潜む危険
白い空間。
あぁ、夢か。
とウェズンは早々に察した。
一面が白い空間の、恐らく中央と思しき場所にはイスとテーブル。
イスは二つで、その一つには既に先客がいた。
名も知らぬ女。
彼女はウェズンが来たのを見計らったかのように、テーブルの上にあったティーポットを手にした。
下半分は白い陶器製ではあるが、途中からガラスに変化しているティーポットの中の液体は、紅茶とはかけ離れた鮮やかな青をしていた。
見ようによっては、雲の上に広がる青空のような――少なくとも悪いイメージはない。
ただ、その液体本当にお茶か? という気はするけれど。
コポポポポ……と小さな音を立てて白いカップに注がれるのを、ウェズンは見ていた。
ここが夢で、この女に呼び出された空間であると理解した時点でテーブルに近づいてはいたけれど、まだ席には座っていない。立った状態で液体を注ぐ女を見ていた。
ふわりと湯気が立つ。カップに注ぎ終えた女はコトリと小さな音を立ててティーポットを置いた。そうして向かいの席に一つ、カップを置く。
お茶、なのだろう。
ティーポットで注いでいるのを見たから、とりあえずそうなんじゃないかなぁ、と思いたい気持ちが強い。
そうでなければ、なんでこんなカップにブルーハワイのシロップ注いだんだろう……? とでも思ったかもしれない。それくらい、鮮やかな青だった。
「実際のところ、貴方はよくやってくれてる」
「はぁ……」
ですよね! と食い気味に自分を肯定する程の何かをしたわけでもなく、でも別に何もしていないというわけでもない。日々それなりに程々に色々頑張っている、という程度の自覚はあれど、女が何に対してよくやっている、と言っているのかがわからないウェズンは、結局のところ何をどうこたえるのが正解なのかもわからずに、生返事のような声を出すだけだった。
女の目が座れ、と言っているようで、ウェズンはやや躊躇った後、ゆっくりとイスに腰を下ろす。
座った以上、この鮮やかな空のような色のお茶だと思うものも口にするべきなのだろう。
前世で実験だか検証だかされていたと思うが、青い食材というのはあまり食欲を増すようなものではない。むしろ逆で、食欲を減少させるとかどうとか言われていたと記憶している。
事実出されたお茶は、確かに鮮やかな色合いこそ綺麗であるけれど美味しそうとは思えない。
良く言ってブルーハワイ、悪く言ってお湯に青の食用色素ぶち込んだだけ、みたいな色合いなので。
これがたとえば、砂糖水に色を付けた状態で、これから固めてキャンディになります、とかであれば固まるのを楽しみに待ったかもしれない。
キャンディであれば、青だろうと紫だろうと、突飛な色合いをしていたところで別に何とも思わないので。
けれどお茶、と言われたならば正直飲むのに気は進まなかった。
前世にも青い色のお茶がないわけじゃなかった。レモン果汁を入れると色が変わるやつが。
しかし、ではそのお茶か、と言われると絶対違うと断言できる。
鮮やかすぎるのだ。
前世にあった青いお茶だってここまで真っ青ではなかった。
絵具でも溶かして入れてあるんじゃないだろうな……という気がどうしてもしてしまう。
まぁ、でも。
夢の中で、この女が自分を害するとは思えなかったし、では飲んでも死んだりはしないだろう、とも思えてしまったので。
警戒するのはやめられなかったが、それでもウェズンは自分に出されたお茶を手にして、そっと一口流し込んだ。
考えようによってはむしろ青で良かったんじゃないかと思う。
これが赤だったなら、ワインかな? と思う程度で済めばいいが血液を連想するような事になれば間違いなく飲みたくないなと思っただろうから。
色もあって音もして、夢だと気づかなければ現実のままだと誤解したかもしれないくらい区別がつかないのだけれど。しかしやはり夢だからか、匂いまでは感じ取れなかったので。
口の中に入った液体は、ほんのりと甘さを含んだお茶であった。
恐らくは紅茶にはちみつを入れたものなのだろう。
そういう味をしていた。香りはしないが味だけは感じ取れるとか、今回の夢はまた中途半端だな……と思いつつも、マトモな味で良かったとも思う。
「貴方が何事もなく今もまだ生きている事も、良い事なのだと思う」
「はぁ……」
先程とは違う意味合いでの声が出た。
さっきはどうこたえていいかわからなかったが、今のは何か不穏な事言い出したぞ、という意味合いが強い。
「わたしを見つけた者は過去にもいた。
救いだった。
希望だった。
けれど、救われず、希望は消えた」
なんだか謎かけめいた言葉だな、と思いながらもウェズンは黙って聞いていた。
疑問はある。あるけれど、果たしてそれを口にしたとして、彼女が答えてくれるかはわからなかった。
父のように言葉を濁して、だとかではない。彼女の中に答えがないのではないか、と思えたのだ。
