終焉カウントダウン
意識して呼吸をする。
そうしないと、途中からどんどん浅くなっていってそのうち意識が飛ぶかもしれないから。
「は、ざまぁみろだクソジジイども」
思った以上の満身創痍。
けれどもワイアットはズタボロの状態であっても清々しいまでの笑みを浮かべた。
別にテラプロメという都市の存在に対して何か思う部分があるわけでもなかった。
ここはそういう所で、そういう所に自分が生まれただけ。
ワイアットは本来ならばもっと早い段階で処分されるはずであったけれど、色々あったからこそ生き延びて。有り余る力を都市のために使うことを命じられた。
逆らったって良かったのだけれど。
そうすると暗くて狭くて何もない場所に閉じ込められて退屈な時間を延々過ごす羽目になるから、仕方なしに言う事を聞くようになったに過ぎない。
それに――
そんな自分を見捨てず世話を焼いてくれた兄のような相手がいたから。
彼が、いつか自分も元老院に入りこの都市を少しでも変えてみせると言っていたから。
彼の右腕となって自分が役に立てばいい。
そう、思っていたし実際にそうしてきた。
都市ではアストラ以外になら誰と戦っても勝てる、と思っていたし、実際その通りだったけれどワイアットの存在は都市で活かせるものではない。そう言われて、地上に行くような任務が増えた。
そのまま逃げだしてしまえば、もしかしたらまた違う人生を送っていたのかもしれないが兄と呼んだ人を見捨てるような真似はしたくなかった。
いっそあの人を連れて逃げてしまえば、とも思ったが、彼は地上へ赴く必要も理由もないから連れて逃げ出せる状況でもなかった。
結局ワイアットは、彼の立場を向上させるための駒として働くことを選んだのだ。
元老院は定期的にメンバーが変わる。
それは当然だろう。
いくら過去の人間よりも寿命が延びたとはいえ、永遠の命を持つわけでもない。
テラプロメに存在している技術力をもってすれば延命処置をするくらいはできるかもしれないが、永遠に若いままで生き続ける、というのは無理だった。
席があいて、そこに兄が……となった時、それなりに自分でも役に立てたのだという誇らしさはあった。
そのまま地上に降りて神前試合に参加できるように、と学院行きを決められて当分の間はテラプロメに戻る事もなくなって、兄と話をする事も少なくなった。
今にして思えばそれが罠であったのだ、と知るのだが、それに気づくのは手遅れになってからだ。
少し前に普段はモノリスフィアで連絡するだけで済ませるつもりだった報告を、本当に気まぐれで都市に戻って直接しようと思い立ったのは、もしかしたら何か、虫の知らせでもあったからかもしれない。
こちらも学院であまり頻繁に都市と連絡を取るのは問題が生じるかもしれないし、と必要な時以外連絡をしないようにしていたから、兄と顔を合わせるのも久々だった。
ところが、戻ってみれば兄は兄ではなくなっていた。
外見は兄だが中身が別人に変わっていた。
元老院の一人として相応しくあろうとして変わった、とかそういう意味ではない。
文字通りの別人。
兄の振りをした別人。
その場で問いただしたって良かったけれど、もし本物の兄が別の場所にいるのであれば、いきなりこいつに逆らうのは得策ではない――そう判断して騙された振りをして従順に、今までの兄に対するかのような振る舞いをして、そうして情報を集めてみたけれど。
結果知ったのは、元老院のメンバーが入れ替わる事がない、という事実だけだった。
彼らの中身は当初結成された時点での元老院の爺どもで、彼らは身体が衰えてくると新たな身体に取り換える。その身体に本来入っていた魂などお構いなしに。
新たに入ったメンバーは、次の彼らの器としての候補であり、時期がくれば器を奪われる。
人員が入れ替わるものの都市がその在り方で揺らぐ事はなかった。
