恋する乙女のほのかな不安
なんとリィト、当たり前のように冒険者たちの中に紛れて今回の住人たちの避難などを手伝っていた。
そしてその際のあれやこれやを報告するべく領主でもあるファラムの父の所へやって来たようなのだが。
「……あの魔物、貴方の仕業ですわね?」
「それは勿論」
父がいない隙にファラムが問えば、リィトはにこやかな表情を変える事なく頷いてみせた。
よしぶん殴ろう! と思っても困った事にリィトに隙がない。
一見すると隙だらけに見えるような無造作な立ち姿なのに、いざ攻撃を仕掛けようと思った上でリィトを見るとどこにも隙がないのである。
うわムカつく、と思ったのも仕方のない事であった。
「一体どういうつもりです?」
「どう、と言われましても。今回はこのあたりでやろうと思ったからやっただけです」
リィトに関しては、学院で見知った事と学園でウェズン達から聞いた話とで、まぁなんていうか全く知らないわけではない。
学院でワイアットと友好的な関係であるだとか、正直関わりたいと思わないようなエピソードばかりだったけれど、学園サイドからもたらされた情報でどうやら学園で保管していたらしき何やら重要な物を盗み出したというのも聞いている。
そしてそれが、増幅器であるという事も。
瘴気を一時的に増幅させるとかいう、一体それ誰得アイテムなんです? と言いたくなるような物を使ってリィトは本来ならそう魔物もいないだろう場所でとんでもない強さの魔物を解き放ったりしていたはずだ。そもそもそのアイテムの本来の使い方は違うのだろうけれども、悪用の仕方がえぐい。
学院がそれをやれ、と言ったわけではないだろうし、ではこれは彼の意思なのだろうとは思うのだけれど。
彼が何故そう考えてそんな事をしているのかがわからない。
今回の魔物は一匹だけで、強さもまぁファラム一人でどうにかなったけれど。
しかし平和で普段あまり腕利きの冒険者が常駐しているような所ではなかったがために。
もしファラムが戻ってこなかったのなら、やはり倒すまでにもう少し時間がかかっただろうし、そうなればその分被害だって大きくなっていただろう。
故郷に帰ってきたら軽く燃えてた時点で結構な驚きだったけれど、その驚きがまさか知り合いがもたらしていたという事実。
「貴方のそれ、学院がやれって言ってやってたわけじゃないですよね。かといって、友人だとか言われてるワイアットの指示でもない。
となるとそれって貴方が自分の意思でやってる、と思うのが普通に自然の流れだと思うのですが。
何を思ってそんな事をしているんですか? 貴方のせいで危うくとんでもない里帰りになってしまったわたしに対して、そこそこ納得のいく説明をしてくれたって罰は当たらないと思うのですが?」
「勿論、学院がそんな事を言うわけがない。クロナがそんな事を言うように思いますか? 彼女が知ったら勿論嘆き悲しむに決まっている」
クロナ、と言われてファラムは一瞬「誰だっけ」と素で思った。
けれどもすぐさま思い出す。
そうだ、学院を統括している責任者的な立場である存在。その人の名が確か――
(クロナ、でしたわね)
生憎入学式の時にその姿を見たわけではないので、記憶に残っていないのも仕方がないだろう。
入学式の時は確か、放送で声だけ聞いただけだ。少女とも女性とも思えるような年齢がわからないがともあれ女の声だったのだけは記憶にあった。
声だけならば、優しそうな印象もあった。
入学した生徒たちにこれから先の困難に立ち向かえるだけの強さを身につけるように、と励まし、貴方たちの今後に祝福あれと簡単にスピーチをさっさと終わらせてしまったので、ファラムが知る限りクロナという存在に関する情報はあまりにも少ない。
あの時は長話にならなくて良かった、なんて大半が思っていたしそこにファラムも含まれていたのだけれど。
こうして今になって思えば、もっとあの時点で彼女について色々と情報を得ておくべきだったのかもしれない。
あんな風に優しく見守っていますよ的な言い方をされていても、結局のところやる事は魔王側――学園の生徒たちとの殺し合いだ。
毎回そうというわけではないが、それでも時としてこちらから襲撃を仕掛けにいったりするので、学外でばったり遭遇した場合下手をすればしなくてもいい殺し合いに発展する事だってある。
学院の教師に関して多少は知っていても、そのトップに立つであろう存在が不透明というか不明瞭というか……こういう人ですと断言できない状態なのは今にして思えばなんとも言えない気味の悪さも感じられた。
「その、嘆き悲しむような事をやっているんですよね。そのうち愛想尽かされて学院追放とかされないのですか?」
これで学院を追放されて学園に戻ってこられてもそれはそれで何とも言えないのだが。
「それはないかな。だってこれは必要な事だからね。一見すると何の意味もないように思える行動でも、実のところ結構重要だったりするんだよ。
そうとも。誰が認めなくたって、これはどうしたって必要で重要な事なのさ。世界中の全てが認めなくとも」
ワイアットと仲が良い、というだけで、なんというかその言葉を果たして本当に信じていいのか、という疑念が湧き出てくる。
いや、恐らく本当なのだろう。
ただ、どうにも彼らの言動は本当の事であってもとても嘘くさく思えるのと、こちらが彼らに対して好意的な感情を持っていないがために余計疑惑に満ちた目で見ているからこそ信じがたいだけで。
「場所に関しては今回たまたまここを選んだだけだから、そう何度もここを狙ったりはしないよ。安心していい。今回魔物を倒した事で、元々ロクに瘴気なんてなかったけれど、余計に浄化されてしまったからね。しばらくの間は平和なものさ」
