それは案外呆気なく
ペストマスクの男は自らをフリオと名乗った。
不審者の名前を聞いたからって、これで今日から知り合いね! と思うはずもないのだが。
「とりあえず、きみのお父さんとは知り合いなんだ」
「はぁ」
「ついでにお母さんも」
「そうですか」
「えっと、そこは信じるんだ?」
「まぁ、はい」
「や、父さんと母さんの知り合いなら逆に納得かなって」
「きみ両親にどんなイメージ持ってんの……?」
突然現れた不審者に、ウェズンだって警戒心くらいは持つ。
そいつが敵じゃない、なんて言ったところで信じる人が果たしてこの世界にどれだけいるというのか。
無理だろ。せめてペストマスク外せ。
多分大半の人間はそう突っ込む。
どうしても顔を晒したくない、という理由や事情があるにしてもだ。
せめてもうちょっとこう……マシなものはあるだろう。
目だけを出したくないのならサングラスだってあるし、顔の上半分だけでいいなら仮面舞踏会につけていけそうな仮面だってある。
下半分を隠したいならマフラーを巻くだとかで隠す方法だってある。
どうしても顔全体を隠さなければならないのであったとしてもだ。
ペストマスクはないだろう。
ところがそんな変人としか言いようのない不審者が両親の知り合いと言われてしまえば。
逆になんだかすとんと腑に落ちたのだ。
あ、あの人たちの知り合いなら有り得るな、と。
ウェズンから見て両親は人づきあいができないわけではないけれど、それでも知り合いが普通であるはずはない、と思っている。
現状フリオという男はウェズンにとって敵かもしれないが今のところは味方かもしれない相手だ。
「ま、色々あってきみの事は監視させてもらっていた」
「ストーカーか」
「もっと言うなら以前にも会うだけなら会ってるんだけど……憶えてないかな?」
「…………そういや何かいたな!?」
監視していた、という言葉に何も思わないわけじゃないけれど、それを言う暇が悲しいかな今は無い。
それどころか以前会っていると聞いて、そこでようやく思い出したのだ。
以前、学外授業で行った先で、ペストマスク被った不審者がいたという事を。
あの時はビックリしすぎたのと、この男にあっさり逃げられたのだけど。
「えっ、そのペストマスク複数所持してんの……? 引くわ」
「いやあの、そこはまぁ、ちょっと個人的な事情があるんだけど……まぁいいや。今それどころじゃなさそうだし」
肩をすくめるフリオに、ウェズンとしてはちょっとその事情が気になりはしたものの確かに今はそれどころではない。
「他の元老院の奴らは大分数が減ったんだけどさ。
あいつは末席だったからそこまで脅威でもないだろうって事であっさり見逃しちゃったっぽいんだよね」
「……ワイアットの事言ってる?」
「そう。何せ彼も彼で優先順位ってものがあるからね。
その順位、あいつ限りなく低かったから多分あの場からいなくなったって事も後になってから気付いたと思う」
「まるで見てたみたいな言い方ですね……?」
「途中までは」
お前僕の監視してたんじゃないのか、と言いかけたが言ったら何かが負けた気がしたのでウェズンはぐっと口を閉じた。余計なことを言わないよう一度強く奥歯を噛みしめる。
下手な言い方をすると監視してたっていうならちゃんと監視しとけよ、みたいな受け取り方をされるかもしれない。面倒くさい構ってちゃんか、と内心で突っ込む。
自分でもそう突っ込むしかないのに、それをフリオから指摘されようものならうっかり逆切れかますかもしれない。一時的とはいえ監視されてなかった時があった、って事は逆に良かったのでは……? とどうにか思い直す。何も良くないような気がするが、ウェズンはそれ以上この件に関して考えない事にした。
覗く必要のない深淵は放置するに限る。
「で、まぁあいつがマネキンの中に意識を移して自由行動してるわけなんだけど。