途中で誰かしら、神を探すという目的を放棄してこの都市を自由に己の欲望のために使おう……などといった事件を起こす事だってあったかもしれないが、思えばこの都市の歴史においてそういったことは一度もなかった。
当然だろう。
都市のトップが変わらず、既に彼らの私物となったも同然であるのだから。
兄はそんな彼らの目論見に気付けず、新参であっても都市のためにと元老院の仕事に張り切り――そうして、ワイアットの知らないところで身体を奪われてしまった。
ワイアットがその場に居合わせたからといって、果たしてそれを防げたかはわからない。
だが、万が一にでも。彼を連れて逃げ出せたかもしれないのだ。
そういったもしも、を考えてしまうとキリがないのはわかっている。
だが、それでも何かできたかもしれないと思うのはどうしようもなかった。
末席にいた元老院の一人は実のところ肉体そのものに欠陥があったようで、早々に自らの身体を捨てる結果となってしまったようではあった。
先に彼のその欠陥に気付けていれば、魂の一時的な避難場所を用意するなどして兄を救えたのではないか、とも考えたが調べた結果身体が使い物にならないのであれば必要なし、と上に判断され彼はあのまま朽ち果てるはずだったのだ。
ただ、それでも彼は肉体を別の物で代用していたけれど。
それも上が巧妙に妨害していた結果、彼の肉体として使えるのは陶器製の然程頑丈でもない物でしかなかったが。
もし妨害を乗り越えてそれでも頑丈な新たな身体を手に入れていたのであれば。
もしかしたら元老院も彼に対する評価を変えて価値のあるものと見なしたかもしれないが、ゴーレムに魂を移せないという時点で何らかの欠点があったのだろう。
もし、ゴーレムやそれ以外のもっと頑丈で長持ちする器が使えたのであれば、とっくに元老院の連中はそちらに乗り換えていてもおかしくはないのだから。
それとも、そういった入れ物を彼らが最初から拒んでいた可能性。
それも考えられた。
いくら強靭で壊れないといっても、見た目が人から遠のけばいつか、都市以外の場所へ行く事になった時、彼らを他の存在が人間として受け入れるかどうかわからない……と考えれば。
元老院とていつまでも空中に留まり続けるつもりはなかったはずだ。
空中にいながらにして、いつか地上を掌握しようだとか、そういう事を考えていたのではないか、とワイアットは睨んでいる。
いつまでも、肉体を取り換えてでも尚元老院というこの都市のトップに君臨し続けていたのだ。
それだけで満足などするはずがない。
この都市で作られる住人たちは、レッドラム一族とは別の意味で生贄であった。
雑用などといった仕事をさせるだけの存在である事も勿論だが、元老院にとって都合のいい肉体であればその先に待ち受けている運命は言うまでもない。
同じ遺伝子で同じように作ったとしても、一体どういう要素が原因なのか微妙に異なる存在ができあがる。
見た目は同じであっても前回作った存在と同じ性格になるか、というとそうではない場合もあった。
その、ハッキリとわかっていない部分の違いで、同じように作っても今回は元老院の器として適さない、なんていうのはよくある話だったらしい。
ガワだけ変えても中身は変わらず。
その状態で都市を維持し続けてきた元老院。
それを知っているのは当事者たちだけだ。
他の住人が知ったところで、大抵は早い寿命を迎える事になるし、新たに元老院になった誰かの知り合いがそれに気づくか、となると大抵は生活の場が変わる事で疎遠になる。
住人たちは全員が人工的に作られたわけではない。極少数、恋をして結婚をして……というように地上にいる多くの人たちとそう変わらない営みをする者だっていた。
だが、そういった者たちの親類縁者が元老院に召し上げられるような事もほとんどなかったから。
親しい家族が気付けるような状況でなかったからこそ、今の今までほとんど誰も気付かなかったのだろう。
ワイアットだって、兄がそうならなければ一生知らないままだったに違いない。
「…………まだ、やる事残ってたな……」
