誰かにとっての不確定
戦いは熾烈を極めた。
学院がある場所も学園と同じように周囲の町や村からは離れた場所にあったために、戦いの余波で犠牲になるような事はなかったけれど。
しかし学院があった場所はさながら地獄のようであった。
学び舎だけではない。学生たちが過ごしていた寮も、その他の施設があった場所も。
学院の敷地内はどこもかしこも少し前の様相など何一つ残っていなかった。
荒れ地の方がまだマシだと言える程に。
お互いがお互いに魔術で攻撃し、時として肉弾戦もあったけれど。
魔法はどちらも使わなかった。
否――使えなかったのである。
精霊の力を借りて行使する魔法は、魔術に比べれば安定している。故に契約を結ぶ事ができたならそちらを使った方が威力も扱いやすさも魔術と比べるまでもない。
しかし女は魔法を使わなかった。
使おうと思えば使えなくもないが、役に立たないのだ。
自分より下位の存在の助けを借りたところでたかが知れている。
そしてクロナもまた魔法を使えなかった。
魔法そのものが使えないというわけではない。
相手が彼女であるが故に、魔法を使えないのだ。
それ故に魔術が攻撃の大半を占めていた。
お互いに膨大な魔力量でもって、まさに暴力と言っていい程の手数で繰り出された数々の術は結果としてクロナだけが満身創痍に陥る形となってしまった。
契約上クロナはこの女に本来逆らうことを許されていない。それを破って攻撃を仕掛けているのだ。
ただの書類にサインを記して……なんていう普通の契約ではなく、お互いの魂に関わるものを結んでいる。
だからこそ、クロナが女へ攻撃をするたびにクロナには契約違反としてその身に激痛が走っている。
女の方はクロナへの攻撃をする際に特に契約違反というわけでもないので好きなだけ攻撃ができる。だからこそ遠慮も何もなく女はクロナへの攻撃の手を緩めなかった。
クロナの攻撃は攻撃というよりはただの抵抗であり、それ以外は防戦一方になりつつある。それでも、女は攻撃を緩めない。
多少の抵抗はあれど、それすら些細なもの。
それは傍から見れば弱者を一方的に蹂躙しているのと何ら変わりなかった。
「そんな状態になってもまだ手放さないわけ? もういい加減諦めてそれ渡してくれるだけでいいのにさぁ」
ぷぅ、と頬を膨らませて言う女にクロナが笑う。
友好的な笑みなんてものではない。
きっと妹であるメルトが見れば、
「えっ、そんな邪悪な笑い方見た事ないよ!?」
と驚き戸惑いそうなくらいの嘲笑っぷりであった。
「誰が、易々と渡すものか。貴方こそさっさとお帰りなさい。次の試合までもう間もなくなのだから」
「んー、でもさぁ、ちょーっと飽きてきてるんだよねぇ。だからちょっとしたアクシデントが欲しいかなって」
あくまでもここでおとなしく帰るつもりがないと知って、クロナは思わず舌打ちをした。普段のクロナを知る者が見たなら間違いなく二度見どころか三度見はしただろう。
「もう、頭固いなぁ、たまにはちょっと趣向を凝らしたっていいと思うんだよね。ずっと同じじゃつまんないし。
あー、でも、こんだけ暴れたらもうここはダメかぁ……
復興も無理そう」
あくまでも従うつもりのないクロナに、女は呆れたように呟いた。
それからふと周囲を思い出したかのように見回す。
草一本すら生えていない。
まだ学院が学院として存在していた時は周囲に動物の気配もあったような気がするけれど、しかしその気配もいつの間にか消えてしまった。
それが、逃げた事で消えたのか、巻き添えを食らって死んだのかまでは女にとって知った事ではないが。
だが別にそんな事はどうでもよかった。
だってどうせ滅ぼすのだから。
最終的に滅びるのだから、今生きている命がどうなろうと知ったことではない。今死ぬか後で死ぬか。違いはそれだけだ。
学院の生徒たちが避難している光景を女だって勿論見ていた。
そっちにちょっかいをかけても良かったけれど、あえて一人残ったクロナの出方を見てから決めようと思ったのだ。
神の楔を使って転移したからどうだというのだ。世界のどこかには確実にいる。であれば、そんなもの女にとっては逃げたうちにも入らない。
そう、ただ少しだけ、探すのが面倒なだけで。
「ね、そろそろ無駄な事はやめようって思わない?