あのマネキン工場がこの先にあります」
「は?」
「で、このコードをそこの工場で入力してきてくれるとですね」
「なんで僕が」
「マネキンの製造を食い止めることができるし、これ以上マネキンが増えなくなる」
「聞いてる? なんで僕が」
「その間にこっちはあの自分は安全であると思い込んでる奴に絶望をプレゼントしに行きます」
「ちょっと?」
「ちょっとあいつには因縁があるからね。頼むよ人助けだと思って」
パン、と両手を打ち合わせてお願い、と頼まれても正直反応に困る。
これが妹ならまだ可愛げを感じ取れたものを、しかしペストマスクの不審者。可愛い子ぶった態度でお願いされてもとても困るとしか言いようがない。
このコードね、と言いながら細長い紙に記された文字列は、そこそこ長かった。
えっ、これ手動入力すんの? めんどくさっ。
言いたい気持ちはあったけど、フリオ曰くあいつがどのマネキンに宿るかは大体わかってるから、と言われてしまえば。
「絶望って?」
「希望を抱いて死ぬ事さ」
「つまりあいつを倒すって事でいいんですか?」
「勿論だとも」
ぐっと親指を立てて言われる。
正直仮面のせいでオーバーリアクションをされても逆に淡々とした感じで不気味である。
確かにあのマネキンはどうにかしないといけない。
かといって一度に全部壊せるかとなると、そこまでの魔術も魔法も難しいだろうし、マネキンの中を自由自在に精神を移して移動できるのであれば、マネキンを壊したところですぐさま逃げられるし、どのマネキンに逃げたかなど、ウェズンからすれば相手が喋りでもしない限りわからない。
フリオはそれを理解できると言っているのなら、信じてみるのも手だろう。
「これでダメなら僕は世界中に存在するペストマスクをかぶって行動する相手をぶん殴るしかなくなる……」
「自分で言うのもなんだけど、ペストマスク被って行動する奴って世界にそんないないと思う」
「成程、駄目だと判断したらマスクを脱ぎ捨てて行動するわけだ」
「…………さておき頼んだぞ少年よ!」
「あっ」
シュッという音が聞こえそうな勢いでフリオの姿が消える。
その場に残されたウェズンとしては追いかけたい気持ちもあったけれど、追いかけるよりはダメ元でフリオの言うマネキン工場へ行くべきなのだろう。
「釈然としない気持ちでいっぱいだー」
心の中にだけ愚痴を留めておくのも何だか嫌だったのであえて口に出してみるが、別にスッキリしたりはしない。
というか、マネキンを作り出してる工場とか、それこそ警備が厳重なのではなかろうか。
そう思い、今まで以上に警戒して向かったわけだが。
ウェズンの期待を裏切る程にすんなりとたどり着いてしまったのだ。
というか、工場と言われても外からはとてもじゃないがそう見えない建物だった。
マンションの一室を使ったネイルサロンだとか、マッサージ店だとか。
そういう隠れ家的なやつと似た雰囲気すらあったくらいだ。
思い返せばここさっき通った気がするな、なんて思うくらいに何の変哲もない場所が工場と言われてもピンとくるはずもない。
元老院の一人が自分の身体として使っている器を作っている場所だ。
大量に作っているとはいえ、それでも大量に破壊されれば後になって困るのは言うまでもないのだから、それなりに警戒されていたり警備も……と思っていたが、それすらなくてフリオが嘘を言っていたのではないかと疑ってみたり、警備がガバすぎやしないかと困惑したりする事数秒。
ともあれ内部に足を踏み入れてみればそんな気持ちも吹っ飛ぶかもしれない、と思って入ってみれば。
よくあるマンションの一室、みたいな感じではなくあぁこれは拡張魔法が使われているのか、と納得して。
しかしそこを警備していたのは外でも見慣れたマネキンばかり。
なので移動しながら魔術でもってぶち壊しつつ進めばあっという間に目的地と思しき所までたどり着いてしまった。
