守るべきもの
容赦なくフルボッコ。
そんな言葉がウェズンの脳裏をよぎったのは、まぁ当然の結果であった。
なんだったら既にアストラは事切れている。
殺す必要があったか、と問われると後になってから厄介な事になる可能性があったので仕方なく殺すしかなかった、と答えるしかない。
ウェズンだって流石に何にも知らないまま初見でボス戦に勝て、とか言われてしかも相手がゲームでいうところの最初のボス、いわゆるチュートリアルボスみたいな相手だったらまだ納得できた。
だがしかし、現実的に考えるとチュートリアルなはずもない。正直ゲームで例えるならここはもうきっと中盤の山場とか、下手したら終盤である。
そんなところのボス戦を、何の情報もなく初見で勝て、は流石に問題しかないわけで。
それでも勝たなきゃいけないというのだから、やるしかない。
ウェズンにもし前世の記憶がなければもっと苦戦したかもしれないが、前世の記憶があったからこそほぼ苦戦せずに勝てたようなものだ。
ウェズンだって流石にボスの情報何もなしに勝て、は無茶ぶりが過ぎるとは思っていたのだ。
だが父も、ワイアットも、更にはルシアも。
テラプロメにいた事のある人物が全員こぞって知らない方がいい、とか言い出している以上、いじわるで教えないとかではないとは気づく。
そうなると知ったら何らかの不利になる、という考えに行きつくのは当然の結果で。
ワイアットには都市の中の物は極力見るなとも言われていた。
アストラに出会う前に確かに何かそこかしこの建物に貼られたポスターだとか、看板だとか、ディスプレイだとか。
視界にちらつくものはたくさんあったのだけれど、ウェズンは忠告を素直に受け取り一切視界に入れないようにしていた。
視界の隅でちらつくうちは、正確にそれそのものを把握しているわけではない。
しっかりばっちり見てしまった、とかであれば問題があったかもしれないが、視界の隅に映っただけのものなんてハッキリとわかりようもない。ウェズンが草食動物のように広い視野を持っていたならまだしも、人間の視野はそこまででもないので。
しかも人間は視野を広く持とうと思っていても、いざ探しものをしている時だとかになると、途端に視野が狭まる仕様。目の前にあっても何故か視界に入らず気付かないなんてのもよくある話だ。
探しものが目の前にあっても気付かないのは、探していて見つからない、という心の焦りもあるのだろうけれど、つまりそれは意図的に目の前にあっても見ないようにすることができる、という事でもある。
焦点が合わなければ目の前にあっても何が何だかわからない、なんてのもザラだ。
であれば、視界の隅でちらついているものを正確に把握など余程特殊な訓練でもしていなければ無理な話であって。
ウェズンがアストラに勝利する結果となったのは、この都市がウェズンが前世で暮らしていた場所に似ていた事も大きい。
前世のウェズンが暮らしていた場所は、それはもう周囲に情報が溢れていた。
一つ一つを丁寧に拾い上げていたら一向に目的地になどたどり着けないくらい、様々な情報が溢れていたのだ。
だが、前世のウェズンだけではなく、他の人たちもそこにある情報全部にいちいち目を向けていたわけではない。
大抵は自分の興味のない事など視界に入っていたとして、それを認識すらしていないのだ。
電光掲示板で文字が流れていたとして、それを全員がきちんと見ているか、となるとそうではない。
例えば交通機関で遅延したなんて事になって、あとどれくらいで通常運航に戻るか、なんて場合、それを利用する予定の人間であればずっとでなくとも何度かは電光掲示板の流れる文字を確認するけれど。
だがそういった場所ではなく、たとえばビルの上の方にあるタイプのものならば、ニュースだったり、商品のCMのようなものであったりするわけで。
そうなると、興味のない者はちらっと見たとして、その内容など大体次の瞬間には忘れている。
そういった物に目を向ける事すらなく、自分が持っているスマホしか見ていない、なんて者だって大勢いたのだ。
だが、そのスマホですらニューストピックがずらっと並んでいたとしても、それらすべてに目を通す、なんて者は少数だ。大抵は自分の気になった見出しだけチェックするだとか、特定のジャンルに関係するニュースしか見ない、なんてこともあるし、それどころかそれすら見ない、なんて者もいる。
