類友理論は否定したい
「おーい、おーい、大丈夫か? 生きてる?」
「…………ぅ」
ブラックアウトしていたはずの視界に光が差し込む。
ぼんやりとした視界がハッキリするまでに数秒ほどかかった気がするが、死んだと思っていたので生きていたという事実に驚きを隠せない。
ワイアットはぼやけた視界のまま視線を移動させ、そうしているうちに徐々にハッキリとしてきた視界に映った人物を見て何かを言おうとして――
「は?」
息を吸い損ねたみたいな、普段であれば人前で出さないような間の抜けた声を出した。
「あ、生きてるな。良かった。治癒魔法間に合わないかと思った」
「え、なんで……?」
「なんでって、何が?」
立てるか? と言われ手を差し出されたので反射的にその手を掴めば、ぐいっと引き上げられるようにして起こされる。
元老院の爺どもとの戦いでかなりズタボロだったのだが、その傷も、その後現れた謎の女からの傷も一先ずは塞がっている。
とはいえ、そこに至るまでの間に消耗した体力までは回復していなかったが。
「ちょっと待って、今、どういう状況……?」
不覚にも謎の女の攻撃を受け気を失ったワイアットは、その直前までの行動を振り返る。
神の楔の使用許可は出してあるので、ここからの脱出はできる。
都市を墜落させようとしたものの、その前に妨害されたのだ。
どれくらい意識を失っていたかにもよるが、他の連中はどうしているのか。脱出したのか、それともまだ都市が落ちる様子がないからと、わざわざここに残っているとでもいうのか。
「どう、って……とりあえず皆はもう脱出したみたいだよ。神の楔で」
「じゃあ、どうしてきみはここに?」
「あー……だってお前、連絡入れても何の反応もなかったから」
ワイアットは神の楔の使用許可を出した後、都市を落とすつもりでさっさと脱出しろというメッセージを送った。逃げ遅れた場合にまで責任はとれないとして。
あの時点で正直結構限界だったのだ。
わざわざ他の連中と合流して神の楔のある場所まで案内して、皆を地上のどこか――まぁ彼らは皆学園の生徒なので学園にでも送ればいい話なのだが、ともあれ脱出するまで面倒を見れるか、と言われると無理だった。そこまでの体力も元気もなかった。
とにかくこの都市を落としてやろうというそれだけで、意識を留めている部分もあったのだ。
一撃で致命傷を与えられたわけではなかったものの、限界ギリギリのところに更に出血するような傷を負って、意識はまだ根性とかそういう気力でどうにかしていたが、その出血で肉体は限界を迎えた。
あ、これ以上は無理です、とばかりにワイアットの肉体は精神を置いて営業終了してしまったのである。
恐らくそのままウェズンが来なければ、出血多量で死んでいた事だろう。
番人以外が相手なら勝てると踏んではいたけれど、死にかけるまでなるとは思わなかった。
いや、あの女が現れなければもうちょっと動けてたかもしれない。
現れる前に既に満身創痍だったので、断言はできなかった。
それというのも元老院の爺どもが負けを悟って潔く死ななかったからだ。
最期までネチネチとこちらがやりにくい感じに抵抗し続けて、仕留めたとはいえ正直爽快感なんてこれっぽっちもなかった。ざまぁみろ、なんて言ったものの結局兄は戻ってこない。残されたのは消化しきれない怒りと虚しさ、それから――
「それで、わざわざ僕を探しに?」
「返事があったなら、それが本当であれ嘘であれ僕だって脱出しようとしたさ。あぁ、なんだかんだ無事だったんだな、って結論出してね。でも返事はなかった。
元老院の連中とやらを倒す前なら、立て込んでて返事なんて無理、ってなってもわかるけど。
倒したのに返事が無理、となるとそれって……倒した時点でお前もマトモに動けなくなってるんじゃないかなぁとか。
もしかしたらここで諸共死ぬつもりだったのかなぁ、とか。
そういう風に考えたりするだろ」
所々で言葉を選びつつこたえているらしきウェズンに、ワイアットは思わずまじまじと彼を見た。
「……返事がなくても、脱出すればよかったじゃないか。ここに残る意味なんてないだろ」
「そうかもね。そうだろうとも」
「それに、僕がここで死んでいたら、次の神前試合、そっちは大分有利になれたかもしれないのに」
「あー……まぁ、そうだろうね」
学院の生徒で神前試合に選ばれるであろう実力を持っている者、と言われて真っ先に名前が出るのはワイアットだ。その次は誰か、と言われればワイアットと行動を共にしていた者たちと、あとは既に学院を去ったアレスたちだろうか。
アレスやウィル、ファラムは学園に行ってしまったので学院にいる生徒の中でワイアットがいなくなった後、その代わりに神前試合に選ばれるような相手……と言われても恐らく代わりは見つからないかもしれない。ワイアットはそう思っていた。
数合わせで誰かしら参加させる事は可能だろうけれど、自分と同等の実力者などそういるはずがないと言い切れる。
ワイアットがいなくても、ザインやアンネ、それにシュヴェルあたりは神前試合に参加できるとは思うけれど。学園側の戦力を考えたなら他に適当に寄せ集めた生徒たちが参加したところで勝ち目は薄い。
ワイアットは自分が周囲からどう思われているか、それをよく知っている。
いなくなったのなら、まぁ喜ぶ人間は大勢いるだろうと知っている。悲しむ人間よりも喜ぶ人間の方が多いのだと。
であるならば、学園側はここでワイアットを見捨ててさっさと脱出するべきだったのだ。
そうすれば、ワイアットはここで緩やかに死んでいたに違いなかった。
「けど、そっちの都合で巻き込んで、それで僕たちがいなくなった後で自分一人だけここに残って死ぬとかさ、それはちょっとないんじゃないかな?