お前はさ、眷属なの。逆らえないの。今そうやって逆らってる事で自身を苛む激痛に耐えてるとはいえ、それだってずっと我慢できるわけがない。
あ、それとも。
もしかして、楽になりたいだけなのかな?
だったらさ、苦しいなら、口に出せばいい。
助けて下さいレスカ様。
そう言えばすぐ楽になれるよ。少なくともこれ以上は痛みを感じないまま楽になれる」
「は、誰が。
ボクは現状も! 未来も! 諦めたわけじゃない!」
ガッと増幅器を大地に突き刺して吠える。
「ここでお前が死んだとしても?」
「逃げて死ぬよりは戦って死ぬのを選ぶね。
妹だってきっとそう言う」
「なんだよ、それ」
女――レスカはわけがわからないとばかりに言葉を漏らす。
自分が死んでも未来を諦めない。
犠牲になったとしても、自分が望む未来が訪れるのならば。
そんな決意を見せられてもレスカには理解できなかった。
だって。
だってもう。
とっくの昔に詰んでいるのだ。
この世界は滅びを迎える。
それは決定事項だ。
だって自分がそう決めたのだから。
この世界の決定権を持つ自分がそう決めた以上、覆る事はない。
なのに諦めず足掻く意味がレスカには。
これっぽっちも理解できなかったのである。
同時になんだかとてもムカムカしてくるのをレスカは感じていた。
苛立ちというよりは純粋に不快感。
自分の姿に似た眷属。いや、似せて作られたうちの一体。
それがとても反抗的で、それ故に。
あまりにも不愉快だった。
外側だけ似ていても中身は別で。
それが余計に癪に障った。
似ているから今まで目をかけてやってあげたのに。
「そう。そっか……」
ジジ……と周囲の空気が音を発する。
パチパチと弾けた音を立て、それが徐々に大きくなっていく。
それと同時にレスカの髪の色が緩やかに変化していった。
クロナと同じ色だったはずのそれは金色に。瞳の色も青へと変わっていく。
それは奇しくもクロナの妹であるメルトと同じように。
「だったらお前はここで果てるがいい!
もう今から泣いて謝ったって許してあげないんだから!」
ドォン! と破裂音が響き渡る。
空は晴れているのに二人の周囲に雷が雨のように降り注いだ。
息を切らせながらも時に障壁で、時に自力で回避する様を見てレスカは嗤う。
しぶとく生きていたとしても、既に満身創痍で動き回るのだって最初と比べて大分鈍くなっている。
そんなクロナが逃げ回るにしても、どうせ時間の問題だ。そう遠くないうちに回避しきれず命中して、倒れるのは明らかだった。
だからこそレスカはそれを嗤って見物していれば済むだけの事。
直接仕留めれば早く終わるのはわかっている。
わかっているが、直々に手にかける事すらレスカにとってはする必要を感じなくなっていた。
少し前までは自分の手で仕留めてあげるのも一つの慈悲かと思っていたが、もうそんな慈悲なんてものをかけてやる義理もない。
手を差し伸べている間に縋り付いていればまだ可愛げがあったものを……
そう思いながら、雷がクロナの羽を掠めたのを見て「あ、惜しい」と声に出す。
痛みに顔を歪めるクロナを見ても、もう可哀そうだなんて思わなかった。
あとどれくらい頑張って、どれくらいで死ぬんだろう。
そんな風にしか思わなくなっていた。
「うーん、そうだな……」
雨のように降り注ぐ雷はレスカには命中しない。自分の攻撃を自分で制御ミスって食らうなんてへまをするわけがなかった。
とはいえ、雷を避けるだけというのも芸がない。
パチンと指を一つ弾けば、焦土と化した大地が隆起しすぐさま陥没し、そうしてそこからごぼりという音を立てて何かが噴き出る。
それはマグマだった。学院の近くに火山地帯なんて存在していない。これもレスカの魔術で行われたものだ。
あふれ出したマグマはみるみるうちに大地を覆いつくしていく。
レスカはそのマグマに触れない程度に宙に浮いてその様子を眺めていた。
上から降り注ぐ雷。
大地から溢れるマグマ。
クロナは飛び立とうとしたものの、しかし先程雷が羽を掠めたのもあって、飛んだまではいいが上手くバランスをとれないらしく、歩き方の覚束ない酔っ払いみたいにふらふらしている。蝙蝠のような薄い羽だ、掠めただけでもかなりのダメージを負ったのは間違いない。
「はは、まるで地獄みたいな事になっちゃったねぇ?
