天涯孤独
空中移動都市テラプロメ。
その存在は世界中に知られているわけではないが、それでも知っている者はそれなりにいる。
といっても、実際そこに足を運んだ者というのはそういない。
あくまでも存在を知ってはいるだけの、ある意味で伝説のようなものでもあった。
その都市の役目は神の捜索。
この世界を滅ぼすことを決めた神。その居場所を突き止め、神前試合の時しか見える事がない神相手に挑むための最初の手段であった。
とはいえ、その存在を見つけ出すまでに長い年月が経過し、挙句今日まで見つけられてすらいなかったのだが。
そんな都市が落ちた。
その事実を知るのは極一部の者たちだけだ。
そして、都市が落ちた事で世界的に何らかの影響があるか、となると――
これがまぁ、驚くくらい何もなかった。
神を探すのみならず、地上の動向も監視していたらしき都市。
と言っても、自分たちが監視されて生きている、と思う者はほぼいない。
学園や学院で学んでいる者たちは一応テラプロメの存在についてふわっと知る機会はあるが、それ以外の学校で学ぶ場合、神前試合に参加する機会もないのだ。
故に、テラプロメの存在を知らない者は自分たちがふとした瞬間テラプロメに監視されているかもしれない、なんて考える事はないし、存在を知っていたとしても大抵は自分のような存在に目を留めると思うわけもなく。
その存在を警戒している者も無論いるけれど、しかしそういった相手は日常を過ごす時も気を付けている。勿論わかりやすいくらい警戒はしていないが、見られても困らない程度には気を付けているのだ。
そう言った者たちが今後、テラプロメに対して気を張る必要はなくなった、とはいえそれでもそれなりに物騒な世界だ。テラプロメを警戒しなくても、それ以外に気をつけなければならない事は山ほどある。
それ故に――都市が落ちたからといってもう何も気にしなくていいや、とだらけるような事もないだろうし、そうなると結局のところ――
割と、誰の生活にも大きな影響というものは出なかった。
「――というわけで、お前これからどうすんだ?」
割と、であって、誰一人影響が出なかったというわけでもない。
その『割と』の部分に入ってしまったルシアは、現在テラと向かい合って説明を受けていた。
ルシアはテラプロメで飼われていたレッドラム一族の一人だ。
テラプロメに所属していたレッドラム一族の中で最後の生き残りと言ってもいい。
テラプロメに残されていた同胞たちは、とっくに自由を奪われただただ生体部品として存在していただけだった。それを、自らの手で終わらせたのは記憶に新しい。
「どう、と言いますと……」
「お前に残された選択肢はまぁ、一応複数存在するけども」
一度言葉を切ったテラは、まず一つ、と指を立てた。
「ここに残る、これはまぁ、わかりやすいな。ここで生徒として今までどおり。
次に二つ目、学園を辞める。辞めた後に関してはお前次第だ」
ルシアの目の前に突然現れた選択肢は、まぁわかりやすくはあった。
学園に残るか辞めるか。
辞めた後の事については、ルシア次第。これもわかりやすくはある。
そもそもルシアが学園の生徒となったのは、上からのお達しもあっての事だ。
ウェズンを殺して、そうしてウェインが持ち去った魔晶核を奪還するために彼を引っ張り出す事がそもそも上からの指示だった。
今にして思えば、その指示は果たしてどれくらい本気だったのだろうか、という思いもあるが。
ウェインの息子であるウェズンが殺されれば、実の息子だ。まぁ、殺した相手のツラを拝みにくるくらいはしたかもしれない。けれども同時に、その程度で死ぬようならそれまでだったという事だ……とかなんとか言ってあっさりと見捨てていた可能性もあるのだ。
都市から強引に連れ去った女との間にできた子なので、まさかそこまで無情に切り捨てるような事はしない、と思いたいが困った事にどっちに転んでも可能性がゼロではないという始末。
故に、ルシアがもし本当にウェズンを殺す事ができたとして、ウェインを引きずり出す事ができたかどうかは怪しい。ウェインの性格がウェズンと同じようなものであれば、引きずり出せたとは思うのだけれど、もしそうであるのなら、正直ルシアが行動に出るよりももっと早い段階で元老院は手を打っていたと思うわけで。
結局のところルシアにウェズンを殺す事はできなかったし、都市のためにルシアが行動する大きな理由であったルチルはもういない。
そして都市は落ちた。その存在は空から落ちる時に崩壊し海の底だ。都市の原型が残っているかも疑わしいくらい崩壊したとの事で、そういう意味ではルシアの故郷はもうないと言ってもいい。
どのみちルチルが死んだ今となっては、まだ空にあの都市があったとしても、既にルシアは故郷だとも思っていなかったのだが。
落下の際、多くの魔道具が壊れたらしく海に沈む直前に凄まじい勢いで瘴気が溢れた、とウェズンが言っていたし、もう完全に崩壊しているだろう。海の底で何らかの魔道具が働いて都市が自己再生を……とかそういう可能性はないと言ってもいい。
