貴方が思うより脆いので
ウェズンが母相手にした事は別に難しい事ではない。
とりあえずワイアットに、ちょっと模擬戦とかしてみてくんない? と頼み、母と戦ってもらっただけだ。
ワイアットは最初、誰と戦えっていうんだい? なんて余裕たっぷりな態度だったけれど、しかしファーゼルフィテューネが現れた事で虚を突かれたみたいな反応だった。
一応彼もテラプロメで元老院の近くにいた者ではあるので、ウェズンの両親についての情報を知っていたのだろう。
「父親の方じゃないんだね」
「別にお前がその気なら、この後一戦交えるくらいは構わんが」
そんな会話を経て、一先ずファーゼルフィテューネとワイアットの模擬戦が開始されたのである。
模擬戦といっても、普通に武器の使用はOKだし魔法も魔術も使用可である。
下手をすれば死ぬ。
ファムはイアに授けた武器を借りて、無表情のままワイアットを見据えている。
敵意だとか、殺意だとか。
そんなものは一切感じられなかった。
ワイアットも別にファムの事を侮ったりはしていない様子ではあったけれど、この時点ではまだ余裕があった。
その余裕が消えるのは案外早かった。
巻き添えを食らわないよう周囲に結界を張り巡らせていたが、戦闘開始直後に結界内部でファムが武器から糸を噴出した。イアは扱える分だけ出したり、あまり一度に多くの糸を出したりはしないが、母は違った。
一度にそんな大量に操れるものなの? と言いたくなる量が武器から出て、四方八方に伸びていく。
思えばスピカを助ける事になった時、母がいたからどうにかなった部分もあったが、あれだってこんなバカみたいな勢いではなかった。
いくつかの糸は結界にぶつかりなんだかヤバめな音を立てている。結界を張り巡らせたのはクロナだが、これがそれ以外の者だったなら内側から結界がぶち壊されていたかもしれない。
結界は壊れなかったが、内部は糸が四方八方に伸びて外から見学していたウェズンたちからすると、中の状況がよくわからなくなっている。
それでも糸の隙間からちらちら見えなくはないので、まだワイアットもファムも怪我をしてはいないというのは理解できた。
結界に覆われていたはずの広い空間は今では糸が縦横無尽に張り巡らされた事で、一転狭苦しい状態に陥っている。
その糸にファムはとん、と軽やかに跳躍して乗った。
細い糸だ。普通ならそんなところに乗るなんて難しくはある。曲芸師でも中々に難しいであろうに、しかしファムは平然としていた。
バランスを崩す事もなく、細い糸の上をすいっと移動していく。
ワイアットとてそれを黙って見ていたわけではない。
邪魔な糸を切り捨ててしまおうとしたようだが、しかし糸は切れなかった。
普通の糸ならともかく、魔力を糸に変えているのだ。母の魔力がどれくらいのものかはウェズンにもわからないが、あれだけの量を一度に出したりしているのだから、そして父の言い分から考えるに、間違いなく強度もとんでもないのだろう。
ギンッと糸に切りつけたにしては明らかにおかしい音がワイアットの手にしていた剣から響く。
ワイアットも瞬時に自分の剣に魔力を纏わせて強化しつつ再度切ろうとしたようだが、糸はまるで意思を持っているかのように自在に動き出して、ワイアットの剣を軽やかに回避していった。
意思のある生き物のように蠢いて、ワイアットの剣から遠ざかり、時には近づきワイアットの動きを制限する。
操っているのは勿論ファムだ。
糸の上を移動してワイアットに近づき攻撃を仕掛け、すぐに離れる。
ヒット&アウェイのお手本みたいな動きだった。
攻撃の際にも武器を用いれば簡単に勝負はついたと思われるが、しかしファムがワイアットに攻撃を叩き込む時は拳である。中々に重たい打撃音。ファムの見た目からは信じられないくらいの重低音に、ウェズンは思わず隣で観戦していた父を見た。
「ウェズン、母さんはな、あれでまだ本気じゃない」
「そうなんだ」
正直目で追うのも難しい時がある。油断してたら一瞬で姿を見失って、次の瞬間には強化されまくった糸で首をスパンッと刎ねられているのではないかと思えそうな勢いだが、しかしファム本人から出る音はとんでもなく静かだ。ただ、殴った時の音だけが際立っている。
数発ぶん殴って飽きたのか、ファムはすっと上に跳躍し、再び糸に乗る。
そして次に彼女が仕掛けたのは、ゴーレムだった。
術を発動させ、周囲の土から数体のゴーレムを作り出し、それらを操る。糸も動いていたので、複数を同時に操っているが、そのどれもが動きに無駄がなさすぎて、まるで命が宿ってそれぞれが独自で動いているかのようにも見えた。
「わー、すごいなー」