「マネキンの数は確かに多かったけど……本体がこっちに戻ってくるでもなかったしな……数が多くてうじゃうじゃやってくるのは確かにきもいし怖い部分もあるけど……でもなぁ」
前世のホラーゲームで出てくるタイプのマネキンの方がまだ怖いな、という感想を抱く。
ホラーゲームに出てくるマネキンはそもそも普通のマネキンと似ていても強度が段違いとかあるし。戦えるタイプの主人公なら壊すという選択肢も出てくるけど、簡単に壊せる場合と何をどうしたって壊れないので攻撃をして動きを一時的に止めてる間に逃げる場合、なんてのがあった気がする。
だがそういったマネキンたちと比べると、こいつらは数こそ大量だけど強度はそこまでではないので。
「あれ、マネキン以外にもあるのか……」
壊し過ぎて床一面に破片が散らばってしまった中をガッショガッショと音を立てて移動していくと、ケースの中に人の形をしているが、マネキンとは異なる見た目の物が飾られていた。
マニアが高く買いそうだな……なんていう雑な感想を持ちつつも少しばかり観察してみたが、どうやらこれらは動く様子も何もない。
ウェズンが知る由もない事だが、ケースの中に飾られている人形はマネキン以前に器にしようと男が目論んで作った物なので結局何をどうしても器にできなかった代物であった。
ただ、それでも未練があったからか、もしかしたら何かの切っ掛けでこれらを使う事ができるようになるかもしれない……と残してあるだけだ。
だがそんな事を知らないウェズンはもしかしたらこれもそのうち動き始める可能性があるな……と考えたので一応丁寧に魔術でケース越しにぶち壊しておいた。
元老院の男がその場に居合わせたなら間違いなくやめろと叫んでいただろう。
「3Dプリンターみたいなので作ってるかと思ったけど律義にベルトコンベアで部品組み立て形式とか、微妙に古風な部分あるんだな……」
これが都市を破壊しに来たとかじゃなければ、工場見学だー、とはしゃいだかもしれないのだが。
のんびり見学するわけにもいかないし、フリオに言われたとおりにさっさとコードを入力してしまおう。
本当にこれ大丈夫なのか? という気持ちがありながらも入力してみれば。
フッ、と入力を終えた途端室内の電源が一斉に消えた。
そのせいで周囲は完全に真っ暗になる。
非常用電源だとか、非常灯といったものもないのかほんの数センチ先ですら真っ暗。
自分の手だとかを見ようにも暗すぎてさっぱりだった。
だが――
「なんか嫌な予感しかしない」
電源は切れて工場そのものは完全停止したというのに。
コココココ……という小さな音がそこかしこで聞こえ始めた。
それは例えるならそこまで大きくない地震の時に、テーブルの上のカップや食器が振動でテーブルと小さな衝突を起こし続けている時のような音で。
その音の発生源は、となると心当たりは一つしかない。
ウェズンがここに来るまでにぶち壊したマネキンと、ベルトコンベアで移動しつつ組み立てられていたマネキンである。
複数の小刻みにぶつかり合う音が重なり始めて、最初は小さく聞こえていた音が徐々に大きくなっていって。
「やっば……!」
咄嗟にウェズンは全力で障壁を展開させた。
直後、バァンと大きな音と同時に周囲のマネキンだったものが破裂したのだろう。
入力したコードで工場の生産を止める事ができる、とは言われていた。
ついでにこれ以上増えなくなるとも。
「でもその場で全部一斉に壊れるとは聞いてないんだよなあ!」
あとちょっと障壁を作るのが遅かったらただじゃすまなかった。
あの野郎……! と思いながらも、工場内部のマネキンは全て崩壊したので魔術で明かりを作り出してからウェズンは来た道を引き返したのである。
なのでウェズンは気付かなかった。
フリオから逃げるようにして工場近くのマネキンに意識を移した男がここで終焉を迎えた事など。




