やる気の有無
さて、謎の原住民としか言いようのない人たちに追いかけられつつもイアが思ったのは。
こんな展開ゲームにあったっけ?
である。
ある意味でとても暢気。
もしかして小説版でウェズンが本来この展開になってたっけ……? などと思いもしたが、正直これっぽっちもその展開に覚えがない。覚えていないだけならこうして実際に直面した時にふわっとでも思い出したりしそうなのにそういう気配がまったくないので、恐らくは違う。
ゲームのイベントも全てこなしたか、と問われると少々自信がないが、多分大体やってるはずなのでこうまで覚えがないというのもおかしな気分だった。
そりゃあ、今後の展開とかほとんどさっぱり思い出せていないけれども。
ついさっき吊り橋から落ちた時に多少は思い出した部分もあったけど、この展開はさっぱりだった。
「あ、あた、あたし腰ミノが標準装備な人初めて見た」
「奇遇だな俺もだ、って言ってほしいのか!? バカか!?」
ざっざか草を踏みしめながら走って、レイはあまりにも状況が読めていないイアの言葉につい反射的に返してしまったが、今の声のせいで背後から追ってきたであろう奴らに場所を知らせてしまったらしく、相変わらず何言ってるかわかんないけど鋭い声が聞こえてきた。
とにかくどこか身を隠せそうな場所を見つけて、どうにか奴らをやり過ごしたい。
あれが魔物ならまだしも、間違いなく人なのだ。
レイの目から見てとてもしょぼい装備でも武装して、襲い掛かろうとしていたとしてもいきなり殺すわけにもいかない。
魔物は殺せばその場で消滅するけれど、人はそうはいかないのだから。
父にも言われている。殺すのはいいがその場合死体の処理はきっちりしとけよ、と。
これが海ならそのまま死体をドボンと放り投げれば後は勝手に魚が餌にしてくれるけれど、陸はそうもいかない。下手に虫が湧いた挙句大量発生した場合、周囲の自然にどんな影響が及ぶ事か。
虫以外にもうっかり死体を食い荒らしにくる動物。下手に病気を媒介したら。
動物だけならまだしも、魔物も寄ってきたら。
海だって似たようなものかもしれないが、海の場合はまだどうにかなる。陸だと死体を放置すれば肉が腐るが、海の場合はそうなる前に大抵何かが餌にしてしまうので。
足音を消して移動できればいいが、いかんせん逃げている状況でそこまで気にして実行できる余裕はなかった。そのせいで、中々背後からやってくる追手を振り切れない。
どうしたものか、やはりここは死体の処理がどうとか考える前に奴らを殺すべきか――そう、レイが決心を固めようとした矢先、
「あ、小屋がある」
イアの声が、レイの決心を鈍らせた。
小屋、という言葉に先程見たあの小屋未満みたいなやつかと思えば、意外としっかりとした小屋であった。三角屋根のロッジみたいなそれは、さっき見たやつと比べるとちゃんとした小屋だと感動すらしそうになるほどだ。
あいつらが建てた、とは思えなかった。これができるならさっきの集落みたいな所の家とかもうちょいマシなものがあっておかしくないだろ、というのがレイの言い分である。
「どうする?」
「行くわけないだろ。あからさますぎる。というかそこに隠れてもすぐバレるだろ」
「そっか」
なんというかあまりにもあからさますぎて、いかにも「罠です!!」と全力で訴えているといってもいい。
大体あの小屋の中に身を隠そうとしたとしてもだ。
追いかけてる連中からすれば、足音が聞こえなくなった時点でどこかに隠れたと考えるだろう。何言ってるかわからないけど、それでも仲間内での意思疎通ははかれるのだからそれなりの知性とか知能があるのは間違いじゃないはずだ。そしてどこかに隠れた、と気づいた時点でそこに小屋があるならば。
……見逃すバカ、いるか?
