かくして都市は落ちた
学院にたどり着いたといっても、学園の制服を着たウェズンが襲われる、という事はなかった。
そもそも既に夜中と言ってもいい時間帯であった事。
この時点でほとんどの生徒たちは寮で眠っている。起きている者がいたとしても、ウェズンの隣にはワイアットがいて、どうして学園の生徒がここに、だとかそんな風に問い詰められる状況とは言い難かった。
ワイアットがいるという時点でどう見ても訳ありか、厄介事の気配しかしなかったので。
まぁ、そんな二人を目撃する人物はいなかったので、そういった意味では何事もなかったわけなのだが。
ここが学院か……とウェズンが少々物珍しげにしてはいたけれど、それだけだ。
じゃあゴタゴタが起きないうちに再度この神の楔から学園に戻ろうかな、と思って再び起動させようとしたのを、ワイアットが腕を掴んで止める。
「ワイアット?」
「帰る前に、こっち」
言うなりワイアットはウェズンの手を引いて歩き始める。
いやあの、自分は別に学院で何かしようとか思ってないし別に用もないはずなんだけど……!? と思いながらも、声には出さなかった。
深夜で人がいないといっても、下手に騒げば誰かしらやってくる可能性はある。
そこで学園の生徒だ殺せー! とかそんな展開になったら、流石にウェズンも結構疲れたこの状況で切り抜けられるとは思っていない。
下手な騒ぎを起こさないように大人しくするしかなかったのだ。
ここが学園であったなら、逆に騒ぎを起こしてワイアットをここで倒せー! みたいな事になっていたかもしれない。
……まぁ、あくまでも想像であって、実際そんな場面になったら犠牲者が多く出るのが目に見えているのでやらないとは思うけれど。
そうして連れていかれた先は、明らかに普段生徒が立ち入らないような場所だった。
「何事ですかこんな時間に……」
と眠い目をこすりながらやって来たのはクロナである。
「うん、成長はしてないね。やっぱりあいつは別人だった」
「あいつ? 何を言っているのです……?」
事態が呑み込めていないのだろう。くぁ、とあくびを噛み殺したクロナに、ワイアットが説明を始めた。
ワイアット曰くの謎の女――仮称をレスカとする――の見た目はクロナが成長したのかと思った、と言っていたようなので、似てはいるのかもしれない。
しかし彼女が成長した姿、と言われても正直ウェズンにはピンとこなかった。
都市を脱出する直前、偽物のイアを送り込んできたあの声の主がレスカだとして。
クロナがもっと成長して大人っぽくなった姿で、あんな声を出せるか……と言われると何か違うな、という思いしか出てこなかったのだ。
思ったところで、実際にその女を見たのはワイアットだ。ウェズンではない。
今どれだけ違う気がするなぁ、と思っても直接見たわけじゃないので肯定も否定もどちらにしても無意味に等しい。
そしてそんな話をされたクロナはというと、とても難しい顔をしていた。
寝ていたところを起こされたというのを踏まえても、そこまで機嫌が悪いですと誰が見てもわかるくらいわかりやすいものになるか? というくらいの渋面っぷり。
「……それで、テラプロメは」
「完全に沈んだとも」
クロナの言葉を引き継ぐようにワイアットがこたえる。
どうにか神の楔で脱出したが、思えばあの直前、既に周囲では結構色々なものが崩壊していた。
その中には魔道具だって存在していたからか、結構な瘴気も溢れていたのだ。
ワイアットが直前で瘴気耐性について聞いてきた理由も納得である……というくらいには。
ウェズンだったからまだどうにかなったが、あの場にいたのがヴァンだったなら確実にあの時点で、その場で命を落としていた。想像だけでも恐ろしい。
学院に転移してすぐさま念のため浄化魔法をかけたけれど、なんというかまだ身体の奥底にこびりついているような気がしてならない。気のせいだとは思うけれど。
「そうですか……ではその謎の女に関してこれ以上の手がかりもなければ、今後その女につけ狙われる可能性もあるという事ですね。警戒だけは怠らないようにしましょう」
「何か仕掛けてくるかって言われても、正直これ以上何を仕掛けてくるのかって話だけどね」
割と真っ当な反応をしたクロナに対し、ワイアットは軽く肩をすくめてみせた。
確かに、あの都市を落とされないようにワイアットの邪魔をしたとはいえ。
それでも結局あの都市は落ちたのだ。上空から勢いよく落ちて、海の底まで。
原型をほぼ保ったまま海の底、であれば引き揚げ作業でどうにかなるかもしれないが、落ちる時点で崩壊しつつあった。そこから更に海の底に落ちたのであれば、むしろ形が残っている部分を探す方が大変かもしれない。そりゃまぁ、瓦礫としてならあるかもしれないが、使えそうな何かを、という意味では絶望的だ。
ぱた、とクロナの背から生えている羽が軽く動く。それはさながら、猫が尻尾を地面に打ち付ける時のような感じで。
「後で、学園の方にも連絡は入れておきますが、ウェズン、貴方からもきちんと学園に戻ったら報告をしておいて下さい。
一応こっちも妹には伝えておきますけど、正直そのレスカとやらが今後どう動くかは未知数。
決して油断だけはしないように、と」
「え? えぇ、はい」
眠そうに目をしぱしぱさせながら言われて、ウェズンは一瞬反応が遅れてしまった。
妹? と聞きたい部分はあったけれど、クロナが学院の長であるのなら、恐らくその妹が学園の長という立場にあるのだろう。
クロナの妹、と言われても正直ピンとこなかったが。
いたっけ? 見た事あったかな……?
