勘違いで迷子
森の中、少女は一人途方に暮れたようにしゃがみこんでいた。
「どうしましょう……まさか道を間違えるだなんて」
木の幹に背中を預けるようにして、空を見上げる。
空、といっても伸びた枝葉が遮っているので見える空はそこまで大きなものでもない。けれどもそこから見える色は青く、何というか今の自分の心境とはかけ離れていて。
なんだか遠い世界を垣間見ているような気分に陥っていた。
身体をほとんど覆うような大きめの白いポンチョの端を何となく手でいじる。白いから、こうやって座れば間違いなく汚れるのだけれど、魔法と魔術によって製法された布は驚く程汚れに強かった。ちょっとやそっとの泥汚れ程度ではびくともしない。流石に、雨でぬかるんだ泥の上を転がりまわった時は汚れたけれど、そう何度もあんな体験をするとは思わない。
そうしてしばし空を見上げていたけれど、いつまでもこうしているわけにもいかない。それはわかっていた。けれども折角ここまで来たというのに、まさかの道を間違えたという事実にすっかり動く気力をなくしてしまったのだ。どうしてもっと早く気付かなかったんだろうか。
意気揚々と神の楔で転移して、そうして町に来て、そこで何故気付かなかったのか。
町の名前をせめて確認すべきだったのだ。
そこまで大きくない町。近くに森がある。
この特徴だけでここで間違いないと思いこんだのが間違いだった。
他の仲間と合流するはずだった。町の中にはいなかった。そりゃそうだ、だって待ち合わせ場所ここじゃないもの。ただ、そう、なんて言うか本来の目的地だった町の名前とこの町の名前がちょっと似ていたのも問題だったんだと思う。そのせいで気付くまでに時間がかかった。
町の中にいないのなら、目的地であった森の方にいるのだろう。
そう思って、森に来たのが運の尽き。
仲間がいるならともかく、いない森、しかも魔物が出る所に一人でとか、どうかしているとしか思えない。
やっちゃったぁ……
そんな気持ちで一杯である。
空を見上げるのをやめて、下を向く。ついでに顔を両手で覆った。その拍子に髪がさらりと音をたてて手にかかる。
「どうしましょう、本当に」
好き好んで座り続けているわけではない。
ちら、と覆っていた両手の指の隙間から覗き見る。
何度見ても現実に変わりはなかった。
倒れていた木と、さっき倒してしまった木。
その隙間に自分の片足が挟まっていなければ、とっくにこんな場所からは立ち去っていたのだ。
挟まり方が良かったのか、痛いとかそういうのはない。
ないのだけれど、どう頑張っても抜けないのだ。
しかも自分の背後にはどっしりとそびえる大木があるのも悪かった。背中を預けて楽な体勢をとれるにはとれるが、足を引っこ抜こうにもいい感じの体勢になれないのだ。どう頑張っても座り込んで背中を預ける形になってしまう。背中に大木があるから安定感があるけれども、もうちょっと後ろに下がって足を引っこ抜こうにもそれ以上動けない。
詰んだ。
魔術でこの足を挟んでいる木をどうにかすればいい、というのはそうなのだが、正直上手くできる自信がない。己の魔術の腕に自信がないわけではない。逆だ。
威力に関しては自信しかない。
故に、下手をすれば木を吹っ飛ばすと同時に挟まった自分の足も吹っ飛ぶ可能性がとても高い。
自分の片足を犠牲にしてまで抜け出そう、という気持ちにはならなかった。流石にそれはちょっと。
これがのっぴきならない状況であって、片足程度の犠牲で済むなら安いものよ! とか言えるならその場の勢いでやったかもしれない。
けれども、つい先程襲い掛かってきた魔物を魔術で吹っ飛ばして結果木が倒れて、足を挟めて。
今現在周囲に魔物がいる気配はない。
落ち着いて物事を考える余裕があった。
そのせいで、切羽詰まってやらかす、という事はなくなった。足が片方なくなるかどうかの瀬戸際という状況にはならなかったけれど、覚悟を決めて足を犠牲にするという勢いも失った。