最初から死ぬつもりだった?」
「そんな事あるはずないだろ。誰に恨まれ呪われようとも生き抜いてみせるさ」
「それじゃ、助かった事は素直に喜んだらどうかな。
……というかだ。何があった?
さっきメッセージ送った時からもう動くのもやっとだった、ってわけじゃないんだろう?」
「お見通しか……そうだね。
見知らぬ女に襲われた」
果たして素直に答える必要があっただろうか? そう思いながらも、どのみちあの女が誰であるかはわからないのだ。なら、話したところで何の収穫もないだろう。
「女……どんな」
「顔は知らない。顔の半分は見えなかったから。馬鹿みたいに長いヴェールなんかかぶっちゃってさ、最初マントかな? なんて思ったりもしたんだ。
あとは……黒いドレスだった。あぁ、そうだ、あれってイブニングドレスっていうんだっけ?
今にして思えばそんな感じだったかな、って気がするだけなんだけど」
特徴をつらつらと述べてはみたものの、ウェズンにも心当たりはないらしい。
あったらあったでそれはそれで恐ろしい気がするのだが。
あとは、そう――
「そうだな。ほんの一瞬、あの女が声を出す前までは、学院長が急成長でもしたのかと思ったんだ。羽はなかったけど」
「学院長? それって確か……クロナさんだよね」
「知ってるんだ。そう、名前は合ってるよ。全体的に夜を纏ったような奴だった。
この都市にはまだ利用価値があるから落とされたら困るって言われてね、それで……隙を突かれて攻撃を食らって気絶してた、ってわけ」
「それで、その女は?」
「さてね。攻撃を一度してきたけど、その後は消えたから知らない。都市内部を転移したのか、それともこの都市からもういなくなっているのか……それすらもさっぱりさ」
「……多分、いないんじゃないかな。いるのなら、少なくともしっかりとここでお前にトドメを刺してる」
「それもそうか。じゃあ、あの女は攻撃を仕掛けてそれでこっちが死んだと思い込んでそのまま立ち去った、と……それにしたって何者なんだって話だけど」
せめて、出会ったのがもう少しマシな状態であったなら。
そうしたら、こっちだって一方的に攻撃を食らって気絶するなんて不様な事にはならなかったはずだ。
万全の状態であったなら、少なくともあの攻撃は回避できていたと思うし、それを回避したついでにこちらから攻撃を仕掛ける事だって可能だった。
無抵抗、というわけではなかったがそれでも一方的に攻撃を食らう事にはなっていなかったはずだ。
治癒魔法によって怪我がある程度治った今、こうして思い返すとじわじわと怒りのような感情が湧き上がってきた。どこのどいつだ本当に。次会ったら容赦しないぞ。
元老院の爺どもの誰か、それともあいつら全員と繋がっていたのかはわからない。だが、仮に誰かと関係があったとしても男女の仲、というわけではないだろう。
少なくともワイアットが今の今まで使い走りのような事をしていた時も、その前も学院に行った後も、そういった相手がいるという噂すら掴んでいないのだ。巧妙に隠すにしても、存在を隠し続けるのは難しいだろう。それ以前にあの爺どもには恋人だとか奥さんだとか、そういった女の影というか存在は一切なかった。
まぁそりゃそうだろう。必要なのは自分の新しい身体になるであろう器であって、自分の血を引いた後継者ではない。むしろそんなものはきっと邪魔だと切り捨てた事だろう。
「考えてもわからない部分でいつまでも考え込むのは時間の無駄だよ。
それよりも、その女の攻撃を受けて気絶してたって事は、とりあえずまだこの都市は落ちる予定にないんだね?」
「あぁ、それはその通り。まだそこには手を付けていない」
「落とすって言うけどそれって実行したら直滑降で落ちてく感じ?」
「いいや、落とす場所くらい選ぶさ。
流石にどこぞの街の上から落としたらマズイってのはわかってるからね」
「わかった。じゃ、行こう」
