告白大暴投
真っ直ぐに寮の入口に来たわけではなかったので、まさかここで人に声をかけられるとは思っていなかった。今現在ウェズンがいるのは寮の裏手側である。
戻ってくる時に面倒で真っ直ぐ寮へ向かったらこちらにたどり着いた。面倒でもきちんと道がある方へ移動していればちゃんと寮の入口側に出ただろうけれど。まぁ、その程度なら別に遠回りにしてもそこまで面倒というものでもないし……という気持ちで移動していたくらいだ。散歩の延長みたいな気持ちであると言っても間違いじゃない。
なので、まぁ、ここで自分に声をかけてくる相手がいる、とはウェズンも全く考えていなかったのである。
そもそもそこまで積極的に自分に声をかけてくるようなのもいないし。生憎知り合いはいても友人と言っていいかは微妙な関係性しか築いていない。なのでこんな人の気配もロクにないような寮の裏側で声をかけてくるような、人目を忍んででも話しかけたい事があるような人物、というものに心当たりはなかったのである。
大体スマホもどきが支給された以上、場合によってはわざわざ声をかけてこなくともそれを使って連絡を取ればいいだけの話だ。
同じクラスの人間に限る、という言葉がつくが。
課外授業の際に一緒に行く相手は毎回変わる。
だからこそ、ウェズンのモノリスフィアにもクラスメイトの連絡先は全部登録してある。毎回新たに組んでそこから連絡先を登録するのが面倒だったからだ。それは他の生徒も同様だったらしく、クラス一同で一斉に連絡先を登録する羽目になった。
なのでまぁ、お互い学園の中にいるのであれば余程重要な事以外は通話かメールで済むのである。
万が一、学外にいてダメもとで学園にいるであろう誰かに助けを求める、なんてこともあるかもしれないが。
ともあれ、自分にこうしてわざわざ声をかけてくる相手、というのが思い浮かばずウェズンはとりあえず振り返ってみた。
黒を基調とした巫女のような――この場合は和風というより洋風と言える――服。長い髪。
わずかに動いた際にシャラリという涼し気な音が聞こえた。見える範囲にアクセサリーのようなものはないけれど、服の下にでも何かつけているのだろう。
長い髪は少しばかり青が混じった黒で、月が明るい日の夜空を連想させた。
少しばかり俯いていたがそれも一瞬の事で、こちらを見上げてしっかりとこちらを見ているその目は、さながら夜明けの空のような色だと思えた。瞳にはキラキラとした星が散っているようで、すっと通った鼻筋だとか薄っすらと色づいた唇だとかあまりにも細すぎて片手で簡単にへし折ってしまえそうな首だとか、ウェズンの視線も徐々に彼女という存在を認識しつつある。
誰だろう。
最初に思い浮かんだのはそれだった。
見覚えがない。
いや、どこかで会っただろうか……会ったような気もするし、そんなことは無いようにも思える。
けれども彼女は間違いなく自分に声をかけてきた。では、人違いか。
自分に声をかけられたという意味がわからなくて、ウェズンは思わずぱちくりと目を瞬かせて、
「えぇと、何か?」
一先ずそれだけを口にした。
いきなり誰だ、というような誰何はどうかと思ったからだ。
女はそんなウェズンの声にどこか悲し気な表情を浮かべて、しかしそれも一瞬で何もなかったかのように振舞う。一歩、女がウェズンに向かって近づいてじゃり、と足元から音がした。
同時に、女の姿が揺らめく。陽炎のように揺れて、さながらノイズでも走ったように女の姿が一度消え――たと思ったがすぐに戻る。けれども輪郭がぼやけているかのようで、時折彼女の姿がそこにあるというのに向こう側の景色が透けて見えた。
……どこかで見た気がする。
一体どこで、と思い返すよりも先に女の腕がウェズンに向かって伸びた。
「返すわ、約束通り」
その手にあったのはハンカチである。
ガーゼっぽい感じの、見た目よりも実用性重視といった代物である。
「あ、あぁ、わざわざご丁寧にどうも」
そこでようやくウェズンは思い出した。そもそも何故忘れていたのだという話だが、ハンカチを見るまで本当に思い出せなかった事が不思議なくらいだ。
片手で受け取ると、女は覚えてる? と聞いてきた。
「今日は泣いてないんですね」
だからこそそう返せば、女の顔は一瞬で赤く染まった。
「いっ、いつも泣いてるわけじゃない……!」
そうだ。以前、早朝から泣いていた女性であった。あの時は確か半透明であったけれど、今回は半透明の度合いが若干下がっている。時折向こう側が透けて見えてはいるけれど、常にというわけではない。
「覚えてて、くれたのね」
「そりゃまぁ」