イアの感想は、勿論母に向けての言葉だろう。
あまりにも呑気で、緊張感がない。
ワイアットも懸命に対処しようとしているようだが、数が多すぎる。
何本か糸を切る事ができたみたいだし、ゴーレムも一応倒せてはいるけれど、切ったり倒した端から新たな糸やゴーレムが生成されているのだ。
気付けば母は上の方で糸に腰をかけて優雅に見下ろしていた。
完全に観客の一人ですと言わんばかりに。
結界の中の音は決して遮断されているわけではない。しかしそれでもゴーレムたちがワイアットをぶん殴ったりする音に掻き消されてワイアットが何かを言ったようではあったが、ウェズンには聞き取れなかった。
けれども何となく想像はつく。
悪態をついたのだろうな、とは。
そしてどうにか反撃に出ようとしたのもわかったけれど。
下手をすれば自滅覚悟でぶちかました強力な魔術は、しかしゴーレムたちが壁や盾と化した事で、ファムには一切届かないまま。
それどころか、そこでゴーレムの大半が消滅したと思いきや、即座に糸が蠢いて、ゴーレムのように形をとってワイアットに襲い掛かったのである。
ぼぎんっ、という鈍い音が響いてワイアットが手にしていた剣が折れる。
途中から真っ二つだった。
魔力を纏わせて強化していたはずの剣。そうでなくともワイアットが愛用していた武器だ。そう簡単に壊れるはずもなさそうなやつが、いともあっさりと、折れたのである。
武器が駄目になったからといって、そこでワイアットが諦めたかと言えばそうではない。
駄目になった剣を即座に放り捨てて、ワイアットも拳で応戦する事にしたようだ。
人型になった糸も一応は素手なので、ここからはステゴロでの殴り合い――かと思いきや。
糸の上で優雅に座り見物していたファムが、握りしめていた片手をパッと開いた。唇がかすかに動く。
恐らくは「ボンッ」とかそんな感じの事を言ったのかもしれない。聞き取れなかったが。
けれどもそれとほぼ同時に。
ボンッ! とワイアットの足元が爆発して、直後に糸人形が殴り掛かり――
ワイアットはそこで意識を刈り取られたのである。
「もう一回言うが母さんはあれで全然本気じゃない。むしろ小手調べだ」
「随分とえぐい小手調べだね」
言葉は本心からだ。
あんな小手調べがあってたまるか。
攻撃の手数が多すぎるし、威力も半端ないし、あれを凌いで仮にどうにか母を追い詰めたとしてもだ。
そこからじゃあここからは本気を出す、となったならあれ以上に強くなるというわけで。
アレより凄くなる、と考えてもウェズンには想像がつかなかった。
とりあえずワイアットは死んでいないようだったけれど、それはワイアットがワイアットだからだ。
多分ワイアットじゃなかったら死んでた。
ぴくりとも動かなくなったワイアットに治癒魔法をかけている母に、ウェズンはそっと近づいた。
勝負ありとなった時点で結界は解除されている。
「えぇと母さん」
「なに」
「母さんって一人で旅行っていうか、旅に出たいとか言ってたんだよね、父さんに」
「そう」
「でもまだ世の中ってそこそこ危険だからさ」
「自衛はできる」
「っすー……や、今のままだと逆に母さんが危ない」
「なんで」
「そこのワイアットって相当の実力者なわけ」
「これで?」
「うんそう。僕はワイアットより弱いよ。イアも」
傷の様子を確認して、そこそこ塞がったと判断した時点でファムは治癒魔法を止めて、そこでじっとウェズンを見やった。
「つまりね、母さんがうっかりそこらの魔物とか盗賊とか悪党と遭遇して、やりあったとして、周囲に被害を出したら母さんこそが厄災みたいな扱いを受ける可能性が高いんだ。世界は脆いんだよ母さん」
悪い奴を退治するのは悪い事ではないけれど、その結果被害が甚大な事になれば良い事をしたとも言えなくなってくる。
「母さんは手加減って得意?」
「疲れる。今も相当気を使った」
気を使ってコレ。
一切気遣わなかったらどうなっていたのだろうか、と思ったがあまりにも恐ろしい想像にしかならなくて、ウェズンはそっと脳内に浮かび上がりかけていた想像を打ち消した。
「一人になりたいわけじゃないんだよね?」
「まぁ、そう」
でも他に誰かと一緒に行くにしても、つき合わせるのはちょっと……と小声で付け加えられたので。
「じゃあ、しばらくは僕らと一緒に行動しよっか。それでまずはその」
これを言っていいのかは悩むけれど、いずれ言わなきゃいけないなら今言っても同じだろう。
そう判断して。
「手加減を、覚えようか。母さん」
母がうっかりで世界を滅ぼすかもしれない事態を引き起こさないためにも。
息子からの、切実な願いだった。




