脱出時間制限有り
都市を落とす。
言葉にすれば一言で済むが、しかし実際にやろうとなるとそう簡単にできるわけでもない。
空中にある都市を地上に落とすだけ。
とはいえ、その『だけ』を気軽に実行した場合、最悪その下に別の町や村があれば大惨事である。
では、陸地ではない部分に落とせばいい――と言ってもだ。
海に落とすのが最適解だとしても、場所によっては陸地への影響だって有り得る。
「とりあえず、まずはこの都市を覆うように張られてる結界を解除するところから、かな」
都市の中でウェズンが破壊してきたような施設よりも一段ハイテクみが溢れる室内で、ワイアットが結界とやらを解除するために操作を始める。
ウェズンが都市の中で壊してきた場所は、大体前世、自分が生きていた年代のハイテクと同じ感じではあった。
だがワイアットに案内されてやってきたこの都市の本当の意味での中枢でもある、元老院しか入れないとされていた室内は、壁や天井がワイアットの操作でスクリーンのように変化し、ワイアットが手を動かした途端空中にキーボードが出現した。
キーボード、といっても物理的な感じではなく、アニメで見るような何もない空中を叩いたらそこが光ってキーボードみたいになってる、とかいうやつだ。
正直元老院関係なく都市の中の監視システムとか全部この手のタイプだったらウェズン達が侵入した時点で秒で対応されてそうだな……とか漠然と思う程度には何かもう色々とぶっ飛んでいた。
わぁ、アニメでしか見た事ないような感じのやつだ。こっちの世界では一応実装されてるのかぁ……前世でこれやろうとしたらあと何年必要だったんだろうかなぁ……
なんて。
若干遠い目をしながらウェズンはワイアットがあれこれ操作するのを見ているだけだったのである。
手伝おうにもまず何をどうすればいいのかわからないので手を出しようがない。
下手にやらかして余計な手間を増やすだとか、落としちゃダメな場所で落とす羽目になったり、なんて事態を悪化させるような事をやらかすかもしれないのなら、素直にワイアットが操作しているのを見ているのがきっと一番マシなのだろう。
一応警戒はしている。
ワイアット曰くの謎の女が本当に引き返してきた場合、ウェズンはワイアットを守りながらその女をどうにかするしかないのだ。
ワイアットも戦いに加われば……とは思うがこの場合目的を遂行するためにワイアットには作業に専念してもらった方がいいだろうし、そうなればウェズンが矢面に立つしかない。
乗りかかった船、と内心で何度か繰り返す。
そうじゃなかったらとんだ貧乏くじでしかない。
「そういえばさぁ」
「なに? 作業してるからあんま難しい話題振ってこないでね」
ピピピピポ、と宙に浮いてるキーボードらしき光りを軽やかに叩いているワイアットに、ウェズンはふと思い浮かんだ疑問を口にした。
「この都市って神を探すためのものなんだろ?
で、未だに見つかってないとされてるけど。
その……実はとっくに見つかってて、元老院とやらがそれを黙ってるだけ、とかそういうの、ない?」
「それはないんじゃないか? 見つかってたらとっくにそいつをぶちのめすために学園や学院に連絡入れて精鋭揃えて乗り込んでるだろうし」
「裏で手を組んでるとか」
「神の支配を抜け出して、そこから改めて地上の支配権を、とか元老院の爺どもがやるなら絶対そっち」
「そっかぁ、きみが襲われたその謎の女性が実は……とかそういうの、ちょっと考えたんだけどね」
ピポ、という音がした直後、ワイアットの動きが止まる。
「え? 何?」
ワイアットの目の前に展開されている小型の四角い光はモニターになっているようだが、生憎とウェズンからはそこに何が記されているかわからない。何かマズイ事でもそこに表示されたのだろうかと思って、問いかけてみるがワイアットは「あ、いや」と手で制した。
一大事とかそこまでではないらしい。
「…………恐らく、違う。
今ここのシステムを扱うのを許可された奴の一覧に目を通したんだけど」
「うん」
「元老院の爺どもは勿論、そこに一応代理として僕の名前があって」
「うん」
「もしかしたらあの女かもしれない名前があって」
「えっ!?」
「レスカ」
「……聞いた事はないな」
「そうか、僕もだ」
フリオのようなこの都市に侵入できる存在が果たしてどれくらいいるのかはわからない。
だが、フリオは少なくともこの都市とは敵対関係にあるだろうし、そうでなさそうな、この都市が落とされる事を良しとしない謎の女はそういう意味では元老院側についている、と考えてもそこまでおかしくはない。
だが、元老院の下で働いていたであろうワイアットですら知らないというのが引っかかる。
「もしこの名前があの女のものだとして」
「ぇ、あぁ、はい」
考え込みかけたウェズンを引き戻すようなワイアットの声に、一拍遅れて相槌を返す。
「レスカは神の名前ではない」
「そうなの?」
「あぁ、確か神の名前は…………」
「名前は?」
そこで言葉を切ったワイアットに、ウェズンもまた先を促すように問いかける。
だがしかし、長い沈黙の後ワイアットはそっと頭を振るだけだった。
「なんだったかな……レスカでないのは確かだ。
昔、ここにあった古書には記されてたはずなんだけど持ち去られたからな……確認しようがない」
喉元まで出そうになっているのに思い出せないせいか、苦々しい表情をしているワイアットにウェズンは文句を言うでもなく若干ずっこけそうな体勢になるだけだった。
そこを何とか頑張って思い出して! と言うには今はそんな状況ではないし、そっちに労力を費やすならさっさと都市をどうにかしないといけない。
(あれ、でも、レスカ……? レスカ……どっかで何か見たような名前ではあるんだけど……?)