そもそも片足を犠牲にしてこの状況を脱したとして、その状態で町まで戻って神の楔で帰れるか、となるととても微妙。
後先考えてる余裕もない、という状況だったならともかく今はもう落ち着いて考える余裕ができてしまった。そうなると流石に片足を失う度胸なんてものはすっかり消え失せてしまったのである。
けれどもいつまでもこうしているわけにはいかない。
今はまだいいけれど、いつまた魔物がやってくるかわかったものじゃないのだ。
いや、魔物が出た方がいっそ諦めと勢いがつくかもしれない。
どうだろうか。いや落ち着いて。
そんな風にぐるぐると結論が出ない考えが頭の中で渦巻いていく。
自分の足を挟んでいる木ではなく、自分の背後にある木を魔術で切り倒せば……と一瞬考えたりもした。
したのだけれど、切る場所次第で無駄に被害を増やすだけだと判断してしまった。
後ろにもうちょっと下がるために背後の木を切る。つまりは、今自分が背を預けている部分よりも下、それこそ地面すれすれを狙っていかなければならない。
背後だ。
見えない状態でそれをやって、上手くいくだろうか。大体感覚でなんとなくでやったとして、成功率はそこそこあるとは思っている。
けれど、木が後ろにさらに倒れていって、他の木にぶつかってその木が衝撃で折れて倒れて……下手に木の上に蛇とかいたらこっちにやってきたりはしないだろうか。
はたまた物音を立てた事で他の動物や魔物がやってきたりはしないだろうか。
そう、考えてしまったのである。
想像だ。実際に起きるかどうかはわからない。けれど、今の時点でもそこそこ困ったことになっているけれどまだ最悪の事態ではないと思える。つまり、最悪の事態になりうる可能性。
「……どうしましょう。ずっとこのままだったら……」
途端に心細くなって、じわりと目尻に涙が浮かぶ。泣いて助けを求めたとして、仲間はここにいない。泣いたからって駆けつけてくれる範囲にいないのだ。魔物が出ると言う事は、魔物を退治しに冒険者とかが来る可能性もあるけれど、毎日討伐しているわけではない。適度に休息しないとうっかり死んで戦力を減らすわけにもいかないだろう。町や村を拠点にしている冒険者たちは基本的に魔物を倒す時はある程度数を揃えて、そうして一度に纏めて倒して数日しっかりと休み、そしてまた退治するというのを繰り返すのがよくある感じのやつ、と教わっている。
一人で魔物の住処に足を運んで魔物を殲滅するなんていう冒険者、滅多にいるはずがないのだ。
前回討伐に来たのがいつかにもよるが、下手をすれば数日ここには誰もこない可能性があった。運が良ければ今日か明日にでも人が来るかもしれない。けれど、運が悪ければ。
手持ちの水や食料がなくなって、それでも誰も来ない可能性もあった。
たった一人、魔物が出るという点で危険な場所で身動きを封じられた状態で、一度考えた最悪の想像はどんどん膨らんでいく。
もう帰れないんじゃないかしら。もう、会えないのかもしれない。死んだら悲しんでくれるだろうか。
そんなマイナス方面の考えがよぎっては、次々に浮かんでくる。
元々一人でいるのはあまり得意ではなかった。ここに誰かいてくれればもう少しは取り繕えたのだ。けれども誰もいない。
みるみる目には涙が溢れ、ぽろぽろと零れ落ちていた。
「やだぁ、死にたくないぃ……」
自分の口から、まるで自分の声じゃないくらいに情けない声が出た。
そのせいでまるで誰かの嘆きを聞いてしまったかのような気持ちになって、自分の声だというのに別の誰かの言葉のように思えてしまって共感する。マッチポンプのがまだマシだった。
なんで自分で自分を凹ませているのだろうか。そんな事すら疑問に思う間もなく、涙は止まる事を知らぬとばかりに出続けている。
う、ふぇ……そんな感じで嗚咽が漏れて、泣き止まなければと思っているのに、自分の事なのにどうしてかその自分が言う事をきいてくれない。手でどうにか涙を拭おうとして、ふと視界の隅で何かが動いた気がして一瞬だけ泣くのが止まった気がしたが、動いたと思ったそれを確認したと同時に再び涙がぶわっとあふれる。