多くの情報があったからこそ、全部に目を通す余裕はなくなり、そして結果自分が必要とする情報を取捨選択するようになっていったわけだ。
スマホ以前に、インターネットがまだ普及する以前はテレビやラジオから流れてくるニュースが情報源になっていたけれど、インターネットが普及した後は一気に情報量が増えたし結果として自分の興味のある事しか見ない、なんて者が増えていったのである。
要するに、ウェズンもまた自分にとって興味のない情報やニュースといったものを意識して、時に無意識に切り捨てていったのだ。大体全部をチェックして憶えておけ、となれば脳の容量がいくらあっても足りやしないのだから。
インターネットが普及する前ならテレビから流れてくるニュースは大体が国内で、国外のニュースは一部だけ、なんて事もあった。海外がきな臭い状態であればもう少しそちらのニュースが増えただろうけれど、平和な時は大体そんな感じだったと聞いている。
だがインターネットが普及した後は、海外のニュースも知る機会が増えていった。テレビだと特定の国のニュースが多めであっても、いざネットに目を向ければテレビでは取り上げられないような小さなニュースや、国のニュースだって大量にある。
テラプロメのそこかしこにあったであろうアストラに関する情報は、ウェズンにとってはつまり前世に溢れていた興味のないニュースと同じようなものだった、と言ってもいい。
弟や妹が話しかけてきた場合は、一応あまり興味のない話であっても聞く耳を持ってはいた。
だが、ここではそういうものはない。
無理矢理押し付けられる情報など、それこそ余計なお世話でしかない。
最強の守護者、と言われた時、ウェズンはその言葉を信じてはいなかった。
最強と言われるくらいなのだから、確かに相応の実力者ではあるのだろう。
けれど、アストラがこんなドームで大衆に説法のように己の軌跡とやらを語っているという時点で。
あ、そういう絡繰りか、と察したのである。
それでなくとも前世、ウェズンは自分が興味を持って手を出した映画やドラマ、漫画にゲームの数はそれなりにあった。更にそこに弟や妹たちが布教してきた作品の数々。
新たな作品が生み出されるたびに、様々なキャラクターもまた生み出される。
それは主人公やその味方だけではない。敵と呼ばれる側の存在も同様で。
例えばの話。
勇者が魔王を倒しに行くような王道っぽいものがあったとして。
終盤、魔王と死闘を繰り広げていた中で、勇者が旅の途中で出会い助けてきた人々に場面が移り、そこで今勇者が危険な状態である、と何らかの方法でその人たちが知って、負けないで勇者様! と応援やら祈りやらをしたとする。
その祈りの力が勇者に届いて何か凄いパワーを発揮して魔王を倒す、なんて展開は、勇者と魔王に限った話ではないが他の作品にもあったりするので。
ウェズンは早々に把握してしまったのだ。
つまりこいつ、自分の存在を広く知られた方がその分強くなるのか、と。
知られない事で力を発揮するキャラも、逆に自ら情報を開示することで力を増すキャラも、それこそもうほとんどのパターンは大抵の作品で出尽くしたんじゃないか? と思われても仕方がないくらい出てきたわけで。
そして、今まで自分が知らなかった作品であっても、弟か妹の誰かしらが布教してきたので。
困った事にそういった存在にウェズンは耐性――と言っていいものか――はあった。
最強の守護者でこの都市の番人だ、という情報をウェズンがもっと深く意識して知ってしまっていたならば、そのせいでウェズンには無意識的にデバフでもかかっていた可能性は高い。そしてアストラはその逆にバフがかかった状態になり、結果として死んでいたのはウェズンであった可能性だってある。
だがいる、と言われていたとしても、実際に本当にこいつがそうだ、とハッキリ知ったわけではないので。
ウェズンの中ではアストラを脅威と認識する事はなかったのだ。
どうでもいい情報。そんな感じで前世の時のように脳内にその情報を留める事もなく、ゲームで言うところのボスどころか新しいエリアの通常エネミーくらいの認識で戦った。
前世に存在していた作品の中には、相手が恐怖を感じる事でより一層力が強まる、とかいう存在もいたのでアストラに関してはそれの情報版なのだろうなとさくっと理解して、戦いの最中でもアストラが何かを言っていたがそれらも一切聞いていなかった。