どこもかしこも血で染まった室内を見回して、ふと呟く。
てっきり荒事とは無縁だろうと思っていた元老院の爺どもは、遥か昔から存在し続けていただけあってとてもしぶとかった。
ただただ安全圏で悪だくみをしているだけの存在であったならワイアットももっと簡単に兄の仇とばかりに決着を早くにつけていただろうに。
肉体的には武術とは無縁であっても、中身の彼らにはワイアット以上の長い、永い年月という経験がある。
そのせいで思った以上に長引いたが、それでもどうにか勝利できた。
本当なら、兄の亡骸はせめて埋葬したいとも思ったけれど。
だが既にこの身体は奪われてしまったもので、死体が戻ってきても今更すぎる。
魂の欠片のようなものがまだ肉体に残されているというのなら、埋葬も無駄ではないと思えるが、丁重に弔ったところでこの身体は奪われて結構な時間が経っているし、そうなるとなんだか元老院の爺をわざわざ弔っているような気がしてしまうので。
だから。
ワイアットはそれならと兄の身体だったものは丁寧に細切れにしたのだ。
お前だけは、一際丁重に葬ってやる、そう言い放った通りに、他の爺どもと比べるまでもないくらい念入りに切り刻んだ。
一撃で楽になど誰がさせてやるものか。
自由自在に魂だけで離脱して適当な身体に入り込む、なんて事ができていたならこうはいかなかったが、肉体を奪うにしてもそういった設備のあるところでなければできないのも調べて既に把握済みだった。
それに他の元老院の爺どもは少し前に肉体を交換して、最後が兄だった。
だから当分新しい器にする予定はなかったし、故に、前回ここに戻ってきた時にこっそりと細工をしてあいつらが逃げ込んだりできないようにしておいたのだ。
陶器の人形にしか宿る事ができなかったあの男は見逃したが、どうせあいつもそう長くはない。
もしまだ生きていたとしても。
どうせここを今から落とすのだから、地上に降りてまであいつが生きていられるとは思えない。
あいつは正式な意味で本当の元老院メンバーとは言えないが、だからといって野放しにするかと言われるとそうしてやる義理はないので。
逃げたところで都市が落ちればその衝撃でどちらにしてもあいつも予備の人形たちも一斉に壊れるにきまっているのだ。
「あぁ、そうだ。
ルシアとウェズンに一応連絡しておかないと……」
都市を落とすのはいいが、巻き込んだ彼らに何も言わずにやらかすのはマズイ、という事くらいはワイアットにもわかっている。少なくとも避難できる状態にしておかなければ。
それにしても皮肉なものだな、とも思う。
ルシアが学園に行った時、その後でルチルを殺した。
あの時はまだ思いもしていなかった。
自分の知らないところで兄が死ぬような事になっていたなんて。
肉体を奪われて魂がどうなったかはわからないが、結果として死んだも同然なのだ。
因果応報と言われればそうなんだろう。
あの頃の兄はまだ肉体を奪われていなかったけれど、ルシアはどのみちいずれ浄化機のパーツとして使われる命で。
彼が大切にしている存在を生かしていたところで、彼が死ねば不要な命だった。
遅かれ早かれ死ぬのだと、割り切ったかのように兄も考えていた。この都市の人間の命なんて、一部を除いてほとんどが軽い価値しかないのだから。
モノリスフィアを取り出してメッセージを打ち込む。
ルシアとウェズン、二人が合流しているのならそれでよし。
そうじゃなくても、まぁ両方にメッセージを送ったのだから後はどうにかするだろう。
この後はどうにか都市の神の楔のセキュリティを解除だけしておけば、脱出するのにそう困る事もないはずだ。
返事が来ても来なくてもワイアットがそれを確認するつもりはなかった。
セキュリティを解除した後は、都市を落とす。
それは既にワイアットの中では決定事項で、異論なんて聞く耳持っちゃいないからだ。
脱出するまで待ってだとか、そういった言葉も無視する勢いだった。
というか。