そもそもあの都市にあった魔道具のほとんどは長年使われ続けて結構ガタが出ていた。瘴気は間違いなく発生していたのだ。ただ、それを放置し続けるといずれ都市が墜落する可能性もあったからこそ、浄化機で常に浄化し続けるという力技でどうにかしていただけで。
そしてその力技のためだけに、かつて捕えたドラゴンの遺伝子からレッドラム一族が生み出されたのは言うまでもない。
ともあれ、ルシアにとって、学園に残り続ける理由はない。だが、だからといって辞めるにしても、これからどうするのか、という話だ。
「それからあとは……学園から別の学校に転校、っていう道もないわけじゃあない、な……」
ピッ、と三本目の指が立つ。
とはいえそう言ったテラの表情はあまり晴れやかでもない。どちらかといえばあんま勧めらんねぇけど……と言いたげだった。
「学園ではなく他の学校、ですか? 学院ではなく?」
「学院に行ってやってくつもりなら止めないぞ。ただ、学園にいた生徒が学院に行ったとして、その場で皆から受け入れられるかっていうと……お前が過去倒した学院の生徒次第だな。
倒した奴の親友とか向こうにいて、お前の事を仇だと思ってるなら付け狙われてもどうにもならん。
実際学院にいたアレスたちもこっちに来たとはいえ、うちのクラスではそれなりに受け入れられてるけどそれでも他のクラスの生徒に時々絡まれてるからな」
「え。それは……知りませんでした」
「まぁ喧嘩売られても返り討ちにしてるからな。あいつも何事もなかったみたいにしてるから、気付けっつーのも中々に難しい話だと思う」
アレスやファラム、それにウィルは、ルシアにとってはかつて敵という立ち位置にいたとしても、直接的に傷つけられたわけでもないし、何が何でもぶっ殺してやる! とかいう相手でもない。
ルシアにとってあくまでも大事だったのはルチルだけだったので。
それ以外だと、アレスもファラムもウィルも学園の生徒を積極的に倒しにきていたわけではないからこそ、そこまで知れ渡らなかった、というのもあるだろう。
勿論倒した人数がゼロではないので相応に恨んでいる者はいるけれど、挑むのであればこちらも全力で、というスタンスらしいのでそこまで拗れていないだけだ。
もしアレスかファラム、ウィルのいずれかの人間性がもっと周囲から見て終わっていて、これはどんな手段を用いてでも潰さなければ……! と思われるようなものであったなら、それこそ同じクラスというだけで目の敵にされて巻き込まれていたかもしれない。
「えーと、その選択肢のどれを選ぶのも自分次第って事ですよね?」
「それは勿論。自分の人生なんだから選択肢は自分で選ぶもんだろうがよ」
「選択には責任が伴う……先生の言い方だとどれを選んでも何か問題がありそうではあるんですが」
「そりゃあるぞ。無いと思われんのは困るな」
ま、でも。と続ける。
「そこすら思い浮かばない奴よりはマシだな」
「はぁ……」
その言葉に何と返せばよかったのか。
考えてもよくわからなかったので、何とも気の抜けた相槌しかできなかった。
「問題っつってもな。まず学校に転校の場合。学園の生徒だったっていう実績、それも一年以上在籍していた事から成績だとか、実力的な部分で弾かれるっつーことはない。
ただ、学費は学園よりもかかる」
「学費」
「そりゃこっちだってボランティアでやってるわけじゃねぇもんよ。教師陣には給料振り込まれてるし生徒から学費は徴収してるぞ。ただ、学校に比べて学園と学院は学費が低いから支払うっつってもそこまで莫大な金額になってないだけで」
学園と学院はそれこそ神前試合に参加するための実力者を集めなければならないので、学費という点に関しては各地に存在する学校と比べてかなり低い。
大金支払って生徒が死んだとなれば、送り出す親にとって一体何の罰ゲームだとなってしまうので。
それに、学園と学院、どちらを選ぶかはともかくとして、適性のない奴を入学させても仕方がないのだ。入学前に一応適性試験を行って、それでまぁ大丈夫だろうと思われた相手が入学できる仕様となっている。
大金支払えばとりあえず入学できる、とかいうものでもないのだ。
最悪死ぬ事もあり得るので、学費に関しては微々たるものだ。なのでまぁ、学校に通わせたいと考える親がいたとして、そこら辺を考えると学園か学院を目指させるのは割と当然の流れだった。
危険度が高いのは学園と学院だが、ではどこの学校も安全であるか? となるとそういうわけでもない。
魔法を使えずとも魔術の扱いだけは教えられて、最低限の自衛を……という程度には鍛えられるかもしれないが、いざ魔物と遭遇して死ぬ、なんてことはどこだって有り得る。
浄化魔法を使えないのであればあちこち行く事もない、というか推奨されていないが、地元で暮らしていたらそれじゃあ安心安全かとなるとそれも違う。
大小異なれど危険はどの地域にも存在しているのだ。
この世界に住むすべての人が学校に通ったか、と言われると微妙なところではある。
最低限の読み書きと、最低限の護身。それくらいなら親が教える、というところも存在はしているので。