ウェズンの中ではそんな風に疑問が飛び交っていた。
そんなウェズンの内心など気にした様子もなく、クロナはではそろそろ帰りなさい、と告げる。
確かにここで一夜を明かすわけにもいかないだろう。
今はまだいいが、朝になってそれなりに活動する人間が増えたら学園の生徒である自分の命が危うい。
いや、授業の一環でもなければ見かけた途端、学園の生徒だ! 殺せ!! とはならないと思いたいが……
しかしそれでも、今まで学園と学院はそれなりに命のやりとりをしているので、お前じゃないが学園の生徒に恨みがあるからこの恨みをお前で晴らす! とかいう迷惑な展開が無いとは断言できない。
現に学園の生徒の一部も、学院の生徒に対してそんな感じだし。
なので、朝日が昇る前にはここから立ち去らなければならない。
流石にテラプロメからギリギリの脱出を果たした後、更に今度は立て続けに学院からの脱出劇なんて繰り広げるつもりはウェズンには毛頭ないのだ。
「そうか。ここでお別れだね。名残惜しいな……
次会った時は、きっと戦う事になるだろうし。
でも、手加減はしないよ、兄さん」
「兄さん違う」
即座に否定しておく。
というか、兄と認識しても戦う時は手加減とかしないのか……と軽く戦慄した。
ここで兄と思うなら倒すの忍びないなくらい思ってもいいだろうに、と思ってしまったが、しかし同時に兄だと口で言っても戦う時に相手が敵対しているなら容赦はしないあたり、とてもワイアットだなとも思ってしまったので。
その部分に関しては特に何も言わなかった。
というか、兄認定されてしまった事で、下手なことを言って、そんな事言う兄さんなんて兄さんじゃない! とかいう解釈違いを起こされて勝手に裏切られたとか思われて、なんて展開がありそうだなとも想像できてしまったからだ。
勝手に一方的な印象抱いて勝手に裏切られたくせに、それを全部こちらが悪いのだとばかりにされても困る以外のなにものでもない。
「もう一回言うけど、僕はお前の兄にはなれないよ」
「うん、まぁ、今はね」
「未来永劫ないと思う!」
「そうかなぁ……」
懲りていない。
というか、イアと結婚すれば確かに義理の兄にはなるので兄というカテゴリには入るけれど。
もしかしてこいつ、その可能性をまだ諦めていらっしゃらない……!?
ちょっと帰ったらイアにワイアットについてもうちょっと詳しく聞いておこう。
そう心に決める。
これでイアが将来結婚したい相手にワイアットの名前を出したらウェズンだって何らかの手を打たねばならないかもしれない。
それ以前にイアが果たして結婚とかそういうのをそもそも考えたりした事があるのか、という疑問もあるが。
これ以上ここにいても、ワイアットと不毛な会話を繰り広げるだけだと察したウェズンは、
「とにかく無いったら無いからな!」
とだけ言い捨てて撤退を選んだ。
正直もう結構疲れていたのもあって、さっさと帰りたい気持ちが強すぎたのだ。
帰ってさっさと風呂入って寝たい。
でもその前にテラあたりに報告とかしないといけないんだろうな。寝て起きてからじゃダメかな。っていうか、既に先に戻ってるイアたちから聞いてないかな。あ、いや、でもそうか。どのみちイアたちとは別行動してたんだから、その部分は報告するのか……と、脳内であれこれ考えながらも、来た道を引き返してウェズンは学院の神の楔から学園へ帰還を果たしたのである。
先に報告を済ませてから部屋に戻って寝て起きて風呂入って、とやっていたら、それだけで一日が終了した。時間の流れって早い……そう、死んだ目で呟くのは直後の事。