親父の手下どもだってちょっとヌケてる奴はいたけど流石にそこまでじゃなかったしな……と思えばそれより更に知能が下とか思うのもどうかと思う。
追いかけてきている足音からして、一応連携とれてるっぽいからなぁ……なんて部分に気付けば相手をあまり下に見るのは間違いなく自分を危険に晒す事になるだろう。
だからこそ、あからさますぎる小屋には立ち寄らずそのまま通り過ぎるつもりだったのだが。
ギィ、と音を立てて小屋の戸が開いた。
そうして中から現れたのは――
「は? なんでお前がここにいるんだよ!?」
「あっ、イルミナ」
「無事だったのね、良かった……!」
開いたスペースから半身をのぞかせて外の様子を窺うようにしていたイルミナが、どこかホッとした様子で小屋から出てくる。
「そいつは?」
そうして完全にイルミナが小屋の外に出てきた時点で、彼女がもう一人連れていた事に気付く。
肩に腕を回しているが、顔は下を向いていてレイからもイアからもわからないが、とりあえず一人でまともに歩けない状況らしいのと、制服を着ている事から同じ学園の生徒である事は理解できた。
一体どうしてこんな所に……その疑問は当然のように浮かんだが、しかしここでのんびり話している余裕はない。
「がらっど! ふま、せるしはいむ!」
レイとイアを追いかけてきていた連中の一部が追い付いたらしく、声は思った以上に近くから聞こえてきた。
とはいえ、相変わらず何を言っているかはさっぱりである。
「くっ……マズイわ……ちょっとアナタ、走れ……そうにないようね、まだ」
イルミナが肩を貸している人物に声をかけるも、小さく呻くような声がしただけだ。この様子じゃ自力で動くのも難しいだろう。
「なぁ、あいつらなんなんだ」
「なんでそれを私に聞くのかしら!? 知らないわよ。でも、あいつらマトモな人間じゃなさそうってのは確かね」
言葉が通じないから、という理由だけではない。
「既に二人殺されているわ」
「その二人ってーのは」
「生徒よ」
言って、イルミナはちらりと視線を小屋へ向ける。
イアは気付いていないだろうけれど、レイは気付いていた。
イルミナが小屋の戸を開けた途端、中から血の匂いがした事を。
そこから現れたイルミナ、もしくはその肩に寄り掛かるようにしている男のどちらかが怪我をしているのだろうかと思ったが、しかし見える範囲にそれらしいものはない。
服の下で見えない場所を怪我したにしても、であればこの血の匂いは異常である。
制服が黒いから目立たないだけで、もし白ければ恐らく大半が赤く染まっていてもおかしくない程度にはレイの鼻は血の匂いを感じ取っていたのだから。もしそれくらいの怪我をしているならイルミナの方は人に肩を貸して平然と立っていられるはずもないし、男の方も意識を完全に失っていてもおかしくない。もし意識を完全に失っていたなら、男の身体はもっとイルミナに全力で寄り掛かっていただろうし、そうなればイルミナももっと動きにくそうにしていただろう。
「そいつ見捨てて逃げ……るわけにもいかないか。流石に」
知らなければ見捨てたところで知らないのだから無かったも同然だが、知ってしまった以上は流石に寝覚めが悪くなりそうだ。
正直何があったかを知りたい気持ちもあるし、イルミナから話を聞いたとしてすべてを理解しているかはわからない。一応同じ学園の生徒だ。最終的な目的地、帰る場所は同じである。
となると、やはり見捨てるのはいささか問題が出てくるように思えた。
だがしかし、がさがさと草葉を踏みしめる音とともに原住民が数名こちらに向かってくる。
先程まではまだ音だけだったが、とうとう姿まで確認できる程度に接近されてしまったわけだ。
「今から逃げるのも難しいな……」
レイだけであれば。
彼だけなら逃げられない事もない。
だがしかし、イアを見捨てるのは流石に少々……別にこのちびっこいのがどうなった所で、と思う気持ちもあるのだが、しかしどうにもこの小ささが完全に見捨てる事を拒絶する。
あいつと似ても似つかなければな……などと思うも、見捨てるつもりであったならそもそも吊り橋の時点で見捨てていた。
それにこうして合流したイルミナを置いていくのも後から何を言われるかわかったものではない。
ついでに、イルミナが肩を貸している男もだ。
「逃げるのは難しい、となれば……戦うしかないわけだ」
言って、レイはリングから愛用の武器を取り出す。
