行くも戻るも
形容しがたい何か、と一言で終わらせてしまおうと思えばできなくもない。
オブジェ、と言われればまぁそうなんだろうなと思う。
けれども。
こんな城の一室にそれがある、というのはどうにもおかしく思えたし、そうでなくとも。
「……え、いや、え?」
「なんだよ」
困惑してアレスが後ろを振り返る。
遠ざかった状態のレイがそんな様子のアレスに声をかけるも、アレスは困ったように首を傾げてそれからもう一度前を向いた。
レイがいる位置から部屋の中身は見えない。けれども、扉が開いた瞬間更に空気が重苦しくなったのだけは確実だった。扉を開ける前から、部屋に近づいた時点で突然の体調不良に見舞われたも同然のレイは、中に何があるのか気にならないわけではなかったが、それでも本能が囁いていた。
直接見たら多分意識を失う、と。
現在意図的に五感を抑えてはいるものの、それでこれだけ辛いとなれば。
以前のようにそういった感覚を意識して周囲の人並みに落とさないままであったなら、間違いなくもっと遠くから具合が悪いと思えただろうし、その上でこの部屋の近くに来ていたらきっとそのまま倒れていたに違いないのだ。
だからこそレイはアレスの背を見るまではしていたけれど、その先の部屋の中を見ようとはしなかった。
一方のアレスとしては、室内にあったオブジェとしか言いようのないブツを見て、これどうすればいいんだろう……? と悩んでいた。
なんというか、何の変哲もなさそうな見た目のくせに禍々しい空気だけは漂っているのだ。
見ているととても心が不安定な気持ちになってくる。
室内をざっと見まわすも、それ以外に何があるでもない。ただ、この謎のオブジェがあるだけでそれ以外の家具や調度品なんてものは存在していなかった。
まるでこのオブジェの展示室だと言われれば信じてしまいそうなくらいに。
けれどもこんなものを展示されていたからとて、マトモな神経をしている人間なら好き好んで見にいこうとはならないだろう。
扉を開けて部屋の中を確認したまではいいものの、アレスだって室内に足を踏み入れたいとは思わなかったのだ。
部屋に入ったとして、果たしてその空気の重さに耐えられるだろうか。
そう不安がよぎる。
近づけば近づいた分だけ、命も終わりに近づくような感覚。
生存本能や危機感といったものが、やめておけ、と間違いなく訴えている。
それもあってアレスは。
ひとまずモノリスフィアを取り出した。
瘴気汚染度を確認する。
汚染度は牢屋で確認した時と然程変わっていなかった。
では、この空気の重苦しさや本能的に忌避感があるのは、瘴気が原因ではないという事で。
てっきり馬鹿みたいに瘴気汚染されてるのだと思っていたのに、汚染度合は変化なし、という現実を少々受け止められなかったけれど、それでもアレスはそのままオブジェにモノリスフィアを向けて、どうにか撮影してみた。
そして撮影したそれを確認する。
画像として確認する分には特に問題がなかったようで、直に見るよりはじっくりと観察できた。
一度扉を閉める。
錠を壊してしまったとはいえ、扉は別に壊れていない。だからこそ、閉じたところで勝手に開くだとか、そういう事にはならないだろう。
そのままゆっくりと後ろに下がってレイのところまでいく。
「画像で見る分にはそこまででもないっぽいからちょっと確認できそうならしてくれるか?」
「おう。できればもうちょい距離とりたい。正直ここでもまだキツイ」
扉を閉めたとはいえ、それでもレイからするとまだあの重苦しい空気が全身を包んでいるかのような錯覚に見舞われているらしい。
ひとまずアレスは肩を貸してゆっくりとレイを立ち上がらせた。
そうして来た道を引き返していく。
ある程度引き返して、ここで大丈夫そうだ、と判断したレイが足を止めたのでアレスもそれに倣って立ち止まった。ゆっくりと、アレスの肩に回されていた腕が離れていく。
「大丈夫そうか? とりあえずこれがさっきの部屋の中にあったやつなんだが」
言いながらモノリスフィアで先程撮影した画像を見せる。
「……なんだこれ」
「オブジェ。としか言いようがないな」
「まぁ、俺も聞かれたらそう答えるしかない見た目してるけどよ……
でも、なんだってこんなのが室内にあるんだよ。普通こういうの屋外じゃないか?」
「知らん。俺に聞くな。むしろこっちが聞きたいくらいだ」
「まぁそうなんだけど。悪い。あまりの気持ちの悪さに意味のない質問しちまった」
「あぁうん、いいんだ。こっちもちょっと急な重苦しい空気についていけなくて」
アレスが撮影したものを述べるのであれば。
一本の棒をぐるぐる捻じれさせたようなもの、とでも言えばいいだろうか。
螺旋階段のように渦巻いたそれが二つ、室内には存在していた。
けれども階段のような段差はない。
白くつるっとした素材で作られたそれが、室内にただあるだけだ。
大きさ、というか幅がもう少しあるのなら、滑り台のような遊具かもしれないと思ったかもしれない。けれどもそういった物ではない。下手に子供が上ろうとすれば危険だと止めるだろう程度には、幅も大きさもないものだった。アレに乗って大丈夫そうなのは小動物やギリギリで猫あたりだろうか。
とはいえ、実物は一体どういう事なのか馬鹿みたいに重苦しい空気を放っているし、危機感が存在しているのなら動物など間違いなく近寄らないだろう。むしろ率先して逃げ出すに違いない。
見た目は別に凶器のようだ、というわけでもない。
本当に、そこそこ大きな街の広場にでもこれがあったとして、何かそういうオブジェなんだな、とスルーできそうな見た目であるはずなのに。