話を適当に聞き流すなんて、本来なら相手に失礼だし下手をすると周囲の人間関係が悪化しかねない事もあるけれど、だが前世では割とありがちな事だったので。
ウェズンの中でアストラの言葉はどれもが「なんかでっけぇ独り言だな」くらいのものだったのである。
話を聞く耳持たなかっただとか、都市のそこらに溢れていたであろう番人に関する情報を一切目にいれなかっただけで勝てたとは思っていない。
もう一つ、ウェズンが勝てた理由はこれかな、と思うものがあった。
「そもそも最強の守護者を名乗るなら、命がけで挑むべきだった」
そう口に出せば、より一層そう思えてしまって。
大体前世の作品で守りに特化したキャラがどれだけいると思っているのか。
そういった者たちは、戦って勝つという点では他に劣っていると思っても、守る事なら誰にも負けないと思っている部分があったし、実際にいざ守り抜かねばならぬ、という時は自分の命を犠牲にしてでも守ろうとする気概があった。
というか攻撃側なら手加減して様子見だとか、場合によっては撤退も可能だけれど、守る側というのは攻撃を仕掛ける側に襲われている事もある。逃げるにしても守るべき相手を見捨てて逃げるわけにはいかない状態であればその場に留まり囮になる事もあるし、逃げたくても逃げられない事だってあるのだ。
だからこそ、より命がけな描写が多くあったわけで。
時として自分の命を犠牲に仲間を、家族を、愛する者を守り抜き、そうして次に繋いでいく。
物語の終わりまで生きている事すらない、なんて場合もあるわけで。
だが、そういったギリギリの中戦って、満身創痍で勝ち抜いた姿にかつてのウェズンは感動すら覚えていた。圧倒的なパワーで勝ち進んでいく最強系もいいが、こういうのも有り。そんな感じで。
ところがアストラはどうだ。
神から与えられた力によって最強の守護者という座を得た。多くの人間に最強の守護者であると認知させねばならないからこそ、都市の住民たちに定期的にこうして語っていた。それを努力というのなら、まぁ努力なのだろう。
だが、都市の住人達は果たして本当に心の奥底からアストラは最強だ! と思っていただろうか。
惰性で最強の守護者である事を維持するためにこうしている、と思ったとして、いつまでも彼がヒーローであるかのように思えていただろうか?
外敵から常に襲われていて、それを守り抜いていたのであればそう思う者たちは多かったかもしれない。
だがこの都市に訪れる者は滅多にないとなれば、住民たちからすれば平和極まりない日々だったはずだ。
そこで毎回同じような話を聞かされていれば。
信仰によって神は力を増す、なんてのもあったとは思うが、それに近いものと考えたとしても、きっとアストラに対して絶対的なヒーローだと信じる者は、果たしてこの都市にどれだけいた事だろうか。
ウェズンと戦う時にだって、周囲の住人達を守っていれば。気絶させられて端に寄せられる前に守っていれば、もしかしたら。
結局のところ、彼は最強という力を与えられはしたものの、それをそのまま放置していただけに過ぎない――とウェズンは思っている。
最強だから負ける事はない。
きっとウェズンと戦っていた時だってそう思っていた。
だが、お前が最強であるわけがあるか、と思っていたウェズンにとってアストラは、確かにそれなりに強かったとは思うが正直これならワイアットの方が強いと思えるわけで。
ワイアットがこいつに負けていた、という事を聞けばきっと驚くとは思う。
だがワイアットは幼い頃からテラプロメで生きてきたのだ。それこそ呪いのようにアストラに関して刷り込まれていても仕方がない。
砕けた鎧の中から出てきた男の姿をウェズンは見下ろす。
てっきり筋骨隆々のいかにもなのが出てくるかと思っていたのだが、しかしその中にいたのはとても貧相な男であった。
むしろよく全身鎧なんて着て動けてたな、と思うレベルの。
ウェズンは見ていないが、既にいくつかのアストラに関するあれこれを見たレイやウィルが直接このアストラという男を見たならば、間違いなくこう言っただろう。
「え、全然ポスターとかにいた人と違うんですけど」
――と。
かつてはその姿であったけれど、いつしか鍛錬を怠り住人達に自らの偉業と言う名の自伝を語るだけになり果てた男の最期は、随分と呆気ないものだった。