一瞬忘れていたけれど、それでもハンカチを受け取ればイヤでも思い出した。受け取ったハンカチをリングに収納しようとした際、ふわりと馴染みのない香りが漂った。
洗って返してくれたのだな、と思いこそすれ、それ以上は特に何を思うでもない。
そして一瞬沈黙がおりた。
お互い何を言うべきか、まったく何も浮かばなかったと言われればそれまでなのかもしれない。
ウェズンとしては貸したハンカチが返ってきたので用はもう済んだだろうと思っているし、ここで話を広げるような何らかの話題があるでもない。
女もまた、何か言いたげな様子は見せたけれど、上手く言葉が出てこないのか一瞬口を開きかけて、それでも何も言葉が出てこなくて閉じる、を二、三度繰り返した。
その際女の視線がウェズンの抱えている花に移動したので、ウェズンはほんのちょっとだけ考えて、
「よかったら、どうぞ」
「え!?」
「花は嫌いですか?」
「いいえ、いいえ。でも、いいの?」
「えぇ」
流石にチューリップを贈るのはどうかな、と思わなくもなかったし、一輪だけというのも味気ないだろうと思って手にしていたやつ全部を差し出すようにすれば、女はパッと表情を輝かせて受け取った。
うん、何となく飾ろうと思っていたやつだけど、別にそこまで花が好きというわけでもないウェズンが飾るよりは花が好きな相手に飾ってもらった方が花もまだマシだろう。そんな風に思ったのである。
手渡されたチューリップの束を、女は瞳を輝かせ見ていた。
「本当に、いいの?」
「うん」
「……そう。アナタの想い、しかと受け取ったわ。大事にする」
「ん?」
「ねぇ、また会いに来てもいい?」
「え? あ、はい、それは別に」
「そう。わかったわ。それじゃあまた。覚えていてね、忘れないで」
「それは多分大丈夫だと……」
「本当よ? 忘れてたらただじゃおかないから!」
紅潮させた顔のまま、女はウェズンにそう言ってパッと消える。
「覚悟しておいてね」
そして消えたはずだがその声は先程よりも低く、ウェズンの耳に届いたのである。
「……あれ、僕何かやっちゃいました?」
まるで無自覚最強系主人公みたいなセリフを口にして、ウェズンは女が消えた場所を見たけれど特に何かの痕跡があるでもない。
すっかり手ぶらになってしまったウェズンはしばらくその場に立ち尽くしていたが、まぁいいかと雑に自分を納得させて寮の自分の部屋に戻る事にしたのである。
さて、ウェズンは全く無自覚であるが、こちらの世界にも彼の前世と同様の共通点はいくつもある。それは食べ物であったり日常の道具であったりと身近なものから、自分にとっては全く縁遠いものまで。
こちらの世界にも花言葉が存在しており、そしてそれはウェズンの前世の世界とそう変わらないものであった。
けれどもそこまで花に詳しいわけでもないウェズンは知る由もない。
彼が手にしていたチューリップは赤が三本、ピンクが三本、オレンジが二本、そして珍しい色合いだと思って一本だけ切った緑。
これだけなら赤系統の中に一本だけ別の色が混じってるだけのチューリップのミニブーケとか言えたかもしれないが、全部で九本という本数にも意味があった。
花言葉はいくつか意味があるとはいえ、赤には真実の愛だとか愛の告白という意味があるし、ピンクには愛の芽生えという意味がある、そしてオレンジには照れ屋、という意味が。そして一つだけ混じった緑のチューリップには美しい目、という意味が込められていた。
ウェズンは愛の告白に花を贈るという事に対してピンときていない。前世でもとりあえずバラの花束とかはそういうイメージで認識していたが、それ以外の花にそういった意味があるとは思ってもいなかった。
更にバラと同様、チューリップも本数によって意味があるなんてこれっぽっちも知らなかったのである。
九本の意味はいつまでも一緒にいてください、であるという事などつまりは全く知らないわけで。
だが、それを受け取った女はウェズンがそんなことを知らないなど知るはずもなく、意味を知った上でくれたと思っていたのである。
つまりは、恥ずかしくて直接言えないけれど、とオレンジのチューリップの花言葉で前置いた上での告白だと受け取ってしまったわけだ。とんでもねぇ勘違いである。
お互い名も名乗っていないうちからそんないきなり色々すっ飛ばすような関係を構築するだろうか、という冷静な突っ込みだとかは女の頭に浮かぶ事すらなく、突然の好意に女はすっかり浮かれていたのであった。
この場に全てを把握している第三者がいたならば、間違いなくこう言っていただろう。
どう足掻いても修羅場の予感しかしない……と。