「え?」
「またその女が戻ってこないとも限らないだろ。犯人は現場に戻ってくるって言うし、お前を殺したと思った女が後になって改めて確認に戻ってこないとも限らない。
その時に既にお前がいないのなら、当然女はまたお前を止めようとするかもしれない。なら、一人よりは一応僕だけでもいた方がいいだろ」
「危険だぞ」
「乗りかかった船だよ」
あまりにもあっさりと言われて。
ワイアットは数秒呆けたようにウェズンを見た。
「落とした後、脱出が間に合うかは微妙だぞ。生きて帰れる保証はない」
「お前やっぱりこの都市と心中する気だったって事か!?」
「いや、そんなつもりはなかったけど……」
「でも僕が来なかったら、それでもって女がいなかったら、お前ボロボロの状態でそれ実行してたんだろ?
最悪普通に脱出に間に合わない可能性の方が高いじゃないか。馬鹿め馬鹿者愚か者」
「…………っ!」
「えっ!? ちょっ、なんでいきなり泣いた!?」
先程感じたのはてっきり気のせいだと思っていた。
昔、ワイアットが手の付けられない面倒者とされて処分するかどうか、みたいな時に自分に手を差し伸べたのは兄だ。血の繋がりもないのに兄を自称して、家族だとワイアットに言い切って。
下手に関わったら、兄まで処分されるかもしれなかったのに。
だから、あの時のワイアットは精一杯の強がりを込めて言ったのだ。
「お前まで死ぬかもしれないんだぞ」
と。
直後に「乗りかかった船だ」と言い切ったからこそ、ワイアットはあの日、彼の事を兄と認めたようなもので。
そんな過去を思い出させるような事をウェズンが言ったものだから、つい一瞬とはいえ懐かしんだのだが。
兄がワイアットを叱るというか、何かやらかそうとしたのを止める時の罵倒がまさに今ウェズンが言ったもので。
妙にリズミカルに罵倒されるものだから、ワイアットとしてもなんだよそれ、なんて笑う事だってあった。
兄の事なんて目の前のこいつは知らないはずなのに、なんで突然そんな思い出させるような事を立て続けに……と思ってしまえば。
あ、本当にもう兄とは会えないし二度と話をする事もないのだな、とわかっていた事ではあるが、実感が一気にやってきてしまって。
気付けば目から涙が零れ落ちていた。
「兄さん……」
「生憎と弟はいません!」
つい出てしまったその言葉に即座に否定される。
何もそんな速度で否定しなくたっていいじゃないか、と思いはしたが。
「今はいなくてもいつかできるかもしれないだろ」
別に何か方法を思い浮かべたわけではない。
ない、があまりにも一瞬過ぎる否定だったからつい反抗してみせただけだ。
え、と小さな声をウェズンがあげて、そうしてどこか戸惑ったような表情を浮かべる。
「え、何、お前もしかしてイアと結婚すれば弟ができるだろとかいう意味で言った?
お互い同意の上での結婚ならそりゃ僕も反対はしないけどさ、でも、あの、本気で言ってる?
僕的妹の結婚相手に求める最低条件はあいつの手料理をヤな顔しないで完食できて気絶したりしないってところからなんだけど」
「あ」
「え」
「そうだった。そうだよ、その手があった!」
それはまさしく天啓だった。ワイアットにとって。
あの、毒物を一切使用してないのに下手な毒物以上に問題しかない代物を作ったイア。
彼女のアレはある種の奇跡だ。機会があればまた体験してみたいと思っていたが、そうだ。彼女には血の繋がりはないが兄がいると言っていたではないか。
そしてその兄が目の前にいて、自分が兄と慕う存在とどこか重なるのなら。
「彼女と結婚すればいい!」
「え、何、もしかして僕……余計な地雷踏んじゃいました……?」
てか、なんかその結婚決めるに至る考え、どっかでかぶってる気が……あ、アンネだ。え、何お前ら似た者同士なの……?
そう小声で呟かれた言葉は、ワイアットの中で華麗にスルーされた。