けれど、親が教えられる時間があるか、となると仕事で忙しくそれすらままならないという家庭も確かに存在していて。更に時間に余裕があっても親がそもそも護身以前の……というところもあるのだ。
ご近所さんでそういうのを教えてくれる親切な人もいる場合があるが、それだって必ずしもというわけではない。
親が教えるだけでは到底追い付かない場合はやはり学校に通わせた方がマシだったりする。
武器の扱いを親が教える事ができても、魔術や魔法に関してはからっきし、というのも多々ある話であるが故に。
とはいうものの、学校は神前試合参加を目的としているわけでもない。それでも中には学園や学院でやっていけそうな逸材が出た場合は留学というものを利用して……というのもあるのだが。
その場合は、学校でかかるはずだった費用がほぼ浮くに等しい。
学園と学院での学費に関しては、正直驚く程少ないのである。
故に、金のない家はまず学園か学院へ通わせられないか……を考えるらしいのだが。
「学校に転校する場合、学費に関してはそれこそお前が自分でどうにかしないといけない。
ここに入る際の学費に関してはそれこそ、お前の保護者が事前に振り込んではいたけどな。だが、その保護者だってあれだ、テラプロメのお偉いさんの偽名だろうからな。既に実在していない。
なのでまぁ、学校に転校するにしても、学費がな……正直メリットとしては、どうだろな」
テラの言葉に、あぁ、まぁ確かにメリットってそんなないんだろうなとルシアも納得した。
学園から転校してきたという事で、向こうで一時的に興味を集める事になるとは思うし、その際に色々聞かれたくない事も聞かれるかもしれない。神前試合に参加する資格もなくなるので、神を見る可能性もない。学院の生徒と遭遇しても、命を狙われる可能性も低くはなるかもしれないが、現状ルシアは天涯孤独となってしまったも同然なので。
それを考えると、学校へ行く事にした場合、それらの費用は全て自分で賄う必要が出てくる。
そういえば今、自分の手持ちの金ってどれくらいだったかな……とテラの話を聞きながらルシアはぼんやりと考えた。
学外授業などで集めた薬草だとか、その他調合素材になりそうな物をいくつかリングに集めてはあるし、それ以外でも生活に使うだろう物もある程度はある。
学園内で求められてるバイトなどにも何度か参加しているので、まったく手持ちがないわけではないが、しかし学園を出て一人で生活をしろとなると難しい気がしている。
それに何より。
こんな未来を考えていなかった。
テラプロメが落ちるなんて。
想像しなかった事がないわけじゃない。あんな都市、いつか消えてしまえと思わなかった事がないわけじゃない。
けれどももしそれが本当になったとして。
その時にはきっともうルシアはこの世にいないのだと思っていた。漠然と。自分が生きているうちに都市が終わるなんて未来、考えた事すらなかったのだ。
どうせどこか適当なところで自分は死ぬ。
そう思っていたから、未来のために金を貯めておこうとか、そういう意識がなかったのだ。
まぁ当面、少しの間どうにかなればそれでいい。そんな気持ちで。
ところが都市がなくなり、ルシアの未来は一気に拓けた。生贄として死ぬ未来は消え、これから先の事を指示する元老院もいない。
テラも学園の教師をしている時点で当然テラプロメについてある程度知ってはいたようだし、ルシアの事は大っぴらでなくとも気にかけてはいたのだろう。
だからこそ、こうしてわざわざ授業終わりに呼び出してこんな話をしたのだろうから。
学校にいかずとも、学園を辞めたとしても。
結局行くアテがない。
そう考えると、まだ寮に部屋があるという点で、学園に残った方がマシな気はしている。
「ちなみに学費って一年ごとに支払う感じなんだけどな。もし残るのなら、来年分の学費はお前が自分で払う事になるんだわ」
そもそもここでの在籍期間は定められているわけでもない。
十年に一度の神前試合に向けて入学をする者もいるが、そうでない者もいるのだ。
大体三年くらいで卒業していく者が多くはあるが、それ以上在籍をしている者だっている。
学外授業で命を落とす事もあるので、仮に十年在籍を予定していても十年分の学費を一度に、とはならないのだ。もし仮に一括で払ったとして、一年目に命を落とした場合残った九年分の払い戻しとか逆に面倒な事になるので。
ちなみにこれ一年分の学費な、と言われて見せられた紙に記された金額は、思っていたよりは高くはない。
とはいえ、今のルシアにとっては少しばかり厳しいかな、というもので。
「少し……考える時間をもらっても……?」
「ま、そう言うだろうなと思ったわ。いいぜ、まだ時間はある。来年になる前まで、ではあるけどな」
季節はまだ秋。
冬を迎え、新年を迎えるまでが期限だと言われて。
余裕がありそうだが、案外そういう時に限ってあっという間なんだよな……と思いつつもルシアはともあれ、学費に関して考えなければならなくなったのである。