あ、でも。
名は体を表すっていうし、元々ここはそうだったもんね」
自分でやらかしておいて、まるで他人事のように笑うレスカに。
「ならば、表せていませんよ」
こんな状況になってもなおクロナは笑みを崩さなかった。どこまでもレスカを嘲笑するかのごとく。
かつてこの学院を作る際、地獄を作る事になるという話になった。
かつては学園のあった地で、魔王側勇者側両方が育成されていたのだ。
けれど、役割が異なれど普段から共に生活し学び競い合う相手となればいざという時に躊躇いが生じて。
殺し合いに身が入らないというのもあって、遠い遠い昔に分ける事が決められた。
元々あった学園から、勇者として育てる者たちを引き連れてそうして学院を作った。
かつての友と殺し合わねばならなくなる。そういう意味では地獄も同然だ。
だからこそ、名をつける際それらしいものを、とクロナはレスカに言っていた。
レスカはそれを笑って聞いていた。
遥か昔の事ではあるが、レスカはそれを憶えている。
しかしクロナは違うとこの場で今、確かにそう言った。
「え……?」
「一文字抜け落ちていた事にも今の今まで気づかないだなんて、とんだ間抜けですね!」
叫んで、クロナは最初で最後の渾身の一撃! とばかりに得大威力の術を放つ。
一文字抜けてる……?
そう言われてレスカは改めて学院の名前を思い浮かべ、頭の中で並び替える。
「あ」
そして気付いた。それと同時にクロナの放った術がレスカに命中しそうになって、レスカは慌てて回避行動に出る。
そして見た。
身体を反転させて一瞬クロナが視界から外れたが、次に見たクロナは力尽きたのかその手から増幅器を放し――マグマ溢れる大地へ落下しかけているのを。
「あっ」
その声は決してクロナを思いやったものではない。
自分に逆らう眷属など最早存在価値などないとレスカは思っている。
その声は、クロナの手から離れた増幅器へ向けたものだ。
折角あれを回収しにきたのに、あのままマグマの中にドボン、なんてことになれば。
目当ての物を回収できず無駄足になってしまう。
咄嗟に術を解除しマグマをかき消す。大地に効果を及ぼしていたのもあって一気に解除したせいでその反動がやってきたが、そんな事はどうでもよかった。ついでに雷も止めたので、途端に周囲は耳に痛いくらいの静寂に包まれる。
力なく落下したクロナはぴくりとも動かない。
地面に落ちる直前でレスカは増幅器を手に取って――
「最初からおとなしく渡しておけばこんなことにならなかったのに……」
八つ当たりで一撃ぶちあててもいいかな、と思ったが正直面倒になってきた。
見たとこもうダメだろうな、と思ったのもあったし、そんな事より折角手に入れた増幅器だ。
優先順位は増幅器でクロナではない。
ちら、と視線を向けた先はほんの少し前に学院の生徒や教師たちが避難に使っていた神の楔だ。
数秒じっと見つめていれば、神の楔はそこには最初から何もなかったとばかりに消える。
視線を媒介に魔術を発動させるのは案外面倒ではあるが、直接そっちに移動して神の楔を引っこ抜くのもまた面倒だったのだ。
学院にあった他の神の楔も同様に解除したので、もしこの後落ち着いたであろうタイミングを見てここに戻って様子を見に……なんて者が来ることはこれでできなくなった。
もし仮にクロナが生きていたとしても、この傷だ。治癒魔法で治そうにもそう簡単にいかないだろうし、神の楔がなくなった今、転移魔法でどこかに行くにしてもやはり力の大半を失っている以上そう簡単な話ではないだろう。
「そのまま野垂れ死んじゃえ」
それだけ吐き捨てて、レスカの姿は消える。
そうして、学院があった場所にはただ一人、動かないクロナだけが取り残された。