別に今回魔物が出なくたってしばらくの間平和だっただろうに、それをあえて恩着せがましさを感じさせる言い方をしてくるから、ファラムは回避されるとわかっていても攻撃を仕掛けていた。
とはいえ、本格的な攻撃を仕掛けてここを戦場とするつもりはファラムにだってない。
何せ自宅である。
ファラムだけならともかくリィトまでやる気になって力を使い始めたら、間違いなく自宅が半壊どころか全壊してもおかしくはないのだ。ファラムは家が壊れないよう手加減をするつもりだけれど、リィトがそれをする義務も義理もどこにもないので。
なのでファラムが仕出かした事と言えば、手元にあったティースプーンをリィトめがけて投擲しただけだ。これならうっかりで家が崩壊するような事にはならない。
ちなみにリィトはてっきり何事もなかったかのように回避するかと思われたが、ご丁寧にもティースプーンを左手の人差し指と中指でもって挟むようにしてキャッチしていた。
結構な速度で投げたのに、平然とやられて危うくファラムの口からうっかり舌打ちが飛び出るところだった。スプーンの柄の部分でキャッチしたリィトは、そのままスプーンをそっとテーブルの上に置く。
「どう重要な事なのか、までは言う気がないのでしょう?」
「それは勿論。言ったら色々と面倒な事になるからね。君たちが勝手に面倒になって厄介な事に見舞われるのは構わないけれど、折角こうしてコツコツと積み重ねてきた何もかもが台無しになるのはさ、困るんだよ。
これだけに限った話じゃないけど、結構前から色々とやってきたんだ。それら全部が台無しになったら、困るのはボクたちだけじゃない。君たちだって困る事になるんだよ?」
何がどう困るかを言うつもりはないくせに、邪魔をすることで君たちも困ると言い出されても、じゃあこれからは邪魔をしませんなんて言えるはずもない。
それ以前に、きみ『たち』と複数を示しているのが気にかかった。
リィトの言う君たち、というのは果たしてどこからどこまでが含まれているのやら。
重ねて質問しようと思った矢先、リィトは「あ」と何かを思い出したような声をあげた。
「そういえば聞こうと思ってたんだけどさ。
結局彼とはどこまで進んだわけ?」
「は……彼、とは?」
「え? 君が学院から学園に行く原因になったと言えなくもないお相手」
「わたしとアレスとはそういう関係では」
「違う違う。あいつときみがそういう関係じゃないのは学院にいた時に見てたからわかるよ。そうじゃなくて。
えーっと、名前、なんだっけ……確か、あぁ、そうそう。ウェズリアスノーデン」
そこでウェズン、と言わず本当の名が出てくるとは思わなかったファラムは、一瞬ではあるが反応が遅れた。
普段からウェズンとしか呼ばれていなかった彼の本当の名がそうである事は、一応聞いている。けれども長いし自分でもそこまで把握できてないからウェズンでいいよ、と言われていたのでファラムだってほとんど記憶の片隅にしまい込んでいたような情報だ。ただ、自分の好きな人の名前である事は確かなのでそこは忘れるつもりなんてこれっぽっちもなかったけれど。
「彼さぁ、きみの好意は知ってるんでしょ? でもってそれ保留にでもしてんの? 聞こえてくる噂から全く進歩してないっぽいけど」
「その噂どこ経由で……いえ、まさか」
「そうだね。精霊経由で。学園以外の精霊たちもほら、ボクからすれば同族だからさ。世界情勢からどこぞのご家庭の夕飯の献立まで、知ろうと思えば容易な事だよ。
で、何、キープでもされてんの?」
「失礼な事を言わないでもらえます!? 次の神前試合までもうちょっと、というところで今それどころじゃないだけです!」
「ふぅん? でもさ、それ、果たして無事に神前試合が終わって、きみもウェズリアスノーデンも生き残ったとして。
本当にきみの想いに応えてくれるって確証あるわけ?」
「そ、れは……多分、恐らく、きっと」
ファラムがウェズンに対して好意を持っている事は、既に周知の事実である。
けれども、神前試合まであと少し、という現状で恋愛事で浮かれているわけにもいかない。それはファラムだってそう思っているし、だからこそウェズンにそう言われても納得もしたし理解もした。
学園を卒業する頃にウェズンの答えを聞かせてもらえればそれでいいと思ってもいた。
確かにウェズンの周囲には何となく親しい間柄の女性がいるけれど、いざその関係性に名前をつけようとすれば、義理の妹、自称娘、弟子、といった……色恋とは何か違う感じなので。
この中だと義理の妹が一番難敵な予感がするが、しかし実際には既にファラムの事を将来の姉と見ている部分がある。
というか、イアは幼い頃に面倒をウェズンに見てもらっていたからか、兄ではあるがどちらかといえば親として見ている部分も無きにしも非ず、といった感じですらある。
そこに親愛の情があったとしても、恋愛感情は……どこからどう見ても存在していなかった。
それで最終的にくっついたとなれば、ファラム以外も驚くに違いない。
そう、落ち着いて考えるなら、周囲の女性は恋敵にはなりえていない。
いないのだが、しかし改めて第三者から、それもある程度事情を知っていそうな相手から含みを持ったように言われると。
何故だか途端に不安に思えてきてしまったのである。
「別に親切で言うわけじゃないけどさ、彼、きみが知る以外にも女の影があるよ」
そう言って笑うリィトの唇は、まるで三日月のような弧を描いていた。