耳で聞いた覚えはないが、その名を目にした覚えがウェズンにはあった。
だがしかしそれがどこであったか、が思い出せない。
なんだっけ、どこだっけ……と考えてもやはり浮かばないのだ。
どっかの街の飲み屋の看板だった、とかいうオチであるのならそれが一番平和な気がするけれど、飲み屋の看板でない事だけは確かだと断言できる。何故って今のウェズンは前世のおっさんだった時と違うのでそういったお店があるような場所にあまり足を運ばないからだ。
であれば、どこかの街のレストランとかカフェの名前か……? と考えてみても、それも違う気がして。
ウェズンもまた思い出せそうでちっとも思い出せない状況に陥ってしまった。
数秒、沈黙が満ちる。
「――よし」
そろそろこの沈黙が気まずくなってきたな、と思ったあたりでワイアットの小さな声がして。
「何がどこまで終わった感じ?」
「とりあえず外装剥がした」
「外装」
「あぁ、恐らくはこれで地上からもこの都市の姿が丸見えになるんじゃないかな?
ま、今現在周辺に大陸がない海上だから、見える見えないあんまり関係はないけど」
地上からテラプロメの存在を認識できないよう、都市全体を覆っていた結界とでもいうべきものがなくなった、と言われても正直ピンとこなかった。
都市の中にいるのだから、違いがわかりようがないのは仕方がない。
周囲に大陸もなくて、海の上だというのなら、ここで都市を落とすのだろう。
もし大陸が近くにあって、しかも海沿いに町や村があったなら都市を落とした影響で津波が発生して……なんて事が容易に起こりうるが、少なくとも周辺に大陸がないのであれば、ここで都市を落としてもその影響がガッツリ……とはいかないはずだ。
「あとはこの都市を何の遠慮もなく落っことすだけ。
なんだけど……ここから脱出するとなると本気で時間勝負になるんだ。いけそ?」
「行くしかないんだろ?」
「あっは、そうなんだけどさ。
魔術での身体強化とあとは……そうだな、きみそういや瘴気耐性とか」
「そこそこ高め」
「ん、なら大丈夫かな。瘴気耐性低かったら脱出直前で死ぬかもしれないからね。
じゃ、行くよ」
都市を墜落させるためのコマンドを入力したのだろう。
ワイアットの指がポン、と空中で音を立てる。
そうして実行決定を選択した直後、一瞬だけ都市が止まった気がした。
別に常時動いているのを実感していたわけではない。
けれども、本当に一瞬だけ都市全体が停止したような錯覚に見舞われて。
ゴッ、という下に引きずられるような感覚が次いでやってきた。
「ここからはもう一瞬たりとも足を止めるなよ! 死ぬからね」
「了解した!」
冗談でもなんでもなく本当にそうだ、と感覚で理解する。
最初から何の遠慮もなく全力で駆け出したワイアットの後ろをウェズンは身体強化の術を発動させておいていかれないようついていくのでやっとだった。
時間にしてそこまでは経過していなかったと思う。
ウェズンがワイアットがいる場所まで来るのにかかった時間よりは確実に短い。
まぁ、ワイアットが死にかけてたなんて知らなかったとはいえ、そこまでのんびりしていたわけではないがそれでも。
エレベーターはもう使えない。都市のシステムのほとんどを停止状態にした以上、エレベーターなんぞ動くはずがない。建物内の明かりに関しては光量がとても控えめであっても一応ついていたので、真っ暗で何も見えない! という事にはならなかったけれど。だがその状態でも階段を何段かすっ飛ばした状態で駆け降りるのだ。もしちょっとでも足を下ろす場所を間違えたならその時点で転落して大怪我するのは確実なわけで。
ダダダダンッ! と全力で足音を立てながらも駆け下りて、一階へ――は行かずワイアットは十階くらいでルートを変更した。
え、ちょっと!? という声を上げながらもウェズンも半瞬遅れて無理矢理移動ルートを変更する。
ミシッという音がして壁に亀裂が入るのを視界の隅で見た。
はぁっ! と気合たっぷりなワイアットの声がした、と思えば彼はどうやら魔術を発動させたらしかった。
ギュインと光が凄まじい速度で伸びていき、正面に見えていた窓ガラスにぶち当たる。
ガシャン、なんて音はしなかった。
本来その窓は開ける事を前提としていない窓なのだろう。前世で言うのなら高層ビルにありがちなやつで、なんだったら防弾性を持っているような、簡単には割れないものである、と考えても間違いではなかったはずだ。
ガラスが割れる音というよりは、まるで分厚い氷が割れた時のような音がして建物の一部が崩壊していく。壊したのは言うまでもなくワイアットの魔術だ。
とはいえ、既に他の部分も倒壊し始めているようなので今更破壊された場所が増えたところで……と言ったところか。
「飛ぶよ!」
「うぇえ!? マジで言ってる!?」
「当たり前だろ」
ここ十階! と叫びたかったが、そもそも空中にいたはずの都市が現在地上――というか海上へ落下真っ最中なのだ。十階から飛び降りるのとか、それくらいは大した事ないんじゃないか……? と一瞬とはいえそんな思考がちらついた。実質ここ十階っていうか地上から計算したら数百階どころの話じゃないだろうし。
ともあれ、迷っている暇なんてあるはずがなかった。
迷って足を止めたらその時点で建物の崩壊に巻き込まれてここで死ぬ。
このまま進んでも死にそうな気がするけれど、止まれば確実に死ぬのだ。
心臓がとんでもない速度で鼓動しているのを実感しながら、ウェズンはワイアットが壊した場所から全力で踏み込んで――飛んだ。