間違いなくあの部屋から漂っていた重苦しさ満点の空気はこのオブジェから放たれていたのである。
画像で見る分には問題はない。けれども実物は……思い出すと何だか折角多少楽になったのが台無しになりそうな気がして、忘れろとばかりにレイは頭を振った。
「とりあえずそれ、テラに送れないか? で、何かわかればここの場所も割れんじゃねーの?」
「それもそうだな。ちょっと送ってみる」
クラス全員のグループに送りつけるのは、テラの返答を聞いてからでも問題はないだろう。
そもそもさっきまで魔法罠があまり役に立たないだとか、方向性をちょっと変えて、だとかの話し合いになっていたところにいきなりこんな画像送りつけられても皆だって困るだろう。
テラ個人のアドレスへと画像を送り、ついでに現状を説明する。
周囲に神の楔がなさそうな場所。既に誰もいない廃城。魔法罠について調べようとして知り合いの魔女のところへ行ったらそこへ転送されてしまった事。
ついでに、神の楔の事故でレイもここにいる事。
そういった簡単な説明ついでに、廃城を調べていたらこんなのがあった、と画像を送りつけた。
画像では問題ないようだけど、実物はなんだか近づくだけで気持ち悪くなるし空気も瘴気汚染度が上昇したのかと疑うくらいに重苦しいしで、近づいて調べるのは無理そうな事も伝えておく。
送り付けた時点で、早々に既読とついたので一応目を通してはいるらしいが、返信がくるまでには若干の時間がかかった。
『恐らくだが、それは破壊しようとしても生半可な威力の術では壊れないだろうから近づかず、できるならその場所を封鎖した上で早急に立ち去れ』
まだ返事こないなぁ、とか思ってどうしたものかと思ったあたりでようやく返信がきたものの、それが何であるだとかの具体的な事は一切ない。
思わずアレスはレイと顔を見合わせる。
「立ち去れったってなぁ……下の階に行けば半透明骸骨がいるっていうのは?」
「これから送る」
重要度合的にオブジェの事を聞くのが先だと思っていたから下の階についてや半透明骸骨については一切説明していなかったが、ここを立ち去れと簡単に言われてもそれができるなら苦労はしない。
ポチポチと文字を入力して、そうして送った文を再びテラは目を通しているのだろう。
『半分くらい賭けになるとは思うが、その半透明骸骨とやらにその画像を見せとけ。動きが止まるならその隙に行けばいいし、もし逃げるようならそのまま逃がせ』
「これ、テラのやつ割とここがどこか察してないか?」
「それっぽいよね……」
とはいえ、あれを直接というのならまだしも、画像を見せただけで半透明骸骨が動きを止めたり逃げ出すとは到底思えない。思えないのだが……まぁ、失敗したとしてもまた捕まって牢屋に放り込まれるだけで済むのであれば試す価値もあるだろう。
殺されるような展開にならなければいいのだが……
「あの部屋の先もまだあったと思うけど、あの部屋の前通り過ぎる事はできそう?」
「……一応、どうにか」
半透明骸骨が果たして本当にそうなるかはわからないので、せめてもう少しここを探索してみます、とだけテラへ送る。
『何かあったら言え』
勝手にしろ、とかそういう突き放すようなものではない返信が来たのを確認して、アレスはモノリスフィアを一度しまった。
「それじゃあ、もうちょっと頑張ってくれ」
「おう。最悪無理矢理にでも引きずって持ってってくれ」
「……お前を? せめてもうちょっと小柄な体躯ならともかくよりにもよってお前を?」
「……いや俺だって悪いとは思ってるぜ? でも自力で動けなくなったらそうなるだろ。
それともお前だけ先に行くか? あの部屋よりも手前で俺が待機した状態でもいいけど。ただ」
「……あぁ、うん。もしその先で更にあれよりひどい何かが見つかった場合、俺も自力で移動できなくなった、なんて事になったなら」
「俺は救出に行けないだろうしそうなると詰むんだよなァ……」
もしあの部屋よりも先に、あのオブジェよりもっと厄介な何かがあったとして。
そしてそこでアレスが身動きできない状態に陥ったとして。
その場合、かろうじてモノリスフィアで助けを求めたとして。
レイは、あの部屋のあたりで吐き気をこらえるレベルで一気に体調が崩れた。そこをどうにか頑張ってもらって更に先に進んだとして、アレスが動けないレベルとなればレイも危ないだろう。
その場合、テラに助けを求める事になるのだが。
テラが来てくれるかどうかも可能性としては微妙なところである。
この場所に何らかの心当たりがあるような気がしているとはいえ、テラはそれを断言してはいない。
送られたメッセージから状況を推察してこちらの行動を指示しただけの可能性も充分にあった。
テラが実際この場所について知っているのであれば、何かあったら言え、なんて気楽なメッセージを返信したりはしないだろう。知っているならこの先には行かない方がいいと言う方が可能性としては高い。
であれば、安全かもしれない、という風に思えるが……油断はしない方がいいだろう。
「よしわかった最悪途中で動けなくなった時を考えて最初から引っ張っていけばいいんだな?」
「お前のその思い切りの良さはなんなんだ……待て、確かにさっき肩借りたけど、今回は手を引いていくだけでいい。いやおま……別にこっちだって好きで手を繋ごうとか言い出したわけじゃねぇよ」
「うんそうだよね。俺も流石に女性をエスコートするのに手を出すならともかく野郎と仲良しこよしでおてて繋いでってのはないわ……でもまぁ、確かに手を引っ張ってった方がマシか……」
いざとなったらその腕を遠心力に任せてぶん回してぶっ飛ばせばいいか、とアレスが考えたのを、レイは知らない。