魔物だった。
それも先程倒したのと同じタイプの木の形をした魔物――トレントである。
意気揚々と森の中に入って、そうして自分が先程倒した魔物と同じ形のやつ。
森の中だから木の形をしている魔物はすぐに気付けなくて、普通の木と見分けをつける前に纏めて倒そうとした結果、魔物は消えたが普通の木は倒れ自分の足を巻き込んだ。
あいつらそこら辺の木と同じように自分も木ですけど何か? みたいな雰囲気で獲物を見つけてもすぐに動いたりしないから、こっちが気付く前にじわじわ動いてそうして一気に、って感じで襲ってくるから嫌いなのだ。こっちが気付いた事を気取られないようにして攻撃を仕掛けるとかできればいいが、中々簡単には見分けがつかない。かといってそこら辺の木を全部警戒してそれが何の意味もなくて集中力が切れた途端襲ってくるかもしれない、なんていう可能性もあるから適度に警戒し続けなければならないのもきつかった。
魔物のくせに邪悪な気配とか振りまいてるわけでもなくて、生命の気配も僅かなのだ。
それこそ、森の中をいく動物か何かだと思える程度の僅かな気配。そんなものに一々全力で気を張っていては、肝心な時に集中力が切れて不意打ちを食らったりするのは目に見えている。
警戒していないわけじゃなかった。
けれど、意識の糸はほんの一瞬途切れて、その隙を狙われた。
そもそも少女は戦場に身を置くのが日常と言う程戦場に馴染んでいるわけでもない。
いつかはこの程度の魔物に翻弄されるなんてあるわけがない、なんて言える日が来るかもしれないが、今はまだ実力的にもそれなりで。
こちらが動けない事をトレントは察しているのか、木の振りを――姿形は木であるけれど――するのもやめて普通にこちらに向かってくる。動きはそう早くないとはいえ、それが余計に恐怖をあおった。
「あ、あ……」
倒さないと。
このままじゃこっちが危険だ。
そう思って攻撃を仕掛けようとしたけれど、中々上手く魔術は形になってくれない。
ならばせめて魔法で、と思ったものの、じわじわ近づいてくるトレントに焦りが生まれて魔法も出たけど相手を吹っ飛ばすには至らなかった。精々小石を投げつけた程度の威力でしかない。
そんなちゃちな攻撃をトレントがどう思ったかまでは知らない。けれど、逃げるような事はなく獲物と見なされているのは確かだった。
落ち着いて。
魔法も魔術も集中力と想像力が大事なんだから。落ち着いて、発動させるの。
そう自分に言い聞かせてもう一度と思っても、確実にこちらに接近しているその姿を見ればどうしたって落ち着く事なんてできるはずもない。
とにかく威力優先で発動させようとしたが、その場合最悪自分自身も吹っ飛ばす可能性があるので、中々勢いに任せて発動させることはできなかった。
トレントと一緒に自分の身体もバラバラに……なんてシャレにならない。
そうこうしているうちに、随分と距離が縮まってきた。
もうダメだ――!!
そう思ってしまってぎゅっと目を瞑る。その拍子に目に溜まっていた涙がぼたりと落ちた。
だがしかし、直後に聞こえてきた木がへし折れるような音と断末魔の叫びのような音に、少女は恐る恐る閉じた目を開ける。
自分に近づいてきたトレントは、真っ二つに裂けていた。そうして砂が風で飛ばされていくようにさらさらと崩れ去って消えていく。
「なんでこいつこんなわかりやすく移動してたんだ……?」
「あ……」
「え?」
そうして少女は見た。
あまりにもわかりやすく動いていたトレントを倒して不思議そうにしている少年を。
そして少年も見た。
あ、こっちが狙いだったのか……とわかりやすいくらい身動きがとれなくなっている少女の姿を。トレントに気を取られていてそちらまでは視界に入っていなかったのだ。
ともあれ、これが二人の出会いであったのは言うまでもない。




