招かれざるもの
リィトが学院から姿を消して数日後。
それは突然訪れた。
ゴォン、と低い鐘の音のような音が鳴り響き、学院の中庭に巨大な剣が突き刺さる。
ギリギリで学舎に到達こそしなかったが、それは学舎に障壁が展開されていたからであって、もしそうでなければ建物にも被害は及んでいたかもしれない。
幸いにも授業中で、中庭には誰もいなかった。
故に、この時点で犠牲者はいない。
「来ましたか……」
クロナは溜息とともに言葉を吐き出し、スイッチを入れた。
「学院の生徒並びに教師たちへ。
今すぐ授業を中断し、学園へ避難してください。
繰り返します。
今すぐ授業を中断し、学園へ避難してください。
なお、学園に避難した直後は無意味な戦闘を行う事を禁止とします。これは学園、学院、両校の長からの命である。
どうしても学園へ行きたくないという者たちは今、この時をもって学院の生徒である事を辞めた上で出ていくように。逃げ遅れて死んでも誰も責任などとりませんよ」
言うだけ言って放送のスイッチを切った。
それから放送室を出る。
この周辺の教室は誰も使っていないため、とても静かだった。
けれども、授業中の教室はそうではないのだとクロナもわかっている。
実際、一拍程おいてから下の階からは騒めきが聞こえ、次いで何やら様々な物音が聞こえてきた。
一つの教室からだけではない。学院の、現在使用されている教室全てがそんな有様なので発生した物音は既に物音を通り越して騒音と言ってもいい。
何が何だかわからないなりに、それでも学院の生徒たちは言われるままに教室を出て神の楔がある場所へ避難しようとしているのだろう。
間に、あえばいいのだが……
第二撃が来るまでの間にどれだけの生徒たちが避難できるかが勝負だ。
次の攻撃は中庭などではなく、もっと直接的に建物に来る可能性が高い。
事情を知っている教師たちが、出遅れた生徒たちを転がしてでも連れていってくれるだろうとは思うけれど。
脱出までの時間が長引けばその分クロナが周辺に展開させている障壁も維持し続けなければならないのだ。
長く維持を続けるとなれば、その分力も消耗する。
時間との勝負だった。
窓の外を見る。
空から巨人が手にしていそうなバカみたいな大きさの剣が校舎目掛けて飛んでくる。障壁でそれらを受け止めて無力化させるが、一度で駄目なら何度でも、とばかりに次から次に剣は飛んできた。
一度に大量の剣がこないのだけが救いだったかもしれない。もしそうなっていたらクロナであっても全てを防ぎきることは難しかっただろう。
無力化された剣は煙のように消えていく。そうしないとまたその剣が動き出さないとも限らないし、そうでなくてもそこらに転がる事になれば道が塞がれてしまいかねない。
学院にいる者たちが避難するまでは、持ちこたえなければならない。
外に出た生徒たちの声が聞こえてくるが、それらに教師が無駄口を叩くな! なんて返している。確かにおしゃべりをしている余裕なんてないだろう。空から降ってくる剣に悲鳴が上がる。建物の中からだと何がどうなっていたのかわからなかったのが、外に出た事ではっきりした結果だった。
建物の中に逃げ込もうとした生徒もいたようだが、残れば死ぬぞ! という叫びが聞こえ教師がどうやら押し留めたらしい。確かに今は障壁を展開しているからこそ建物の中は安全そうに思えるが、しかしいつまでも障壁があるかと問われると……時間の問題である。
それ以前にこの校舎だっていつまであるかクロナですらわからないのだ。
原型を留めて残る可能性はきっと限りなく低い。
だからこそ今はまだ建物の中の方が安全そうに思えても、残らない方がいいのだ。
教師たちには事前にそれらを伝えてあった。だから誰も建物の中でおとなしくしていろなんて言い出さない。口に出していたのは生徒だけで、その生徒たちだって教師が一切建物の中に戻ろうとしない事で何かを察したのだろう。状況がわからないなりに、それでも判断できる何かはあった。
皆が無駄な事をせずそのまままっすぐ神の楔へ移動していけば、クロナが障壁を展開し続ける時間もそこまで長引かずに済む。
余力はあればあるだけいいので、生徒たちの物分かりが良くて何よりであった。
クロナがいる場所から、窓の外を見ればかなり遠いが神の楔がかろうじて見える。
そこに移動した生徒たちが次々に転移していっているのだろう。その光景を眺める事しばし。
最後の生徒と教師たちが転移したらしく、すっかり静かになってしまった。
時折まだ剣が飛んでくるので、障壁でそれらを防いでいる音以外はもうほとんど何も聞こえない。
「さて、ではあとは……」
この後の予定を思い返す。計画通りにいくかはわからないが、それでもやらなければならない。