それでも、ウェズンの中では薄々ではあるものの、答えかもしれないものが浮かびつつあった。名も知らぬ女。けれどそれでも、彼女の名を呼ばなければならない。彼女の口からその名が出る事がなくとも。
「世界の滅びを止めねばならない。それは、大勢の希望である」
「まぁ、生きてる以上いつかは死ぬといっても、世界滅亡で死ぬのは誰も想定してないよな……」
事故、病気。そういったもので命を落とす事もあるが、大抵は寿命を迎えて死ぬのだと思うのではなかろうか。この世界魔物とかいるし瘴気汚染で異形化する事もあるから果たして本当に寿命で安らかに死を迎えられる人間がどれだけいるかはわからないが。
世界の滅びを止めたくて、しかし状況を――盤面をひっくり返せるような起死回生の手段がないまま神前試合を行って、延命処置をしているに過ぎない。傍から見れば立派な道化だろう。
人類がやっているのは単なる時間稼ぎだ。しかしこの時間稼ぎを、決して無駄にしてはいけない。
このまま神前試合を続けていって、世界中に巡らされた結界を全て解除した時に神がそのまま世界の滅びを取りやめる事があるかなど、誰にもわからないのだ。
試練を乗り越えた褒美、と考えて希望を持つ者もいるけれど、神がこれらを試練だと口にしたかは定かではないのだ。
明確に神の口から結界を全て解除し終わった後、世界の滅びを取りやめると言われた記録はどこにもないし、むしろ結界を全て解除しきる前に別の手段を取る必要があるかもしれないのだ。むしろ結界を解除しきった後、もうこれ以上神前試合をする必要がなくなった、という時点で。
タイムオーバー、世界をきちんと救えませんでした、とか神が言い出してそのまま滅ぼす可能性すら存在している。
そもそも滅ぼすと決めている時点で、その考えを覆さなければならない。考えが変わらないままであれば、行きつく先は滅亡である。
明日はやってくる。そう信じている者は大勢いる。
神が世界を滅ぼすと宣言していたとしても、それでも明日は訪れるのだと。
希望にも似た願いは存在し続けている。
正直神の気がかわって明日にでも世界滅ぼしまーす、とか言われる可能性も高くはあるが、それを誰かが口にした時点で、本当にそうなってしまいそうな嫌な予感がするからだろうか。そういった事を言葉にする者は今のところいなかった。
だが、明日を信じ続けたとしてもいずれ終わりはやってくるはずで。
「残された時間はきっと少ない」
ウェズンの考えを肯定するかのように、女が言う。
「目をつけられた。今までのように。
気をつけろ、これからお前には無数の危険が訪れる」
「無数の危険て……」
「今までの者たちは、生き延びられなかった。だってもう、目印をつけられている」
「はっ!?」
思わずウェズンは自分の身体を見回すようにした。といっても、鏡があるでもないので見える範囲なんて限られているが。
肩から下を見て、そこから更に首を後ろへ向けるようにしてほとんど見えない背中の方をそれでも見ようとしてみるものの、女の言う目印なんてわかるはずもない。
そもそもここは夢の中で、現実ではない。
だが、現実のウェズンの身体――現在ベッドでぐっすりである――を確認したところで、きっと女の言う目印とやらがウェズンに理解できるとは思えなかった。
「いいか? 何が何でも生き延びろ。何故か突然空から植木鉢が落ちてくるかもしれないし、突然足下に落とし穴が発生するかもしれない。神の楔の転移事故でわけのわからない場所に飛ばされるかもしれない。
この世のありとあらゆる不幸が押し寄せてくるかもしれない、と思って警戒しろ」
女が腕を伸ばし、ウェズンの手を握り締めた。
「貴方が死ねば、次にわたしを見つけてくれる誰かがいつ現れるかはわからない。
そうなれば、わたしもいつまでもこの姿を保っていられないかもしれない。
また、誰からも認識されなくなって、そうして誰も知らないうちに消えるのかもしれない」
ぎゅ、と握っている手に力がこめられる。
「焦っている自覚はある。直接関わる事ができないからこそ、夢の中でどうにか接触を試みた事で、クロナは――」
「え?」
女の口からクロナの名が出て、聞き間違いかと思いウェズンは聞き返したが、しかし女はそこでそっと首を横に振った。今のは聞かなかった事にしてくれ、とでも言うように。
「折角実体化できるようになっても、結局は何もできないままだ。
学園の何処かならば会う事もできるかもしれないが……危険が伴う可能性が高まった今となっては、こうして夢の中で話した方が安全かもしれない」
更にぎゅっと握られていた手に力がこめられて。
「生きて」
願うような声で言われる。
直後、女の手がすり抜けた。
女がまた半透明になったとかではない。ウェズンの姿が消えかけていた。
「あ――」
目が覚める、と自覚して、その上で何か言わねば、と思ったものの。
次の瞬間には意識がすっと覚醒し、自分の視界は見慣れた寮の部屋の天井だった。
寝起きの良さが仇になった瞬間である。




