを閉めていく事もできるらしい合成獣だ。中にいなかったとしてもおかしくはない。開けたら開けっ放し、とかいう人間だって中にはいるというのに、なんて育ちのいい合成獣なんだ。※ただし失敗作である。
部屋の中にいる可能性は半々、といったところか。
とはいえ油断するわけにもいかない。人間の胴体部分を結構ざっくり食らっていくような奴だ。一瞬の油断が命取りとなりかねない。
すっ、と一度大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
そうしてウェズンはドアノブに手をかけて、なるべく音をたてないようにそっとドアノブを回した。
ドアが開く時の音は最小限までおさえられたと思う。
ゆっくりと押し開けて、そうして中を覗き見る。
しんと静まり返った室内に、何かがいるような感じはしなかった。
中で何かがキィキィ耳障りな音でもたてている、とかであればすぐに気付けただろう。
だがしかし、本当に静かだったのだ。
聞こえるのは外からの雨が降る音だけ。雷は先程よりはおさまりつつあるのか、目に痛いくらいのフラッシュみたいな光は差し込んだりはしなかった。
ある程度開けたら、そこから滑り込むようにして中に入り込む。後ろからついてきているアレスも同様にして入ってきて、そうしてそっと扉を閉めた。
合成獣がドアを自力で開ける事ができるのであればドアを閉める意味はないのではないか? と一瞬考えたが、まだ中にいる場合、もしこちらへ襲い掛かってくるならともかく逃げの一手を選択した場合、ドアが開いたままであれば簡単に逃げ出せるだろう。ドアを閉めているのであれば、開けるという行為をしなければならない。その一瞬の時間の有無は咄嗟の時に重要であった。
ずらりと並んだ本棚はある意味で壮観だった。中に本が入っていないのが残念なところではあるけれど、もし全部の本棚にずらりと本が並べられていたら。先程アレスといた部屋よりもやや広いこの室内ならば、きっと書庫というより図書館を連想したかもしれない。
入ってすぐの所は特に何もおかしなものは見受けられなかった。なのでウェズンは周囲の気配を探りながらも奥へと進んでいく。そうして室内の一番奥、本棚が複数倒れているのが見えた。
アレスの言い分が事実なら、あの場所で合成獣をどうにかしたという事になるが……
「えっ!?」
そこで倒れていたのは人だった。頭から血を流してはいるものの、まだかろうじて生きてはいるようだ。本棚が倒れた時に頭のどこかをぶつけたのだろう。勢いよくぶつけたかそれとも本棚のどこかが傷んでいてそこにぶつけて切ったか……ともあれ、本棚の隙間からちらりと見えているその姿は人で間違いはない。
というかだ。
「アレス……!? うわっ!?」
ぐったりとしているその人は、間違いなくアレスであった。一体どういう事だ……? と思いながらも名を呼んで、ほとんど反射的にその場を飛びのく。なんだかとても嫌な予感がしたのだ。
事実その嫌な予感は当たっていた。
背後にいたアレスが、ぶぉんと勢いよく風を切る音を立てて攻撃を仕掛けてきた。もしそのまま立ち尽くしていたならば、背後から殴られて最悪こちらも意識を失っていたかもしれない。
背後にいたアレスから距離を取るように跳んで、そのまま身体を反転させて背後にいたアレスと向き直る。
チッ、と舌打ちが聞こえ、あからさまにアレスの表情が歪んだ。
本棚の下敷きになるようにしているアレスを背に庇うような形になったウェズンは思わず二度三度と前後のアレスを見比べる。
危うく混乱して冷静さを失うところだったがそれでもウェズンは一つの可能性にたどり着いていた。前世で似たような話を思い出したからだ。
「さてはお前が合成獣か……!?」
「なんだ、思っていたより頭の回転が早いじゃないか」
ウェズンのその言葉に、そいつはにやりと嗤う。そうしてぐにゃりとその姿が歪み――
次の瞬間、全然違う姿へと変化していた。