クロナの手には学園から持ち出された増幅器と呼ばれるそれが存在していた。
周辺の気配を探るが、恐らく寮に残っているような生徒もいなくなったのだろう。
念のためそちらにも教師を向かわせていたから、最初の一撃の時点できっとそちらも上手く対処してくれたはずだ。
既に学院の敷地内に人の気配はしない。
そう判断してクロナは障壁を解除した。
直後――
轟音が、響いた。
飛んできた剣が校舎に突き刺さる。クロナがいる場所からは離れていたが、それでもあと少しずれていたらクロナにも衝撃がきていたかもしれない。
建物がそこから崩壊していく。
「やはり建物を全て残した状態でどうにかしようというのは無謀でしたね」
知ってた、とばかりに呟いて、クロナは改めて増幅器を握り締める。
避難している生徒や教師たちの方に剣は落ちてこなかった。で、あれば。
「狙いを分散させるつもりはない、という事ですね……」
もしかしたら避難している者たちにも狙いが向く可能性もあったからそちらの上空にも障壁を展開させていたけれど。
そちらには何もなかった。皆が避難したからこそ、学び舎を覆っていた障壁は解除した。もう誰もいないのだとばかりに。それでもなお、剣は落ちてきた。
つまりは、まだここにクロナがいるという事実を知っているのだ。
「はぁい、久しぶりね?」
その声はまるで知己に会ったかのようであった。
軽やかで、友好的な声音。だがその声に油断すれば命はない。
崩壊した校舎部分から彼女は現れた。
まさかあの剣に乗ったまま一緒に落ちてきたというわけではないだろう。
「……えぇ、そうですね。お久しぶりです」
増幅器を手に構えたままでクロナは現れた女を見据える。
黒い髪をなびかせて、女もまたクロナを見据えた。声だけなら友好的に思えたが、しかしその目には友好的なものは一切ない。
女はウェズンたちがテラプロメで出会った女であった。ワイアットがクロナが成長した姿に見えた、と言っていただけあってこうして向かい合っているのをワイアットが見たならば、姉妹か何かだと思ったかもしれない。
違いをあげるのならば、クロナよりも背が高く髪もクロナと比べると長いという程度だろうか。
それもあるからこそ余計に成長した姿だと言われれば信じる者はいたかもしれない。
あぁ、いや、しかし一つ、明らかな違いがある。クロナの背にある羽はしかし女には存在していなかった。
けれどそれ以外でなら。あまりにも似ていた。
そう思うと、生徒も教師も皆が脱出した後で本当に良かった、とクロナは思ってしまった。
もしこの場に他の誰かがいて、似てるだとか姉妹? なんてうっかり口にでも出してみろ。そいつの命は間違いなくその時点で消える。
クロナがそうするわけではない。目の前のこの女がやるのだ。
「それで、わざわざ何をしに?」
「決まってるじゃない。その手にある物を渡しなさい」
「……断る、と言えば?」
「勿論力尽くで」
会話を引き延ばそうだなんて考えてすらいなかった。どうせ何を言ったところで意味がないのだ。
クロナにとっても女にとっても。
それ以前にクロナは誰かに頼まれたからとてこの女と会話を弾ませるつもりはなかった。
従いたくはないけれど、それでも従うしかないのだ。
だが、この手にある増幅器を言われるままに渡すつもりは毛頭ない。
軽い口調で言われた言葉に、クロナはすぐさま魔術を展開させる。
光だろうと炎だろうと氷の塊だろうともうなんだってよかった。とにかく命中させられればそれで。
しかし女はそんなクロナの攻撃を悠然と笑みを浮かべたまま紙一重で回避していく。そうして一歩、また一歩とゆったりとした足取りでクロナへと近づいて。
クロナとの距離があと一メートル、といったところで女は一度足を止めた。そうして軽く手を振る。
袖口についた埃を払うくらいの軽さで女の手が動いて――
直後、校舎が崩れた。
「っ!?」
先程剣で壊された部分なんて被害としては可愛らしいものだ。
女が今手を動かしただけで、校舎はあっという間に天井、壁、床と一瞬で亀裂が走り粉々に崩れ去ったのである。足場が消えた事でクロナのバランスが崩れるも、すぐさま羽を動かして宙に留まる。砂のように細かな校舎だったものがクロナの頭上から降ってくる。天井部分だけだからと油断していれば、案外大量のそれに押しつぶされたかもしれない。風を起こして自分の周囲の粉塵を吹き飛ばす。飛ばす方向は勿論女のいる方だ。
けれど女もまた同じように自分の周辺に舞っていた砂粒サイズにまで粉砕された校舎だったものをクロナに向けてぶちまけようとしていたのだろう。クロナが風で巻き起こしたそれらと女が仕向けたそれとがぶつかり合う。
「なぁんで逆らうかなぁ?