分厚い刃のダガーである。普通のダガーよりも若干大きいが、しかしレイの手にあるのを見ればそこまで大きいとは思えない。だが、イアあたりが持てばきっともっと大きく見えるのかもしれなかった。
切れ味だけは確かな相棒を構える。
相手の武器はしょぼくはあるが槍だ。一撃で死ぬ事はないと思うが、それでも当たり所が悪ければ死ぬだろうし、だからこそ油断はできない。どうにかあの槍の先端から逃れつつ間合いに入って相手の喉でも掻っ切れば……
「駄目よレイ。下手に近づくとこっちが危険だわ。あの槍の先端、あの石、鋭いだけじゃないの。かすっただけで下手したら死に至るわ」
「はぁ? お前は何を知ってるんだ!?」
「見たのよ、あいつら、動物のフンとかをあの槍でこう……」
イルミナが自由に動かせる方の手で何かを突き刺すような動きをしてみせる。
それだけで充分だった。
彼らが持つ槍全部が全部そうというわけではないだろうけれど、しかし運が悪ければその一撃が命取り。
一対一ならまず負けるつもりはこれっぽっちもないレイではあるけれど、しかし相手が複数いて、尚且つ獲物有りとくれば完全に命中せずとも掠る可能性は大いにある。そしてその掠った一撃が当たりであったなら……
「最ッ悪だな」
ちっ、と舌打ちが自然と出る。
「貴方、こういう時に使えそうな攻撃魔法か魔術は?」
「生憎と」
イルミナの問いに即答する。
大体攻撃はさくっと自分で仕掛けた方が圧倒的に早い。わざわざ魔法だとか魔術だとかでする必要性を感じなかったというのもある。
大体、今までだって魔術だとか魔法だとかを使わずやってきたのだ。だからこそ、今になって新しい攻撃手段としての魔法や魔術というものが、その必要性・重要性が、レイにはまだわからなかったというのもある。わざわざ修得するほどの価値があるかもわからないものに時間と労力を費やすのはどうにも無駄に思えたもので。
「……そう、仕方ないわね。ここは魔術で私がどうにか」
「がるんど! えうけえあ、ぼだーぬ!」
などとやっているうちに、追手であった原住民たちのほとんどが追い付いてしまったようで、槍の先端をレイたちへ向けながらリーダー格だろう男が声高に叫ぶ。
それに追従するように、周囲の連中も似たような叫び声を上げた。同時に膨れ上がる殺気。
イルミナの魔術がどれくらいの威力を出せるかはわからなかった。
万が一を考えて、レイは武器を構えた状態のままいつどこから攻撃がきてもいいように神経を研ぎ澄ませる。
そんな中、吊り橋から落ちてレイに助けられ、そうして一度武器をリングにしまい込んでいたイアは何事もなかったかのようにリングから再び武器を取り出し、すっと右手に装着する。
そうして――
ひゅっ、という音。
風の音などではなく、それは紛れもなくイアが発した音であった。
魔力を糸に変換し、そうして扱う魔道具。それが、イアに渡された武器だった。魔力を使い作り上げられた糸は、使用者のイメージ通りに動くことができる。
とはいえ、あまりにも複雑な動きなどであれば、使用者が未熟な場合失敗することもあるらしいので注意が必要だが。
母が丁寧に使い方を記してくれた紙を見る限り、一度に多く糸を出すだとか、それら全てをバラバラに動かしたりだとかを初っ端からしない限りは失敗しないはず、とイアは思っている。いずれはそういう事ができた方がいいのかもしれないけれど、流石にここでぶっつけ本番でするつもりはなかった。
イアがしたのは単純な行動だった。
強度を高めた糸を出して、それを勢いよく連中の首目掛けて薙ぎ払う。
それだけで――
ぽぽぽぽぽんっ! と、酷く呆気なく彼らの首は宙を舞った。半円形上にイアたちを取り囲もうとして集まっていた原住民たちの首は、そうしてふわりと宙を舞ったあと、重力に従いドサリと音を立てて地面に転がる。
そうして少し遅れてから、首から下――身体からは血が噴き出し、ぐらりと揺れて倒れ、大地をその血で濡らしていく。
どこか現実味の無い光景だった。
この中で一番小柄で、魔法だとか魔術も使えるかわからなくて、ついでにいうなら体力的にも腕力的にもそこまでないだろうイアが。
クラス全員での殴り合いの時だって自分から手を出す事なくひたすら逃げに徹するだけだったイアが。
まさかなんの躊躇いもなく追いかけてきていた原住民十三名の首を、こうもあっさり切断するとは。
レイだけではなくイルミナも、まったく想像していなかったのである。