(正直そこまで待ってあげる余裕はないな……)
元老院の爺どもを皆殺しにするだけなら、あいつらが集まった時を狙えばいいだけだと思っていた。
下手にばらけた状態のところを襲えば誰かしら逃げおおせてしまうかもしれない。
そうなれば後々もっと面倒な事になるのはわかりきっていたから、こうしてルシアを巻き込んで、ついでに番人がこちらにやってこれないよう足止め要員としてウェズンも巻き込んだ。
彼が参加してくれたのは運が良かったと思える。
アレスだったら、もしかしたら途中でアストラがこちらに馳せ参じたかもしれない。その場合でもまぁ、勝算がないわけじゃなかったが、現状でこれだ。仮に勝てたとして今以上にズタボロだったに違いない。
数十年程度の経験の差であれば覆せる自信はあった。
数百年であっても、まだどうにかなると思っていた。
だが、数千年単位での経験の差は軽々と覆せるものではなかった。
真っ向から戦えばそこまで強くないはずなのに、彼らはワイアットにとってひたすらやりにくい方法で対抗し抵抗していた。逃げられないと悟った時点で彼らは大人しく死を選ぶわけではなく、ただひたすらワイアットに対する嫌がらせ的な手段に出たのである。
どうせならお前も道連れだとばかりに。
そこでワイアットが先に死んでいたなら、元老院は再び新たな肉体に交換すればいいだけの話。
実際外で住人達を作り出す施設が破壊されてしまったので、もしワイアットが負けた後で元老院がそれらを知った場合どうなっていたかはわからないが。
気を抜くと崩れ落ちそうになる足をどうにか動かして、元老院の連中しか立ち入れない重要区域へと進んでいく。
ワイアットは実際には元老院のメンバーではないが、彼らの駒として動いていたので一応立ち入る事は可能だ。とはいえ、立ち入った回数など数える程度でしかないが。
ともあれ進んで、都市の神の楔の使用許可を出しておく。
地上にある神の楔からこちらに転移はされても困るのでそちらの許可は出さないが、この都市から脱出するための使用許可があれば充分だろう。
「よし、これで後はここを落とすだけ」
「それは良くないな」
「――っ!?」
ワイアット以外の誰かの声がするなんて、ワイアット自身思いもしていなかった。
大体ここに立ち入る事ができる人物は限られていて、その限られた人物は今しがたワイアットが屠ってきたのだ。他にここに入れる者などいるはずがないし、そうでなくとも気配も何も感じられなかった。
いくら満身創痍で動くだけでやっとの状態であっても、自分以外の誰かが近くにいるのなら気付けるとワイアットは思っていたのだが、しかし実際はどうだ。
思った以上に至近距離にいる女に、ワイアットは信じられないものを見るような目を向けてしまっていた。
女だ。
黒いシンプルなドレスを纏った女。
ヴェールを目深にかぶり、顔の上から半分は見えないが体つきからして女性であるのは間違いない。
ドレスと同じ色のヴェールは、本当にヴェールと言っていいのかわからないくらい長くマントのようでもあった。
「ここを落とされるのは困るのだよ。利用価値はまだあるのだから」
「お前は一体……ッ!?」
シュッ、と小さく風を切るような音がしたと同時にワイアットの身体がバランスを保っていられなくなり、頽れる。
魔法か魔術かはわからないが、攻撃を受けたのだとは理解できた。
だが――
「お仲間は先程のメッセージによって脱出する。そうしてここに残されるのはお前だけ。
お前が朽ち果て誰もいなくなった後も、この都市は空を彷徨い続ける。
とはいえ、まぁ、いずれは落ちるのだろうけれどな。だがそれは今じゃない」
脇腹のあたりに遅れて痛みを感じた。
視線をそちらに向けるより手を動かして触れてみれば、じわりと湿った感触。
「どのみち都市が落ちるより先にお前の命が尽きるまでよ」
ほほ、と軽やかな笑い声がして。
ふざけるな、と一言噛みつこうにもその時には既に女の姿は見えなくなっていた。