今日のところはそれ渡してもらえば帰るつもりだったのに」
「くっ……渡せば使うのでしょう?」
「勿論。そのために来たんだから」
「ならば尚更渡すわけにはいきません……!」
実力が互角であればよかったのだが、しかしクロナの方が押されている。
空中でどうにか踏ん張って持ちこたえているが、恐らくそれも時間の問題だった。
女の方は羽があるわけでもないが、当たり前のように宙に立っている。
そこだけ足場が実はあると言われてしまえば信じてしまいそうなくらいしっかりと。
「あーぁ、校舎壊れちゃったねぇ。これじゃ次の授業どうしよっか?」
「問題ありませんよ、校舎がなくなったくらいで授業ができなくなるわけじゃありませんの、でっ……!」
「わお、頑張るぅ」
ひゅう、と口笛を吹いて女はクロナが自分に向けられていた大量の砂を押し返してきたのを拍手とともに軽やかに回避した。そのまま自分の横を通り過ぎて行った大量の砂を水で固めて地面に落とす。
周囲はすっかり見晴らしがよくなってしまっていた。
二人はゆっくりとではあるが、地上へと降り立つ。
「ま、壊れたならまた作ればいいだけだもんね。それにしても、案外思い切りよく見捨てたなとは思うけど」
女の言葉から、クロナはもう少し粘って校舎を守ろうとしていたのだと考えていた事が窺える。
しかしクロナは彼女がここに来た時点で、最悪学院そのものは崩壊しても構わないと思っていた。だからこそ生徒や教師たちが避難するまでの間は障壁で守ってはいたが、いなくなったならあとは彼女とやり合うために力を使うべく校舎は見捨てただけだ。
だがそんな事を言ったところで、きっと女にとってはどうでもいいのだ。
クロナはそれをよく理解している。
親指と人差し指だけが立った状態で、女が人差し指をクロナへと向ける。
その先端から炎の球が撃ちだされ、クロナもまた反射的に増幅器を振って水の球を複数作り出した。
炎と水がぶつかりあって、周囲が白く煙る。
視界が一気に悪くなったせいで、クロナの反応が遅れた。
「くぅっ……!?」
距離を詰めてきた女の手がクロナの持つ増幅器へと伸ばされる。
咄嗟にそれを奪われまいと魔術を発動させ女の手を増幅器以外へ逸らそうという試みは、クロナの予想を超えて成功したようだ。
パン、と弾かれたような音を立てて女の手があらぬ方向へと曲がった――のを認識した時には。
「ぐ、ぅえ、っ」
増幅器を奪うのを阻止された腹いせだろうか、女は身をひるがえしてクロナの胴体に足をめり込ませていたのである。
増幅器に意識が向いていたのもあって、そちらは気付くのが遅かった。気付いた時には攻撃を食らっていた。
小柄で見た目通りに軽いクロナはあっさりと後方へ数メートル、吹っ飛んでしまっていた。




